第6章:引きこもり魔王の決死圏外遠征
魔王城に、再び穏やかな(そして堕落した)日々が戻ってきてから一週間が経過した。
兄ゼノンの来襲という未曾有の危機を、私たちは「カオスと非効率」という独自の武器で撃退した。
城内では、また以前のようにゴブリンたちが昼寝をし、スケルトンが自身の肋骨を木琴代わりにして遊ぶという、平和で生産性のない光景が広がっている。
私も自室の長椅子で、イグニス(窓の外)と共に二度寝、三度寝を繰り返す至福の時間を満喫していた。
――はずだった。
「……ない」
私は冷蔵庫の前で愕然としていた。
庫内が空っぽなのだ。
私の生命線である『濃厚リッチ・プリン』も、『朝摘みイチゴのレアチーズ』も、そして何より『王都限定・極上コーヒー牛乳』も、すべて消え失せている。
「リリス! リリスーッ!」
私は悲鳴に近い声でメイド長を呼んだ。
即座にドアが開き、リリス(ENTP)が入ってくる。しかし、いつもの余裕ある微笑みはない。彼女の表情は険しかった。
「魔王様、お呼びでしょうか」
「補充! 補充がされてないよ! 私の糖分が枯渇してる! これじゃあ光合成できない植物みたいに萎れちゃうよ!」
私が訴えると、リリスは重々しく首を横に振った。
「申し訳ありません、魔王様。……補充したくても、できないのです」
「えっ? どういうこと?」
リリスは懐から一枚の地図を取り出し、テーブルに広げた。
魔王領と人間領の境界線付近に、いくつもの赤い×印が付けられている。
「現在、魔王城への主要な物流ルートがすべて遮断されています。人間の商人たちも、魔族の行商も、何者かの襲撃を受けて足止めを食らっているのです」
「な、何者かって……」
「『黒の教団』です」
リリスが断言した。
あの集団か。兄さんの元部下たちであり、世界の均衡を管理しようとするお節介な連中。
「彼らは、ゼノン様が去った後も活動を続けています。……いえ、むしろ過激化しています。『魔王と聖女の馴れ合いを物理的に断つには、兵糧攻めが有効である』という結論に至ったようです」
「卑怯な……!」
私は拳を震わせた。
直接戦いを挑んでくるならまだしも(いや、それも嫌だけど)、私の楽しみである「おやつ」を人質に取るとは。
INFPの逆鱗に触れる行為だ。
そこへ、聖女セレスティア(ESTJ)も入ってきた。彼女もまた、不機嫌そうな顔をしている。
「紅茶よ。……私の『ロイヤル・アッサム』も届かないのよ。これじゃあ優雅なティータイムも開催できないわ」
「セレスティアさんも被害者なんだね……」
「ええ。これは由々しき事態よ。物流の停滞は経済の死、そして文化の死よ」
彼女は腕組みをして、私をじっと見た。
「ヴォルクス。……行くわよ」
「え? どこへ?」
「決まってるじゃない。教団の本拠地よ。直接乗り込んで、物流封鎖を解除させるの」
ヒィッ!
私は飛び上がった。
本拠地? 外?
無理無理無理!
「いやだよ! 私は引きこもりだよ!? 城から一歩でも出たら、太陽光線で溶けちゃうよ!」
「吸血鬼じゃないんだから溶けないわよ! それに、このまま指をくわえて干からびるのを待つ気?」
セレスティアが私に詰め寄る。
究極の選択だ。
「外に出る恐怖」か、「おやつのない絶望」か。
天秤にかけるまでもない。どちらも地獄だ。
「……でも、外は怖いし……知らない人いっぱいいるし……トイレとか汚かったらどうしよう……」
私がウジウジと言い訳を並べていると、窓の外からイグニスが顔を覗かせた。
『ヴォルクス様……。私も同行します』
イグニスの決意に満ちたテレパシー。
『私も……通販で頼んだ『鱗磨きクリーム』が届かなくて困っているんです。……それに、ヴォルクス様と一緒なら、外の世界も怖くない気がします』
イグニス……。
君も被害者だったのか。そして、私を励ましてくれているのか。
私は長椅子のクッションを抱きしめ、五分ほど沈黙した。
脳内でシミュレーションを行う。
外出のリスク。対人ストレス。移動の疲労。
それに対するリターン。プリン。チーズケーキ。コーヒー牛乳。
「……わかった」
私は顔を上げた。
食欲(とイグニスへの友情)が、恐怖をわずかに上回った。
「行くよ。……ただし!」
私は条件を提示した。
「快適な移動手段を用意して! 揺れない、臭くない、ふかふかの乗り物じゃなきゃ嫌だ! あと、移動中も読書できる環境を整えて!」
私のワガママに、リリスがニヤリと笑った。
「お任せください。ゼノン様が置いていかれた資材の中に、面白い『移動要塞』の設計図がありました。私のENTP的アレンジを加えて、魔王様にふさわしい乗り物を建造しましょう」
「……嫌な予感しかしないけど、信じるよ」
こうして、史上稀に見る「引きこもり魔王の外出プロジェクト」が始動した。
目的地は、遥か北方の山岳地帯にあるとされる教団の本拠地『沈黙の修道院』。
距離にして五百キロ。
私にとっては、銀河の果てに行くような大冒険だ。
翌朝。
城の中庭に、リリスが徹夜で作り上げた「それ」が鎮座していた。
「……なにこれ」
私は絶句した。
それは馬車ではない。
巨大なスライムのような、半透明のドーム状の物体。
内部には私の部屋が(家具の配置まで完璧に)再現されており、底部には無数の多脚戦車のような脚が生えている。
「名付けて『全天候型引きこもり移動ポッド・改』です!」
リリスが胸を張る。
「内部は完全防音、空調完備。外の景色を見たくない時は、ドームを不透明にすることも可能です。動力はイグニス様の牽引と、内部の魔力炉。これなら、家にいる感覚のまま世界中どこへでも行けます!」
天才か。
あるいは変態か。
でも、これなら……行けるかもしれない。
「……乗る」
私は決意を固め、ポッドへと足を運んだ。
セレスティアは「なにこれ……気持ち悪い……」と引き気味だが、しぶしぶ同乗してくれるようだ。
ギギギ……と多脚が動き出す。
私の初めての(数百年ぶりの)外出が、こうして幕を開けた。
目指すは「おやつの奪還」。
動機は不純だが、私たちの結束は固い。……たぶん。




