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第二十.五話 黒ダイヤとメイドパニック

坊ちゃんがいない間のお屋敷の話です。

黒霧姉こと舞さんがいて本当によかったと心底安堵した話でもあります。

……ツッコミ属性必須だなぁ、やっぱり(笑)

 準備完了突撃開始。



 屋敷の中で唯一執務室と私室に分かれているのは、少年の部屋だけである。

 執務室の方は基本的に出入り自由になっているが、私室の方には鍵がかかっている。それはそれで当然といえば当然のことで、よく考えなくても屋敷の主人である彼は、青春時代真っ盛りの高校生である。

 見られて困るものだって多いだろう。

 そんなわけで、現在屋敷の中で出入りが自由にできないのは、屋敷の主人である彼の私室だけということになる。もっとも、謎めいたミステリーが主人にあるわけでもないので誰も立ち入ろうとはしない。

 が、今まさに、勇気あるメイドたちが禁じられた領域に足を踏み込もうとしていたのであった。

「……部屋がどんな状態なのか分からないのがネックですよねぇ」

 箒とちり取りを持った黒髪つり目の少女、黒霧舞は禁じられた部屋を前にして、思い切り溜息を吐いた。

「っていうかですね、よく考えなくても男の人の部屋は男が掃除すべきなんですよ。高校生なんてそりゃもう『エロス』と『性衝動』の象徴みたいな生き物なんですから、あーゆーものやこーゆーもの、もしかしたらあーんなものまで転がってる可能性はほぼ100%ですよ。女の子が踏み込んでいい空間じゃないんです」

 ブチブチと愚痴というか文句を垂れる舞を尻目に、他の二人のメイドこと山口コッコと黒霧冥は、てきぱきと掃除の計画を立てていた。

「じゃあ、私はカーペットと床を中心に、冥さんはベッド周りを、舞さんは魔法少女の服を着て踊り狂っててください」

「……自分が似合わないからってひがみはよくないですよねェ」

「なにか言いましたか?」

「自分が似合わないからってひがみはよくないですよねェ」

「悪びれもせずきっぱり言い切るとは、日に日に小憎らしくなっていきますね、貴女は。なんなら、あの時の決着を今ここでつけてもいいんですよ? まぁ、現実と妄想をごっちゃにしてしまうような貴女には無理でしょうけど」

 一瞬でホルスターからナイフのごときごついハサミを取り出して、コッコは丸い目を猫のように細めて口許をつり上げる。

 その悪夢のような微笑を、舞は肩をすくめて流した。

「できるもんならやってみたらどうです? あの時だって私に軽傷を負わせる程度で結局逃げられましたけどねー。まぁ、所詮セーラー服美少女戦士の服が似合っちゃう人なんて、そんなもんですよね」

 舞はこっそりとポケットの中に忍ばせたワイヤーを取り出し、つり目をナイフのように細めてにやりと笑う。

 まさに一触即発。メイドとは思えぬ女たちは、不敵な笑顔を浮かべつつも相手の隙を見逃すまいと集中する。


 カチャン。

 

 その集中を、鍵が開く音が霧散させた。

 扉の鍵をなんの躊躇もなく開けた黒霧冥は、呆れたように顔をしかめて言った。

「馬鹿でつまらなくてどうしようもない意地の張り合いはどうでもいいですから、早く仕事しましょう。明後日には坊ちゃんが帰ってくるんですから」

『………………』

 至極真っ当かつ、反論が不可能な意見に、コッコと舞は不承不承武器を収めた。

「とりあえず、坊ちゃんの部屋にいる間は休戦ということでよろしいですね?」

「そうですね。……喧嘩する元気は掃除につぎ込みましょう。終わったら三人でアルコールの入った泡立ち麦茶でも飲みに行くということで」

「……まぁ、いいでしょう」

 深くは突っ込まずに、コッコたちは運命の扉に手をかける。

 彼女たちの戦いは今始まったばかりだった。



 正確には……既に終わっていた。

「うわお」

 舞は感嘆の声を上げた。

 朝日が適度に差し込む広くて明るい室内。少しだけ開かれた窓から風が吹き込み、白いカーテンが揺れている。ベッドには真っ白なシーツと新品同様の綺麗な羽毛布団、そしてペンギン型の抱き枕が置かれている。真ん中に設えられた丸いテーブルには花瓶が置かれており、白い花が一輪差してあった。

 そのテーブルとは反対方向にある『勉強机』には化け物のようなパソコンが置かれていて、近くの本棚の中には、経済関係の本と漫画がぎっしり。勉強机の近くにはやたらと無駄に大きいプラズマテレビにホームシアターセット。テレビの横に置かれた段ボール箱の中には『レトロ』と呼ばれる類のゲームがぎっしり。もちろん、最新機種はテレビの周囲に常備してある。

 むろん、言うまでもなくトイレとバスが完備されていて、冷蔵庫まであった。

「……お、おのれ。なんですかこのパーフェクトルームは! 右と左で印象違いすぎるくせにどっちも最高級品ってどういうことだーっ!!」

 愕然としながら塵一つ落ちてない部屋を眺めて、舞はちょっと泣きそうになった。

「山口さ〜ん。これって一体どこを掃除ってちょっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

「なんですか?」

 躊躇なく冷蔵庫を開けて、無表情のままパリポリとキュウリのぬか漬けをつまむコッコに、思わず舞はキャラに合わないツッコミを入れていた。

「ちょっ、アンタ一体なにやってるんですかっ! 盗み食いっ!?」

「失礼ですね。盗み食いじゃありません。味見です。ぬか漬けは昔から坊ちゃんの得意としてる漬物なんですよ。……しかし、昔に比べるとだいぶ腕を上げましたね。これはなかなか」

「これはなかなかとか神妙な顔で言わないでくださいよぅっ! 私たちはここに掃除に来たんであって、漬物食べに来たんじゃないんですよっ!? ホラ、冥ちゃんもなんか言ってやってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!?」

「なーに?」

 ペンギンの抱き枕を抱き締めながら、冥はベッドに寝転んでいた。

「め、冥ちゃん、なにやってるのっ! 汚染されるから即刻やめなさいっ!」

「舞ちゃん、なんかこのベッド私たちが使ってるのと全然違うよー」

「そりゃ材質から違うんだから違うに決まってるケド、そのお布団はとっくに汚染されてるから! いい材質でも汚染されてるから!」

「……おやすみなさい」

「寝ちゃダメェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!」

 なんだか幸せそうな笑顔を浮かべながら枕に顔を押し付けて眠ろうとする冥を、舞は必死の形相を浮かべながら渾身の力を込めて引きずり下ろそうとする。

「冥ちゃん、いいからそこから離れなさい! 汚される前にっ!」

「……うっさい、はげ」

「冥ちゃんがぐれたっ!?」

 基礎体力が違いすぎるので、舞が冥をどうにかするのは不可能なのだが、それでも舞は可愛い可愛い妹のために全力を尽くそうと力を込めて、


 カサッ。


 不意に、そんな音を聞いた。

「………………」

「………………」

「………………」

 全員が同じ音を聞いていた。なにかが這いずるような音。カサカサ、ガサゴソという不協和音。その背筋が凍りつくような音は、部屋の戸棚の中から響いている。

 三人は一様に顔を上げ、持ってきた掃除用具の中で最強の装備を取り出す。

「設置は1秒。最低でも3秒で離脱でいいですね?」

「はい」

「了解」

 台所の黒き堕帝(※1)とカーペットの真正悪魔(※2)と血を啜る魔蟲(※3)、その全てに効果のある最終兵器(※4)を発動。戸棚の中に三つ投げ込んで、ついでに部屋の中にも五つ設置し、発動させる。

 明らかにやりすぎ(オーバーキル)であるが、そんなことは三人とも問題にしていない。

 あとは後ろを振り返らずに全力で逃げて、全員が脱出完了したところで扉を閉めた。

 ミッション終了。三人の勇者たちはお互いの健闘を称え合う。

「やれやれ、今回の任務は実に危ういものでしたが、なんとかなりましたね」

「そうですねー。坊ちゃんってばきっとギリギリに掃除したんですよ。あの戸棚の中にはゴミとか使用済み●●●●●(十八歳未満聞き取り禁止※5)とかが一杯詰まってる感じですね。青少年って基本的にも応用的にもアレですし」

「舞ちゃんの最低な発言は置いておくとしても……悲しいですけれど、虫と人間は共存できないですし」

 三人は自分たちの主人の無精さにやれやれと呆れつつも、仕方なく部屋を徹底的に掃除してやろうと思った。

 やがて、最終兵器の煙が晴れる。三人は再び決意を固め、部屋に再突入する。目的はもちろん先ほど『ゴミ溜め』になっていると予測した戸棚の中だ。三人はマスクとゴム手袋を着用し、覚悟を決めて戸棚を開けた。


 そこには、たくさんのケージ(虫かご)が並んでいた。


 沈黙が落ちる。ケージの中に入っているのは、間違いなく甲虫の一種。

 ただし、台所の黒き堕帝よりも速度は遅く、虫の準王者として子供たちに大人気、大人もマニアな方が思わずネット通販などで買ってしまうような虫である。

 人は、その甲虫を『オオクワガタ』と呼ぶ。

 三人の顔色が真っ青になった。

 


 この世の中にあるものは、コネとカネがあればほぼ全てのものが買えると、どこかにいる誰かが言っていたが、例外として人の『心』とか、そういう流動的かつ曖昧なものは金を出すだけ無駄であろう。『心』を動かすことができるのは『心』だけなのだ。

 人に優しく、義理人情、情けは人のためならず。恩義は返してなんぼのもん。

 ちなみにこれはあくまで『一般論』である。心を動かすほどのモノ、つまり『三兆円』とかを一般人が所有することはまずありえない。

 しかしまぁ、三兆円とは言わないまでも、人間にはお金が必要なのである。

 豪華な部屋の真ん中に集めた虫かごという名の『クワガタの棺桶』を前にしながら、三人は途方に暮れていた。

「あの、山口さん。どーしましょうか、コレ」

「……仕方ありません。埋めましょう。坊ちゃんにはなんとかご説明を……」

「いや、でも……オオクワガタって」

 黒いダイヤと呼ばれるほどで、虫としてはかなりの高額で取引される。同じ虫でも爬虫類などの餌として扱われるコオロギなどとはえらい違いである。

 しかし、黒ダイヤの『屍骸』を目の前にしてもコッコは挫けなかった。

「いくらオオクワガタとはいえ、私たちがもらっているお給金を上回るとは考えにくいでしょう。……まぁ、問題なのは私も貴女たちもお金があるとは言えない立場だってことなんですが」

「………………」

 お金がないと万が一の事態になった時に、困ることになる。

 最近免許を取ろうと思って読んだ『交通事故を起こした時』という本の一文を思い出しながら、舞はがっくりと肩を落とした。

「絶対に許してくれないと思いますよ? 坊ちゃんって意外と凝り性ですし」

「……ええ」

 ちらりと、二人は冥が黙々と運ぶケージを見つめる。

 その数は40箱を楽勝で越えていた。

「……オオクワガタって、いくらくらいでしたっけ?」

「サイズにもよりますが、オスならおおよそ平均三千円くらいかと」

「十匹で?」

「一匹です」

「……お金なんか問題じゃありません」

 全てのケージを運び終え、その中を神妙な顔で覗き込む冥の顔は今にも泣きそうだった。

「……問題なのは、坊ちゃんが許してくれるかどうかです」

「………………」

「………………」

 瞳を潤ませながらケージの中を覗き込む冥を、コッコと舞は直視できなかった。

 恋する乙女パワー全開である。

 五万円もどうやって捻出しようなどと、現実的なことを考えていた二人にとっては思いもよらない大打撃だった。

「あー……とにかく」

 コッコは場の空気を仕切り直すように、コホンと咳払いを一つ。

「このままではどうにもなりません。なにか打開策を考えないと」

「……オオクワガタを山から獲ってくるっていうのは……無理ですよね」

 舞の諦め半分な言葉を、コッコは辛そうな表情で否定する。

「ええ、こんなにたくさんのオオクワガタが天然でいるわけがないですし」

「じゃあ、ミヤマクワガタを入れておくっていうのは」

「坊ちゃんの目が節穴じゃない限りは無理でしょう」

「それじゃあ……どうしましょうか?」

「うーん……」

 コッコは腕組をしながら少し考え、やれやれと溜息を吐いた。

「仕方ありません。ワトソンを呼びましょう」



 ワトソンこと橘美里は、連れてこられた部屋の惨状を見て唖然とした。

 きっちり掃除された部屋はともかく、部屋の中心に集められた虫かごの数々。

 その虫かごの中に入っているクワガタムシは、全て動かなくなっているようだった。

「……と、いうわけです美里。やっちゃいました」

「………………」

「色々考えたのですが、私たちが被害を被ることなく坊ちゃんに謝罪する術が思いつかなかったので、貴女の知恵を拝借しようと思いまして」

「……コッコちゃん?」

「なんですか?」

「ホントまぁ、なんていうか……」

 美里はにっこりと笑いながら、悪鬼羅刹のごときどす黒いオーラを放っていた。

 この場に彼女たちの主人がいたら、間違いなくその場で土下座してしまいそうな気迫である。

「……貴女たち、毎度毎度とんでもないことやらかしてくれますねぇ?」

「それは認めます。……しかしまぁ、管理責任とかそういうものが問われるのは間違いない事実なので、ちゃんと報告しておこうと思っただけですよ、『メイド長』さん? 確か……今回の掃除を承認したのは美里でしたよね? もちろん、命令したのも」

「……くっ、そう来ますか」

 余裕綽々というか開き直った犯人のように語るコッコ。中間管理職の辛い所を的確に突いた発言に、美里は思わず歯噛みする。

 そして、美里は諦めたようにゆっくりと溜息を吐いた。

「まぁ……やってしまったものは仕方ありません。クワガタさん達にはお気の毒ですが、最初からみんなお亡くなりになっていたことにしましょう」

「やっぱりそのへんが妥当ですか。いっそのこと業者に掃除を依頼したことにしてしまってもいいんじゃないでしょうか」

「……となると、替え玉となる業者をでっち上げて、そこが害虫駆除を行ったことにすれば……」

「さすがワトソン。見事です。これで鮮やかに解決しそうですね」

「褒めるのはかまいませんけど、今後は控えめにしてくださいね。私にもフォローできる限度ってものがあります」

 失敗を誤魔化すために、悪辣極まりない相談を繰り広げる二人に対し、舞は思い切り引いていた。

(大人って卑怯とかそーゆーことは言うつもりはないんだけど……ここまでなのは見たことないなぁ)

 掃除という名目で部屋を好き勝手されてしまう、修学旅行に行ってしまった少年に同情する舞だった。

 そんなこんなで相談はまとまったのか、美里は三人に向かって言った。

「と、いうわけで業者さんに執務室の清掃を頼んだら、こちらの方にも害が及んでしまった、ということにしましょう。もちろん私たちは、坊ちゃんがオオクワガタの養殖をしてるなんて知りませんでした。……いいですね?」

「はい」

「分かりました」

「……りょーかい」

 軽やかに返事をする二人に対し、何か腑に落ちないものを感じてしまう舞。

(うーん……この場に坊ちゃん(ツッコミ)がいれば、鮮やかに役目(ツッコミ)を果たしてくれるんだけどなぁ)

 心の中でないものねだりなどをしながら、舞はこっそりと肩をすくめて溜息を吐いた。

「まぁ、ハプニングがあったのは仕方ないとして、それよりこの部屋の掃除は一体どうするんですか……って、ちょっ、山口さんっ! なんでコーラ飲みながらDVD鑑賞なんてしてるんですかっ!? 掃除はっ!?」

「最初から分かっていましたが、このお部屋って掃除するところないんですよね。オオクワガタの養殖は知りませんでしたけど」

「……な、さ、最初からって?」

「んー……」

 コッコはいつものように無表情のまま首をかしげ、ほんのちょっとだけ口元を緩めた。

「……まぁ、ちょっと色々、それなりに長い付き合いですし」

「な、なんですかそれっ!?」

 最初から、ちょっと色々、それなりに長い付き合い、という『曖昧だけど深い意味がありそうな言葉』に、思わず妄想たくましくして顔を赤らめる舞。ちなみに妄想の中身は十二歳未満の方は閲覧禁止くらいの内容である。

 黒霧舞という少女は、耳年増だがわりと中身は純情だったりする。

「い……色々。まさか、その、ちゅーとか……」

「そんなわけないですよ、舞ちゃん。山口さんは調子がいい時に起こしに来るだけですよ。私は毎日ですけど」

「あ、なーんだ……って、冥ちゃん?」

「なに?」

「なんでまたその汚染されたベッドに寝転がって本格的に寝ようとしてるの、とか色々聞きたいことはあるけど、それはちょっとおかしいような気がするよ? っていうか……おねーちゃんはものすごく嫌な予感がします」

「どういうこと?」

「坊ちゃんの部屋って、坊ちゃんが寝る時とかは絶対に鍵がかかってるよね? なんで毎日起こせるの?」

「合鍵持ってるから」

 なにか、そう、明らかに聞いてはいけない言葉を聴いたような気がした。


「………………………………………………………え?」


 なんだか信じがたいどころか信じてはいけない言葉を反芻する。合鍵というキーワードから連想開始。

 合鍵=いつでも俺の部屋に=ラヴ=大人の世界。

 自分の耳を疑って、自分の頭に異常が発生したことを疑う。世界が間違っているとは思いたくなかった。

 セピア色に染まる海。停止する孤独と無為。繰り返される寄生と暴力。曖昧な空間定義。赤く染め上げる牧場。眼球と蟲と花束。

 人間としてある意味思い描いてはならないピカソ作『ゲルニカ』(※6)のような心象風景を展開させ、舞はたっぷり三十分悩んで目を開けた。

「ねぇ、冥ちゃん」

「なに?」

「なんで、冥ちゃんは、坊ちゃんの私室の合鍵を持ってるの?」

「もらったから」

「じゃあ、なんで冥ちゃんは坊ちゃんの部屋の合鍵をもらってるの?」

「……んーと、一回遊びに来た時になんかくれたの」

「なるほどなるほど……そっか、そーゆーことか……」

 肩が震える。口元が三日月の形に歪む。

「これはもう……坊ちゃんが帰って来てから、じーっくりたーっぷりと嬲って殺せってことですね♪」

 明らかに『殺る気満々』な彼女の笑顔は、野生動物が見れば即座に逃げ出し、彼女たちの主人である少年が見たら理由も分からずにとりあえず土下座してしまいそうな、それはそれは恐ろしいものであったという。

 知らず知らずのうちになぜかマジ切れしている姉に呆れ、冥は少し溜息混じりに言った。

「ねぇ、舞ちゃん」

「くっふっふ……なぁに、冥ちゃん?」

「舞ちゃんって、坊ちゃんのことが好きなの?」


 冥を除く全員がその場にすっ転んだ。


 幸いなことに最高級のカーペットに転んだ舞にさしたるダメージはなかったらしく、ものすごい勢いで起き上がりながら、顔を真っ赤に染めて思い切り叫んだ。

「ちょ、冥ちゃんっ! いくらなんでもそりゃ絶対にありえないからっ!! スク●ェア・エニックスがオ●ガシリーズのラストエピソードを出すくらい(※7)にありえないから!」

「だって、私が坊ちゃんの部屋の合鍵持ってるって言ったら、なんか急に怒り出すんだもん」

「怒りのベクトルが逆なの! 私が怒ってるのは、坊ちゃんが変なことを目的に冥ちゃんに鍵を渡したんじゃないかって……」

「……変なことって、なに?」

「はぅっ!?」

 思わぬところで踏んでしまった地雷に、舞はちょっと泣きそうな表情になる。

(……し、しまった。これは……これは、まさかッ!?)

 黒霧冥という少女は、ちょっと特殊な環境で育てられた少女である。ちなみに学校にも行っていない。

 大抵の知識は本人が自習していたり、舞が教えたりしているのだが、一つだけどうにもならないこともあったりする。

「ねぇ、舞ちゃん。変なことってなに?」

「や……それは、その、ですね」

 冥の表情は『不思議なことを知りたがる子供』のそれであり、あくまで純粋な疑問のようだった。

 しかし……世界にはそんな表情で聞かれたら答えられない疑問が多々ある。

 そう、たとえば親戚の姪っ子かなにかに「ねぇ、叔父さん。赤ちゃんはどこから来るの?」と聞かれるようなもんである。

 そんなもん、答えられるわけがない。

「ねぇ、舞ちゃん」

「だから……それは、その、えっとね」

「はい、そこまで」

 舞の窮地を救ったのは、美里だった。

 いつものように穏やかな笑顔を浮かべながら、冥の頭にポンと軽く手を置く。

「疑問の追及もいいですけど、あんまり人を困らせちゃいけませんよ、冥さん」

「なんで困るんですか?」

「男の子と女の子が一緒にいるということは、説明が難しいものだからですよ。永遠の謎かもしれません」

「……よく、分かりません」

「分からないくらいでちょうどいいんですよ」

 クスクスと笑いながら、美里は冥の頭を撫でる。

 冥はきょとんとした表情をしていたが、頭を撫でられるのは嬉しいことなので、素直に笑った。

「分かりました、チーフ。分からないままにしておきます」

「はい、そうしてください」

 お互いに微笑み合う美女と美少女。この屋敷の主人である彼が見たら思わずむせび泣いてしまうだろう光景だった。

 その影で、舞はかなりほっとしていた。

(危なかった……なんかもう、とにかく危なかった)

 ゆっくりと息を吸って吐いて、深呼吸をしてから、舞は心の中で呟く。

(まぁ……とりあえず、この件は保留にしておきましょう。坊ちゃんが帰って来てから殺すかどうか決めるってことで)

 それでなんとか自分の心を落ち着かせた。本当のところはめちゃくちゃ動揺していたが。

 最後にゆっくりと息を吐いて、舞はいつも通りに顔を上げた。

「ねぇ、チーフ。冥ちゃんとクッキーを食べながら談笑しているところで悪いんですけど、仕事しないんですか?」

「……んー、したいのは山々なんだけど、仕事がないんです。でなきゃ、坊ちゃんの部屋を掃除してみましょうなんて言いません。予想を超えてここまで綺麗だとは思いませんでしたけど」

「へ?」

「章吾がいつも以上に張り切ってるせいで、仕事がなんにもないんですよ」

 不思議そうな表情を浮かべる舞に答えたのはコッコだった。手を振りながら、呆れたような顔になる。

「昨日ちょっと植木を切りすぎちゃったから、今日は屋敷の仕事をしようと思った時に限ってこれなんだから」

「……や、意味が分かりませんけど」

「コッコちゃんの言いたいことを要約すると、『章吾君が普段の倍以上の速さで仕事をしてしまったせいで、私たちの仕事がなんにもなくなってしまった』ということですね」

 完璧な所作で紅茶を飲みながら、美里は苦笑する。

「まぁ、張り切っているというよりも、『上の空』って感じですけどね」

「……仕事人間ですからね、あいつは。なんか嫌なこと、あるいは思い出したくないことでもあったんでしょう」

 怪獣映画などを見ながら、こくこくと頷いてコッコも同意する。

「……ホント、あいつは『人に頼る』ってことをしようとしないんだから」

「山口さん……もしかして、心配なんですか?」

「あの馬鹿を心配する暇があるんだったら、私はその時間を坊ちゃんを心配する時間に使いますが?」

「……さいですか」

 さりげないラブ発言になんとなく辟易しながら、舞はこっそりと溜息を吐く。

(……冥ちゃんも山口さんも、坊ちゃんのどこがいいんだろ?)

 いまいち、あの少年のいい所が思い浮かばない。趣味が悪くて、人を騙すことにかけては一流で、舞はちょくちょく騙されている。コッコと章吾ほど仲が悪いわけではないが、あの少年に対してはなんとなく苦手意識のようなものを感じてしまう。

 はっきりと言えば、あんまり好きなタイプではない。ちょっとくびり殺したくなる程度である。

(でも……冥ちゃんが惚れた人だしなぁ。私がざくっとやっちゃったら、絶対に悲しむだろうしなぁ)

 心の中で憂鬱な溜息を吐き、舞は肩をすくめる。

「じゃあ、とりあえずクワガタを元の位置に戻しましょうよ。このまま誰かに見られたら、それはそれでまずいような……」


 ガチャリ。


「よっす、お疲れさん。ちょっと甘いものでも差し入れに来たけど、坊ちゃんの部屋ってどんなぐあ……い?」

 お盆の上にゼリーを乗せて登場したのは、小柄だがハイスペック、厨房の主こと梨本京子だった。

 山と積まれたケージと、紅茶を飲む美里と冥、怪獣映画に見入っているコッコ、そしてなんだか疲れたような表情を浮かべている舞を見て、京子はなんとなく事情を察した。

 ちなみに厨房の方は従業員が暇なせいで喫茶店のように使われており、京子は近年稀に見る忙しさに一人で大立ち回りを演じてきたところである。余った時間を利用してフルーツゼリーを作って差し入れしたのだが、ここに比べれば厨房はまさに煉獄、いいや地獄でも生ぬるい。

 にっこりと笑って、半泣きになりながら、京子は血を吐くように言った。

「……仕事しろよ、てめぇら」

 今までで一番の怒りのオーラが、部屋中を埋め尽くした。

 普段は温厚な彼女が、本気で怒ったのはこの時だけだったという。




 第二十.五話『黒ダイヤとメイドパニック』END


 ※後日談は二十一話終了時にお送りします。





 注訳解説のこの部分もそろそろネタ切れであります。


 ※1:見るがいい、その漆黒の威容。隙間のコミュニティを灰色の彼と二分する彼らを、人はゴキブリと呼ぶ。

 ※2:それはまるで毒のように。目視すらできず気がつくと人に凄まじい被害を与える彼らを、人はダニと呼ぶ。

 ※3:彼の者は猫の仇敵。発祥から絶滅まで続く争いの連綿。人はその蟲をノミと呼ぶ。

 ※4:お願いします、バルさん! 奴らを倒せるのはあなただけなのですっ!!

 ※5:自由な発想で●を埋めてください。それであなたのエロ度が分かるそうです(笑)

 ※6:作者的にダントツで気持ち悪い絵の一つ。芸術性満点の、なんかもう常人には理解できない領域の話。そもそも数学者と音楽家と絵描きってのは、100%感性が試される職業なので、基本的にも応用的にも変わり者が多い。数学で『感性』ってのはおかしいかもしれないけど、学問ってのは基本的に『発想』が主軸になる。下積みと経験がなければ新しいことはできない。その辺が音楽や絵に通じる。逆を返せば、そこまでやらないと極めることが難しいものらしい。

 少なくとも、作者にはできない(^^)

 ※7:ぜてぎねあー。作者的『現実の厳しさってのを教えてくれるゲーム』第一位。基本的には反乱軍のお話。権力をひっくり返すためには思想や宗教や様々な策謀が渦巻くことを思い知らされる。『反乱軍が活躍する本格的なファンタジー』を描きたいのなら、ぜひお勧めする。民衆をないがしろにするとロクな結末を迎えないということを痛切に教えてくれるゲーム。ただ……すくえにさんは権利を買い取っておきながら、もうこのゲームを作る気はなさそうだ(泣)

はい、そーゆーわけで四人して泣きそうなコックさんに説教食らったわけですが、この続きは後日談というか二十一話のエピローグでお送りします。

と、いうわけで次回をお楽しみに♪

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