第三話 坊ちゃんと愉快な友人たち
昔から、私は正義という概念が好きだった。
勧善懲悪。善が勝ち、悪は負ける。そんな二元論が大好きだった。
だからなのだろう。時代劇は例外なく好きだったし、その時代劇の影響を受けて剣を学び始めた。思いのほか才能もあって、私はいつの間にか『師範代』と呼ばれるようになった。それは……重みと歴史、そして誇りを重んじる剣の世界においては極めて稀なことでもあった。
師、曰く。
「お主の剣には艶がない。しかし…まぁ実力はなきにしもあらずなのでな」
らしい。
艶がないという意味はよく分からなかったが、私は普通にそれを受け入れた。足りないものは足りないのだ。どうやって補うかは師は教えてくれなかったが、努力を続ける限りはいつかなんとかなるのだろう。そう思って、私は剣を振ってきた。
剣を振り、己の正義を貫けるように、ひたすらに剣士で在り続けようとした。あるゲームに登場するペンギンが葉巻を吸う姿にに憧れて、煙管を飲むようになった。袴や防具で出歩くのは流石に無理だろうと思って、普段着には甚平を着用した。それでも、髪の毛だけは長く伸ばすことにしたのだが、親友も長く髪を伸ばしていたので、ポニーテールにくくることにした。髪を腰まで伸ばしているせいか、重くて突っ張って痛い。
とにかく私は、『正義』で在ろうとした。
だが……私はそれが大間違いだったことを悟る。
どうしてこうなったのか。私が悪かったのか、それとも他のなにかが間違ったのか。私はいつの間にか『恋愛沙汰』とは無縁になってしまった。私自身、軟弱な男は嫌いなのだが、それが恋愛と疎遠になることに拍車をかけたのだろう。……もっとも、長身で猫目の女に言い寄ってくる男がいなかったのも事実だが。
私は恋や愛を知らない。一生知ることはないと思っていた。
そう……あの人と出会うまでは。
それは、とりあえず唐突に始まった。
「せんぱあああああああああぁぁぁぁぁぁぁいっ!!」
どこかで聞き覚えのある声が響いた。
ほんの少し甲高く、それでいて耳に妙に残る声。
ああ、中学校に在籍していた時はよく聞いていた声だ。
「なまめいどぉぉぉぉぉぉっ!」
そう、それは騒乱と共に現れる声でもある。
僕はあきらめの境地に達しながら、教室に飛び込んできた少女にしか見えない物体にさりげなくしなやかな後ろ回し蹴りをかまし、にこやかに告げた。
「麻衣さん。一体どうしたの?」
「せ、先輩……後ろ回し蹴りは動作的に全然さりげなくないですよー?」
ツインテールにヘアバンド。大きな瞳に、中学三年生にしてはちょっと幼い体格で、胸もなければ背丈もない。ただ、見た目はものすごくかわいい少女。そっちの趣味がある人間にはものすごい人気が出そうな存在だけど、そのからくりを知った瞬間に『魂魄を剥離』させてしまう人間はかなり多いはずだ。
名前は獅子馬麻衣。性別、男。
悶え苦しみながら、その子はゆっくりと起き上がった。
「先輩、もしかして私のこと嫌いですかー?」
「嫌いじゃないけど、その間延びした口調と、全く男らしくない外見と、時々現実と妄想の区別がつかないところと、あと存在とか、君が思っているよりも重症だから直した方がいいよ?」
「……先輩。さりげなく『存在』とか言わないでくださいよぅ。全否定ですかー?」
「いや、そういうわけじゃないけど、不信人物を発見した瞬間に体が自動的に動いたというかなんというか……」
実際に、間違ってはいないはずだ。
ちょっとだけ、僕の学校の話をしよう。
小学校から大学まで付属(大学院は選択制)になっている『私立倉敷大付属高等学校』は、基本的に金持ちのぼんぼん、ないしはお嬢様が通う学校だ。当然のことながら僕よりお金持ち、というか格式と歴史を兼ね備えたの連中など腐るほどいる。僕は高校からの編入なのだけれど、基本的にはクラスの全員が顔見知りだったりする。
そして、基本的にそういう『格式』+『資産』+『個人の資質(成績)』でクラス分けがされる。どちらも優秀な人間はA組。僕らのような『成金』はどんなに個人の資質が優秀だろうとB組だ。それから下はC〜E組となり、下に行くほど柄が悪くなる(例、E組の人は成金のヤクザ屋さんが多い)。ちなみに、なぜか僕はA以外のクラスの連中にやたら恐れられているのだけれど、それは100%コッコさんのせいなので勘違いしないように。僕は無実です。
まぁ……そんな学校だからこそ、セキュリティも完璧なわけで。学校の校門には警備のおじさんがわらわらいる。そんな警備壁を突破できるような人間に手加減は無用という気がするのは僕の気のせいだろうか?
などと思っていると、麻衣さんはいつにも増して気迫満々に僕に迫ってきた。
「それより、先輩っ!」
「………なに?」
「この前、先輩の自宅ことメビウス屋敷の前を通ったんですけどっ!」
メビウス屋敷呼ぶな。とか言いたかったのだが、麻衣さんの気迫に気圧されて、僕は話の続きを聞くことしかできなかった。
まるで某弁護士のように拳を机に叩きつけながら、麻衣さんは、虫を気死させそうな圧力を、僕にぶちかました。
「メイドさんが……たっくさんいるじゃないですかっ!!」
「……そりゃ、まぁね」
侍従さんや執事抜きで、あんな屋敷を保っていけるわけないし。
僕の間の抜けた返答に、麻衣さんは爆発した。
「そういう問題じゃなくてっ! なんで黙ってたんですかーっ!?」
「いや……前に話したような気がするんだけど」
「『両手に人も殺せそうなハサミ振り回して、常日頃庭の手入れに余念がなく、夜九時には就寝する人間』がメイドなわけないでしょうがーーーーーーっ!!」
「ぐっ………」
僕は言い返せない。
それもそのはず。麻衣さんの言葉は、説得力に満ち溢れていたっ!
「メイドさんってのは、自分より朝は早く起きて、料理も上手くて、身の回りのことは全部してくれて、エプロンドレスがよく似合って、自分より遅く寝る人のことを言うんですよっ! そんな給料泥棒みたいな人はメイドじゃありません。いいとこ、『庭師』か『修羅』ですよーっ!」
やばい。
なんて……なんて説得力だ。
その条件なら、コッコさんなんて一つしかあてはまらねぇ。
僕はとりあえずフォローの言葉を探す。それはまるでサハラ砂漠で白ゴマ探すようなもんだったけど、僕の心が早急にその言葉を否定するように命令していた。
「あー……でも、あれでも結構いい所もあるんだよ。例えば……」
やたら強い。
時々チェーンソーを振り回す。
給与の使い道がよく分からない。
毎月のように送られてくる借金の督促状。
家族サービス中のパパを磔にする。
テーブルゲームが壊滅的にダメ。
料理が上手いくせにしない。
朝弱い。
夜弱い。
最近、僕の苗木を台無しにした。
………………。
「………うん。例えば、世の中舐めくさってる子供が、彼女を反面教師としてほんの少しだけ優しくなれたんだ。これはもしかしたら評価されるべきことなんじゃないかと僕は思うよ」
「先輩……なんか、よく分かりませんけど、一体なにが……」
「頼むから詳しくは聞かないで」
「は、はい……」
音もなくいきなり涙を流し始めた僕に、麻衣さんは見て見ぬふりしながら、即座に話題を変えてくれた。
「えーと、そういうわけで、今日お邪魔してよろしいですか?」
「……一応聞いておくけど、なんで?」
「同人誌のネタにしたいんですよー。今度のテーマは『メイドまみれ』ですから。貯金はたいて買ったデジタルカメラも持参してきましたし」
「同人誌? えーっと、自分で書いて自分で編集して自分で印刷するやつ?」
「知ってるんですか?」
一瞬で、意識が、漂白された。
「……っ!。そっ、そんなのっ、ぼく、しらないっ!」
「ちょっ、なんでまた泣き出すんですかっ!? 私は先輩のPTSD(正式名称、せいてきがいしょうすとれすしょうこうぐん。ぶっちゃけ名称、トラウマ)にドメスティックなヴァイオレンスを叩き込んじゃったですか!?」
ええ、そりゃもうでっかい古傷になっています。
あれはそう、二年前のこと。コンビニに買い物に行ったコッコさんがお土産です、と言って渡してくれたのが、『十八歳未満閲覧禁止。女性向け。監禁陵辱。ランドセル。少しずつ目覚めるなにか』という考え得る限り最低最悪の能力を有した『生原稿』というやつだった。
「コピー機の中にこんなものがありました。きっと、忘れ物ですね。思わずお持ち帰りしていまいましたよにやり」、と言ったコッコさんは、なにをトチ狂ったかいきなりその原稿を音読しはじめた。どんな内容だったかは僕の頭の中からは完全に抹消した(したったらした。絶対に覚えてないもん)のだが、コッコさんのサディスティックでありながら妙に嬉しそうな笑顔と、可愛らしい声で語られる淫猥な言葉の数々は、当時の僕を男性恐怖症一歩手前まで追い込んだ。おそらく、原稿を書いた人がその場にいた涙を流して土下座どころか、確実に悶絶し、ついでに発狂していたであろうことは僕が保障する。
涙を拭って、僕は心を落ち着かせて立ち上がった。
「同性愛は抹殺すべきだよね♪」
「……第一声がそれですかー……」
なにやら、呆れている麻衣さんだった。
「それで、どうなんでしょうか?」
「あー、別にいいよ。とりあえず、僕の部屋で騒ぐぶんには問題ないし」
「よっしゃぁっ! ……と、いうわけで三人でお邪魔しますねー。ばいばいきーん」
「え? 三人? っていうか中学生なのにばいばいきーんって……」
呼び止める間もなく、麻衣さんはコッコさんばりの俊足で、あっという間に僕の視界から姿を消した。
あとには、唖然としている僕と、さらに唖然としているクラスメート。
冷たく、白い視線が突き刺さるのを感じた。
フォロー開始。
「……あはは、ああいうかわいそうな子なんですよ、彼女」
クラスメートの視線は『そのかわいそうな子より、リアクションが激しかったお前はなんやねん』と雄弁に語っていた。
気絶した男子が数名。いずれも私より年上。そんな連中が寄ってたかって一人の男に暴行を加えていたので、とりあえず私自身の正義に従って助けた。
だが、助けられた男は、私を真正面から睨みつけていた。
「……誰が助けてくれって頼んだよ?」
「……む?」
「ったくよ。余計なお世話だっつうの」
血を拭いながら、男は舌打ちする。
「一、二発は殴らせねーと、殴り返せないだろ」
「……喧嘩はよくない。どんな理由があっても」
「馬鹿か、あんた。欲しいものは喧嘩しなきゃ手に入らねーんだよ。この世界はな、そういうふうにできてんだよ。気がつかれなきゃなにやってもオッケーだし、正義なんてもんは偽善で、悪なんてもんは形骸だ。どっちにしても意味なんてねーよ」
その男は、真っ向から私の正義を否定した。
「あんだよ? 言いたいことがあるんだったらはっきり言えば?」
「……言いたいことはない」
「じゃ、こっちから言わせてもらう。あんたってさ、ただ単純に戦いたいだけじゃねぇか? 人を助けるとか助けないとか、そういうのとは無関係に」
「違うっ!」
「違うんだったらいいけどな。なんとなく、あんたみたいな人間には見覚えがある。なんでもかんでも人のやることなすことに口や手を出して、結局自分のことがなにも分かっていない。見える景色にだけ手を出して、先のことを考えず、自分のことを考慮に入れず、『人を助けるため』だの『正義のため』だの、調子のいい免罪符を平気で口走る。自分の弱さを誤魔化すために、誰かを助けて『ああ、自分はえらいんだ』って悦に浸る。そういうのを、なんて言うか知ってるか?」
そして、男は。
「甘ったれって言うんだよ」
私が、最も聞きたくない言葉を吐いた。
偽善でもよかった。
自己満足でもよかった。
私は正しいことをしたかった。
でも……本当は全然正しくなんてなかった。
かわいい服を着たかった。
誰かと一緒に遊びたかった。
男の子と付き合いたかった。
そういう『当たり前』のことが、怖かった。
当たり前になってしまう自分が嫌だった。
人を助け続けたのは……ただ、それだけの理由。
私は、誰かの『特別』になりたかった。
ガッ!
目の前が真っ赤に染まる。気がつくと私は、男を殴り飛ばしていた。
技巧などなにもない、力任せの拳。男はそれをまともに食らう。
まともに食らって、笑っていた。
「はン、ざまあねぇな。図星指されて逆上かよ。だから甘ったれだってんだよっ!」
笑いながら、男は私を殴り返す。ガツ、と音が響いて頭が揺れた。
そして、私は意識を失った。
私立倉敷大付属高等学校。品のいいお金持ちの通う学校である。
しかし……その玄関前で、一人のシスターが嬉しそうにクルクル回っているという状況は、あまりにも特異な光景だった。
「ああ、主よ。数奇な運命に感謝しやがります。あのぼんぼんから財産をせしめようとする私にこのような勝機を与えてくださるとはっ!」
目をきらきらさせながら、奇妙なダンスを踊っている少女は名を清村要という。穏やかな瞳に、すっきりとした顔立ち。ふわふわとした金髪はまるで綿毛のようであり、深緑の瞳は完璧に削りだされたエメラルドのよう。シスター服を常時着用しているのは、彼女が通っている学校は厳格なキリスト教徒が通う学校で、服は正式な修道服以外認められていないためである。趣味はお祈り、宝物はロザリオ、尊敬する人はマリア様という『狂信的』と言い換えても差し支えないくらい敬虔なクリスチャンである。ちなみに、街の外れにある教会の神父の娘でもある。
(そんな経歴のくせに……どうしてこう口が悪いんだかな)
本来なら恋敵なのだが、いまいちその自覚が無い。
長身の美女、桂木唯はゆっくりと溜息をついた。
髪は括っておらず、今日は腰まで垂らしており、服装はブレザーの制服。いたって普通の格好であり、身長以外は普通の少女と大差ない。
二人は、一応昔馴染みというか……腐れ縁である。
「これでまた、主への信仰心が30アップしましたわ〜っ!」
「やかましい」
警備員の視線に耐え切れず、唯はシスターの頭に、手に持っていた愛読書、月刊少年ガ〇ガ〇を叩きつけた。
「ふぐおっ!?」
頭を押さえてうずくまり、涙目になるシスター。
ちなみに、月刊少年ガ〇ガ〇の厚さはそんじょそこらの月刊誌の比ではない。
週刊少年ジャン〇×2と思っていただければいいだろう。
当然のことながら、そんなものを叩きつけられればただでは済まない。
「な、なにをしやがりますか、貴女はっ! 天罰が下りますよっ!?」
「……なんで疑問系?」
「私、神様は信じてますけど、天罰とかは一切信じてませんの。人に罰を与えるのは、人か災害と相場が決まっています。もしもあったらラッキーくらいの気持ちでいたほうがラクですわ」
「………………」
敬虔なクリスチャンという設定は無理があるな、と思ったが口には出さない唯であった。口に出さない理由はいたって簡単。なんとなく納得できたからである。
いつの世も、怖いのは人間と災害であったりする。
と、不意に要はにやりといやらしい笑みを浮かべた。
「それにしても唯さん、ずいぶんと緊張されているようで」
「……なんのことだ?」
「ふっふっふ、とぼけても無駄ですよ? 神は全てお見通しです」
「……お前は神じゃないだろう」
「神様じゃなくても、雰囲気、態度、その他諸々から推測し、答えを導き出すことは容易ですよ。いいですか? 人間関係は持ちつ持たれつ、適度な距離が一番いいのです。そして、狙った相手をラブキャッチすれば勝ちです」
「………………」
「ラブ・キャッチすれば勝ちです」
「………………」
「ラブ・キャッチすれば勝ちです★」
「………………」
「ああ、主よ。このノリの悪い大女になんかこう、直腸検査くらいの恥辱を与えたまえ」
「やかましい」
「あぐっ!?」
今度はタウンページ(厚さはガ〇ガ〇と同程度。密度は段違い)をシスターの頭に振り下ろし、唯はゆっくりと息を吐いた。
「なんというか、お前と一緒にいると疲れる」
「まぁ、倦怠期の夫婦のような言葉ですわ。付き合いが長いから仕方ありませんけど。それなら、ココロが軽くなるように私が一つ面白い話をしてあげましょう」
「いや、いい」
「昔々……」
「聞けよ、人の話」
当然のことながら、唯の言葉は要には届かなかった。
「あるところに、とても綺麗で可愛らしい、絶世の美少女シスターがいました」
「……その特徴から察するに、少なくとも要ではないな」
「っていうか私なのですが」
「自分で言ってて恥かしくないか?」
「………ちょっとだけ」
要は顔を赤らめて、こほん、と咳をした。
「その可愛らしいシスターは時折、父の代行として人の懺悔を聞くこともしていましたが、ある時、迷える子羊が教会に迷い込んできました。彼女はとても悩んでいるようで、かわいいシスターは五分ほどかけて懺悔室の準備(主に神父の声の擬装用のボイスチェンジャー)を整えて、彼の懺悔を聞くことにしました」
〜回想〜
『どうなさいましたか?』
『ああ、神父様。私は、私はとんでもないことに巻き込まれてしまいましたっ!』
『とんでもないこと?』
『はい……。あの、ここで話したことは』
『ここで話したことは、私と神しか聞いていません。安心して話なさい』
『実は……好きな男の子がいるのですが、その子は別の女の子が好きなんです。なんていうかこう……女子高生のくせに妙な色気がある子で。それで……私、その子を』
『自首なさい。神はきっと救ってくれます』
『いえ、殺してません。真面目に聞いてください』
『いえいえ。真面目ですとも。これはあれです、リップサービスというやつですよ。貴方が話しやすいように、私どもは誠意と真心を惜しみません。邪魔だったら言ってください』
『確かに楽になりましたけど、邪魔です』
『………………(ンだとコラ?)』
『あの…神父様?』
『分かりました。それで貴女はどうしたのですか?』
『あ、はい。それで、私……その子をなんとか彼から引き離そうと思って、彼女の弱みを握ろうって思ったんです。あちこちに盗聴器仕掛けて、ストーキングしたりして、とにかく彼女をつけまわしました』
『………………うわ』
『それで……ストーキングが気づかれてしまって。このことをばらされたくなかったら言うことを聞けと……』
『脅されているわけですね?』
『はい』
『具体的にどのような?』
『その……。えっと………………付き合ってくれって』
『……相手は女性ですよね?』
『はい』
『………………くっ』
『神父様?』
『くっく……いえ、なんでもありません』
『……私は、どうすればいいのでしょうか?』
『そうですね……まず誠心誠意謝罪することです。お互い傷つけあうのは簡単ですが、それでは過ちを繰り返すだけです。相手は同じ人間なのです。話し合えばきっと分かってくれます』
『……はい』
『それから、謝罪の時にはこのお守りをお持ちなさい。きっと貴女を助けてくれる。もしもまた困ったことがあったら相談に来なさい。主はいつでも貴女を待っています』
『はい……ありがとうございました、神父様』
〜回想終了〜
「……いや〜、あの時は爆笑を堪えるのに必死でしたよ」
「まぁ……それで悩みが解決したんだったらなんも言わないけど」
「………………」
「おい。こら、その沈黙はなんだ」
「そりゃもう、解決はしましたよ。今ではそのお二人は、まるで翼のように左右で一対、運命の糸で結ばれているかのような、磁石と砂鉄のように離れがたい仲になっていますとも。お守りの中に催淫ざ…ごふげふん、とか仕込んでたのが功を奏したようですね。もっとも、私は頼まれてもそのお二人に近づきたくありませんけどね」
「……運命の糸っていうか、悪夢の鎖だろ。どっちかっていうと」
聞きたくない話を聞いてしまった。
唯はげっそりと顔をしかめ、それに反比例するように要はにっこりと笑う。
「愛の形は人それぞれ。定まった形などないんです。本人たちが満足していればそれでいいではありませんか」
「確かにそうかもしれないが……キリスト教は同性愛は禁止していなかったか?」
「大いなる愛に比べれば、教義などクソみたいなものですよ」
「……最悪の信徒だ」
「自覚はありますけど、訂正する気はありません。自分の培ってきた価値観や感じたことを覆すことは、自分自身にはなかなかできることじゃありませんからね。それは、貴女もそうでしょう? 例えば、今この場で師匠に『剣を捨てろ』と言われても、そんなことはできないでしょう?」
「………そりゃ、ね」
「同じように、私が彼を嫌うこともありえないでしょう」
彼。
それは、二人の想い人でもある。
「唯さん。貴女は確かに高潔な人です。その誇り高い生き方には敬服します。尊敬くらいはしているかもしれません。それでも……彼は譲れません」
「……譲る、譲らないの問題でもないだろう」
「そうですか? 貴女は頼み込まれれば否とは言えない人間のような気がしますけど? 私の見込み違いだったらものすごく嬉しいんですけどね〜?」
「………………」
図星だったので、唯は口をつぐんだ。
要はにっこりと笑って、唯を見つめた。
「不器用なら不器用なりに頑張らないと、取られちゃいますよ?」
「お前にか?」
「いいえ」
首を振って、要は目を細めた。
全体的には笑顔だが、その目は全く笑っていなかった。
「あの腐れ屋敷の卑しいメイド風情に、ですよ」
「……っ」
喉が詰まって、なにも言えなくなった。
それほどまでに、要は激烈な殺気を放っている。小さな虫ならば触れただけで即死。子供ならひきつけを起こして気絶。大人であっても泣いて懇願するほどの殺気。
だが……唯の師にくらべれば、まだ甘い。
唯は喉をごくりと鳴らし、気を落ち着けて口を開いた。
「………シスター?」
「あら、すみません」
そして、次の瞬間には殺気は消失していた。笑顔のままで、目だけが笑ってないなどということもない。
少しだけ呆れたような横顔がそこにあった。
「とにかく、私がダメだったら、後は唯さんしかいないんですから。しっかりお願いしますね?」
「あー……分かった。うん。とりあえず、頑張る」
「その意気です」
要は満足したように笑う。
その笑顔に釣られて、唯も口許を綻ばせた。
第ニ話『坊ちゃんと愉快な友人たち』、END
第三話『坊ちゃんと愉快な友人たちWITHメイド』に続く。
おまけ。今日の執事長さん。
その日。屋敷の玄関先はギスギスとした空気に包まれていた。
黒髪のオールバックにぴっちりとした執事服。体つきはがっしりしており、なにやら武術をやっていると思われる物腰。若い顔立ちはほっそりとしているが、鋭い目はまるで鷹のように鋭い。周囲をとりまく空気は弓の弦のように張り詰めている彼には、優しさという人間らしい部分がぽっかりと欠落しているようだった。
彼の名は新木章吾。この屋敷を取り仕切る執事長である。
章吾は苦渋に満ちた表情を浮かべ、血を吐くように言った。
「毎回言っているが、君のようなメイドは私としても不本意だ。はっきり言って坊ちゃんのご厚意がなければ即座に首を切っているところだな」
明らかな皮肉に眉一つ動かさないのは黒髪黒目の無表情メイド。通称、山口コッコである。
「そうですか。仕事の邪魔ですから消えてください」
「そうはいかん。私とて、別に皮肉を言いたくてここにいるわけじゃない。これでも一応人間なのでね、なるべくなら笑顔で生活したい。普段から無表情を装っている君とは違うのでね」
「そうですか。仕事の邪魔ですから消えてください」
「………全く同じ台詞は大人としてどうかと思う」
「そうですか。仕事の邪魔ですから消えてください」
「頼むから……コミュニケーションを取ってくれ。我慢するのも大人の仕事だ」
「そうですか。仕事の邪魔ですから消えてください」
「っ!」
表情を変えずに、同じ台詞三連発。流石の章吾も口許が引きつる。
執事長であっても、問題児のメイドには手を焼く。
ちなみに手をつけられないメイドはあと三人。
もうどうしようもないのが一人いる。
つまり、この屋敷にはメイドでありながらメイドならざる者がが四人ほどいることになる。それは章吾にとっては最悪でもあり、最高でもあった。
やれやれ、と肩をすくめて、章吾は緊張を解いた。
「山口コッコ。少しは私の話を聞け。今日は別に小言じゃない」
「……そうなんですか? それはまた、珍しい」
無表情の中の驚きというべきか。コッコは丸い瞳をさらに丸くさせた。
それほどまでに珍しいことだったのか、思わず仕事の手を止める。
「それで、私に何の用でしょうか?」
「あー、なんだ、その。来週、美里さんの誕生日だろう? それで、私なりに誕生日プレゼントとやらを送ろうかと思ったんだが……いかんせんどんなものがいいのかよく分からなくてな。お前なら彼女との付き合いも長いし、好みを知っているかと思ってな」
美里さんというのは、コッコの後に入ったメイドで、仕事はそつなく完璧でありながら、あらゆる意味で包容力のある、まさに『聖母』を地でいく女性である。その仕事ぶりを買われてメイド長に抜擢され、メイドの管理は彼女に一任されている。
ちなみに、章吾であっても彼女には対処しようがない。
惚れた弱み、というやつだろう。
くすくす、とコッコは楽しそうに笑う。
「まぁ、章吾さんって、エロいんですね?」
あまりといえばあまりな言葉に、章吾は思わず絶句した。
「……山口コッコ。頼むからそういう言い方はやめてくれ」
「ええ。殿方の純情を弄ぶほど老成してはいませんからね」
「………少年の純情は弄んでいるようだがな」
「なにか言いましたか?」
「いや、なんでもない。それで……美里さんのプレゼントはなにがいいだろうか?」
「………………」
「なぜそこで黙る」
「なんていうかですね、正直、美里の好みってよく分からないんです」
「……へ?」
「美里って、いつもにこにこしてて、とっても辛いことがあってもずーっと笑ってて、でも無理しているようには全然見えないし……。ものすごく大物らしい振る舞ってますけど。多分、鈍感なんだと思います」
その言い方はどうだろうか、と章吾は思ったが口は出さないことにした。
コッコは腕組をしながら、考えるように空を見上げる。
「苦手なものならいくつか思いつくんですけどね。蜘蛛とか、蜥蜴とか、蛇とか、蛙とか。でも、特に好きなものとなると……思いつきませんね」
「……む、そうか」
「たぶん、プレゼントならなんでも喜んでくれると思いますよ。去年は手製のマグカップを送ったんですけどものすごく喜んでくれましたし。『コッコちゃんの造形はいつ見ても味わい深くて、絶望と混沌を表現しているようでその先にある光を表していないのよね。それでいて、なんかこう、心にぽっかりと穴が空くような、そんな作品よね』って言ってました」
遠まわしに回りくどく『このマグカップを見てるとトラウマになりそう』と言っているのだがコッコ自身は気がついていないらしい。語学と芸術が組み合わさるのは書道だけなのだなぁ、と感慨深いことを思いながら章吾は口を開いた。
「……うーむ、困ったな。君が分からないとなると、あとは誰にも分からんだろう」
「章吾さんはなにか思いつきませんか?」
「それが……さっぱり」
「うーん…それじゃあ、最後から一歩手前の手段しかないですね」
「む?」
コッコは口許を少しだけ緩めて、きっぱりと言った。
「私たちがここに雇われた時から見知っていて、今も私たちを身近で見てくれる人に聞けばいいんですよ」
「そんな人間がいるわけ……」
ない、と断言しようとしたが、その人物の顔が脳裏をかすめた。
「いや、しかしそれは……なんというかあまりにも」
「そうですか? 名案だと思いますけど。まぁ、決めるのは章吾さんです。今ここで腰が引けてる人には決断なんてできないかもしれませんけどね」
「……発破をかけているつもりか?」
「さて、どうでしょうか?」
コッコは口許だけで笑っている。微妙な変化だが、彼女も笑うのだ。
それを真っ先に気づいたのがあの少年で、自分はしばらく気づかなかった。
人の表情を読むことに関しては、彼ほどの適任はいない。
「……やれやれ」
章吾は肩をすくめて、口許をつり上げた。
「助言、感謝する」
「大したことはしてませんよ」
「なに、私が勝手に感謝するだけだ」
「では、今度メイドのみんなにケーキでも奢って下さい」
「……ああ、それくらいは約束しておこう」
不敵に笑って、男は自分の仕事に戻っていく。
その後ろ姿を見ながら、
「ええ。……約束しましたよ」
コッコは、にんまりと邪悪に笑っていたのだった。
ちなみに、後日、章吾は一食五千円クラスの高級ケーキバイキングをメイド長以下五名に奢ることになったのだが、それはまた別の話。
と、いうわけで猫日記ではゲスト出演している二人の登場です。次回をお楽しみに。