第2話:「カロリー計算の悪夢と、メイド長の愉悦」
地獄のランニングが終わった。
私は生まれたての子鹿のように足を震わせながら、食堂の椅子に崩れ落ちた。
肺が痛い。喉が血の味がする。
私のINFPライフにおいて、これほど身体を酷使したのは生まれて初めてだ。
「さあ、次は朝食よ! 運動の後はタンパク質を摂らないとね!」
私の向かいの席には、汗ひとつかいていない聖女セレスティアが座っている。
彼女の輝くような笑顔が、今の私には眩しすぎて直視できない。
「……リリス……お水……」
「かしこまりました」
私の背後から、メイド長のリリスが冷たい水の入ったグラスを差し出した。
彼女は**ENTP-A(討論者型・自己主張)**のサキュバスだ。
頭の回転が速く、状況を面白がり、あえて波風を立てることを好む「トリックスター」的な気質を持っている。
先ほどのジャージの件といい、彼女はこのカオスな共同生活を、特等席で楽しんでいる節がある。
「魔王様、本日の朝食メニューについてですが」
リリスが意味ありげな笑みを浮かべて言った。
彼女の手には二つのメニュー表がある。
「聖女様からは『高タンパク低脂質の筋肉増強プレート』をご提案いただいております。蒸した鶏のささみ、ブロッコリー、そして無塩の玄米です」
げっ。
餌だ。それは食事ではなく、ただの栄養補給だ。
私は全力で首を横に振った。
「やだ! 私はパンケーキが食べたい! メープルシロップたっぷりのやつ!」
「ふむ。魔王様のご希望は『糖質と脂質の快楽セット』ですね」
リリスは楽しそうに頷いた。
そして、わざとらしくセレスティアの方を見る。
「聖女様、いかがなさいますか? 魔王様は、精神的疲労の回復には甘味が必要だと主張されておられますが」
彼女は議論を仕掛けている。
私とセレスティアを戦わせて、その化学反応を見ようとしているのだ。
「だめよ! そんなものを朝から食べたら、さっきのランニングが無駄になるわ!」
「でも、食べたいものを我慢するのはストレスになるよ! ストレスは美容に悪いし!」
私が反論すると、セレスティアは眉を吊り上げた。
「甘えよ! 貴方は自分を律することができていないの!」
「律したくない! 私は流されて生きていきたいの!」
平行線の議論。
その様子を、リリスは目を細めて眺めている。
彼女のENTP脳は、この状況を「停滞」ではなく「エンターテインメント」として処理しているのだ。
「では、折衷案(妥協点)を探りましょうか」
リリスがポン、と手を打った。
彼女の瞳の奥には、いたずらっ子のような光が宿っている。
「『パンケーキに見せかけたプロテイン焼き』というのはいかがでしょう?」
「……え?」
「見た目はパンケーキ。しかし中身は大豆粉とプロテインパウダー。シロップの代わりに、特製の野菜ペーストをかけます」
それは……最悪のキメラ料理では?
しかし、セレスティアは目を輝かせた。
「あら、いいじゃない! それなら栄養面もクリアできるわ!」
「待って! 味は!? 美味しいの!?」
私が叫ぶと、リリスは妖艶に微笑んだ。
「味については……魔王様の『想像力』で補完していただきます。貴方様の得意分野でしょう? 現実逃避は」
ひどい。
私の妄想癖を、こんな形で利用するなんて。
「さあ、厨房に作らせてきますね。……ふふ、どんな悲鳴が上がるか楽しみです」
リリスはスカートを翻し、軽やかな足取りで厨房へ向かった。
彼女の背中からは、「退屈しなくて済みそうだわ」という心の声が聞こえてくるようだった。
残されたのは、絶望する私と、満足げな聖女。
そして数分後、運ばれてきた「灰色のパンケーキ」を前に、私は涙を流しながらナイフを入れることになる。
私の平和な朝食は、こうしてENTPのメイド長によって、実験的な食育タイムへと変貌したのだった。




