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「その子が…。」
イタリアのローマにある名門アレスコーニ家。
郊外にある中世を思わせる屋敷の敷地に入るなりビーチェは身震いした。
ホテルのようなエントランスを通り、かしずかれていく両親を見て、ビーチェはさらに震えた。
「大丈夫だよ、ビーチェ。」
両手をそれぞれの兄に握られ奥の部屋へ案内された家族は、その広間の大テーブルの上座に座る夫人が立ち上がり、アルフォンソを抱きしめたのをみた。
「アルフォンソ…。」
「大伯母様、お久しぶりです。」
父の挨拶はそれほど感激しているものではなかった。
大伯母と呼ばれた人の視線が母に移る。
「美園…待ってましたよ。あなたと子供達がイタリアに来てくれるのを。」
「オッタヴィア大伯母様…ご無沙汰しております。3年ぶりですね。」
「あなたは、我一族の救世主です。ビクトーリオもあなたに感謝しているわ。」
会話をただ聞いていたビーチェに大伯母の視線が注がれた。
「紹介しますわ。ビーチェ…ベアトリーチェです。」
彼女の視線が厳しいものになった。
彼女はビーチェに一瞥を送るとすぐそばの2人の少年に視線をはせた。
「あぁ、よく戻ってきましたね、クラウディオ、ロレンツォ。」
彼女は腕を広げて少年2人を抱きしめた。
ビーチェは1人はじき出されたが、すかさず美園が抱きしめた。
「ビーチェ疲れた?」
首を振る。
「母さまは、疲れたの。部屋に案内してもらってもいいかしら?」
近くにいた使用人の女性に声をかけると女性は笑顔で答え、ビーチェのことは無視しているようだった。
部屋から出て行く途中でビーチェの耳に父の声が入ってきた。
「ビーチェを私達の娘として認める。じゃないと戻らないと約束したはずです、大伯母様。」
自分のことで父が声を荒げている。
ビーチェは母の顔を見上げた。
「もう、高嶺ったら、声が大きいわね…。ビーチェ…本当は母さまも父さまもイタリアには帰りたくなかったの。」
「何故?」
「部屋に入ったら全部話をしてあげる。けれど、話を聞いたらビーチェは悲しくなっちゃうかもしれないわ。それでもいい?」
母の視線は優しかった。
不安はいつも胸にある。
けれど、自分のことならば知らなければならないとビーチェは決心した。
通された美園の部屋は美しい装飾がされていた。
ソファのセットに腰をかけた美園はすぐに後を居ってきた息子達を呼び寄せてビーチェには自分の隣にくるようにさせた。
「ビーチェ、あなたの御家族が不幸な目にあったのは知っているわね。」
頷くビーチェは、心臓が痛いほど緊張してるのを感じた。
あの事件は、一応解決し、犯人は牢獄の中だった。
「あの後、同じような手口でとある村の一家が惨殺されたの。でも・・・あなたのような生き残りは居なかった。」
犯人はイタリアを震撼させた。
暫く後、その事件で1人の男が浮かび上がった。
それがビクトーリオ・アレスコーニだった。
名門といわれる一族の次期当主ともあろう男が何故、犯人として名前が上がるのか。
「ビクトーリオは、あなたのお母様に恋焦がれていた。それはもう熱烈に。でもお母様には愛する人、あなたのお父様がいたわ。思い込みの激しいビクトーリオは、少し病んでしまっていてね、ストーカーのように付きまとっていた。」
しかし、ビーチェの母が1人、また1人と子供を産む度に、彼の心はようやく落ち着き、正気に戻ったのだ。
「彼が正気に戻ったのは、彼自身が白血病という病に犯されたせいでもあったの。命と言うものに向かい合った時、彼は愛する人の幸せを自分が壊そうとしていたことに気付いたの。だから、彼が犯人であるわけはないんだけど、警察は当時ストーカーをしていた彼を最重要人物として取り調べたの。けれど、犯行のあった時の彼のアリバイが証明されて、彼は無罪となったわ。だけど、大伯母様は、未だにあなたのお母様を息子を誘惑した悪女だと思っている。だから、あんな態度なのよ。」
母の言葉が一段落すると息子が口を挟んだ。
「大伯母様は、母さんを救世主だと言っていたけど、何かあるの?」
「ビクトーリオが白血病になった時、丁度、私と高嶺との結婚の話があって、知らせるつもりはなかったんだけどね、知られてしまって。猛反対にあったの。フランスにいるお父様は問題ないとしてくれたけど、アレスコーニ家にとっては、日本人は、大切な後継者をイタリアから奪った簒奪者だから。」
高嶺の母は日本人で、名を白菊といい、高嶺を産んで暫くしてこの世を去っている。
「けれど、どういうことか、私はビクトーリオのドナーとして型が一致したの。本当に珍しいケースね、高嶺は検査すらする必要はないって言い張っていたんだけど、私が説得して、私はドナーになることを受け入れた。そのお蔭でビクトーリオは今があるの。オッタヴィア大伯母様は日本人に抱いていたイメージも変えて、私に対する態度も謝ってくれたの。それから色々と相談に乗ってくれて。ビクトーリオと高嶺は、あなたの両親のことを除けば、とても仲がよかったから、自分の誤解で親友を引き離してしまって、反省してるとも言ってくれたわ。少し思い込みが激しいところがあるけど、優しい方よ。」
母親の優しい言葉。
ビーチェにとって美園は憧れの、人生の目標のような人だった。
つづく