第3話:「現実侵食と、コタツという名の最終兵器」
【教母視点】
意識が現実世界へと引き戻された瞬間、私は激しい目眩に襲われた。
膝が崩れ、冷たい床に手をつく。
杖がカラン、と乾いた音を立てて転がった。
「……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を繰り返す。
精神干渉の反動だ。術者が対象の精神世界から強制的に弾き出された場合、その負荷は精神的ダメージとなって跳ね返ってくる。
頭が割れるように痛い。
だが、それ以上に痛いのはプライドだ。
この私が、あんな「出来損ない」の精神世界に敗北したという事実。
「……起きたか、ヴォルクス」
私が顔を上げると、結界の中で膝をついていた魔王ヴォルクスが、ゆっくりと目を開けていた。
その瞳には、先ほどまでの怯えや迷いはなかった。
あるのは、静かで、どこか達観したような光。
「……おはよう、お婆ちゃん」
彼は立ち上がり、服についた埃を払った。
その動作は自然体で、この危機的状況に似つかわしくないほどリラックスしていた。
「……貴様。何をした?」
「何もしてないよ。ただ、夢の中でみんなに会っただけ」
ヴォルクスは、檻の外にいる仲間たち――アルバン、セレスティア、イグニス――を見回して微笑んだ。
「ありがとう。夢の中まで助けに来てくれて」
「夢? 何の話だ?」
アルバンが首を傾げる。
当然だ。彼らは現実世界で戦っていたのであって、ヴォルクスの精神世界に入った自覚はない。
あれはヴォルクスの中で育った「彼らの記憶」が、自我を持って動き出した結果なのだ。
それほどまでに、彼の影響力は周囲を侵食している。
「……認めん」
私は杖を拾い上げ、立ち上がった。
ここで引くわけにはいかない。私は世界の管理者だ。バグを放置すれば、システム全体が崩壊する。
「精神攻撃が通じぬなら、物理的に矯正するまでだ。……総員、攻撃開始」
私が命じると、広間の壁際に整列していた量産型兵士たちが一斉に動き出した。
総数五百。
全員が魔導ライフルを構え、無表情で標的に照準を合わせる。
感情を持たない兵士に、躊躇はない。
「チッ、数が多いな!」
アルバンが剣を構える。セレスティアが防御結界を展開する。
しかし、多勢に無勢だ。この狭い空間で一斉射撃を受ければ、いくら彼らでも無傷では済まない。
「消えなさい、エラーデータども」
私が杖を振り下ろした、その時だった。
「……『ワールド・リフォーム』」
ヴォルクスが小さく呟いた。
ボフンッ……!!
可愛らしい音が響き、視界がピンク色の煙に包まれた。
銃声は聞こえない。
代わりに聞こえてきたのは、「フニャア……」という気の抜けた声だった。
「な、何が……?」
煙が晴れると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
無機質な広間は消え失せていた。
床はフカフカの絨毯に変わり、壁紙はパステルカラーの花柄に。
そして、五百人のクローン兵士たちは、全員が「コタツ」に入っていた。
「……は?」
私は我が目を疑った。
兵士たちの手から銃が消え、代わりにミカンが握られている。
彼らの無表情だった顔が、コタツの魔力(遠赤外線)によってトロトロに溶け、至福の表情を浮かべている。
『……あったかい……』
『……もう働きたくない……』
『……ミカンうまい……』
戦意喪失。
いや、戦意という概念そのものが「ぬくもり」によって上書きされたのだ。
「貴様……! 私の兵士たちに何を……!?」
「リフォームしたんだ」
ヴォルクスは、自分専用の巨大なビーズクッションに寝転がりながら言った。
「この部屋、寒々しくて殺風景だったから。……もっとリラックスできる空間に書き換えた」
現実改変能力。
INFPの妄想力が、Sランクの魔力と融合し、物理法則を無視して「自分の都合のいい空間」を作り出したのだ。
これは魔法ではない。「領域展開」に近い。
「ふざけるな! ここは神聖なる修道院だぞ! 怠惰の温床にするな!」
私は激昂し、自分自身の魔力を解放しようとした。
しかし、身体が重い。
足元を見ると、私の足も「コタツ」に吸い込まれていた。
「なっ……!?」
「お婆ちゃんも、疲れてるでしょ?」
ヴォルクスが優しく言った。
「眉間にシワ寄せて、世界の管理なんてしてたら、肩凝るよ。……たまには休みなよ」
コタツの中は、恐ろしいほどに温かかった。
数千年の緊張が、強制的に解されていく。
膝の力が抜ける。
まぶたが重くなる。
「くっ……これ、は……精神汚染……!」
私は必死に抵抗した。
だが、隣を見ると、アルバンもセレスティアも、すでにコタツの虜になっていた。
「うむ! 筋肉の超回復には温熱療法が一番だ!」
「……悔しいけど、この魔道具の性能は認めざるを得ないわ……」
イグニスに至っては、部屋の隅に湧いた温泉に浸かっている。
世界が、堕落していく。
私の守ってきた秩序が、ミカンの皮と古新聞に埋もれていく。
「……お前は、世界をこんな風にするつもりか」
私はコタツに下半身を支配されながら、ヴォルクスを睨んだ。
「誰もが怠け、努力を忘れ、ただ快楽に溺れる……そんな世界を?」
「違うよ」
ヴォルクスは首を振った。
「ずっと怠けてたら飽きるよ。……でも、頑張るためには、帰ってこれる場所が必要なんだ」
彼は本を読み始めた。
「僕は、世界を『安心して引きこもれる場所』にしたいだけ。……外で傷ついた人が、いつでも逃げ込んでこれるシェルターに」
シェルター。
逃げ場。
それが、彼の提示する「魔王の統治」の形なのか。
支配でも、破壊でもなく、「保護」。
「……甘いな」
私は呟いた。
だが、その声には以前ほどの鋭さはなかった。
コタツの熱が、私の冷え切った心臓まで届き始めていたからだ。
「……少しだけ……眠らせてもらおうか」
私はテーブルに突っ伏した。
負けたのだ。
論理でも、力でもなく、「心地よさ」という最強の武器に。
意識が途切れる直前、ヴォルクスが私の肩に毛布を掛けてくれる気配がした。
……バカな子だ。敵に情けをかけるなんて。
でも、その温かさは、悪くなかった。




