第二十四話 コッコさんと羅無霊侘阿
と、いうわけで今回はコメディです。
ちょっぴり情けない少年の話でもあります。
……まぁ、次回への伏線でもありますが(笑)
ラヴ&●●●●
愛、それは燦然ときらめく一つの心。
愛、それは純然にして輝き導く唯一。
愛、それはなんかこう心の底からわきあがるもにゃもにゃ。
愛、それはえーと………。
途中まで考えて、僕は思考を放棄する。というか、胸倉を掴まれていたので放棄せざるを得なかったというか。
僕がそんなつまらないことを考え始めた発端は、友樹が朝にもらったラブレターのせいである。
この顔ばかりが妙に整ったモテもてな親友さんは、下級生や上級生にはとても好まれている。同級生に好まれないのはひとえに僕と一緒につるんで悪さばっかりしているせいだろう。顔はともかく性格の方は僕と似たり寄ったりで最悪だし。
まぁ、僕としては顔で男を選ぶような女の子には欠片も興味はないし、友樹のことを『性格』で選ぶような女の子は恐らく頭のネジが一本外れているような子だろう。いくら好みのタイプでも、そんな女の子にモテたいとは心の底から思えない。
さてさて、一ヶ月に五回くらいはなんか勘違いした下級生やら上級生に恋文や告白を受けている友樹は、いつも通りに返事を出すわけだ。手紙には手紙で、告白には直接返事でと、相手が出した媒体に合わせて返事を返す男は今回も差出人の相手に返事を手紙で返した。無駄極まりない紙資源の消費方法だと心底思う。
僕は考えた。
普通に友樹が振られたんじゃ面白くない。VERY面白くない。
というわけで、ちょっとした悪戯をしてみた。
その結果、ピアスで美形の親友の頬にはもみじのように真っ赤な痕跡がくっきりとつくことになり、僕はその親友に胸倉を掴まれる羽目になっているわけだ。
場所は夕方の校舎裏。人気が少なく、愛を語らったり、告白するには絶好のシチュエーション。ちなみにここで喧嘩をすると用務員さんからすぐに報告がいくので、喧嘩をするには向いていません。
「だから、すぐさま胸倉を離してくれた方がお互いのためだと思う今日この頃」
「黙れ親友。テメェ、オレが出したラブレターの返事に細工しやがっただろ? せっかく可愛い子だったから誠意と真心と少々の下心を込めて手紙で返事したってのに、色々と台無しじゃねーかこの野郎」
「おやおや、僕には全く心当たりがないねェ。証拠はあるのかい? キェーッキェッキェッキェッキェッ!」
「うっわ、果てしなくむかつく。殺してぇ」
意外と親友は腕っ節が強い。素の腕力勝負だと、僕が手も足も出ないくらいだ。
ちなみに、そんな腕っ節のヤツと僕が互角にタイマンはれるのは、ひとえに僕が『ジャンケンの後出し』みたいな喧嘩を好んでいるからに他ならない。
そんなわけで、パワー勝負で組技主体の『零距離勝負』だと勝ち目はなかったりするわけだ。
しかし、勝ち目がなくとも僕は不敵に笑う。
「僕がやったことなんて、手紙の完成度を上げるために、ちょっと一文書き加えただけだっていうのにね?」
「『貴女のことを思うだけで股ぐらがいきり立ちます(※1)』とか書かれてれば普通に怒るっちゅうんじゃあああああぁぁぁぁぁ!」
「仕方ないよ。僕、女の子と付き合ったことないから男女のこととか疎いし。仕方なく漫画の格好いいセリフを引用しました」
「よーしよく言った。覚悟はいいか?」
あっはっはと笑いながら、友樹は赤ん坊くらいの大きさの石を持ち上げて振り上げる。
僕はにっこりと笑って、あさっての方向を向いて決定的な言葉を吐く。
「あ、鞠さん。お久しぶりです」
「っ!?」
友樹は即座に超速反応。一瞬で僕の胸倉を離し、僕の向いた方向に向かって見事なジャンピング土下座(※2)を決めた。
「すみませんすみませんもう二度とやりませんからどうかお命だけは!」
「……いや、その、まぁ……仲良くな」
僕らが喧嘩していると思って注意しに来た用務員さんは、なんだか居たたまれないような表情を浮かべてそそくさと立ち去った。気難しいことで有名な用務員さんの、それはそれは優しい心遣いだった。
友樹は優しいおじ様の後姿を憮然とした表情で見送り、砂のついたズボンを払いながら立ち上がった。
「……親友。この世界には言ってはならん冗談とそうでない冗談がある。今のは間違いなく前者だ」
「はっはっは、僕がその程度のことに頓着するとでも思ったか?」
「あ、お前の屋敷の庭先でチョキチョキやってるメイドだ」
「っ……ハ、甘いな。僕がその程度の嘘に引っかかるとでも思ったか?」
「や、嘘じゃねーって」
「ははは、まさかそんな、それに僕は怒られるよーなことは何ひとつ」
空虚ながらも精一杯の虚勢と見栄を張りながら、僕は友樹の戯言を笑い飛ばした。
と、不意に。
ポン、と軽く肩を叩かれた。
考えるより先に体が超速反応。一瞬で振り返り、僕は見事なスライディング土下座(※3)を決めた。
「ごめんなさいごめんなさい、なんかもうなにに謝っているのか分かりませんがどうか命だけはっ!」
「…………えーと」
「………………」
ふと我に返り、ゆっくりと顔を上げる。
そこには困り果てた表情を浮かべている、自称有坂家の侍従こと芳邦鞠さんが立っていた。ちなみにメイド服ではなくピンクのカーディガンに萌葱色の上着とそれに合わせたスカートという私服である。
僕は憮然としながら立ち上がり、制服のズボンについた砂を払って、少しいたたまれない気分になった。
「……すまん、親友。確かにこれは言ってはいけない冗談だったね」
「分かってくれればそれでいい。それだけでもお前は賞賛に値するよ」
「仲がよろしいんですね」
『どこが?』
鞠さんの冗談にしてもきっつい発言に、僕と友樹は思いっきり顔をしかめた。
だが、鞠さんは全く動じていないように、にっこりと笑う。
「まぁ、殿方は意地っ張りなくらいでちょうどいいとは思いますけどね」
『………………』
ぐうの音も出ない大人の『女性』発言。世の中に女の子は数多いが、彼女ほど大らかな人もいないだろう。
……や、大らかな女性は『真剣』なんて持たねぇよとかいうツッコミは却下の方向で。いい女は刀を持っていてもいい女なのです。未だに背中がむずむずして、腕にできた刀傷がちょっと痛むけど、それは気にしてはいけないのです。
「で、まぁそれはそれとして、どうして鞠さんがここに?」
「ちょっとした報告なのですが……まぁ、ここに当事者が揃っていることですし、ついでに言ってしまいましょう」
鞠さんはちょっと愉快そうに、ほんの少しだけ嬉しそうに、あの出来事の結末を語った。
「先日の婚約は正式に破談になりました。それに伴い、四季様も正式に有坂から除名されます」
「ま、そんなもんだろ。四季には組織なんざ似合わんし」
肩をすくめて、友樹は口元を緩める。
先日の結婚式の騒動は、どうやら友樹にとってはそこそこ満足のいく終劇になったらしい。
が、鞠さんの報告はまだまだ続く。
「……ちなみに付け加えるなら、『彼』が紹介した『少年』と、ものすごい勢いで仲良くなりつつあります。このままだと、生計を立てるために再び絵筆を取る日もそう遠くはないでしょう。惜しい才能が朽ち果てることなく、喜ばしい限りです」
「………………」
友樹が『怨念』を視線に乗せてこちらを思い切り睨みつけてくる。
あっはっは、そんなに睨まれても僕にはどうしようもねぇってばさ。いや、確かに紹介したのは僕だけど。
唯さん好みの、可愛くてついでにちょっと不幸な男の子を紹介したのは、なにを隠そう僕ですが。
友樹は報告の間中僕を睨みつけていたが、やがて「はぁ」という何かを諦めたような溜息を吐いた。
「なァ、親友」
「なんだよ、心友」
「今のうちにお前を葬った方が世の中のためになると思うんだが、どうだ?」
「面白い冗談だな、親友。ところで死んだ方が女性のためになる若白髪がここにいるんだが、どう思う?」
「はっはっは、楽しい冗談だ。いい加減に殺しちゃおうかな♪」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ、心友♪」
「本当に仲いいですね、まるで長年連れ添っている夫婦のようです」
『なんでもするんで、ホントそういう発想だけは勘弁してください』
僕と友樹は揃って頭を下げた。まじで血の気が引いたので、本当に勘弁して欲しい。
鞠さんは楽しそうににっこりとと笑いながら、僕に向かって意地悪っぽく言った。
「ところで、先日の約束はいつ果たせばよろしいでしょうか?」
「へ?」
「私に勝てたら、貴方になんでも差し上げますという約束です」
「あ」
そーいえばそんな約束もしてた。すっかり忘れてた。
五秒だけ考えて、僕はテキトーなことを口に出す。
「とりあえず貸しにしておきますよ。なんなら日本中にある和服を着て欲しいとかそんな感じ……」
と、僕が言いかけたその時。
先ほどの十倍くらいの力で、胸倉を掴まれた。
「親友様よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! お前ってヤツは、お前ってヤツはっ! お前はいつもそーだっ!」
「友樹。なんで号泣してるんだよ? かなり意味が分からないぞ」
「意味が分からないのはお前の方だコンチクショウッ!! いいか、『なんでも』だぞ? なにやってもいいんだぞっ!? それをお前、『貸しにしておく』とか『和服を着て欲しい』とかそんなタワケた願い事ばっかりでいいのかっ!? これはもう『はい、私がプレゼント♪』みたいな感じなんだぞっ!? 男として恥を知れ恥をっ!」
「そー言われてもなぁ。鞠さんにはかなりぞんざいな口調で話したり、タバコを吸ったりしてる所も見られちゃってるし。……僕としてはこれはもう、『弱み』を握られているも同然だと思うんだけど」
「その程度で弱みになるんだったら、俺がばらされたら生きていけないほど怯えているあれやこれやはどうなる!」
「そう言われてもね……」
気にするなと言われても、かなり気になる。
あの時は本当に『キレて』いたから。
冷静に怒るというわけでもなく、怒鳴り散らすわけでもないけれど、百年かかっても僕には及ばないと思わせるような、決定的かつどうしようもないほどの敗北を刻み付けて嘲笑ってやろうと思っていたから。
……本当にらしくない。卑怯や卑劣はいいけど、冷静じゃなくなるのはよくない。僕はどっちかっていうと、どんなことを言われても笑って流しつつ肝心な所で相手の横っ面を思い切り殴りつけるような人間だってのに。
キレて口調をぞんざいにしたり、いきなりタバコを吸いだしたり、そういうのは非常に良くない。人間には多面性っていうか様々な性格があって当然だけれど、『怒って前後不覚になった自分』ほど腹立たしいものもない。
最後まで目を背けないことこそが、僕が自覚できる唯一の強さだっていうのに。
「それに友樹、言われたことを言われたままに受け取ってちゃいけない。裏の裏、そのまた裏を考えないと。何の対価もなしに『貴方が望むもの全て』などということは在り得ない。それこそ、世界中を回って七つの玉を集めるくらいのことはしないとそういう願い事は叶えちゃいけないんだよ」
「………………む」
ちょっと説得力のある言葉に、友樹はほんの少し顔をしかめた。
もちろん、僕が説得力のある言葉を言った時は、大抵なにかしらのオチを用意していたりする。
だからいつも通りに、にやりと笑った。
「って、言っておいた方が格好良いだろ?」
「……見栄っ張りが」
「お前ほどじゃないよ。……っと、もうこんな時間か」
友樹の恋路の邪魔をするという『暇潰し』のせいで、結構な時間が経っていることに気がつく。そろそろ帰らないと、夕方のドラマの再放送を見逃してしまうじゃないか。
胸倉を掴んでいた友樹の手を適当に払って、僕は二人に手を振った。
「じゃ、そういうことで僕はそろそろ帰ることにするよ。友樹、また明日。鞠さん、お元気で」
「…………おう」
「はい、貴方もお体に気をつけて」
二人に見送られながら僕は帰路に着く。
さてさて、それじゃあ今日も一日頑張りました。お疲れさまです。
家に帰ってみんなの顔でも見てから、ご飯食べてテレビ見てゲームやって寝るとしましょうか。
僕はとてもお気楽に日々を過ごしていた。
というか、最近はシリアスモードで疲れたので、たまにはだらけようと思っていた。
いつも通りに。自分らしく。ちょっとだけ楽しく。
そう……この時、までは。
屋敷に帰って、部屋に戻った僕を待っていたのは、顔をしかめて涙目になっている冥さんだった。
服装は洒落た半袖のTシャツにビンテージもののGパンというラフな服装で、おそらく冥さんの可愛らしさを追求している舞さんがコーディネイトした極めて動きやすい私服だろう。もちろん、そんな服を着ているのは今日が休暇の日だからだ。
しかし休暇にも関わらず冥さん手元にはコントローラー。三メートル先には『封印』と落書きされた攻略本が無残に転がっていたりする。
テレビに映し出されているのは、動きがやたらと活発な今時のゲームではなく、ドット絵が主流だった頃の昔のゲーム画面である。
「………………」
うーん……確かに自由に使ってもいいとは言ったケド、まさかここまではまりこむとは。漫画も読んだことがなくて映画も見たことがなくてゲームもしたことがないと言っていたので、ちょっとやらせてみたのが間違いだっただろーか?
休日をゲーム三昧で浪費する女の子っていうのもなかなか退廃的で嫌いじゃないけどさ。
画面上では『オメガ』というボスらしきモンスターが、『波動砲』で主人公パーティを一掃するところだった(※4)。
さらに不機嫌になった冥さんは、リセットボタンを押してからゲーム再開。
その敵を避けることもできるはずなのに、冥さんは再び同じ敵に挑み、あっさりと全滅した。
ミシッというコントローラーの悲鳴が部屋に響いた。
「……ぅ〜っ!」
弱々しく、今にも泣きそうな声が響く。
ああ、なんていうかその、端から見るぶんには可愛いんだけど、痛々しくて見ていられない。
そう、あれは僕が小学五年生だった頃、母さんが僕のプレゼント用に持ってきたゲームなのである。
僕はそりゃもうやたらめったらのめり込んだ。母さんがもってきたのはその当時流行していたゲームで、特に家が貧乏でゲームの話題に一切ついていけなかった僕は、みんなに自慢する意味も込めて必死こいてやったものだ。
そしてラスト直前。ヤツとヤツは現れた。
僕はそいつらを討伐するためにラスボスそっちのけでゲームに没頭し、他の連中がゲームをクリアした頃にようやくそいつらの討伐に成功した。ちなみに友人たちはその二つの化け物にドン引きし、ものの見事にスルーしてやがったので、最初あの化け物を倒したぞと言った時は嘘吐き呼ばわりされて大喧嘩になったりしたもんだった。
嗚呼、懐かしき我が青春。ちょっと涙がほろりとしたり。
ちなみに中学の頃は色々と殺伐とした思い出が多いのであまり覚えてません。っていうか、一番コッコさんに殴られていた時期だったりしたのでまるで思い出したくありません。
……銭湯の煙突から吊るされて、あまりの恐怖にちびったなんて事実は一切ございません。
さてさて、それはともかく。
「えーと……冥さん?」
「………なんですか?」
「僕、ちょっと着替えたいんで執務室の方で待ってもらえると助かるんですけど」
「私には使命があるんです。邪魔しないでください」
ををぅ……『使命』ときやがりましたか。これはまたなんつーか、『現実逃避』気味な恐ろしい響きだ。
仕方なく、制服のままゲーム画面を覗き込む。
なるほどなるほど、レベルは足りてる。しかし装備とアビリティ(技能スキル)の相性がよろしくないらしい。
ファイアドラゴンに炎の剣(相手が回復)と水の鎧(こちらが大ダメージ)で立ち向かっているようなもんだろう。
「冥さん」
「……なんですか?」
「ヒント、欲しいですか?」
ぴく、と冥さんの肩が震える。なにやら気難しそうな表情の後、ぽつりと言った。
「……曖昧に教えてください」
「これはゲームだけに言えることじゃありませんけど、基本的に『自分のやりたいことを邪魔されず、相手のやりたいことを妨害する』ことが勝利への近道です。具体的に言えば攻撃と防御。相手の弱点を突き、相手の攻撃を阻害できれば勝てます」
「具体的には?」
「ヘイスト+炎耐性。現状の最強武器でサンダガ剣のみだれうち」
「……なるほど。そうか……そういうことだったんですね!」
我が意を得たりと言わんばかりの笑顔を浮かべ、ものすごい勢いで冥さんの指が動き出す。
今までの鬱憤を晴らさんばかりの、それはそれはいい笑顔だった。
まぁ、あの勢いなら五分もかからずにボスを倒せるだろう。
なんか、不幸な事故があったりしない限りは。
「坊ちゃん、帰ってますかっ!?」
バンッ! と手を挟んだら悲鳴を上げて悶絶しかねない勢いで開け放たれる、僕の部屋の扉。それと同時にレトロなゲーム機にとっては『致命的』な振動が伝わる。
嗚呼、今の子供たちは知らぬだろう。その昔、ゲーム機に振動が伝わるだけでゲームが止まった時代があったことを。
「……………え?」
冥さんは呆然とした表情でテレビ画面を凝視する。
見事に静止し、狂った色合いを映す画面に、地獄のように調子外れな音楽を奏で上げるそれは、まさに絶望そのものである。
呆然としながらも、冥さんは挫けずにリセットボタンを押した。僕は思わず目頭を押さえた(※5)。
ああ、神様。どうか貴方に慈悲があるのなら、彼女の心に少しの平穏をっていうか最悪の事態だけはどうか。
黒霧冥(屋敷のメイド)――――セーブデータが消えたことにより再起不能。
……まぁ、なんていうかこれも経験だよね。悲しいけど現実なんだよね。
ただちょっとコッコさんが激しくドアを開けたせいだけど、それを恨むのはお門違いだしね。
最後には結局理不尽な恨みをどこかで解消するしかないわけで。
ものすげぇ勢いで廃人になった冥さんの背中を優しく叩きながら、僕はかなり居たたまれない気分になっていた。
「あの……私、もしかしてとんでもないコトをやってしまったのでしょうか?」
「…………コッコさん。なにも言わないでやってください。これは僕らの世代が体験した、世にも稀に見る不条理の一つなんです。自分のやってきた数十時間に渡る成果がなにもかも無に帰す悪夢の所業なんです。……しかも、それは他人(主に母親)には決して理解されず、涙は頬を伝うだけなのです」
「えっと……はい」
僕が切実な表情で訴えると、コッコさんはわりと大人しく引いてくれた。
それから一時間。灰と化した冥さんをなだめたりすかしたり頭を撫でたり背中を撫でたりしてようやく現実に復帰させることに成功。冥さんは悲しそうな顔をしながらも、現実から逃避すべくすぐに不貞寝してしまった。
僕は仕方なく自分のベッドに冥さんを寝かしつけることになってしまった。。
「……やれやれ、こんな所を舞さんに見られたら確実に殺されるな」
「なんか、娘を泣き止ませるお父さんみたいでしたね」
「冗談でも勘弁してください。まだ妻帯者になるつもりはありませんよ」
「それにしては、ずいぶんと女の子を泣き止ませるのが上手かったように思えますが?」
「100%友人のせいです」
わりと場数を踏んだ今ならまだしも、小学校当時の友樹は女の子に告白されてはそりゃもう手酷くふりまくるという悪行を重ねていて、その度に僕がフォローに回っていた。ついでに、女の子の代わりに友樹を殴るのも僕の仕事だった。
子供の恋愛と馬鹿にするなかれ。今も昔もそういうことに関しては誰でも真剣なのだ。
「それに……大昔は僕も体験した挫折ですからね。人事とは到底思えなくて」
「……その挫折がゲームのセーブデータが飛んだ程度の『挫折』じゃなきゃ、いいセリフでしたけどねぇ」
「………………」
思い切り反論したいけど、ここで反論するのもかなり馬鹿くさい。でも……ものすごく反論してぇ。
コッコさんは、そんな僕の心情を見抜いたか、少しだけ口の端を緩めて笑った。
「けど、子供は子供なりに必死なんですよね。いつだって」
「……まぁ、そうでしょうね」
「冥ちゃんは、いい子ですよ」
コッコさんの優しい言葉に、僕は、ほんの少し驚いた。
コッコさんは穏やかな微笑を浮かべながら、ちょっと寝苦しそうに顔をしかめて眠っている冥さんを見つめている。
「最近、お屋敷の庭の隅で家庭菜園を始めてるみたいなんです。それで、私に色々と聞いてくるんです。だから、色々とアドバイスをして、大昔私が使っていた家庭菜園用の本をあげました。初心者用の、とても優しい本です。……そしたら『山口さんはすごいです。草花のことをたくさん知ってるんですね』、とか言うんですよ」
「……そうですか」
「本当に、冥ちゃんはいい子ですよ。……まぁ、屋敷に来た当初は『なんだこの小生意気な小娘は』とか思いましたけど」
コッコさんは我知らず優しく微笑みながら、冥さんの髪に触れた。
コッコさんがここまで誰かのことを手放しで褒めるのは珍しい。コッコさんが手放しで褒める人間なんて屋敷でも二人くらいしかいないってのに。具体的に言えば美里さんと京子さんなんだけど。
ちなみに、章吾さんに対しては性格面の愚痴が大半で、陸くんに関しては『これからに期待大ですね』という的確な言葉で、舞さんに対しては『あの小娘とは一度決着をつけておく必要がありますね』ときっぱり言い切ってるけど。
うーん……偉大なんだなぁ、『純真な心』って。頑ななコッコさんにここまで言わせるとは。
「それはそうとコッコさん」
「なんですか?」
「そうやってると、まるで娘を慈しむお母さんのように見えなくも」
ドズッ。
「もう、坊ちゃん。そういう現実じみたことは言わないでくださいな。ホラ、私って二十四歳ですし、そういう敏感なことを気にするお年頃だったりするのですよ?」
「………づびばぜん」
一瞬で瀕死にさせられて、僕は涙を流しながら答えた。
……っていうか指が、コッコさんの細い指が、第二間接くらいまで僕の鳩尾にっ!
秘孔か? もしかして今僕は秘孔を突かれちゃったのかっ!? 三秒後に爆砕とかしちゃうのかっ!?
「安心してください。今のは秘孔ではなく、ただの純粋な力で筋肉の隙間を突いただけ(※6)ですから」
「……コッコさん、それは普通に致命傷になりかねないと思うのは僕の気のせいでしょうか?」
「気のせいです。たかが第二間接くらいまで指を埋めた程度では、人は死にません」
コッコさんは軽やかに言ったが、どう考えても死ぬと思う。
ああ、なんで僕生きてるんだろ? ついでに指を埋められた鳩尾に出血すらないのはどういう理由だろう? 明らかに人知を越えた技だと思うのは僕の気のせいなのでしょうか? 意味が分かりません。
「まぁ、そんなことはどうでもいいですね」
「あまりどうでもよくはないのですが」
「それはそうと坊ちゃん。ちょっとお話があるのです」
うわ、人の腹に指を思い切りぶち込んでおいて『それはそうと』で済ませやがったよ、このお姉さん。
相変わらず人の話を聞くつもりがないというか、都合のいいことは流そうとしやがります。ひどいです。
僕のそんな心の抗議などお構いなしに、コッコさんは神妙な顔でポケットからあるものを取り出す。
「実は……今日の朝、これが私のロッカーに入っていました」
コッコさんが取り出したのは一通の手紙。封書だったけれど、コッコさんは封を切っていないらしい。
僕はその手紙を受け取りながら、少し首をかしげて考える。
……をや? なんだかこういう手紙を、僕は夕方頃に見たような気がするのだけれど。
「まだ封は切っていませんが、この屋敷のセキュリティをくぐり抜けて来た部外者、もしくは私に害意のある第三者の仕業と考えられます。中にはなにが入っているのか分かりませんが、おそらく脅迫文でしょう」
「……や、そうですかね? 僕には一つの意志がはっきりと見て取れるんですが」
「そうです。そうに決まっています。大体、手紙ってのはロクなものじゃありません。間違いないです。手紙なんて滅びればいいんです。メールの方が百倍ましです」
「………………」
コッコさん、どうやら手紙には良い思い出はないらしい。
まぁ、それは言わない方がいいだろう。ただでさえ『刀傷』とか『喫煙』とか『紳士にあるまじき口調』とか、最近の僕はコッコさんにばれたら致死級の弱みをたくさん作っている。下手なコトは言わない方が、命の心配をせずにすむだろう。
「……で、コレを僕にどうしろと?」
「犯人を突き止める許可を。こうなったら徹底抗戦です。……こんな不届きなものを送りつけてくる犯人には、本当の地獄ってのが現世に存在することをきっちりと教育してあげますよ」
にやりと男らしい不敵な笑みを浮かべるコッコさん。指をゴキリと鳴らしているのがまた怖い。
さてさて……マジでどうしてくれようか、この事態。最近の僕はかなりイッパイイッパイだったからこのあたりでのんびりと休息を取ろうと思ったのだけれど、それすらも許されないらしい。
やれやれと溜息をつきながら、僕はペーパーナイフ(※7)を取り出し、封書を切った。
「ちょっ、坊ちゃん! ニトログリセリンだったらどうするんですかっ!?」
「……そんな危なっかしい薬品を手紙に仕込むのは、かなりの無理があると思いますが」
溜息を吐きながら封書の中身を改めて、僕は改めて深々と溜息を吐いた。
「コッコさん。これ、どうやら脅迫状じゃないみたいですよ」
「え?」
「ちょっと差出人は分かりませんけど、どこからどう見てもこいつはアレです。恋文です」
「………え?」
「分かりやすく言うと、ラブレターというやつですね」
「………………へ?」
「格好良く言うと羅無霊侘阿ですが」
「………………ふぇ?」
長い、長い沈黙が部屋を支配した。
コッコさんは指を口元に当ててなにかを考えて、まるで探偵のように部屋を歩き回り、椅子に腰掛けて神妙な顔をする。
そしてゆっくりと立ち上がり、目を細めて中空を見上げ、腕組をして目を閉じて、たっぷりと十分ほど思考した後で目を開けた。どうやら、考えがまとまったらしい。
じっと僕を見つめて、言った。
「…………………………はい?」
どうやら、全然まったくさっぱりまとまっていなかったらしい。
僕は仕方なくラブレターを開いて目を通し、口を開いた。
「えっと……『前置きがなくてすみません。一目会ったその日から、私は貴女のことを』」
「っ……きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
コッコさんは顔を真っ赤に染めて即座に手紙を奪い取り、僕の襟首を掴んで空中に放り投げる。
連撃連撃連撃連撃連撃連撃連撃連撃連撃。
まるで格闘ゲームのように一瞬でボロボロにされた僕は、『ドシャッ』というベタな効果音と共に、まるでボロ雑巾のように地面に崩れ落ちた。普通の人間なら瀕死どころかとっくに死んでいてもおかしくない連撃だった。
それでも生きていられるのは、普段から章吾さんみたいな人と組み手をしているおかげで急所を微妙に外すことができたから、もしくはコッコさんが無意識に手加減していたか、あるいはただの運としか思えない。
まぁ……正直言えば、理由なんてどれでもいいんだ。
……生きてて良かった。本当に生きてて良かった! 今回ばかりは死んだかと思っちゃったじゃないか!!
うん、武術訓練はこれからも続けよう。たとえ日常生活に一切関係ないとしても、いざという時に役に立つ。今みたいに!
「い、いきなりなんてコトをするんですか坊ちゃん! ぷ、ぷらいべーとの侵害ですよっ!?」
「……傷害罪のほうが若干重いと思うのは、僕の気のせいなんでしょーか?」
「そ、それはそれ! これはこれです!」
顔を真っ赤に染めながら、なんだか口調にも覇気がないコッコさん。どうやらラブレターには慣れていないらしい。
コッコさんくらい可愛い外見をしているのなら、それに騙された男どもが言い寄ってきているだろうなぁとは思っていたけれど、どうやらそんなコトもないらしい。……むぅ、友樹がモテるのにコッコさんがモテないとは……世界って本当に不思議なんだなと思う今日この頃。
一瞬でボロボロにされた体に鞭を打ちながら、僕はゆっくりと立ち上がった。
「まぁ、脅迫状じゃなくてなによりです。むしろ良かったじゃないですか、ラブレターで」
「………………」
コッコさんは、なんだか置いてけぼりにされた子供のような表情を浮かべていた。
「コッコさん?」
「……あの、坊ちゃん。こんなことを聞くのは恐縮なのですが」
「はい」
「こ、これ、どうしたらいいんでしょうか? その……こんな手紙をもらうのは、初めてで」
「そう言われましても、僕はそんな手紙を貰ったことすらないんでよく分からないですよ。……まぁ、好きにしたらいいと思いますよ。その場所に行ってお断りするなり、破くなり燃やすなりミキサーにかけるなり」
「……そう、ですよね」
困ったように顔を赤らめつつ、コッコさんはちらりと手紙を見つめる。
「すみません、坊ちゃん。その……私の早とちりで困らせてしまって」
「いえいえ。慣れてますから」
「……あ、あの、坊ちゃん」
「なんでしょうか?」
「坊ちゃんなら……ラブレターをもらったらどうしますか?」
こんなことを年下の僕に聞くのは恥ずかしいのだろう。コッコさんは顔を赤らめながら言った。
僕は少しだけ悩んで、溜息を吐いて、ほんの少しだけ苦笑いを浮かべた。
「100%誰かの嫌がらせと断定しますね。それから罠を準備して、待ち合わせの場所に行きます」
「……本当だったらどうするんですか?」
「捕獲、尋問の後解放しますよ。さすがにそこまでやられれば恋心も軽く冷めるのでばっ!?」
ボクサーなら誰もが憧れるようなアッパーカットを食らって、僕は吹っ飛んだ。
衝撃に顔をしかめ、立ち上がろうとするがパンチの衝撃は足にまで来ていた。膝が笑っていた。
どうやら、コッコさんはそれなりに本気で怒っているようだった。
「……坊ちゃん?」
「はい」
「毎回毎回『女の子の気持ちは大切にしなさい』と言っているのに、いい加減に懲りませんねぇ」
「……や、友人には毎回それで騙されましたし、いい加減にそれくらい警戒してもいいのではないだろーかと」
「お黙りなさい」
迫力満点で言われたので、僕は即座に口を閉じた。いくらなんでも殺されるのは御免だった。
コッコさんはほんの少し呆れながら溜息を吐き、なぜか手紙を僕に渡した。
「あの……どういう意味でしょうか?」
「坊ちゃんの方で処分しておいてください。私が処分するのは……その、抵抗があります」
「いいんですか?」
「いいんです。私は手紙があまり好きじゃないですし、差出人が誰かも分かりませんし、他の人はどうか知りませんが、私はラブレター如きに実名を書くことができないような、臆病な殿方に興味はありません」
ちょっと強がりかもしれなかったけれど、コッコさんらしい実に格好いい決断だった。
……うん、やっぱりコッコさんは格好いい。とてもとても格好いい。思わず見惚れてしまうくらいに。
僕は恭しく手紙を受け取って、内ポケットに収めた。
「分かりました。それじゃあ、これは僕の方で処分しておきます」
「すみません、お手数をおかけして」
「いえいえ。慣れてますから」
にっこりといつも通りに笑いながら、僕は無理矢理に立ち上がる。
なんとなく、無理して立ち上がった。
「ところでコッコさん」
「なんですか?」
「ちょっとした疑問なんですが、もしもラブレターを出したのがコッコさんの好きな男性で、ちゃんと名前も書いてあったらどうしますか?」
「坊ちゃんならどうしますか?」
「……や、どうしましょう?」
「私も、きっと同じ気分になると思います」
コッコさんはほんの少しだけ口元を緩ませていた。僕も多分似たような顔をしていたように思う。
その笑顔のまま、コッコさんは頭を下げた。
「それでは坊ちゃん、良い夢を。私はこれで失礼します」
「はい、お休みなさい。コッコさん」
僕がいつも通りの挨拶を返すと、コッコさんは小さく手を振って僕の部屋から出て行った。
「………………あー」
緊張の糸が切れた。はっきり言ってもう限界だった。
それでもぎりぎり、最後の力を振り絞ってベッドに倒れこんだ。さすがに痛みでもう体が動かない。
久しぶりにキッツいツッコミだった。そろそろ殺されるんじゃないかと、ふと思う。
まぁ、それはどうでもいい。とてもどうでもいい。どうでもよくないのはたった一つのこと。
「なっさけねぇなぁ、僕は」
溜息を吐いて目を閉じる。……ホント、僕は相も変わらずグダグダだ。どうしようもない。
自分の言ったことを思い出して、ちょっと死にたくなる。
『まぁ、好きにしたらいいと思いますよ。その場所に行ってお断りするなり、破くなり燃やすなりミキサーにかけるなり』
……はい、もう大体お分かりだろう。
明らかにコッコさんが告白を断ることを期待しまくってますね、この少年は。
なんつーみっともねぇ嫉妬だろう。うわ、今ものすごく死にたくなってきた。自覚があるぶん、かなり恥ずかしいぞこれは。
「………寝よ」
あまりに恥ずかしいので、僕にしては珍しく不貞寝をすることにした。
明日になればこの恥も少しは薄れているだろう。今の心理状態じゃ僕は間違いなく自殺する。それくらい恥ずかしい。
ゆっくりと目を閉じて、まどろみの中に落ちて、色々なコトを忘れることにした。
コッコさんにラブレターを出すなんていう余計なことをした『あの子』に……必ず地獄を見せてやると誓いながら。
第二十二話『コッコさんと羅無霊侘阿』END
第二十三話『舞ちゃんと螺武麗蛇吾』に続く
注訳解説(っぽいケドどう見ても敵)
※1:はい、分かる人には分かりますね。この前も紹介したヘル●ングのセリフから抜粋でございます。このセリフを吐いたのは主人公っぽい吸血鬼の方なのですが、それを聞いた主の女性は非常に微妙な表情を浮かべていましたのが、かなり印象的でございます。みなさんはラブレターにこのようなことを書かぬように、十分にご注意を。
……もしかしたら、ラブレターはもう『ラブメール』あたりに取って代わられているのかもしれませんが、それもまた時代の流れってことで。
※2:某ルパン三世のように空中に飛んだ後、服を脱がず女性に襲いかからずにそのまま土下座をする高等技術。土下座技能としては上から三番目に難しい技術として土下座界では有名である。
※3:正式名称ヘッドスライディング土下座。その名の通りヘッドスライディングのように土下座をする高等技術。これも相当難しい技術であり、下手にコンクリートの上で行うと鼻の先がミートソースみたいになるので、土下座中級者程度の方が挑戦するのはあまりお勧めしない。
※4:もうそろそろコイツもレトロゲームになっちまうんだよなぁ。今時の子供は知らないもんなぁ……FF5なんて。オメガと神竜については以前も紹介したしなぁ。ファ●ス(今で言う男装系ツンデレヒロイン)と●ッツ(主人公)とボ●(マスコットキャラ)の可愛らしさについては語ってないけど、語ると間違いなく読者様はドン引きだろう。読者様の中にはゲームやってないって人もいたし、あんまりゲームに傾倒するネタは良くないのである。
……※5の事実を思い出すまでは、そう思ってました。
※5:セーブデータが吹っ飛ぶ。昔はそんなコトもありました。今までの努力が台無しになり、今回の冥さんのような状態になってしまいます。理不尽な怒りはどこにぶつけるべきなのか。
死んでしまうとは何事かじゃねぇよ神父様よぅ。いい加減に青年時代に突入した瞬間にセーブデータ飛ばすのはやめてくれよ。これからようやく奴隷生活から解放って時に、また子供時代からやり直しかよ。いくらなんでもあんまりだろ。
とりあえず神父様にぶつけることもありましたが、解決はしませんでした。
プレ●テとメモリーカードの登場によりこういう最悪の事態は段々となくなっていくのだが、僕らはあの理不尽かつ誰にも認められない辛さ、そして喪失感をきっと忘れない。
※6:死にます。絶対に真似しないように。また、『肋骨の隙間に抜き手を差し込んで肺を強打する』というのも、現実で行うとかなり危険です。良い子は真似しないように。
※7:紳士的アイテムその1。その名の通り封筒などを綺麗に切るために存在する。これをいかに上手く使いこなせるかどうかで、その人物が紳士的かどうか分かる仕組みになっている。自分に自信の無い人はあまり持ち歩かないのが賢明です。
さぁ、ここで問題です。山口コッコにラブレターを出した犯人は誰でしょうか?
正解はCMの後、第二十五話で明らかに!
というわけでお楽しみに♪