第2話:「踏みにじられた聖域と、冷徹なる拒絶」
侵入者は、影のように現れた。
砕け散った窓枠の隙間から、黒い装束を纏った男たちが、音もなく滑り込んでくる。
一人、二人、三人。
彼らは着地と同時に膝を深く曲げ、衝撃を殺したが、そのブーツの底は確実に、私の部屋の床を――そこに咲く可憐な花々を――踏みしだいていた。
くしゃ。バキッ。じゅわり。
茎が折れる音。花弁が千切れる音。植物の体液が滲み出る音。
それらの微細な破壊音が、私の脳髄を直接ヤスリで削るような不快音となって響き渡る。
「魔王ヴォルクス! 覚悟!」
「聖女様ごと始末しろとの指令だ! 悪く思うな!」
侵入者たちの声は、低く、機械的だった。
彼らはプロの暗殺者だ。迷いも、殺気さえも最小限に抑え、ただ任務を遂行するためだけに刃を向けてくる。
その手には、紫色の粘液が塗られた短剣が握られている。猛毒だ。
セレスティアが反応した。
彼女はESTJ(幹部型)らしく、即座に「迎撃」という最適解を選択し、行動に移る。
優雅に紅茶を飲んでいた姿勢から一転、バネ仕掛けのように立ち上がり、愛用の杖を構えた。
「――無礼者! ここをどこだと思っているのですか!」
彼女の碧眼が怒りに燃える。
秩序とルールを重んじる彼女にとって、土足での不法侵入は、殺人以前に許されざる「秩序への反逆」なのだ。
杖の先端に聖なる光が凝縮される。
だが、私は動かなかった。
悲鳴も上げなかった。
逃げ隠れもしなかった。
私の視線は、迫りくる刃には向いていなかった。
床の一点に釘付けになっていた。
そこには、踏み潰された「月の涙」の鉢植えがある。
毎朝、私がじょうろで水をやり、窓から差し込む日光の角度を計算して配置し、葉の一枚一枚についた埃を丁寧に拭き取って育ててきた、私の小さなお友達。
それが今、薄汚い革ブーツの底で、ただの無機物のようにすり潰されている。
――許せない。
INFPである私の内面で、今まで眠っていた感情が鎌首をもたげた。
それは「自分自身の価値観」や「好き嫌い」を何よりも優先する、純粋でワガママな拒絶だ。
普段は穏やかな「優しさ」として機能しているが、ひとたびその核心部分――私の聖域――を冒涜された時、それは世界そのものを拒絶する「狂気」へと反転する。
「……うるさい」
私がボソリと呟いた、その瞬間だった。
部屋の空気が、質量を持ったかのようにドロリと重くなった。
Sランクの魔力が、私の感情に呼応して変質する。
普段の「お花畑」を作るようなファンシーな魔力ではない。
それは絶対零度よりも冷たく、深海よりも重い、「断絶の壁」となって顕現した。
「えっ……?」
空中に跳躍していた暗殺者たちが、目を見開いた。
彼らの動きが止まる。
物理的に静止したのではない。彼らの周囲の空間そのものが、私の魔力によって「凝固」させられたのだ。
カチリ。
音が消えた。
風の音も、衣擦れの音も、呼吸音さえも。
私の部屋から、全ての「ノイズ」が消失した。
私はゆっくりと立ち上がった。
モコモコのガウンを羽織ったまま、無防備に歩き出す。
裸足の足裏が、カーペットの上の苔を踏む。ひんやりとした感触。
セレスティアが息を呑んで私を見上げている。
彼女の顔には、明確な恐怖が張り付いていた。
普段のオドオドした「気弱な青年」が消え、そこには無表情で、瞳の光が完全に消え失せた「理解不能な何か」が立っていたからだ。
私は、空中で固められた暗殺者のリーダーに近づいた。
彼は眼球だけをギョロギョロと動かし、必死にもがこうとしている。
だが、無駄だ。
ここはもう、物理法則が支配する世界ではない。私の「感情」だけが支配する世界なのだから。
「……汚い」
私は彼を見上げ、心底うんざりしたように吐き捨てた。
殺意はない。
ただ、掃除をしたいだけだ。
部屋の隅の埃を払うように。シンクのぬめりを洗い流すように。
私の視界にある「美しくないもの」を排除したいという、生理的な欲求だけがあった。
「私の部屋から出ていって。……二度と、視界に入らないで」
私は人差し指で、暗殺者の額をトン、と突いた。
その瞬間。
『虚数追放』。
空間が歪んだ。
暗殺者たちの存在が、まるで最初からそこになかったかのように、世界から切り取られた。
彼らは死んだわけではない。
「ここではないどこか」――音も光も時間もない、虚無の亜空間へと弾き飛ばされたのだ。
永遠に続く静寂の牢獄へ。
シュンッ。
三人の暗殺者は、断末魔すら上げることなく消滅した。
残されたのは、踏み荒らされた床の泥と、折れた花だけ。




