第5話:「カオスの逆襲と、敗北するロジック」
正午。
運命の時が来た。
作戦司令室には、ゼノンを中心とした冷徹な空気が張り詰めていた。
中央の巨大な水晶モニターには、東の「妖精の森」が映し出されている。
森の上空には、ゼノンの命令を受けた爆撃部隊(ワイバーン騎兵と自律爆撃機)が展開し、投下の合図を待っていた。
「時間だ」
ゼノンが腕時計(魔導計)を一瞥し、短く告げた。
彼は私の方を見ずに、冷淡に命令を下す。
「ヴォルクス。お前が合図を出せ。……自分の甘さを断ち切るための儀式だ」
彼は私に「発射ボタン」を押し付けようとしている。
かつての私なら、震えて泣き出し、言われるがままに従っていたかもしれない。
だが、今の私は違う。
昨夜のマシュマロの味と、仲間の体温を覚えているからだ。
「……嫌だ」
私ははっきりと言った。
ゼノンが眉をひそめ、ゆっくりとこちらを向く。
「……何と言った?」
「嫌だと言ったんだ。森は焼かない。……ユニコーンも、妖精も、一匹たりとも殺させない」
私の言葉に、室内の空気が凍りついた。
ゼノンの目がすぅっと細められる。
「ほう。……愚弟の分際で、私に逆らうか。……恐怖による支配が足りなかったようだな」
ゼノンが指を鳴らした。
その瞬間、部屋の四隅から警備用ゴーレムが現れ、私を取り囲んだ。
「排除しろ。合図は私が直接出す」
ゼノンがモニターに向き直る。
ゴーレムの金属の腕が私に振り下ろされる――その直前。
「今だ! リリス!」
私が叫ぶと同時に、部屋の照明が一斉に点滅し、極彩色のディスコライトに変わった。
ズン、チャッ! ズン、チャッ!
スピーカーから大音量のダンスミュージックが流れ出す。
リリスが仕込んだ「魔王城パリピ化ウイルス」の発動だ。
「なっ!?」
ゼノンが驚愕する隙に、私を取り囲んでいたゴーレムたちが、突然リズムに乗り始めた。
振り下ろされようとしていた腕が、軽快なボックスステップへと変化する。
「な、なんだこの非効率な動きはァッ!?」
ゼノンが叫ぶ。
ゴーレムだけではない。モニターに映る爆撃機たちも、空中でアクロバット飛行を始め、ハートマークのスモークを描き始めた。
「リリス! 貴様の仕業か!」
「ええ、その通りですわゼノン様」
リリスがDJブース(いつの間に設置したんだ)からウィンクを送る。
「貴方のプログラムは完璧すぎました。遊び(バッファ)がないから、外部からの『楽しいノイズ』に脆弱なんですよ!」
「おのれ……!」
ゼノンが魔力を練り上げ、リリスを攻撃しようとする。
しかし、その前に純白の影が割り込んだ。
セレスティアだ。
「労働基準法違反よ! ゼノン!」
彼女は六法全書(のような分厚い聖典)を叩きつけながら叫んだ。
「貴方の統治下における兵士たちの残業時間は月二百時間を超えているわ! 適切な休息のない労働は生産性を下げる! よって、聖女権限で全軍に『強制有給休暇』を付与します!」
セレスティアが杖を掲げると、聖なる光が城全体を包み込んだ。
『あー、なんかダルいなー』
『今日はもう帰って寝ようぜー』
城内の兵士たちの戦意が、急速に「定時退社モード」へと書き換えられていく。
洗脳ではない。彼らが抑圧していた「サボりたい欲求」を、聖なる力で全肯定したのだ。
「バカな……! 私の完璧な統率が……怠惰ごときに……!?」
ゼノンがよろめく。
彼のENTJとしてのアイデンティティ(効率と統制)が、根底から揺さぶられている。
「まだだ……! 私自身の手で粛清してやる!」
ゼノンが激昂し、私に向かって手をかざした。
圧倒的な魔力が収束する。
直撃すれば、私など跡形もなく消し飛ぶだろう。
だが、私は逃げなかった。
窓の外を見た。
「イグニス! お願い!」
ガシャーン!!
窓ガラスを突き破り、イグニスの巨大な頭部が突入してきた。
彼は口を大きく開け、ゼノンに向かってブレスを放つ。
しかし、それは灼熱の炎ではない。
ボフッ。
吐き出されたのは、大量のピンク色の泡だった。
石鹸の香りがする、フワフワの泡。
イグニス特製「バブルバス・ブレス」だ。
「な、なんだこれは……!?」
ゼノンが泡に埋もれる。
攻撃魔法を撃とうにも、視界が遮られ、さらに泡のヌルヌルで足元がおぼつかない。
『お風呂に入って……リラックスしてください……!』
イグニスの切実な願いが込められた泡攻撃。
ゼノンの黒い軍服が、メルヘンな泡まみれになっていく。威厳崩壊だ。
「くっ……お前たち……ふざけるな……!」
泡の中から這い出そうとするゼノン。
私は彼に歩み寄った。
怖かった。足はまだ震えている。
でも、言わなきゃいけない。
「兄さん。……兄さんは正しいよ」
私は言った。
「兄さんは強くて、賢くて、完璧だ。……でも、完璧な世界なんて、息が詰まるだけだよ」
私は自分の胸を叩いた。
「無駄なこと、意味のないこと、非効率なこと。……それがあるから、私たちは生きていけるんだ。ロボットじゃないんだから」
「……黙れ……弱者の論理だ……」
「弱者でいいよ。……私は、弱いままで、みんなとダラダラ生きていきたいんだ!」
私が叫ぶと同時に、部屋中に『フラワー・ガーデン』が発動した。
コンクリートの床から、机の上から、ゼノンの頭の上から、色とりどりの花が一斉に咲き乱れる。
作戦司令室は、一瞬にしてお花畑へと変わった。
花の香りと、石鹸の香り、そしてディスコミュージック。
カオスの極みだ。
ゼノンは頭に咲いたヒマワリをむしり取ろうとして、力が抜けたように膝をついた。
「……計算不能だ……」
彼は呟いた。
「なぜ……これほど非効率な集団が……私を上回る……?」
彼のロジックが、私たちの「想いの強さ(という名のワガママ)」に敗北した瞬間だった。
◇
数時間後。
ゼノンは城を去った。
『頭を冷やしてくる。……そして、お前たちの非合理性の謎を解明するまでは戻らん』
そう言い残して。
負け惜しみにも聞こえたが、その背中は少しだけ小さく見えた。
魔王城には、再び平和で堕落した日常が戻ってきた。
廊下にはまたゴミが落ち始め、兵士たちは無駄口を叩き、イグニスは温泉で鼻歌を歌っている。
「……ふぅ」
私は自室(取り戻した!)の長椅子に寝転がり、読みかけの小説を開いた。
隣ではセレスティアが「また掃除しなきゃ……」と文句を言いながら紅茶を飲んでいる。
「ねえ、セレスティアさん」
「なによ」
「……やっぱり、この世界が一番好きだよ」
彼女は呆れたように笑った。
「そうね。……私も、たまにはこんな『無駄な時間』も悪くないと思い始めてるわ」
INFPの魔王と、ESTJの聖女。
相容れないはずの二人の距離は、この騒動を通じて、ほんの数センチだけ縮まったようだった。
しかし、物語はまだ終わらない。
ゼノンが去り際に残した『教団の本拠地』に関する情報。
それが私たちを、新たな冒険(という名の面倒事)へと誘うことになるのだから。




