第2章:管理と混乱の共同生活
その音は、悪夢の底から私を引きずり出す、地獄のファンファーレだった。
パッパラパッパパーッ!!
高らかに響くトランペットの音。
私の鼓膜が悲鳴を上げ、脳が強制的に覚醒させられる。
私はベッドから飛び起きることもできず、ただ布団の中でビクンと痙攣した。
「……な、なに……?」
目を開けると、そこには信じがたい光景があった。
私の寝室のカーテンが全開にされ、朝日が容赦なく差し込んでいる。
そして、ベッドの横には、純白の法衣を着た聖女セレスティアが立っていた。手には金色のトランペットを持っている。どこから出したんだ、それ。
「おはよう、魔王ヴォルクス! 朝よ! カンカン照りの朝よ!」
彼女の声は、朝日のように明るく、そして暴力的だった。
私は布団を頭までかぶり直した。
まだ眠い。昨夜、暗殺者の件で神経が高ぶって、寝付いたのは午前四時なのだ。まだ二時間しか経っていない。
「……あと五分……いや、五時間……」
「だめよ! 規則正しい生活こそが、健全な精神を育むの!」
セレスティアが布団の端を掴んだ。
グイッ、と引っ張られる。
やめて。私の殻を剥がさないで。布団の中だけが安全地帯なんだ。
「今日から私が、貴方の生活習慣を徹底的に管理するわ。まずは早起き! 次に日光浴! そしてラジオ体操よ!」
ラジオ体操。
異世界にもあるのか、そんな悪魔の儀式が。
私は必死に布団にしがみついた。INFPにとって、朝のエネルギー充填時間は死活問題だ。無理やり起こされると、一日中HPが半減した状態で過ごすことになる。
「……無理です……私は夜行性なんです……」
「魔王だから? それとも吸血鬼だから?」
「いいえ……低血圧だからです……」
私の情けない告白に、セレスティアは呆れたようにため息をついた。
「言い訳しない! ほら、起きなさい!」
彼女のESTJ(幹部型)パワーが炸裂する。
問答無用で布団が剥ぎ取られた。
私はパジャマ姿で、冷たい空気に晒される。寒い。心細い。
「ひぃ……!」
「さあ、着替えて! 朝食の前に中庭をランニングするわよ!」
ランニング。
最も聞きたくない単語ベスト3に入る言葉だ。
私は膝を抱えて丸まった。
「……走りたくない……。走ると心臓がドキドキするから……」
「それが運動よ!」
「……お花に水をあげるだけじゃダメですか……?」
上目遣いで訴える。
しかし、セレスティアの鉄の意志は揺らがない。
「だめ。貴方のそのひ弱な体と精神を鍛え直さないと、またすぐに『お掃除』とか言って人を消しちゃうでしょ? 健全な肉体に健全な魂を宿らせるの!」
彼女は私の腕を掴み、無理やり立たせた。
力が強い。聖女って、物理ステータスも高いのか。
「リリス! 準備はいい?」
セレスティアが呼ぶと、ドアの外からメイド長のリリスが入ってきた。
彼女の手には、なぜか真っ白なジャージ(体操服)が握られている。
「はい、聖女様。魔王様専用のトレーニングウェアをご用意しました」
「リリス……裏切ったな……」
私は涙目でリリスを睨んだ。
リリスは涼しい顔で微笑んだ。
「いえいえ。魔王様が健康になられるのは、魔王軍にとっても喜ばしいことですので」
嘘だ。絶対に面白がってる。
私はジャージに着替えさせられた。
ダサい。芋虫みたいだ。
鏡に映る自分を見て、絶望する。こんな格好で部下たちの前を走るなんて、公開処刑だ。
「さあ、行くわよ!」
セレスティアが笛を吹いた。
ピーッ!!
私は彼女に背中を押され、廊下へと連れ出された。
廊下には、すでに朝の掃除をしているゴブリンやオークたちがいた。
彼らはジャージ姿の私を見て、ギョッとして動きを止めた。
「……ま、魔王様?」
「その格好は……?」
恥ずかしい。死にたい。
私は顔を伏せて通り過ぎようとした。
しかし、セレスティアが許さない。
「挨拶! 大きな声でおはようございます!」
「……えぇ……」
「ほら!」
背中を叩かれる。痛い。
私は蚊の鳴くような声で言った。
「……お、おはよ……」
すると、魔物たちが一斉にざわめいた。
「聞いたか!? 魔王様が、我ら下っ端に挨拶を!?」
「しかも、あの純白の戦闘服……。あれは、これから修羅の修行へ向かう装束に違いない!」
「なんというストイックさ! 俺たちも見習わねば!」
違う。
ただの朝のジョギングだ。
でも、彼らの目には、私が「更なる高みを目指す求道者」として映っているらしい。
「魔王様バンザイ! 修行バンザイ!」
「俺たちも走るぞーッ!」
廊下の掃除を放り出して、魔物たちが私の後ろについてき始めた。
ゴブリン、オーク、スケルトン。
数十匹の行列ができる。
「え、ちょっと……なんでついてくるの……」
私は困惑しながら、セレスティアに助けを求めた。
しかし彼女は満足げに頷いている。
「いい傾向ね。リーダーが手本を見せれば、組織全体が活性化するわ。さあヴォルクス、彼らを導きなさい!」
「導きたくない! 帰りたい!」
私の悲鳴は、彼らの「ワッショイ! ワッショイ!」という掛け声にかき消された。
中庭に出ると、そこには朝日が眩しく輝いていた。
私の地獄の一日が、幕を開けた。




