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第十六話 僕と彼女と温泉旅行(前編)

ごめんなさい。またちょっと長いです。

携帯の方にはものすごいご迷惑をおかけしますぅ(泣)

でも見捨てないでくれると嬉しいな(^^)

 は〜びばのんのん♪



「じゃ、約束通り明日ね」

「………………は?」

 食堂のコックさんこと、梨本京子さんは厨房から顔を出してそんなコトを言った。

 今の時刻は午後の七時。ちょうどいいくらいにご飯時だ。あの馬鹿みたいな地獄ダイエットも終わり、僕は平穏な時を取り戻していた。

「約束って……なんですか?」

 エビフライ定食のエビを奪おうとする舞さんの攻撃を華麗なる箸捌きでかわしながら、僕はちょっと失礼かもしれなかったが京子さんに聞いてみた。

 どーでもいいけどエビフライ定食のエビフライを狙うって、外道かこの小娘。この前は僕にものすごい髭の落書きしやがったし。

 まぁ、僕も額に肉とか目蓋の上に目とかほっぺにぐるぐるとか右腕に『ライトアーム』とか左腕に『レフトアーム』とか書いたからお互い様かもしれないけど。

 と、厨房の京子さんは目をナイフのように細めて口許を悪戯っぽくつり上げていた。

「ふーん、坊ちゃんは人との約束を忘れる人なのか。そーかそーか。ひっでぇなぁ、あたしはこんなに楽しみにしてたのに」

「えっと……ちょっと待ってくださいね」

 頭の中にある記憶の引き出しを引っかきまわしながら、僕は頭を抱える。

 京子さんの口ぶりから考えて、おおよそ一週間ほど前くらいか。えっと一週間前といえば盛り上がらないくせにやたらと遺恨を残しまくった(主に陸くんのトラウマとかに)あの地獄ダイエットの時期だろうか。ってことは………えっと。

「ああ、そういえば一緒にプールに行こうみたいなこと言ってましたね」

「ん、よく思い出せたね。えらいえらい」

「あっはっは、僕にとってはこれくらいちょろいちょろい」

「まぁ、思い出せたんだから忘れかけてた事に関しては突っ込まないであげようか」

 ……いや、確かに忘れかけてたけど。っていうかあんな小さな約束を京子さんが覚えているとは思わなかったわけで。

 後ろめたさから微妙に目を逸らしながら、僕は口を開いた。

「プールは久しぶりですね。で、どこのプールですか?」

「ああ、プールはやめだ。温泉に行こう」


 空間が凍結したような気がした。


「ほら、あの後坊ちゃんから温泉旅行券をもらったじゃないか。あれ、実はペアチケットな上に期限が今週中だったんだ。とっとと使わないと勿体無いだろ?」

「……え、ええ。そうですね」

 正確には、コッコさんと冥さんを含むこの屋敷の精鋭八人をぶっ飛ばして、陸くんから強奪した温泉旅行券なんだけど、このさいそんな細かいことはどうでもいい。

 問題なのは『温泉旅行』という言葉が出た瞬間に、僕の足に走った激痛。

 ちらりとテーブルの下を見ると、隣でキツネうどんを食べている冥さんが、僕の足を踏み潰さんばかりの勢いで踏みつけていた。的確に小指の上で超痛い。

「で、とりあえず明日行こうと思うんだけど、どう? 一泊二日だけど」

「ごぁっ!?」

 踏みつけが骨の隙間の筋肉を的確に捉える。あまりの激痛に僕はもう泣き出さんばかり。正直京子さんの言葉をまともに聞くことすらできない。

 それでも、なんとか僕は答える。

「え、ええ、いいですね。たまには旅行も楽しいですよ」

「じゃ、そーゆーことで。あたしの車で行くから、荷物だけ用意しといて」

 京子さんはそれだけ言うと、いつものように厨房に引っ込んだ。

 それと同時に、足の痛みも収まっていく。どうやら冥さんが僕の足を踏みつけるのをやめたらしい。ちらりと隣を見ると、冥さんは不機嫌そうな顔をしていた。

「温泉旅行ですか」

「……みたいだね」

「じゃ、せいぜい楽しんできてくださいね、エロ坊ちゃん」

 キツネうどんを食べ終わり、フン、と鼻息荒く立ち上がる冥さん。なんだかものすごくどころの話じゃなく、今にも僕を殺したそうな目で睨みつけている。

 殺されたくないので、ちょっと話題を変えてみた。

「えっと、冥さん」

「なんですか?」

「や、お土産はなにがいいかなーって思ったんだけど」

「………………」

 冥さんはにっこりと笑った。その笑顔は怒っている時のコッコさんそっくりだった。

 そして、まだ熱いつゆの入ったどんぶりを僕の頭の上でひっくり返した。



 そばつゆのものすごい熱さに、僕は「ひぎゃあ」で始まる悲痛な叫び声を上げながら、まるでバラエティ番組のように転げ回った。

 なんかもう、本当になにしても許されるとか思ってるんだろうか、あの子は。

 これはあくまで現実であって、マンガのように次のコマでは怪我が全部治っているなんてことは一切ないんですけど。

「今回は坊ちゃんが悪いと思いますけどねー」

 僕のエビフライを齧りながら舞さんが言う。

 そのエビフライの代金は十倍増しで給料から差し引いてやると心の中で誓いながら、僕は転げ回るのをやめて、ゆっくりと体を起こした。

「なんで僕が悪いのさ? 京子さんとプチ旅行に行くだけじゃないか」

「……それ、本気で言ってます?」

「本気に決まってるじゃん。大体、京子さんみたいな『超』かっこいい女の人は、僕のことなんて歯牙にもかけないね。今回だって、単なる暇つぶしだよ」

「坊ちゃんがそう思ってるんならそれでいいですけど……気分なんてどこでどう変わるか分かりませんよ? 感情っていうのは案外テキトーな代物なんですから」

 定食についている千切りのキャベツを食べながら、舞さんは呆れ顔というよりも呆れ果てた表情を浮かべた。なんだかものすごく馬鹿にされている気分だ。

「っていうかですねー、坊ちゃんってものすごーく鈍いですよね」

「や、そんなことはないよ。人間関係とか周囲の空気とか『痛み』とか『生傷』とかにはとにかく敏感だよ。昔からコッコさんにそう躾けられてきたし」

「……坊ちゃんの虐待体験はどーでもいいですよ」

 舞さんは本当にどーでもいいやみたいなため息を吐いて、箸を置いた。

「一応忠告しておきますけど、あんまり女の子の気持ちをないがしろにしてると、後ろから殴られたり、後ろから刺されたり、後ろから狙撃されたりしますからね?」

「あー……うん。肝に銘じておく。とりあえず背後には気をつけておくよ」

 なんだかものすごく実感のこもった言葉だったので、ぼくは思わず頷いていた。

 僕の返答に舞さんは満足していないようだったが、とりあえず納得はしたのか、苦笑しながら席を立った。

「じゃ、温泉旅行、楽しんできてくださいね。影ながら応援してますよー」

 そう言って、舞さんは自分のぶんのお皿を持って、さっさと立ち去った。

 舞さんの背中を見送って、僕は立ち上がってずれてきた眼鏡の位置を元に戻す。

「……女の子の気持ち、ね」

 そして、ゆっくりと溜息を吐いて、少しだけ目を細めた。


 

 翌朝。

 天気は晴天。道路状況も良好。絶好の旅行日和だった。

 僕は太陽を見つめて目が眩み、空を見上げてその清浄さに泣きそうになり、屋敷を見上げていつも通りであることを確認し、それから視線をあるべき場所に戻した。

「さて、それじゃあ行こうかね、坊ちゃん」

「え、ええ、そうっすね。行きましょう、さくさく行きましょう」

 目線を微妙に逸らしながら、僕は京子さんの車に乗り込む。横目でちらりと京子さんを見てから、僕は再び目を逸らした。

「あのー、京子さん」

「なに?」

「えっと……車を運転するときにヒールはどうかと思うのですが」

「大丈夫だよ。自家用車なんざ、他の車両に比べればへみたいなもんだ」

「へぇ、京子さんって普通自動車以外も免許持ってるんですか?」

「いんや、免許はないけどエンジンがくっついてりゃ大体のものは操縦できる」

 さらっととんでもないことを言いながら、京子さんはバックミラーの位置を整えている。そんな男前なことを言われてしまっては、僕としてはそれ以上なにかを言うこともできなかったので、黙っていた。

 そして、黙っていると無意識に高まっていく緊張感。

(やべぇな……これは)

 男前な京子さんは、水色のワンピースに手袋、麦藁帽子といういでたちだった。簡単に言うと『いいとこのお嬢様』のように見える。

 頭を掻きながら、僕は心の中で舞さんに謝罪する。

 確かに舞さんの言うとおりだった。感情っていうのはわりとテキトーだ。どこでどう変わるか分かりはしない。今だってこう……可愛らしいものを抱き締めたくなる衝動に駆られているというのに。

 普段はコック服を着ている京子さんの可愛らしい私服は、それはそれは威力絶大だったりするわけで。しかもなぜかワンピース。似合いすぎるにもほどがある。

 一泊二日。僕の理性は果たしてもつんだろうか?

「坊ちゃん」

「なんでしょうか?」

「言っておくけど、この服は美里からもらったもんだからね。あたしの趣味じゃない」

「とっっっっても似合ってますが」

「強調せんでいい」

 京子さんは不機嫌顔でそう言うと軽やかな手捌きのシフトチェンジを披露した。

 服に似合わない軽快な音楽を流しながら、車は発進する。京子さんの運転は、安全かつ確実かつスピーディだった。

 こうして、一泊二日の温泉旅行は始まりを告げたのだった。

 

 

「デルタ1、行動を開始したようです」

「アルファ1、了解。アルファ2、微速前進です」

「はいはい」

 諦めとも呆れともつかない微妙な返事をしながら、橘美里はエンジンを始動させる。

 重低音と共に発進する、白と黒を基調とした車は遠目から見るとパトカーのように見えなくもないが、そういう車は意外と多いので目立つこともないだろう。

「それにしても、貴女たちって本当に休みの使い方が下手ですよねぇ。少しは京子ちゃんを見習って、男の子の一人でも遊びに誘ったらどうかしら?」

「それは年長者としての意見ですか? 美里」

 助手席に座りながら、なんだか不機嫌そうな山口コッコは鋭い声で問い返す。

 美里は、苦笑をしながら律儀に答えた。

「年長者というよりも、『経験者』の意見ですね。若い頃は少しくらい犯罪気味に遊んでおいた方がいいんですよ。まぁ、遊びすぎはどうかと思いますけど……そのへんの調整は、坊ちゃんが一番上手いかもしれないですね」

「友達は選んでないみたいですけど」

 運転席後ろの後部座席に座っている冥は、拗ねた表情で言った。

 ちなみに拗ねている理由は、それなりに好意を持っている男の子が、そんなに嫌いではないどころかけっこう好きな女の人と一緒にお出かけしているからである。

「口が上手くて、やたら陰謀が好きですけどねー」

 助手席後ろの後部座席に座っている舞は。楽しそうな表情で言った。

 ちなみになぜ楽しそうなのかというと、呆れている美里やら、静かそうにしていながら瞳は炎のように燃え上がっているコッコやら、拗ねているのを隠そうともしない冥を見ているのが楽しいからである。

 もちろん、火に油を注ぐのも大好きだった。

「それに、山口さんとチーフならまだ安全かもしれませんけど、京子さんだと危険かもしれませんよ? 色々と」

「なるほど、確かにそれはそうかもしれません。……ところで、なんで私と美里だと安全なんでしょうか?」

「それはアレですよ。年齢的に」

 キキィィィィィィィィィィィィッ!!

「すみません、いきなり犬が横切ったもので」

 美里の冷え冷えとした声が車内に響いて、車は重低音を立てながら再び発進する。

 後部座席に顔をぶつけた舞は、鼻の頭を押さえながら唇を尖らせる。

「……犬なんてどこにもいないじゃないですかー」

 ほんのちょっとした文句。舞にしてみれば、いつも通りの言葉だった。

 が、コッコはもろに顔を引きつらせ、慌てて叫んだ。

「舞さん! それ以上の暴言は本当にやめなさいっ。命に関わりますっ!」

「え?」

 ふと、運転席の方を見る。

 バックミラー越しに見えた美里の表情は、とてもとても嬉しそうだった。

「ふふ、そうですね。確かに私は二十八歳。もうそろそろ人生の折り返し。……分かってましたよ、分かってますとも。でもそんなこと言われたら傷付いちゃいますねぇ。だから……仕返ししなくちゃ♪」

 うきうきと、まるで玩具を買い与えられた子供か、初デートの準備をする少年少女のように、美里は運転席の上部にあるレバーを引いた。

 それは、どう考えても普通乗用車にはついてはならないレバーである。

 ガクン、と車体が揺れる。違法改造によって取り付けられた車のウイングが展開。

 ブースターが火を吹いた。

「ふふふふふふふふふふふふ。……あーっはっはっはっはっはっはっ!!」

 忍び笑いが大笑いに変わる。美里は普段からは考えられないような攻撃的な顔つきに豹変し、ハンドルを握って一気にアクセルを踏み込むっ!

「さぁ、足の遅いドンガメどもは低能クソ虫として罵られる最高のSHOWの始まりだっ! そこは神速、一級の戦士のみが挑める究極の世界、光速への挑戦っ!」

「ち、チーフッ!?」

 いきなり人として言ってはいけない事を口走り始めた美里を見て、舞は真剣に青くなる。

 コッコは目を閉じて手すりに掴まり、冥は胸元で十字を切って神に祈った。

「相対性理論なんてクソくらえっ! くたばれ、腐れ学者どもっ! 今日こそはこの私と愛車『アスラーダ(※1)』がてめぇら全員叩き潰してやる!」

 人生を生きていく上では一切関係ない決意を叫び、美里はアクセルを踏み込んだ。

 時速が三百キロを越えた。



 過激なロックを大音量で鳴らしながら超高速で僕らの横を一瞬ですっ飛んで行った車を、僕は唖然としながら見ていた。当然のことながら、乗っている人たちの顔を見ることなんてできるはずもない。うお、こっちの五倍くらいの速度で走りながらちゃんと車線変更する時はウインカーを出してる。すげぇ判断力と技術だ。……と、言っても出した瞬間には隣の車線にいるんだから、まるで意味はないケド。

「………………」

 遥か彼方に消えて行った、絶対に都市伝説の類になるだろう白と黒のレヴィン(※2)のことは、気にしないことにした。どーせあの手の車に乗っている人は、速く走るのが格好いいと勘違いしてて、『公道最速理論』とか、学会に発表したら学者先生からぶん殴られる理論を勝手に打ち立ててたりするヴァカだ。

 とりあえず、雰囲気ぶち壊しだから、さっさと忘れよう。

 ちらりと横を見ると、京子さんは欠伸をしながらじゃが〇こ(某有名なお菓子)を齧っていた。表情はなんだか不機嫌そう。

 その理由を五秒考えて思いつき、僕は口を開いた。

「……煙草、吸わないんですか?」

 少し気になって聞いてみると、京子さんは少しだけ口許を緩めた。

「旅館に着いたら吸うよ」

「別に僕は気にしないんで、存分に吸ってくれていいんですけど」

「坊ちゃんが気にしなくても、あたしが気にするんでね」

 そう言って、京子さんは笑った。食堂で話している時に少しだけ見せる微笑。

 僕は口許を緩めて笑い返し、建設的な意見を言った。

「じゃ、ちょっと早いけどそろそろ休憩ってことで。僕もちょっと小腹が空きましたし」

「余計な気は回さなくてもいいんだけど……ま、いいか」

 ちょっとだけ不機嫌そうな表情を、ちょっとだけご機嫌そうな表情に回復させた京子さんは、パーキングエリアに向けて車線を変える。

(……………ほっ)

 内心、僕は胸を撫で下ろす。

 よし、うまくばれずにパーキングエリアに誘導できた。先週読んだ雑誌にも『デートの最中にトイレに行く男は嫌われる』と書いてあったし。

 なんとなくそんな無茶なと思わなくもなかったけれど、女の子の大多数の意見として尊重しなくてはならないだろう。それにしても、『携帯の待ち受けに自分の家の猫っていうのは正直引く』ってのは嘘だろう。章吾さんがそれやってたけど、老若男女問わず大人気だったぞ。……いや、やっぱり顔か。顔なんだな?

 と、僕が情報の真偽を頭の中で考えていると、不意に京子さんはにやりと笑う。

「坊ちゃん」

「なんでしょう?」

「トイレに行きたいならそう言ってくれたほうが助かるんだけどね」

「………………」

 完全に見透かされていた。

 僕は口許を引きつらせて、こっそりと溜息を吐いた。

 

  

 などと、道中で散々からかわれながら、僕らは旅館に到着した。

 まぁ、旅館といっても実際には最近オープンしたばかりの『温水プールと温泉の付いた宿泊施設』というやつで、舞さんにあげたやつに比べると質はかなり劣る。

 ちなみに、水着のまま温泉に入ることもできるので、僕の心身の健康にも悪くない。

「はい、えーと……ご予約、二名様ですね」

 受付の人にチケットを見せて予約を確認。受付嬢はにこやかに笑いながら、京子さんと僕の名前を読み上げて、

「では、三階の312号室になります」

 とんでもねぇコトをさらりと言いやがった。

『は?』

 僕と京子さんの目が丸くなる。

 受付嬢はにこにこと信用ならない営業スマイルを浮かべていた。

「いえ、ですから、このチケットは二人で一部屋になっておられますので。ほら、ここにもペアチケットって書いてありますし、ここにもお二人で一部屋まで使用できますってきちんと記述してあります」

 裏面の右隅のくそ細かいところを指差しながら、受付嬢は言った。営業スマイルの裏に『書いてありゃあこっちのもんよ』という思惑が見て取れた。

 可愛い笑顔に似合わず、どうやらえぐい性格の受付嬢らしい。

 どうやらこの受付嬢に文句を言っても無駄そうなので、僕はちらりと京子さんを見つめる。京子さんは音速で顔を逸らした。

「……京子さん。確か、予約をしたのは京子さんでしたよね?」

「ああ。でも、初めていんたーねっとで予約したにしちゃ上出来だろ」

 京子さんは自信たっぷりに言い切った。その不敵さ豪胆さとふてぶてしさは僕も真似していきたい所だと思う。あと、顔を赤らめて鼻の頭を掻いている仕草がとても可愛い。

 これ以上京子さんを責めるわけにもいかず、仕方なく僕は受付嬢に聞いてみた。

「他に部屋はないんですか?」

「お客様、お約束のようですが、本日はどの部屋も満室でございます」

「……なんとかならないんですかねぇ?」

「なんともなりません。お客様がキャンセル料を払って帰ると言うのなら話は別になりますが」

 なかなかのやり手のようだ。この受付嬢。可愛い顔して言うことがえぐい。

 仕方ない。いくらなんでも同室というのはまずいだろう。ここは大人しくキャンセル料を払って帰ろう。ちょっと勿体無い気もするけど。

「あの、京子さん」

「ん、そうだな。どっちかがソファで寝ることになるな」

「……………へ?」

 僕が唖然としていると、京子さんは目を細めた。

「坊ちゃん、あたしはね、楽しみに取っておいたものが目の前で奪われるっていうのはとてもとても我慢がならないことだと思っている。そう、たとえば、ショートケーキのイチゴだな。あれは最後に食べてこそ至福が味わえるってもんだろ?」

「や、僕はイチゴは先に食べる派なので」

「と、いうわけでだ。あたしは今めっちゃ温泉に入りたいんだな、これが」

 京子さんはにやりと不敵に笑うと、僕の腕をがっちり掴んで、受付嬢から部屋の鍵を受け取った。

「じゃ、行こうか。……大丈夫、優しくするから」

「ちょっ、まっ……っつーかそれはどっちかって言うと僕のセリフにしたいような気がするんですけどっ!?」

「あっはっは、無理無理。坊ちゃんってヘタレだしねぇ」

「いや、ヘタレとかそういう問題じゃなくて、そういうのは互いの合意の上で……ってなに言わせるんですかっ!?」

「さて、風呂だ風呂。温泉だ。美肌になってしまえー」

「ちょ、京子さんっ! 分かったから離しごげっ!?」

 腕がもげそうなほど引っ張られ、エレベーターの扉に挟まれた。

 嫌な予感が背筋を貫く。楽しい旅行が、暗雲に包まれたような気がした。



 ドドドドドとかバシャバシャといった激しい水の音、ついでに女の子のはしゃぐ声が響いている。

 それを横目で追いながら、僕はこっそり溜息を吐いた。ちなみに女の子が肌を露出させて走ったり泳いだりするのを横目で追ったりするのは、男としての本能に近いので、なるべく文句は言わないでほしい。

「……どーっすっかなぁ」

 ぼーっと天井を見上げながら、僕は未だに京子さんと同じ部屋で泊まることになったのをウジウジ悩んでいた。

 女の人と同じ部屋で寝るなんて、小学校時代の林間学校の時くらいだろーか。あの時は部屋が足りなくて、友樹と僕と委員長とでジャンケンをして、負けた僕が一緒に寝ることになったんだっけ。

 その子の寝相が悪すぎて、寝返りで右の鎖骨と肋骨五本折られたんだよなぁ。

「………………」

 かなり嫌なことを思い出してしまった。おそらく僕の短い人生すべてを含めての『間抜けな怪我』ランキングダントツ一位に輝くであろう重傷だった。

 まぁ、それと今の事態とは全然関係ないけど、むしろ関係があるのは京子さんがかなりというかとても、僕好みの美人さんってことなんだけど。

「よ、坊ちゃん。お待たせ」

 気軽そうに手を上げていたのは、水着に着替えた京子さんだった。

 黒ビキニだった。めちゃくちゃ似合っていた。

「………………」

 僕はゆっくりと立ち上がり、壁に向かって『ゴズッ』という鈍い音が響くくらいに思い切り頭を打ち付けた。

 それから、ゆっくりと振り向いて爽やかに笑う。

「大丈夫です、僕も今来たところですから」

「あの、坊ちゃん……なにやってんの? 血ぃ出てるよ?」

「気にしないでください」

 だくだくと血を流しながら、僕は京子さんから目を逸らした。

 笑顔の下に全てを隠し、僕は心の中で叫ぶ。

 普通の服が水色のワンピースで、水着が黒ビキニって。しかもそれが全部違和感なく似合うってどういうことだよ!? ギャップが大好きな僕にとっては致命傷に等しいっていうか、いくら自制心が強いとかヘタレとか呼ばれてる僕でも、限界ってもんがあるぞ!?

『これはもうアレだ。誘ってるとしか思えねぇだろ?(悪魔な僕)』

『そんなの駄目だよ。京子さんは親切心から僕を温泉に誘ってくれたんだから。だからここは健康的なお色気を楽しむべきなんだよ?(天使な僕)』

 ズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギュンズギューンドドドドドドドド。

 両方の僕を心の中で蜂の巣にしながら、僕は自分の馬鹿さ加減に呆れ果てた。

 思わずこの場で死にたくなったりもしたけれど、それは後にしておこう。要するに僕が気にしなきゃいいだけの話だ。そう……気にしなければいいのだ。

 それが至難の業なんだけど。

 京子さんは僕のそんな考えなどお構いなしに、すでに歩き出していた。

「じゃ、坊ちゃん。とりあえず温泉入ろうぜ、温泉。ここって色々あるみたいじゃん? ホラ、なんでか知らないけどリンゴとか浮いてる」

「お風呂もいいですけど、先に泳ぎませんか? プールに入って体冷やしてからのほうが、きっとお風呂も気持ちいいと思いますよ?」

「………………ぷーる?」

 なんか、若干妙な間があった。

「や、そりゃあレジャー施設なんだからプールくらいあるでしょう。ほら、最初の予定じゃプールに行くことになってたんですから、ちょうどいいじゃないですか」

「………………」

 不意に、京子さんは足を止めた。つられて僕も足を止める。

「どうしたんですか?」

「……なァ、坊ちゃん」

「はい」

「人には絶対に不可能なことがある。たとえば、あたしが今宇宙に行くことはまず不可能だろうし、坊ちゃんが女を口説き落とすことも不可能だろう」

 なんかさりげなく不愉快なことを言われたが、それはその通りだろう。

 だから、あえてつっこまず、京子さんが言いたいことだけを代弁した。

「えっと…つまり、京子さんは泳げないんですね?」

「なにを言ってる。人間の体ってのはもともと泳ぐようにはできてないんだ。泳げないのはむしろ当然だ」

「それを知識と知恵でカバーするのが人間だと思うんですが。あと、クロールくらい子供だってできます」

 どこから突いても崩しようがない僕の正論に、京子さんは額に汗を浮かべた。

「お、泳げなくったってあたしは困らないね」

「今困ってるじゃないですか」

「う」

 京子さんは今にも泣きそうな表情を浮かべた。

 あっはっは、なんつー可愛らしさだコンチクショウ。普段でさえ『背の低い女の子が姉御ぶってる』っていう可愛らしさがあるっていうのに、今日は『ワンピースのストレートな可愛らしさ』と『黒ビキニの若々しい妖艶さ』という相反する二つの魅力を違和感なく発揮してくれやがります。

 狼に変身しそうになる自分自身を殴りつけ、僕はゆっくりと息を吐く。

 とりあえず、理性を崩壊させるのだけは避けた。危ないところだった。

 危機を脱すれば後は簡単。僕はいつも通りに、にっこりと笑ってちょっと脅えた表情を浮かべている京子さんの右腕を引いた。

「じゃ、とりあえずあっちのプールで泳ぐ練習をしましょうか」

「い、いや、いいってばっ! あたしは温泉に入れればそれで十分だからっ!」

「大丈夫です。いきなり足のつかないプールに放り込むような真似はしませんから。とりあえず、バタ足の練習からいきましょう」

「ぼ、坊ちゃん、なんか笑ってないかっ!? すごく楽しそうだぞっ!?」

「いえいえ、そんなまさか……ぷっくっくっく」

「絶対笑ってるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 いくら京子さんが力を込めようとも、男である僕に叶うはずもない。

 さて、それじゃあ……、

 今までおちょくられた分を倍返しにすることにしよう。

 

 

「で、ここはどこなんでしょうか?」

「さぁ」

 美里はやんわりとした笑顔で答えて、コッコは珍しく溜息を吐いた。

 美里の暴走が収まったのは、山道を思い切り暴走した後のことだった。

 車が止まった時には舞は恐慌状態に陥り、冥はひたすら『生きててよかった』と呟きながらちょっと泣いたりしていた。

 ちなみに、二人とも「もう車は嫌です。車に乗るくらいなら歩いて帰ります」と乗車拒否をしたために、コッコによって気絶させられていた。

「……帰りは私が運転しますから、美里はもうハンドルを握らないでくださいね」

「あら、帰りは行きよりも、もっと早く到着できる自信がありますけど」

「やめてください。これ以上は死人が出ます」

 ちなみにコッコは屈伸運動などをしていたりする。

 車の暴走が止まった理由が『ガス欠』だったからだ。これから走ってガソリンスタンドまでガソリンを買いに行かなくてならない。冥と舞は使いものにならないし、美里は瞬発力はともかく持久力に欠けるので、自分が行かねばならない。

「大変ねぇ、コッコちゃん」

「……私服だからって遠慮せずに『右紋』と『左獄』を持ってくれば良かった」

 かなり顔をしかめながら、コッコは思い切り溜息を吐く。

 ちなみに『右紋』と『左獄』とはコッコがいつも持ち歩いている鋏の銘である。

 屈伸運動を終わらせて、コッコは言った

「それじゃあ行って来ますけど、くれぐれも無茶はしないように」

「はいはい」

「それから、京子さんと一緒になにを企んでいるのかは知りませんが、坊ちゃんになにかあったら……いくら貴女でも容赦はしませんからね」

「あらあら、そんなことがあったら私なら犯人を千切って毟って八つ裂きにしてるところですねぇ」

「………………」

 実は本当の敵は、このとぼけたメイド長なんじゃないかと思わなくもなかった。

 コッコは溜息混じりに走り出す。その速度はかなり速い。あっという間に山道を下って、見えなくなった。

 献身的なメイドの鏡のような少女の背中を見送って、美里は口許を緩める。

「………さて、と」

 美里は車のトランクを開け、その中に収まっていたポリタンクを取り出す。

 そのポリタンクの中には当然のようにガソリンが入っていて、美里はそのガソリンを当然のように車に給油した。

 運転席に乗り込んでエンジンをかける。人業とは思えないステアリング捌きで車をバックさせ公道に出る。

「悪く思わないでね、コッコちゃん。これも……まぁ、わりと坊ちゃんのためだから」

 気絶した双子を残したまま、車は発進する。

 爆音を残して、あっという間に見えなくなった。

 


 第十六話『僕と彼女と温泉旅行(前編)』END

 

  

 幕間


 それは、彼と彼女が温泉旅行に行く一週間ほど前の話である。

 手際よく八人を気絶させるのはそこそこ苦手な部類に入ることだったが、京子はそれをやってのけた。戦いというのは基本的に知っているかいないか、実行できるかどうか、それだけのことでしかない。『ルール』という枠の中で実力を試される、スポーツよりもよほど簡単なことだ。

「…………あー、しんどい」

 煙草の火をつけながら、京子は目を細める。

 ゆっくりと紫煙を吐き出して、頭を掻いて、他人には絶対に見せないものすごく嫌そうなしかめっ面で、目を細めた。

「面倒だね、いつも面倒だ。あたしには面倒ごとばっかりだ」

 煙草を携帯灰皿に押し込んで、京子は目を伏せた。

「なにを泣いているんですか? キョーコさん」

 声をかけてきたのは、銀色の髪を持つ少年に見える青年だった。いつからそこにいて、どこから現れたのかすら京子には分からなかったが、そんなものはどうでもよかった。

 そいつはどこにでもいてどこにもいない。そういうナレノハテだから。

「泣いてなんかいないさね、『存在抹消』。ただ、面倒なだけだよ」

 顔を上げずに、京子は口許だけで笑って、不意に聞こえた声に応えた。

「この面倒っていう名の責任は、あたしが進んで抱えたもんさ。それを抱えたまま死んだとしても、あたしは後悔だけはしない」

「……それが、自分の感情を捨てることだとしても?」

「関係ないね」

 顔を上げて、京子はまるで英雄のように不敵に笑った。

「心残りは一つ。それだけを残して笑って死ぬ。それが、あたしの望みだ」

「………………」

「そんな目をするな。あたしが決めたことだ。あたしが望んだことだ。だったら、誰にも文句は言わせない。性も家名もないあたしはただの小娘だけど、その心だけはただの小娘をやめたのさ」

 そう言って、彼女はまるで英雄のように優しく笑った。

「……問題なのは、そんな馬鹿に優しくしてくれるやつがここにもいたことだけだね」

 涙が一粒だけこぼれたが、気にしないことにした。



 第十七話『僕と彼女と温泉旅行(後編)』に続く





 注訳解説こと今回は五倍速でお送りいたします

 ※1:サイバー〇ォーミュラ。アスラーダ。サーキットを恐ろしい速度でビュンビュン走る方々。ものすごい勢いでカーブを曲がる。格好いい人たちがたくさん出てくる。詳しくはアニメーションでどうぞ。古臭いけれどそこがまたいい感じ。

 ※2:頭文字■。アキナのハチロク。公道を恐ろしい速度でビュンビュン走る方々。ものすごい勢いでカーブを曲がる。時々夜道でライトも消す。このような暴走行為はおやめください。展開がマンネリになるとちょっとお馬鹿な女の子を出す。ヤングマガジ〇で連載中。アニメだけは異様に面白い。やっぱりスピード感だけはマンガや小説よりもアニメーションの法に一日の長があるらしい。いい加減に誰か事故ってくれねぇかな。このような暴走行為は絶対におやめください。※1との扱いの差に関しては気にしないでください(笑)



 はい、そういうわけで多少シリアスが混じってきますが、あくまでコメディなので見捨てずに読んでくれると嬉しいです。次回、温泉旅行後編。お楽しみに。

 ……と見せかけて、一旦番外編1『空倉陸の陰鬱』に飛びます(笑)

はい、そーゆーわけで次に続きます。

次回は番外編、その次はいよいよ温泉旅行後編……の皮を被った『陰謀編』でございます。

別に深い意味とかはないんで、生暖かい視線で見守ってやってください。

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