番外編『壱』 空倉陸の陰鬱
基本的に番外編のお話は作者の趣味に走りまくった構成になっております。よって、本筋とはあまり関係なく、別に読み飛ばしてもかまいません。
ただ、文字数が少ないんで読みやすいです(笑)
フツーにやっていればできることを、あえてややこしくして、無駄な努力に努力を重ね、あげく結果を評価してもらえない人がいます。
病床というか怪我床の空倉陸は、ベッドの上でかなり不機嫌そうだった。
そんな彼の姿はフリルがついた女物のパジャマ姿であり、これは山口コッコ(陸曰くの異次元庭のキラーエイプ)と黒霧冥(陸曰くの最愛のお姉様)とあと一人を覗く、七人の精鋭メイドによってお詫びの印として贈られたものである。
もちろん、着替えは彼女たちの手によって行われ、陸は色々、尊厳とかプライドとか、そういう大切なものを失っていた。
「……もうオレは結婚とかしない。しないったらしない。女なんてもう嫌だ」
「まぁ、そう落ち込むな。生きていれば色々ある」
慰めになっていない慰めを言いながら、新木章吾は苦笑を浮かべていた。
もちろん、今の陸にはその苦笑すらも癇に障るわけで。
「うるせーよ、チクショウ。小学生のとデビルの尻に敷かれてる男になにも言われたくねーよ」
「……まぁ、反論はできんが」
一瞬殴ろうかとも思ったが、本気で泣いている陸を見るとなにも言えなくなった。
章吾は中空を見上げて、こんな時に限って京子と旅行に行ってしまった自分の主人を少しばかり恨んだ。あの主人は慰めと気休めを言わせれば比肩できる者はいない。
傷付きやすい少年に同情しながらもなにを言えばいいのかよく分からず、仕方なく章吾は無難なことを言った。
「あー……その、なんだ。なんか食いたいものとかあるか?」
「……京子の姉御が作る豚汁」
「梨本は有給取って旅行に行った」
「……じゃあ、アップルパイ」
「分かった。買ってこよう」
章吾はそそくさと席を立つ。正直、この場の空気に耐えられなかったというのもあった。
と、章吾がドアノブに手をかけたところで、陸は口を開いた。
「なぁ、執事長」
「なんだ?」
「あのにーちゃん、なんであんなにもてるんだ?」
「………………」
章吾はかなり微妙な表情になると、肩をすくめて言った。
「趣味が悪いからだろうな。……まぁ、気持ちは分からないでもないが」
「オレに言わせれば、アンタも似たようなもんだと思う」
「陸、率直な意見は大抵害悪だ。今日は勘弁してやるが、別の日にそれを言ったら殴るぞ」
「だって小学生じゃん」
「言っておくが、美咲ちゃんに対して他意はない。ついでに言えばあのシスターにもだ」
「………どーだかな」
「なにか言ったか?」
「別に」
完全にふて腐れた様子の陸を見つめて、章吾は口許を緩めた。
「一応言っておくが、この屋敷に勤めている女はほぼ全員がことごとく男より強い」
「……あのにーちゃんの趣味か、それ」
「まぁ、そうだな。我らの主人はな、基本的に『男に嫌われる女』を好む。そして、男に嫌われる女というのは強い。甘えることなど知らず、己の能力を頼みにして生きてきた女ばかりだからな。……そして恐ろしいことに、そういう女は大抵年下好みだ」
「………………」
「まぁ、頑張れ。住めば都というわけでもないが、ここも慣れれば悪くないぞ。……例外も、いるしな」
慰めにならない慰めを残して、章吾は部屋から出て行った。
かなり青ざめた陸は、ゆっくりと体を起こす。幸いなことに骨折や筋肉の断裂など、体が動かないような異常はない。自分の体の状態を確認し、ベッドの下に隠しておいたバッグを取り出して服を着替えた。
「逃げよう」
本気で決意しながら、陸は窓を開け放ち、窓枠に足をかける。
地上まではおおよそ十五メートル。近くに異次元庭のキラーエイプが植えた大きめの木があるのを確認。あそこまでジャンプできれば脱出は容易だろうと目算して、一気に跳んだ。
「自殺なんて駄目でスッ!!」
跳んだ直後に、足を掴まれた。
陸の表情が絶望に沈む。そんなことをすればどうなるかは言わずと知れている。
重力下速度に従って、ゆっくりと体が地面に落下していく。
(……さすがに十五メートルでも、頭から落ちれば死ぬよなぁ)
意識が途切れる前、陸はなぜかそんなことを思っていた。
空倉陸という少年は、難しいことを考えることをことごとく避けてきた少年である。
難しいことを考えると頭が痛くなるのである。痛いのは嫌なので、深い思考をしなければならないことからは逃げてきた。国語は面倒な長文はやらない、数学は最低限の簡単な問題しか解かない、社会と英語は覚えればいいだけなので楽勝だが、化学に関しては計算と暗記が混ざっているので陸にとっては最難関だったりする。
仕事に関してもそうだ。最初だけどうすれば効率良く仕事ができるのかを体に叩き込み、あとは体に覚えこませた通りに動くだけ。
けれど、最近は頭が痛いことばかりだ。
陸にとって、この屋敷はかなり不可解なことばかりだった。
(あ〜、でも、死んじまえばなんも考えなくて済むよなぁ……)
なんとなく心安らかになりながら、陸は寝返りを打って仰向けになった。仰向けという姿勢になれた時点で、彼が生存しているのは間違いのない事実なのだが、陸は目を開けたくなかった。
はっきりと言えば、現実逃避である。
しかし世界はそんなに甘くなかったし、彼を取り巻く状況も甘いものではなかった。
「む?」
ぺしょっ、と間抜けな音と共に、陸の顔面に濡れタオルが置かれた。
蒸しタオルではない。濡れタオルである。経験のある方は分かるだろうが、仰向けになった状態での濡れタオルというのは、完全無欠の『凶器』だ。息を吸う時にはタオルが張り付いて呼吸できず、吐く時にだけ都合よく空気が抜けていく。そんな馬鹿なと思われる方は試してみるといい。天国の扉のドアノブに手をかけることができるだろう。
彼も大体そんな感じだった。
三分耐え、五分耐え、五分五十秒で限界だった。
「殺す気かこの野郎!!」
起き上がり、自分の顔に置かれていた濡れタオルを地面に投げつける。
その濡れタオルを置いた張本人は、にっこりと笑っていた。
「あ、陸くん。お目覚めですか。おはよーございます」
「……アンタかよ。トラさん」
「やでスねぇ、トラさんなんて呼ばないでくださいよぅ。私の名前は虎子、花も恥らう高校二年生でス!」
エクスクラメーションマーク(これ)→『!』を元気ハツラツにつけた時のみ『す』の発音が若干おかしくなる彼女は、いつも通りに笑っていた。
竜胆 虎子。身長百八十五センチ、外見は長身で細身の女の子。顔立ちは美人ではないが、十人中二人くらいは『可愛い』と評価するだろう。髪は藁のようにぼさぼさのくせっ毛で、瞳だけがいつも元気に輝いている。
そんな彼女はよく動きよく転びよくミスをし、努力がよく空回っている女の子だ。
メイド服が屋敷で一番似合わない少女でもある。
「それより陸くんっ! なんで自殺なんてしようとしたんでスか!? 理由によっちゃあこの私、竜胆虎子はあなたに鉄拳を叩き込まなければなりません!」
「……いや、自殺じゃねーし。逃げようとしただけだし」
「逃げる?」
「……だって、色々めんどくせーじゃんこの屋敷。女どもはオレに女装させようとするしさ、男どもはいちいちぶん殴ってくるしさ、そもそもあのにーちゃんが訳分かんねーし」
それは完全に愚痴だったが、陸本人に自覚はなかった。
ふて腐れる陸に対し、虎子はにっこりと笑った。
「それは、可愛がられてるんですよぅ」
「や、そりゃあ絶対に嘘だろ」
「嘘じゃありませんよ。メイドの人たちが陸君をからかうのは、陸くんのことが可愛くて仕方ないからだし、執事の人たちだって同じです」
「じゃあ、なんで殴ったりどついたりするんだよ?」
「それも愛情表現の一環ですよ。本当の暴力っていうのはもっと陰湿で陰惨で残酷だから」
さらりと言い放たれた言葉に、陸はかなり面食らった。
虎子は真っ直ぐに陸を見つめて、きっぱりと言った。
「でも、陸くんは恥じるべきです。逃げることは間違いじゃないけれど、困難から逃げて楽になろうとした自分の醜いココロを恥じて反省すべきです」
「っ!?」
「考えるのは自分のことばかり。そんなのは駄目です。絶対に駄目です」
心を見抜かれたような気がして、陸はかなりの衝撃を受けた。
仕事もできず、よく転び、ミスが多い少女は、あっさりと自分の悩みを真正面からぶち壊してくれた。周囲のせいにしていた自分の心を、あっさりと見抜いた。
頭に血が上る。そんなつもりはないのに、いつの間にか陸は拳を握っていた。
が、その拳は振り上げられることも、振り下ろされることもなかった。
虎子がにっこりと人懐っこく笑ったからだった。
「だ・か・ら……困った時にはァ、年上のおねーさんとかにすぐ相談でス! はい、そーゆーわけで相談ぷりーず。おねーさんがばっちりくっきり問題解決でスよぅ!」
「………………」
思い切り気が抜けて、陸は力を込めていた拳を解いた。
(なにむかついてたんだかな……オレは)
にこにこと満面の笑顔を浮かべる虎子を見ていると、自分が腹を立てていたことが馬鹿らしくなる。
少しだけ口許を緩めて、陸は笑った。
「いやぁ、別にトラさんに相談したいことなんて何一つないけどよ」
「そんなことないでしょう? ホラ、この『年上のおねーさん』に言ってごらんなさいな」
「トラさん、なんか『年上のおねーさん』とかいうフレーズに憧れを持ってるみてーだけど、アンタじゃさすがに京子の姉御やチーフを目指すのは無理なんじゃねぇか? 包容力とか慈愛とか、そういう決定的なものが欠けてそうだし」
「むぅ、かなり失礼しちゃいますね。これでも私、キツネくんからは『君は間違いなく癒し系の女性だ』って言われたこともあるんですから」
「………………」
どれだけ趣味が悪ければ気が済むんだろうと、陸は本気で思った。
上から下まで虎子をじっと観察する。身長百八十五センチは陸にとって間違いなく大女の部類に入り、よく動きよく転びよくミスをする両手足は大柄の彼女にはふさわしくないくらいにほっそりとしている。少なくとも、陸の好みのタイプではない。
唯一の取り得といえば、笑顔が可愛いことくらいだろうか。
(……………ん?)
なにか不思議な違和感を覚えたが、その違和感を決定的なものにする前に、陸はうっかりそれを見逃した。
あんまりされたことのない感触に気を取られたからである。
「なァ、トラさん……アンタなにやってんだ?」
「陸くんの頭を撫でています」
陸の頭を優しくワシャワシャと撫でながら、虎子は自信満々に言った。
「……えっと、なんで?」
「なんとなくです。決して『年上のおねーさん』らしくしたいなんて思ってもいませんとも。陸くんを見てると思わずなでなでしたくなるなんてこともありません」
「………………」
陸は半眼になって、心の中でだけゆっくりと溜息を吐いた。
(なんでこんな嘘が吐けねぇ上に失敗ばかりの人を雇ったんだ? あのにーちゃん)
と陸が失礼なことを思っていると、虎子はまるで太陽のように陸に笑いかけた。
「でも陸くんは本当にすごいでスねぇ!」
「なにが?」
「仕事の覚えも早いし、丁寧だし、みんなからも好かれてますし。そういう風にできる人って憧れまス!」
「……や、そんなこたァねぇよ」
照れ隠しに頬を掻きながら、陸は思わず顔を逸らした。
そういう風に手放しで人に褒められたのは初めての経験だった。家では大抵言われるままに仕事をこなしてきたし、屋敷に来てからは章吾に叱られたり殴られたりしながら仕事をしてきた。
褒められたことがなかったから……褒められるのは嬉しかった。
「陸くん? どうしたんですか?」
「ああ……えっと、なんでもねぇよ。……ちょっと暑いな、この部屋」
「そうですか? 気温は普通だと思いますけど」
「そうだな、気温は普通だな」
「うひゃッ!?」
背後からいきなり響いた声に顔を真っ赤にして髪の毛を逆立てた虎子は、吸い込まれるようにベッドの下に潜り込んだ。その間、0.24秒。おおよそ人間とは思えぬような早業であった。
「し、執事長さん! お、お元気そーでなによりでスッ!!」
「ああ、誰かと思えば竜胆か」
「は、はい! 竜胆虎子、今日も超絶好調でス!」
「ならば結構。それはそうと玄関の掃き掃除が終わっていないようだ。すまんが早急に済ませるようにしてくれ」
「わ、分かりました! 竜胆虎子、頑張りまス!!」
人の業とは思えないほどの速度で虎子はベッドから這い出し、ドアを吹き飛ばして部屋を出て行った。陸はおろか章吾の目にもその姿は残像しか追えなかったほどである。しかし、その後に聞こえてきたきゃードガガガという音は階段を転げ落ちる痛そうな音だった。
吹き飛んだドアを物悲しそうに見ながら、章吾は溜息を吐いた。
「やれやれ、本当にあの子は一日に何枚扉をぶち壊せば気が済むのだろうな」
「………………」
「ほら、差し入れだ。さっさと食って元気になれ」
「……なァ、執事長さん」
「ん?」
「アンタさ、鈍いとか言われたことないか?」
「よく言われるが、それがどうかしたか?」
「いや、別に」
陸は不機嫌そうに顔を背け、箱を開けて中身を覗きこむ。
そこにはアップルパイとケーキが二つ入っていた。
少しだけ考えて、陸はアップルパイとケーキの入った箱を持って立ち上がった。
「どうした? ここで食べないのか?」
「どこで食おうがオレの自由だろ」
「……まぁ、そうだな」
苦笑混じりの章吾の表情は、なんとなく腹が立ったが陸はなにも言わなかった。
それから、ケーキの箱を抱えて早足で玄関に向かうことにした。
少年の背中を見送って、青年は少しだけ口許を緩めた。
「さて、どうなるかな……」
外から響いてきた楽しそうな声をあまり聞かないようにして、章吾は立ち上がる。
ケーキがないのが残念だが、喉が渇いたので紅茶を煎れることにした。
フツーにやっていればできることを、あえてややこしくして、無駄な努力に努力を重ね、あげく結果を評価してもらえない人がいます。
私は好きです。
和みます。
番外編1『空倉陸の陰鬱』END
さて、今回の番外編は『僕の家族のコッコさん』において最も動かしやすいと評判のキャラクター、空倉陸くんの物語というか、小さな話です。
別タイトル『空倉陸、ちょこっと癒される』
楽しんでいただけたら光栄です(笑)