第二話 コッコさんと〇〇泥棒
彼は少年でした。彼女はメイドでした。彼はひねくれていました。彼女は真っ直ぐでした。彼はそこそこ有能でした。彼女はそこそこ無能でした。彼は自分の生きるべき道を知っていました。彼女は右往左往していました。彼はいつも世界を憎んでいました。彼女はいつも世界を愛していました。彼は愛を信じませんでした。彼女は愛を信じていました。彼は実は素直でした。彼女は実は怖がりでした。
彼と彼女はほんの少し昔に出会いました。
彼と彼女が出会ってから四年が経って。
彼は少しだけ優しくなりました。
彼女は少しだけ笑えるようになりました。
そして今日も、彼と彼女は。
今日は楽しい金曜日。アルバイトをクビになった僕は、暇を持て余していた。
どうやら、『お坊ちゃま』というのはアルバイトをしてはいけない身分らしい。僕としては自分でお金を稼ぐことにそれなりに爽快感を感じていたのだけれど、いつの間にか執事の新木章吾さん(あらいぎしょうご。執事長。二十代前半。コッコさんと似たような時期に両親が勝手に雇った、超有能な人)が、僕のバイト先のファミレスに手を回してしまった。まぁ、僕としては目的は達成できたので文句はないのだけれど、腑に落ちないのは……まぁ、仕方のないことで。
「株式とかでお金稼いでもつまんないしね」
こういうことを言うと、鉄腕アルバイター兼サムライの後輩に『ふむ、どうやら先輩殿は、私にザックリと斬られたいようだな。ん?』と言われてしまうので、あまり口には出さないけれど、独り言くらいは勘弁してほしいものだ。
「とりあえず、今日はお茶にしようかな」
近所のデパートで仕入れてきたのは、各種茶葉だった。章吾さんに頼めばそれ相応のお茶葉が手に入るのだけれど、それじゃあ面白くない。『みつや』でチーズケーキやらイチゴのショートケーキ、それから四色ベリーケーキ(ストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、ブラックベリーのカルテットケーキ。とっても美味しいのだけれど、四色も混ぜてしまったため色がかなり黒に近くて食欲を減退させる)を合計で十五個ほど買ってきたので、たまにはみんなでティータイムと洒落こもう。使用人たちを大事にするのも、雇用主としては大事なこと………で?
「………え?」
僕の住んでいる自宅こと、通称『メビウス屋敷(なぜかこの名前が定着)』が見えてきたところで、僕は思わず絶句して、ついでに持っていたビニール袋を落とした。
いや、その……なんていうか。
十字架に、男の人が磔になっていた。
「………………」
とりあえず逃げよう。
逃げて、『みつや』で甘いものでも食べよう。
それから、警察に連絡を……。
「あ、坊ちゃーんっ!」
その声を無視して、僕は逃げ出した。
しかし回り込まれた(ドラク〇風)。
「ってちょっと待てぇぇぇぇぇっ!」
「はい?」
「どうやったら五十メートルくらいの距離を一瞬で走破できるんですか、コッコさん!?」
僕の叫びに、彼女こと……山口コッコさんは小首をかしげる。
漆黒の瞳に、肩で切りそろえられた流れるような黒の髪、冷静で冷淡な無表情。エプロンドレスを完璧に着こなした彼女は、見た目はまさに完璧なメイド。
でも、背中の高枝切りバサミと、左右のホルスターに収められた、人も殺せそうなごっついハサミは、メイドには絶対に必要ない装備だ。以前なんか、僕にインネンをつけてきた不良の喉元に押し当ててたこともあった。あのハサミは絶対に人殺しのために造られたものだと僕は確信している。
そんなちょっと危険な彼女は、いつも通りの無表情のまま言った。
「坊ちゃま。星振る腕輪をご存知でしょうか?」
「現実にファンタジーを持ち込まないでください」
「坊ちゃま。ピオリムをご存知でしょうか?」
「8で復活したらしい遺失呪文(ゲームバランスを整えていくうちに失われた魔法のこと。例、ヒャダイン、アバカム、レムオル、バシルーラなどなど)で誤魔化さないでください」
ちなみに、分からない人はドラク〇3をやってみてください。
「じゃあ、あれです。えーと、縮地」
「それ、今の子供たちには分からない可能性があります」
「とりあえず、瞬歩ってことで納得してください」
「……ようするに、説明する気はないんですね?」
「はい」
ざっくりと斬り捨てられて、僕は唖然としたが、仕方なく肩をすくめた。
とりあえず、聞かなければならないことがある。
「あの、コッコさん。あの中世の処刑風景のような有様は一体どういうことですか?」
「………見て分かりませんか?」
「分かりません」
「そうですね、坊ちゃんはまだ童貞だから分からないのも無理はないですね」
「うるさいです。大体、コッコさんだって似たような」
ジャキッ!
「それじゃあ、コッコが丁寧に説明しましょう」
「分かりました。分かりましたからその凶悪なハサミを下ろしてください。っていうかちょっと喉に食い込んでます。イタイ、かなりイタイです、コッコさんっ!」
「だって、坊ちゃんがセクハラするんですもの」
「あの、男に対して童貞っていうのも結構なセクハラじゃ……。すみません。もう逆らいませんから、とりあえずそのごっついものを下ろしてください」
「はいはい」
僕がそう懇願すると、コッコさんは目にも止まらぬ速さでホルスターにハサミを収めた。『ジャキッ!』という重々しい音が響いた。
……わぁ、リボルバーの早撃ちみたい。
と、現実逃避してる場合じゃない。僕はコッコさんに問いかける。
「それで……どうして磔なんですか?」
「あそこで磔になっている男の人は、本名、斎藤一善。近所に住んでいるサラリーマン。妻子あり。年齢は三十五歳です。今朝午前四時ごろ、この庭でうろついていたところを、私が捕縛しました」
……捕縛された後、どんなことをされたのかは聞かないでおこう。
「で、その斎藤さんがなにをやらかしたんですか? コソ泥?」
「下着泥棒です」
「でも、庭でうろついていただけなんですよね?」
「下着泥棒です」
「……えーと、下着でも握り締めてた、とか?」
「いいえ。でも、下着泥棒です。下着ドロは古来より鳥葬と相場が決まっています」
……一応、説明しておこう。
鳥葬というのは、磔にするか、縄で縛ってぶら下げた人(生死問わず)なんかを字の如く鳥に始末させる処刑方法である。中国の古典やら、中世の処刑としては結構オーソドックスな方法ではあるのだが、まさか現代でこれを実践する人がいるとは……。
斎藤さん……どうやら、コッコさんの逆鱗に触れるようなことをやったらしい。
僕は若干の疲れを感じながら、コッコさんに言った。
「コッコさん。詳しい説明をお願いします」
「……下着泥棒ですもん」
いや、そこで頬を膨らまされても、可愛いとしか言いようがありませんが。
「とりあえず、彼の処遇は僕が決めます。いいですね?」
「………それは、ご命令でしょうか?」
「ご命令です」
「……分かりました」
コッコさんの表情はいつもの無表情のように見えたが、片方の眉がほんの少しだけつり上がっているのを、僕は見逃さなかった。
どうやら……とんでもなく怒っていらっしゃるようで。
「今朝の六時、私がまだ惰眠を貪っている頃に、事件は起きました」
「……普通の侍従さんならもう働き始めてる頃だけどね」
「朝七時、いつものように起床して私は庭へと行きました。そして、そこで恐ろしいものを見てしまったのですっ!」
「……コッコさん?」
「なんでしょうか?」
「なんとなーくオチが読めたんですけど……」
「オチとはなんですか、オチとはっ! このオッサンとその子供が……サッカーボールで私が最高に手をかけている盆栽を叩き割ってくれたのですよっ!?」
予想通りすぎてちょっと泣けてくる。
庭はお仕事。盆栽は趣味らしいけど、僕には違いが分からない。ぶっちゃけ『庭いじり』でいいんじゃないかと思う。
とりあえず、ドッと疲れが増したことだけは事実だった。
「……そりゃ不幸な出来事だったね」
「まったくです」
いや、コッコさんに言っているわけではないんですけどね。
今日は平日。せっかくの休暇に家族サービスをするお父さんになんてことをするんだろう、この人は。
「ちなみに、子供の方は他の方達と屋敷の中で遊んでいます」
「……その子は、自分の父親がこんな目にあっているとは思ってないだろうね」
「子供の不始末は、親が取るものですよ」
さも当たり前のように言うコッコさんだが、僕は呆れていた。
いくらなんでも磔にすることはないでしょーが。
「とりあえずさ、解放してあげようよ」
「……それはご命令ですか?」
「命令じゃありません。お願いです」
「……そういう言い方は卑怯だと思います」
「すみません。でも、この屋敷、警察に探られると痛い腹も色々あるんで」
「……何気に坊ちゃんも恐ろしいことをさらっと言いますよね」
それは、まぁ……金持ちの宿命だと思って欲しい。
両親も僕も成金だけど、僕は絶対に無駄なお金は一切使わない。その代わり、無駄だと思わないことに関しては、お金を惜しむつもりはないけれど。
「ま、磔にした時点で気分はそこそこ晴れたからいいんですけどね」
なら、さっさと解放してやれよ。
とは言わない。なぜなら、自分がかわいいからだ。
「それより坊ちゃん、そのビニール袋の中身はもしかしてみつやのケーキですか?」
「うん、まぁね。みんなで食べようと思って」
「……それじゃあ、私、みなさんに知らせてきますね」
「はいはい」
コッコさんは嬉しそうに口の端をほんの少しつり上げ、走っていった。
そういう彼女を見るのは、僕としてもとても嬉しい。こういう微妙な表情の変化が、楽しめるのは世界中探しても僕だけかもしれないなぁ、などと思ったところで重要な事に気づいた。
どうやって立てたのか、十字架は屋敷の塀を軽く越える高さだ。
無事に斎藤さんを降ろすのは、ものすごく手間がかかるだろう。
「………………コッコさん。逃げたね」
なんかもう……いいか。
子の不始末は親の責任。
なら、侍従の責任は、主人の責任だ。
責任くらい取ってやるさ。こっちはコッコさんという核弾頭を抱えて四年目だ。
今さら、この程度はどうってことない。
「さて……まずは」
とりあえず、梯子を取ってこよう。
〜後日談〜
金曜日の翌日は土曜日。というわけで、僕はいつも通りに庭に出る。
庭といっても屋敷の庭じゃない。僕専用の菜園みたいなもんだ。
最近、ちょっと家庭菜園と料理に凝っている僕は『食べられる植物』を育成中。これがなかなか楽しくて、なんとなくコッコさんの気持ちが分かるようなそうでもないような気がするわけだ。
昨日は、ブラックベリーがいい感じになっていたので、今日は収穫してみようと思う。家庭菜園が趣味の友人から貰い受けた苗木はこっちの土にも馴染んで、きっちり実をつけてくれた。多く収穫できたら手作りのジャムでも……。
ゴトン、ジャバ。
僕の手から、ジョウロが落ちた。
ああ、なるほど。
すみません、コッコさん。やりすぎとか言っちゃって。
確かにこれは……すさまじいダメージですね。
それこそ、磔なんて生温い。
「あ、坊ちゃん。どうなされたんですか?」
背後から、声が聞こえる。
普段はとても好ましく、今はとても憎憎しい声が。
「ふふ、さては私の最高芸術に声も出ませんね? 久しぶりにいい仕事をさせていただきましたよ。おかげで、私の機嫌も大分よくなりました」
そうですか。それはよかった。
本当に……コッコさんは年上なのに可愛らしいですね。
僕がそう思いながら振り向くと、コッコさんはなぜか顔を引きつらせていた。
多分……恐怖に顔を引きつらせていた。
「ぼ……坊ちゃん?」
「なんですか? コッコさん」
「………もしかして、怒っていらっしゃる、とか?」
僕は笑う。朗らかに、心穏やかに。
「あっはっはっは。本当にコッコさんは愉快な人ですね。いくらなんでも、せっかく友人から貰った大切な苗木を、『RPGのラスボス的な造形』に変えられて、しかも『果て無き悠久』とかタイトルをつけられたら………怒らない人間がいないわけないでしょう?」
「…………あ、あう」
その時の僕がどんな表情だったのか、僕自身にはよく分からない。
ただ、なぜかコッコさんが恐怖に震えていたのは事実なわけで。
「ねぇ、コッコさん?」
「……は、はい。なんでしょう?」
ぷるぷる震えるコッコさんに、僕はおしおきを開始した。
「長い夏休みと、庭の改装。どちらがいいですか?」
第二話『コッコさんと〇〇泥棒』…END。
と、いうわけで次の話に続きます。
次回は同人誌描きの、坊ちゃんの後輩が登場。