第三十三話 お母さんと一緒EX
五十万文字突破記念。二話一挙掲載。
……なんて言うとかなり怒られそうだ(笑)
ちょっと長めです。ご注意を。
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げる。
なんとなく予想はついていた。あの人がこの屋敷にやってくることなんて、そう多くはないからだ。
電話をかけた先はまごうことなき修羅場で、僕は事情を聞くなり謝る羽目になっていた。
「そうですか……はい、はい分かりました。すみません、色々と」
頭を下げて、溜息混じりにゆっくりと電話を切る。
……さてさて、これからどうしたもんだろうか。ちょっと頭が痛くなってきた。
ついでに言えば、こっちの方も頭痛の原因だったりする。
「……私、奥様は苦手です」
必死になって母さんから逃げてきた、コッコさんだったりする。
今は僕の部屋に引きこもり、周囲を警戒しながら座り込んでいたりする。籠城の構えだった。
「なんだか、会う度にセクハラされますし、最初に会った時もセクハラされました。なんかもう……私にとって奥様はセクハラの象徴みたいなものです」
「すみません。本当にすみません。ウチの母は本当に世間知らずで」
とりあえず謝ってみたけれど、コッコさんはやはり憮然とした表情を浮かべていた。
「……嫌いではないのですけれど、正直なところ、苦手です」
「まぁ、そうでしょうね」
あんだけセクハラされりゃあ、苦手にもなるだろう。
ただ……母さんのあれは反動なのだと父さんから聞いたことがある。生まれた時から人を喰ったように生きてきて、人をぶっち切って生きてきて、全部を凌駕していたから嘘も怠惰も知らずに生きてきた、その反動。
甘えることも知らなかったから、加減がよく分からないのだと言って、苦笑していた。
特別で特殊でスペシャルで、なんでもかんでも人より上手くやって、妬まれて嫉まれて恨まれても、快活に笑ってぶっ飛ばしてきたからこそ……最強だったから、加減が分からなかった。
『彼女の悲劇は最強であったこと。そして、みんなが彼女を最強だと思い込んだこと』と、父さんはそう言っていた。
母さんと結婚した理由も、ミナモトさん家のシズカちゃんと似たり寄ったりだとも、言っていた。
……まぁ、絶対に虚実織り交ぜてるだろうけど。あの見栄っ張りな嘘吐きの親父に限ってそんなコトあるわけない。
どちらにしろ、あの二人に関してはあんまり気にしない方がいいのだ。
気にした分だけ損をするようになってるから。
「……さて、と」
携帯電話を閉じる。しゃべったり謝ったりしていたせいか、もう昼になりつつある。
「それじゃあコッコさん、ちょっと出かけましょうか?」
「……え?」
「本当は今日はのんびり過ごすつもりだったんですけど、母さんのせいでそれもままならないというか、ぶっちゃけツッコミ疲れました。……と、いうわけで今日一日は適当なところでぶらぶらしようかなーと思いまして」
「それで、私ですか?」
「コッコさんも屋敷にいるよりは気が休まるでしょ? ……まぁ、夜までの時間稼ぎですけどね。母さん対策に父さんに電話を入れておいたんで、夜になれば屋敷にも平穏が戻ると思います」
「……まぁ、そういうことでしたら」
少しばかり機嫌を直して、コッコさんはようやく立ち上がる。
「それじゃあ、準備をしてきますので、少々お待ちくださいね」
「はい、玄関で待ってますね」
笑顔で答えて、僕はコッコさんの背中を見送った。
部屋に一人残されて、ゆっくりと息を吐いた。目を閉じて、拳を握る。
「……ったく、女々しいったらねぇな」
不覚にも、そんなコトが口をついた。
ゆっくりと顔を上げる。そして思いを振り切るように、僕は自転車の鍵を手に取って歩き出した。
灰色の彼は電話を受け取って、少しばかり微笑んだ。
息子から電話がかかってくることは稀で、その稀な場合も大抵妻をなんとかしてくれという内容ばかりだった。
それでも、彼は息子の言い分を聞き、きちんと租借して理解した。
「分かった。なんとかしよう」
返事はそれだけで十分だったらしい。礼もそこそこに、電話はすぐに切れた。
嫌われているというより、避けられているのは、よく分かる。息子のことは妻に任せっぱなしだったからだ。
出張が多く、帰れるのは三ヶ月に一度。たまに顔を見せても、幼い息子は妻の背に隠れてしまうくらいだった。
そもそも、現実感が希薄だったのだろう。屈強でよく笑う母に対し、自分は病弱で笑顔が皮肉げな男だったからだ。
よく話すというわけでもなく、たまに小さなことを話すだけの仲。今は息子の方から多少歩み寄ってくれてはいるが、それでもなんとなく距離を感じてしまうのは……。
「まぁ、100%僕のせいだろうね。ったく……何年経っても女々しいったらないね」
四十路も近いのにねぇと呟いて、彼は少しばかり陰鬱そうに溜息を吐いた。
「それでも……僕は父親なんだよ」
それから、ゆっくりと息を吐いて、指を走らせた。
「目覚めよ目覚めよ目覚めよ目覚めよ、其の名は嘘。世界に認められぬ存在。同類にして同郷。我らは二つにして一つ。世界より除外されし唯一。名を叫べ、汝の役目と名を叫べ」
まるで舞うように、指先がコンソールの上を踊り、灰色の彼は空ろなる文字を綴る。
「応えよ、我はなんぞや? 汝はなんぞや?」
『我は遣い、汝は使徒』
「応えよ、汝はなんぞや? 我はなんぞや?」
『汝は詐欺師、我は嘘吐き』
「応えよ、我らはなんぞや?」
『我らは嘘を紡ぐ者。世界を敵に回す者』
「よろしい。では、存在を抹消された我らは介入を開始しよう。其の介入の名はお節介。世界最悪にして世界最良」
『OK。命令を承認した、主。我らが名を呼ぶがよい』
「始動せよ、『虚構皇』。我らが前に敵はなく、我らの後に味方はない」
『受諾した、主。……それでは嘘を吐きに行こう』
それは、己を縛っていた拘束を解いた。
異空間。どの世界にあるとも知れぬ、黒い空間の中で、それは三十八回目の産声を上げた。
悪魔のような鋭角的なフォルム。烏のような濡れ羽の漆黒。翼だけはまるで天使のように真っ白なそれは、おぞましき声を上げながら、翼を広げて爪を振るった。
たったそれだけのことで、異空間に裂け目ができた。
そして、この世に現存する全ての嘘の王は、再び咆哮を上げ、侵攻を開始した。
息子にしこたま怒られて、ついでにちょっと苦手なメイド長にも怒られたので、織は先に用事を果たすことにした。
ルールというものを彼女は適当に決めている。
自分勝手ながら、世界最強の彼女は己に規律を決めていた。家族は守る。美少年や美少女も守る。オッサンも時々守る。守らないのは、自分から見て悪しき者であり、それ以外は守ってやろうと思っていた。
弱者が強者に守られるのは、当然のことである。
「だからまぁ……昨日のはよくないねェ」
織はゆっくりと口元をつり上げる。それは織の息子である彼が怒っている時にそっくりな表情だったが、彼女が口元を緩めた時は、大抵の場合は怒っていない。
ただ、相手のことを叩き潰そうとしているだけである。
タクシーで降りた先には信じられないほど大きなビルが建っていた。
そのビルに正面玄関から立ち入り、織は受付に向かう。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ、大した用事じゃないんだけどね、このビルの持ち主、出してくんない? 髪質がいいむかつく女」
「えっと……そのような方はいらっしゃいませんが」
「ん、じゃあ適当に探すわ」
「ちょっ、お客さふっ!?」
目にも止まらぬ速度で打ち出された拳で鳩尾を打たれ、受付嬢はあっさりと気絶した。
織は不敵に口元を緩めたまま、ゆっくりと前進を始めた。
不可能などない。不可思議などない。あらゆるものは、この体一つで再現可能。
「行くぜ、アホ女。あたしを敵に回して、息子に手を出しておいて、ただで済むと思うんじゃねぇぞ」
躊躇はなく迷いもない。単純明快な絶対無敵。
故に最強。それ以外に言葉は不要。
一歩だけ踏み出した。それでもうなにもかもが終わっていることを、彼女だけが知っていた。
いつも通りの普段着、セーターにロングスカートのコッコさんを後ろに乗せてシャコシャコと電動補助付きの自転車を漕ぎながら、僕は適当にブラブラしていた。
目的地なんてない。今日は家にいたくなかっただけで、行き先なんてどうでも良かった。
風が心地いい。空は青く、雲一つない。のんびりするにはいい気候で……それでも、僕は嫌な気分だった。
「………………ん?」
ふと、空になんだか黒いものが見えたような気がした。烏にしては巨大で、禍々しいなにか。
目をこすると、そこにはもうなにもなかった。……気のせいにしては、なんだか妙にリアルだったけれど。
「どうしました? 坊ちゃん」
「あ……ええ、なんでもありません」
なにもなかったのなら、気にすることはないだろう。目の錯覚ならそれに越したことはないし、UFOだったとしても、僕には関係ない。他の何かだったとしても、僕に関与するものじゃないだろう。
……まぁ、関係ないことなんてどうでもいい。問題は、これからどうするかだ。
まずは、昼食をどうしようか?
「コッコさん、なんかおすすめの店とか知りませんか? どこでもいいんで、美味しいところがいいんですけど」
「おすすめですか。うーん……そうですねぇ、吉○屋とか、セブ○イレブンとかが安くて美味しいと思いますけど」
「……正気ですか?」
「な、なんですかその目は? じゃ、じゃあ駅前にある定食まるふじとかは?」
定食まるふじ。安さと量で全てをまかなっている店。味はそんなでもなく価格はお手頃で部活帰りの腹ぺこ学生に大人気。
もう一度言おう。味はそんなでもなく価格はお手頃で部活帰りの腹ぺこ学生に大人気。
コッコさん……まさか、そこまで切羽詰っていたとは。
「……分かりました。分かりましたから、もういいんです。今日は僕が奢りましょう」
「ちょっ、なんでそんなに悲しそうな顔をするんですか坊ちゃんっ!? 私、なにかおかしいことでもっ!?」
「いいんですいいんです。社会人なのにそんな貧相なものしか食べられていないお姉さんに、美味しいものを食べさせるのも悪くはないなと思っただけなんです。だからそう……美味しいところと聞かれて、全国チェーン店やコンビニや学生食堂を堂々と言うのはやめましょうよ。いくらなんでも……悲しすぎますから」
「………………」
口を閉じて、思い悩んでいるような表情を浮かべるコッコさん。
どうやら、僕のような高校生にここまで同情されるとは思っていなかったらしい。
「……分かりました。そこまで言われては、この山口コッコ。侍従の名折れというものです。いいでしょう、そこまで言うのなら、ちょっと高額ですが、私のおすすめの場所に連れて行きましょう」
「おすすめの場所? ああ、トッピングがちょっと豪華な、駅前の有楽らーめんですか?」
「おすすめの場所と言ったでしょ? 社会人舐めないでくださいよ?」
わぁ、普通に自転車の運転手にチョークスリーパーかましてきましたよ、この娘さん。運転手が僕で車掌も僕でお客さんは貴女なんですが、自覚はあるんですか?
苦しいやら背中がちょっと嬉しい状態になってるわで、僕はもう窒息寸前です。
と、僕が顔を青紫色に染めていると、不意にコッコさんの腕が首から離れた。
「全くもう、あんまり大人をからかっちゃいけませんよ?」
「はいはい」
「はいは一回です」
「はい」
うーん……なんだか懐かしいノリだ。最近は忙しくて、こんな風に出かける暇もなかった。
そういえば、舞さんと出かけた時は有耶無耶になってしまったから……本当に何の目的もなく、ちょっとだらだら出かけるのは本当に久しぶりだ。最近は屋敷の方が忙しくて、古本屋に寄ってる暇もないし。
章吾さんが辞めなかったら、もうちょっと楽ができていたのかもしれない。
けど、そんなのは無意味な仮定でしかない。……だから、もっと頑張らないと。
『けれど……そんなことを、貴方は本当に願っていましたか?』
黙れ、僕。いちいち言葉を心に刻み付けるな。
願うもへったくれもあるか、そんなもん。いちいちつまらないことで傷つきやがって。
不条理くらい飲み込んでしまえばいい。みんなそうやって生きてるだろ。
そうやって生きなきゃ、ならないだろ。
今日だってそうだったじゃないか。
「坊ちゃん? どうしたんですか、急に難しい顔をして」
「いえいえ、コッコさんのおすすめと言われて、どんなものが出るのかちょっと考えていました。カップ麺のフルコースとか、そういうものを出されてもちょっとなーって思いましてね」
「坊ちゃん、人を勝手に貧乏キャラにしないでください」
「そうですか。ならいいや」
僕はコッコさんにいつも通りの笑顔を向けながら、ペダルを漕ぐ足に力を込めた。
とりあえず……今は悩んでることとかそういうことは忘れよう。そんな風に、思った。
三十階建てのビルが揺れていた。
比喩ではなく、まるで怪獣の足音に合わせてビルがグラグラと揺れる。
部屋の中は地震が来た直後のように家具やテレビが横転しており、本棚からこぼれた本が散乱していた。
「……さて、どうしましょうか、執事」
「どうにもなりませんな。だからあれほど軽率に異世界の技術を使うのはおやめなさいと言ったではないですか。礼二殿も出払っておりますし、部隊長に至っては出張の真っ最中。今、主の御身を守るのは私一人だけなのですぞ?」
「ならばなんとかなさい、執事。前回、あれほど調子こいた発言の責任くらいは取りなさい。こちらが教育されてはなんの意味もないんですからね?」
「相変わらず、無茶を仰りますなぁ」
老紳士は快活に笑うが、いつの間にか彼は両手に皮のグローブを身につけていた。
そして、腰には無骨な日本刀を下げている。
「既に弟子に追い抜かれたこの老骨では、どれほどの時を稼げるものか分かりませぬぞ?」
「そのお弟子さんとやりあった時は本気を出していたのかしら?」
「無論、言うまでもありませぬ。……しかし」
爆音が響いて、扉が粉砕される。
もちろん扉を砕いたのは火薬でもなんでもない。ただ、あまりにも強烈すぎる蹴りである。
「……切り札も奥の手も見せぬ、ただ純然たる剣の腕の比べあいでしたが、な」
そう呟く老紳士の眼前には、超絶美女だがOLにしか見えない、ただの兼業主婦だった。
もっとも、ただのOLにしては体より立ち上る闘気が尋常ではない。
「テメェらか、ウチの息子の楽しいデートを邪魔してくれやがった無粋な連中は」
老紳士は口元を綻ばせる。なんとなく、彼女は彼女のままであるという直感があった。
「……久しぶりだの、高倉の娘。十年ぶりといったところか」
「あ? えっと……ああ、そうだね、うん」
「嘘だ、馬鹿者。私とお前は出会ったことすらない。今が初対面だ」
「まだるっこしいことすんじゃねーよ、じーさんっ!! 恥かいたじゃねーかっ!」
世界最強の彼女は顔を赤らめながら、老紳士を怒鳴りつけた。どうやら、照れているようである。
老紳士は口元を緩めて、心の中だけで呟いた。
(まぁ……それも嘘だが)
正確にはスミスと織が出会ったのは、おおよそ三十二年前。高倉織の父親が我が子を自慢げにスミスに見せびらかしに来た時以来である。当時スミスは彼女にふられたばかりの独り身であり、『へっへっへ、どうだスミス。ウチの子は超可愛いだろう? お前も結婚すれば分かる。ところで、彼女とは上手くいっているのか?』などと言われて、一家皆殺しにしそうになった覚えがある。
(……いっそのこと、殺っておくべきだったか?)
後の祭りというか、後悔先に立たずというか、そんな気分でもある。
しかし……まぁ過ぎたことは仕方がない。そんな昔のことを思い出そうが、現在の状況は変わらない。
「さてさて、あたしも鬼じゃねぇ。そこのじーさんは今後支払われる保険金と年金全額徴収、そこの小娘はものすごーくやらしい、男の情欲をそそるよーな格好をさせてから、首輪をつけて夜道を散歩してくれるぜ」
「……主のはともかく、私のは命に直結するのだがなぁ」
「執事。『主のはともかく』という一言は、どう考えても執事にあるまじき言葉だと思うのだけれど?」
「や、命があるとないとじゃ大違いですぞ?」
「主を命がけで守るのが執事というものでしょうが」
「時代錯誤ですな。今の執事は死んでも生き残り、主の補佐をするのが仕事です。まぁ、主の命さえあればおねしょをして泣いてようが、補佐は可能なわけですな」
「………………」
主がものすごい形相でスミスを睨みつけてきたが、彼はどこ吹く風で、刀の柄に手を添える。
「仕方ありませぬな。……まさかこの老体になってから世界最強とやり合う羽目になるとは」
「そう言いながら、やる気満々じゃねーか」
「仕方ないと言うたはずだぞ、世界最強」
刀の柄に手を添えて、執事はすり足で間合いを詰める。
「主に仇なす者は、全てこの場で叩き切る。……私とて、やりたくはないが、仕方なくだ」
「なるほどねぇ」
織は笑いながら、老紳士を見つめる。
彼が取っている構えは抜刀術。通称、居合い抜きの構えである。刀を鞘の中で走らせ、相手を斬る剣技の一つだ。
刀が鞘に収まっているために間合いが掴みにくく、鞘走りのために普通に振るうよりも速く、放たれたら最後一撃必殺となるが、放った後の空振りが致命的な隙となる……そういう剣技である。
しかし、高レベルの使い手となると抜刀後の術技すらも戦術として確立しているため、一般的な居合い使いの弱点がほとんど存在しなくなる。空振りが完全な隙となり得ず、逆に一刀の下に切り捨てられる可能性すらあるのだ。
が、織はなんの躊躇もなく無造作に間合いを詰めていく。
「居合いごときで、あたしに勝てると思ったら大間違いだぜ、老人」
「その通りだ世界最強。たかが剣技、たかが術技。そんなモノで勝てれば苦労はせん。こいつはあくまで私の趣味だ」
居合い抜きの構えのまま、老紳士はにやりと笑う。
「そもそも、現代の戦は情報と火力だ。相手の位置を捕捉し、一気に焼き払えばそれで済む」
「はン……無粋なことこの上ねーな。あたしが知るエロ可愛い女なんざ、それが容易にできなかったから強くなった。常に移動を繰り返し、地味な場所から狙撃を繰り返した。装備はいつだって腰に下げたカトラスとアサルトライフルが二挺と、分解整備がくそ面倒なスナイパーライフルが一挺と、あとはありったけの弾丸と手榴弾とバックアップガンくらい。たったそれだけの装備で、エロ可愛い女は敵を圧倒したのさ。……面白いだろ?」
不敵に笑いながら、世界最強は言い放った。
「射撃は精密だったが、努力で鍛えられる範囲内。圧倒できる火力も存在せず、なぜ小娘は敵を圧倒できたんだろうな?」
「……優秀な歩兵だったから、だろうな」
「違うな、老紳士。そいつは単に己が持つ武器全てを掌握していたのさ。そして、どうやって有効に扱えるかを必死で考えた。……そして、出した結論は『隙』を無くすという、たった一点を究極に鍛え上げることだった。たったそれだけのことで、あいつは伝説に成り上がった」
世界最強は、そこでようやく足を止める。
居合いの間合い。老紳士が剣を抜けば、一刀両断にされるだろうその間合いに、躊躇なく足を踏み入れた。
「さて、老紳士。やるのか? やらないのか? まぁ、どちらにしろ結果は同じだろうケドな」
「………………くっ」
老紳士は笑う。皮肉げに、楽しそうに笑った。
「噂よりずいぶんと性質が悪いじゃないか、世界最強。嘘は吐けないという情報だったが、それも嘘か?」
「夫の影響でね。見え見えの嘘くらいは吐けるようになってるのさ」
「なるほど」
そう呟いて、老紳士は柄から手を離して。胸元に手を入れた。
「撤退です、主。どうやら、彼女はただの目くらましだったようです」
「分かったわ」
執事が内ポケットのボタンを押すと同時に、少女と執事の足元に穴が開く。
脱出装置というにはあまりにアナログなそれは、あっさりと二人を飲み込んで、次の瞬間には閉じていた。
世界最強は口元を緩めたまま、二人が消えた穴を見つめて肩をすくめた。
「やれやれ……なんつーか、楽しい連中だったね。あたしが相手したいくらいだわ」
追撃はしない。そこまでのお節介は不必要だろう。
目的は果たした。あとは……自分たち家族の問題だろうから。
肩を鳴らし、首を鳴らし、指を鳴らす。来るべき戦いの予感に、背筋が粟立つ。
「……あーあ、絶対に怒ってるんだろうなぁ」
『当たり前だよ』
声が響き、織の背後に黒い影が差す。空間が引き裂かれ、そこから伸びた黒い鉤爪が彼女を掴んだ。
『奥さん、話がある。ちょっとそこまでご同行願おうか』
「はいはい」
抵抗しようと思えばできただろうが、織は力を抜いて、異空間に引きずりこまれた。
今から始まるのは世界最終戦争並みの戦い。人類が有史より以前に繰り返してきた愚行。
人はそれを……夫婦喧嘩と呼んでいた。
蕪とか茄子とか大根とか豆腐とか、朧とか薄味とか出汁とか、まぁそんな感じの料理。
コッコさんが紹介してくれたのは京懐石だった。ちなみに懐石とは茶の湯の前に振るわれる簡素な料理のことで、西洋で例えるとオードブルといったところだろうか。
ちなみに、懐石料理というのはそのオードブルをちゃんとした一品料理として確立したものである。
野菜中心で素材の味を最大限に引き出しているためか、薄味なのが特徴といえば特徴。
さて、ちょっとぶっちゃけよう。
あまりにも高級志向のせいか、この懐石料理というやつ、現代っ子の口にはあまり合わない。
いや、野菜はこの上なく美味しいし、優しい味が存分に生きているのだが……なんというかこう、スパイスやら油分みたいな、攻撃的な要素がないのである。保守的というか守りに入っている味というか、そんな感じ。
(……美味しいんだけど、京子さんの料理ほど美味しくないんだよなぁ)
まぁ、庶民の舌なんてこんなもんだろう。
しかしコッコさんのおすすめが京懐石とは思わなかった。近場で予約がなくても、快く懐石料理なんてものを出してくれる場所を知っていたとは驚きだった。しかも、下手に調理すると味を崩しかねない京懐石を、ちゃんとした料理にしてくれている。……単純に僕の舌に合わないだけで、これは本当に美味しい懐石料理なんだろう。
むぅ……前々から貧乏舌だと思い込んでいたけれど、もしかしてコッコさんってばかなり舌の肥えてる人なのか?
ちらりとコッコさんの方を見ると、彼女は、なんだか不機嫌そうに顔をしかめていた。
「………………まず」
しかも、『まず』とかあからさまにほざきましたよ、このお姉さんっ!
「……コッコさん」
「はい」
「店の人に失礼だとかそれ以前に……なんで、自分が以前食べてまずいと思った店を紹介したんですか?」
「見栄を張っちゃいました♪」
てへっと照れながら、頭をかくコッコさん。
くそう、可愛い。可愛いけど、この辺は許してはいかんような気がする。
僕はゆっくりと溜息を吐いて、なんとなく物足りなかった食事を見ながら言った。
「コッコさん、この後焼肉でも食べに行きませんか?」
「今、昼食を済ませたばかりじゃないですか」
確かに、至極ごもっともな言葉だ。今昼食を済ませてしまったのに、さらになにかを食べるというのも良くないだろう。
まぁ、小腹を埋める方法ならいくらでもあるし、とりあえず別の場所に行くというのもいいだろう。
「じゃあ、この後行きたいところとかありませんか?」
「そうですね……駅前の有楽らーめんがいいですね♪」
「………………」
なんで素直にラーメンが食べたいと言えないんでしょうか? このおねーさんは。
なんかこう、見栄を張らなきゃ生きていけないような病気にでもかかっていらっしゃるんでしょうか?
「それはですね、坊ちゃん。自信満々に紹介したお店が思ったより美味しくなかったので、私からは『この店に行きたい』とはとてもとても言い出しづらい雰囲気だったからですよ? あ、ちなみにラーメンは私の奢りでいいですから」
「それはとてもとてもありがたいんですが、人の眼球をまぶたの上から圧迫するのはどうかと思いますよっ!?」
痛くはない。痛くはないけど、なんかこのまま潰されそうでとっても嫌な気分っ!
と、不意にコッコさんの指がまぶたから離れた。
「坊ちゃん、ちょっと目を開けてください」
「……眼球とか潰しませんよね?」
「潰しませんから」
「…………分かりました」
ゆっくりと目を開く。
最初に見えたのは、コッコさんの大きくて黒い瞳だった。
彼女は真っ直ぐに、逸らすことも許さないように強く、僕を見つめていた。
「……坊ちゃん。侍従として差し出がましいことだとは思いますが、あえて聞きます。坊ちゃんはどんなことに悩んでらっしゃるんですか?」
「………………え?」
「これでも、そこそこ長い付き合いですもの。坊ちゃんが悩んでいることくらいは分かりますよ。坊ちゃんは……辛ければ辛いほど、我慢しようとしますから」
コッコさんはそう言って、口元を緩めて、笑った。
僕は少しだけ唖然として……なんとなく、口元を緩めた。
ホント……僕は、この人にだけは絶対に敵わないのかもしれない。
「ねぇ、コッコさん」
「はい」
「どうやら、僕には妹がいるらしいんです」
「……妹さん、ですか?」
「はい」
真っ直ぐに彼女を見つめる。苦笑しながら、それでも目は逸らさなかった。
「病弱で、いつまで生きられるのか分からない子だったんで母さんがあえて隠していたらしいんですけど……僕にはれっきとした血の繋がった妹がいるんです。……まぁ、そこまでならまだいいんですけど」
「なにか問題が?」
「たぶん、母さんはその子と僕を近日……下手をすると、今日にでも会わせるつもりだと思います」
空気を読まずに心の準備すらさせないくせに、母さんはサプライズが大好きだ。
僕のサプライズ好きもあの人の血筋のものなのかもしれないと考えるとちょっと陰鬱になるけれど……それを差し引いても、あの人よりはましだと断言できる。僕は楽しく人を驚かすことを考えてやるけど、あの人のサプライズは人を驚かせることしか考えていないから、なおのこと性質が悪い。
……大事なことは性急に進めたがる人なのだ。人の都合とかもあまり考えないし。
「で……まぁ色々と考えちゃいましてね。どんな顔して会えばいいんだろう、とか。どんなコトを言えばいいんだろう、とか。妹とか言われても実感ありませんし、何年も離れてたから他人みたいなもんですしね」
「………………」
「正直……どうすりゃいいのか、よく分からないんです」
妹がいたと言われても、そんなことを言われても、素直に困る。
血が繋がっているって言われればそうなんだろう。僕は父さんに似てるし、写真で見たあの子も母さんに似ていた。
でも……今更そんなことを言われても、どうすればいいのか分からない。どう対応していいのか分からない。
「いっそのこと他人なら、気が楽なんですけどね」
「……なら、それでいいんじゃないですか?」
「へ?」
「血が繋がっているからといって家族になれるわけではありませんし、それなら最初は他人でいいじゃありませんか」
コッコさんは、まるで当たり前のようにそんなコトを言った。
「私にも、妹が二人いました。一人は小憎たらしいくらいに美人で優秀で、私のことを嫌っていました。一人は血は繋がってませんでしたが素直に私に甘えてくれる妹でした。……だから、私にとっての妹は下の妹で、上の妹には妹という感情はあまり持たずに、距離を置いていました。……たぶん、人間ってそういうものなんだと思います」
仲が悪くちゃ家族にはなれない。
血が繋がっていたとしても、それだけじゃ家族にはなれない。
嫌っていては歩み寄ることすらできない。……それは、ごく当然で自然な流れ。
「それが正しいのかどうかは、今でも分かりません。……でも、私と違って、坊ちゃんはまだその子と会ってすらいないんです。諦めたり、先のことを考えたりするのは、ほんの少し早いと思いますよ?」
「………………」
「会ってからどうすればいいのか決めたっていいじゃないですか。……兄妹になれるかどうかは、お二人で決めればいいんですから」
「………………はい」
言葉が染み入ってくるかのようだった。
いつだってそうだった。僕が踏み止まっている時、彼女が後押ししてくれた。
大抵僕が踏み止まるのは、下らないことではあったけど、それでも彼女はいつだって力を貸してくれた。
だから決めた。きっとこれは、間違ってない決意だ。
口元を緩める。ゆっくりと立ち上がる。
そして、いつも通りに笑った。
「感謝します、コッコさん。いつも貴女には世話をかけてばかりですね」
「いえいえ、これくらいだったらお安い御用です。迷惑くらい、いつでもかけてください」
「では、迷惑ついでに、少々買い物に付き合っていただけないでしょうか?」
「はい、喜んで」
いつも通り、本当にまるで当たり前のように、彼女は僕が差し出した手を取った。
と、そこでちょっとしたことに気づく。
(……そういえば、コッコさんが昔の自分のことを話してくれたのは、これが初めてなのかな?)
コッコさん、自分のことはあまり話さないからなぁ。
以前、冥さんには僕が頼りにできる男になればいずれ話してくれるかもしれないと……そう言った。
……本当のところ、それは半分本当で、半分嘘だ。話して欲しいとは思うけど、親しいからこそ話せないことっていうのもあるだろう。なにもかも全部話してくれって方が……傲慢なんだと思う。
だからまぁ、いいんだ。過去がどうであろうとも、僕にとってコッコさんはコッコさんなんだから。
「坊ちゃん、なにをそんなにだらしなく笑っているんですか? 確かにこの料亭の人たちは全員和服ですが、そういう理由でにやにや笑っていると変な人みたいですよ?」
「や……違います。違うんでほっぺをつねるのはやめてください千切れます」
まぁ、そんなわけで、いつも通りに。
頬をつねられながら、僕は苦笑していた。
異空間の中、真っ黒い世界の中で、世界最強と嘘吐き二人は拳をぶつけ合っていた。
「だーからぁっ!! 息子もいい加減、望のことを知ってもいい頃合だろうがっ! なにが悪いんだよっ!?」
『僕に相談もしなかったコト、望になにも言わなかったコト、息子に心の準備をする時間も与えなかったコト、それと君の身勝手でビルを一つ倒壊させた挙句に、僕に後始末をさせたことかなっ!!』
まるで烏のように漆黒で、悪魔のように禍々しく、それでいて天使の翼を持つ嘘吐きのロボは、咆哮を上げ、口から熱線を吐き出す。
人ならば触れただけで蒸発するその光線を、世界最強は拳を握るだけで消失させた。
「大体、あたしと喧嘩するためにそんなモンまで持ち出してんじゃねーよっ! 大人気ないにも程があるだろっ!」
『僕と織さんじゃスペックが違いすぎるからね。スーパーロボットでも持ち出さないとやってられないんだよ。あ、それと織さんとはこの喧嘩が終わったらしばらく口聞かないから』
「……なっ、ちょっ、それは待てっ! 卑怯だぞっ!! 楽しくおしゃべりくらいしようよっ!」
『それと、戯式さんの家に遊びに行ってラブラブするから』
「待て待て待て待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! 妻を前に浮気宣言ってのはどういうコトですかっ!?」
と、織がかなり悲しそうに叫んだ、その時。
『貴女に性的魅力が欠けているせいでしょう。前々から思っていましたが、貴女はキョウにふさわしくない』
いきなり響いた綺麗な女の声に、織の顔が思い切り引きつる。
「ちょっ……てめっ、メカのくせに生意気だぞコラァ!」
『いざとなれば人型になって、浴衣に膝枕で耳かきくらいはしましょう。……そもそも、色気誤魔化せるのは三十代前半までと気がつきなさい、世界最強。確かに貴女は年齢のわりにものすごく若々しく見えますが、四十歳も近い女がそんなふわふわした生活態度では、正直見苦しいですよ?』
「メカに説教されたっ!?」
『あと、先ほどからメカと連呼しないで下さい。私はどちらかというと、スーパーロボットです』
「嘘吐けっ! RPGのボスキャラみてーな姿のくせしやがってっ! 武装もどっちかっていうと敵側だしっ!」
『……ハ、既成事実だけで隣に居座る泥棒猫め。無限大の愛情に押しつぶされる、貴女の子供が超かわいそう』
「んだとコラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
本気で怒る世界最強と、全法塔を解放する白い翼を持つ黒い嘘吐き。最終戦争並みの戦力を有する二人がその力を振るう原因は……大抵の場合、痴話喧嘩だったりする。
コックピットの中でちょっと溜息を吐きながら、灰色の彼はフォローに回るのが常だった。
『ちょっと『虚構皇』。テキトーなこと言っちゃ駄目だってば。いくら君でも言っていいことと悪いことがあるよ。……確かに織さんはちょっとアホで世間知らずで保険料やら年金の制度もよく分かってないお馬鹿さんだけどさ、ベッドの上じゃ可愛いもんだよ?』
「いくらなんでもそれくらいは分かるわっ! あと、ベッドの上とか言うなっ!」
『最強とは程遠いもんね?』
「だから言うなって言ってんだろうがァァァァァァァァァァァァッ!!」
顔を真っ赤に染めた世界最強の彼女が放った拳は、容赦なく漆黒の嘘吐きの腕を両断する。
即座に再生し、虚構皇はさらに手から真っ黒い熱線を放つ。
それを片腕だけで弾き飛ばし、世界最強は叫んだ。
「大体、テメェなにしに来やがったっ!? こうなると思ってたから黙ってたのにっ!」
『息子に頼まれたんだよ。君の動きをちょっと止めて、妹と会う時間を稼いで欲しいってね』
「………………」
『君がいると話がこじれるから、二人だけで会いたいんだそうだよ』
「あたしは邪魔者ってことかよ?」
『冷酷に事実だけ告げるなら、そうだね。でも、彼なりに考えた結論だろうさ。……正直、血の繋がった妹がいるっていうのは僕たちが考えてるよりも重い事実だと思うよ? 僕らは普通に娘に接してきたけど、彼にとっちゃいきなり『妹』が出現しましたってことなんだから。……困惑の方が強いだろうね、きっと』
「………………」
『きっと、ギャルゲーの主人公みたいな困惑だろうね』
「なんで格好悪く言い直した」
『現実的にありえねーよみたいな感じを前面に押し出してみました』
「………………」
妻の辛辣な視線に、夫は苦笑いした。
『まぁ、大丈夫だよ。僕らの子供は強いから』
「……そのへんの心配はしてねぇけどさ」
『ただ……息子の方はちょっとばかり強すぎるのが、問題といえば問題かな』
「は?」
『ん、なんでもないよ。奥さん』
コックピットの中で笑いながら、灰色の彼はコンソールを操作する。
踊るように、舞うように、まるでダンスのように、細い指がコンソールを叩いた。
『……と、いうわけで、二人のところに行きたかったら、僕を倒して行くといい。いつも通りにねっ!』
「言われるまでもねぇっ!」
世界最強の拳と、二人の嘘吐きの拳が激突する。
世界最終の夫婦喧嘩は、今まさに佳境を迎えようとしていた。
夕日が空に沈みかけていた。
僕は自転車から降りて、待ち合わせ場所である公園に向かってゆっくりと歩き出す。
さてさて、ここには待ち人がもう一人いるはずだ。僕とは関わることがなかったかもしれない女の子。隠されていた子。
きっと、母さんに似て豪胆で、父さんにて繊細で……そういう普通の女の子が、いるはずだ。
「ほーるどあっぷ」
不意に、背中に固い感触。なにかを突きつけられていると悟り、僕は素直に両手を上げた。
背中から声が響く。繊細で豪胆な、普通の女の子の声が。
「……貴方が、私のお兄ちゃんですか?」
「血筋や戸籍ではそうなってるね。残念なことに」
「私も残念です。面倒だし辛いし色々悩んだし。結局ここまで来ちゃったけれど」
「そうだね。僕もヘタレてるからね、色々悩んだ末にお姉さんみたいな人に諭されて、ここまで来た」
「あの地味な服装なのに体のラインが異様に際立ってる人?」
「そういうものの見方は良くないと思うよ。……ところで、僕はいつまで降参してればいいのかな?」
「ずっと」
ずっとらしい。顔を見られるのが恥ずかしいのか、それとも主導権を握っておきたいのか。
……母さんの血筋だ。どちらも在り得るかもしれない。
そんなことを思いながら、苦笑した。
「で……僕は君のことはなんて呼べばいいのかな?」
「好きに呼んだらいいと思います」
「妹」
「いきなり馴れ馴れしすぎると思いませんか? お兄ちゃん」
「そうだね。それじゃあ、高倉だと自分を呼んでいるみたいで嫌だから、望ちゃんで」
「分かったわ、お兄ちゃん」
「……お前はそれで通すのかよ」
いきなり踏み込んでくるなあ。……ホント、この辺は父さん譲りかもしれない。
息を吐いて、彼女が持っているのが拳銃じゃないことを祈りながら、僕はゆっくりと振り向いた。
真っ赤な髪に真っ赤な瞳に真っ白な肌。そんな彼女が僕に突きつけていたのは、日傘だった。
彼女は少しだけ目を細めて、少しだけ口元を緩めて、ほんの少しだけ笑った。
僕はいつも通りに笑った。
「初めまして、お兄ちゃん」
「初めまして、妹さん」
なんのことはない、ただの挨拶。どうってことのない初対面の挨拶。
妹は僕の顔をまじまじと見てから、挑戦的な目で僕を見つめる。
「母さんの血筋だから、思ったよりも平凡な人か、思ったよりも奇抜な人だと思ってました」
「思ったよりもずっと平凡だった?」
「はい。正直、拍子抜けです」
「うーん……」
さてと、そこまで言われてしまっては期待に応えないわけにはいかないだろう。
「望ちゃん」
「なんですか?」
「右手を広げて、自分の顔の方に手の平を向けてみて」
「こうですか? あ、言っておきますけど、このまま私の右手を押してやーい引っかかったなんてへぎゅっ!?」
こちらの手段を分かったような気になっている望ちゃんに足払いをかけると、彼女はなす術もなくあっさりと転んだ。
甘い。なんつーか……甘すぎる。この程度の手管に引っかかるとは、とても父さんの娘とは思えない。
……ああ、なるほど。かなり甘やかされて育ったからか。
「んー……とりあえず言いたいことはたくさんあるけど、小学生が赤の下着っていうのは、ちょっと馬鹿っぽいよ?」
「どこ見てるんですか変態っ!!」
「変態はひどいなぁ。それにちょっと語弊がある。見てたんじゃなくて、かなり残念なことにうっかり見えたんだよ。……そもそも、小学生の下着とか見ても全然色気とかないからつまんねーだろ、普通に考えて」
「……さりげなく傷つくことをざっくりと言いますね、おにーちゃん」
ゆっくりと溜息を吐きながら、妹は疲れたように言った。
「…………それに、これは母さんの趣味です」
「ごめんなさい」
僕は素直に謝った。
……いや、それ以外にどうしろというのか。
望ちゃんは少々大人びた苦笑を浮かべて、首を振った。
「いいんです。お兄ちゃんだって、私くらいの頃は毎日キスされて大変だったと伺っていますから」
「君だって似たり寄ったりだろ?」
「私は一度だけですよ。……その一度で風邪が移ってしまって、危うく死にかけましたけど。っていうか、母さんが原因でかれこれ五回ほど死にかけてますから、もう慣れっこですよ」
「寄寓だね。……僕も母さんが原因で死にかけたのが十回ほど、重傷が四回くらいかな」
身内の手による不幸自慢は、僕の圧勝だった。
切ねぇ。……望ちゃんが僕を見る時の目が、一瞬で尊敬の眼差しに変わったのもかなり切ない。
僕らは顔を見合わせて、お互いにがっちりと握手を交わした。
「……お兄ちゃん、平凡とか言ってごめんなさいっ! 私、弁護士になるから、そしたら母さんを訴えましょうっ!」
「僕も馬鹿っぽいとか言って本当にごめんっ! でも、この世界の法律じゃ母さんに勝つのは難しいから、恥ずかしい過去とかそういう路線で脅すのが一番いいかもしれないよっ!」
「ああ、素敵っ、さすがお兄様っ! 私にはできない発想をやってのける、そこにしびれて憧れますぅっ!」
「これくらいはお安い御用だよっ! 下劣と卑怯で僕の足元に及ぶ人間はそうはいないからねっ!」
「お兄ちゃん、お嫁さんにしてっ!」
「いいとも、二人で幸せになろうっ! さぁ、夕日に向かって走ろうじゃないかっ!」
「って、いい加減にしなさい貴方たちはああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ようやく入ったツッコミは、さっきからなんとか傍観しようとしたが、とうとう我慢の限界が来たコッコさんだった。
えぐりこむよーな蹴りが炸裂。僕はくるくると回転しながら地面に倒れると見せかけて、両手を地面に着き、バク転の要領で、起き上がった。
「甘いですね、コッコさん。今の僕は『兄』という責任を背負う無敵の男っ! これくらいでは屈しないのですっ!」
「わぁ、普通にすごいですね、お兄ちゃん。膝とかガクガクさせながらも無理矢理立ってる人とか初めて見ました」
「そりゃそうだよ。精神はともかく、体には限界ってもんがあるからねっ!」
つーかね、さっきの蹴りが人体急所の一つ『鳩尾』に三センチくらい食い込んでたから今にも倒れそうなんだよ。
僕はかなり顔を青ざめながら、ゆっくりと息を吐いた。
「コッコさん、かなり痛いです。ツッコミはもう少し控えめにお願いします」
「すみません。でも、聞いてて背筋が寒くなったものですから……つい」
「兄妹同士のコミュニケーションって、こんなもんだと思うんですが?」
「失礼ですが、絶対に違うと断言させてもらいます」
コッコさんには珍しく、とてもとても強硬な姿勢だった。
まだまだお説教が足りなさそうなコッコさんから視線を逸らし、僕は苦笑しながら妹と向かい合う。
「……まぁ、こんな感じの駄目な兄だけど、これからよろしく」
「はい。よろしくお願いします、お兄ちゃん」
望ちゃんは笑う。なんの躊躇もなく、僕を兄と呼びながら。
僕はにっこりと笑って、それに応えた。
こうして、僕に妹という名の友達ができた。
第三十三話『お母さんと一緒EX』END
第三十四話『彼女と彼女のR&R』に続く
ゲストキャラ紹介
高倉望:赤い髪の少女。赤い瞳に白い肌の少女。病弱。甘えん坊。ある意味兄ラヴ。ある物語のヒロイン。……史上最強。
虚構皇:たった一つの嘘で世界に見捨てられたスーパーロボット。元はスーパーロボットですらない。サブユニットとして元々の自分の体を模した生体アンドロイドを常備。能力は嘘の実体化。動力源、その他武装を全て嘘から作り上げるロボット。一番好きな武装はドリルと手の平から出す熱線。その気になればいくらでも姿を偽れるので、今の姿も趣味。天使の翼も完全な趣味で特に意味はない。……正式名称は『聖魔災禍 真・虚構皇』。自分よりもたくさんの嘘を吐いた男に騙されて、色々なもののために戦う羽目になった一人の女の姿である。
ちなみに、聖魔の本来の意味は『聖なる魔。魔にとって平伏すべき純然たる魔』の意味。オウ○バトルでそう言っていたから間違いない(断言)
と、いうわけでやばい展開進行中。コメディ中心の今回と打って変わって、次回の話はかなりシリアスになる予定。……ちなみに、次回とは最終話?のことではありませんので、あしからず。
というわけで、今回のお題です。
問題(レベル:スイート)
次回、京子と美里が喧嘩をすることになるが、その原因を述べよ。また、マジ喧嘩なので喧嘩自体フェイクとかそういうことは一切ない。
これと最終話?のスイート問題の解答があった時点で、次の話を掲載します。みなさん、見捨てずにがんばってくださいね♪