第2話:「絶対的なカリスマと、INFPのトラウマ回想録」
その男が城門をくぐった瞬間、世界の色が変わったようだった。
私の兄、ゼノン。
かつて魔王継承権第一位に君臨し、その圧倒的な統率力と冷徹な判断力で「次期魔王」の座を確実視されていた男。
しかし、戴冠式の当日に謎の失踪を遂げ、棚ぼた式に私が魔王になってしまった――という経緯がある。
彼が石畳を踏みしめるたびに、カツッ、カツッ、という音が重く響く。
それは単なる足音ではない。周囲の空間そのものを制圧し、「私がここにいる」という事実を世界に刻み込むような音だ。
彼が纏う黒い軍服は、塵ひとつついておらず、完璧にプレスされている。背中に流れる深紅のマントは、無風状態であるはずの回廊で、まるで彼自身の覇気に煽られるかのように雄々しく翻っていた。
「……あ、あ、あ……」
私はテラスの手すりにしがみついたまま、酸欠になった金魚のように口をパクパクさせていた。
脳内で警報が鳴り響いている。
逃げろ。隠れろ。布団に潜れ。
本能がそう叫んでいるのに、身体が金縛りにあったように動かない。
これは「恐怖」ではない。「畏縮」だ。
幼少期から刷り込まれた、絶対的な上位者に対する条件反射。
**ENTJ(指揮官型)**。
生まれついてのリーダー。他者を動かすことを呼吸するように行い、非効率と無能を何よりも嫌う種族。
INFPである私にとって、彼は捕食者そのものなのだ。
「魔王様! あれは何者ですか!?」
ガインが血相を変えて飛び出してきた。
彼はゼノンの前に立ち塞がり、大斧を構える。
「止まれ! ここは魔王ヴォルクス様の居城である! 貴様のような不審者が足を踏み入れていい場所では……!」
「――退け」
ゼノンは歩調を緩めず、ただ一言、短く告げた。
視線すらガインに向けていない。まるで道端の石ころに声をかけるような、無関心で冷淡な響き。
その瞬間、ガインの巨体が弾け飛んだ。
魔法ではない。物理的な攻撃でもない。
ただ、ゼノンから放たれた「圧倒的な威圧感」に、ガインの生存本能が悲鳴を上げ、無意識に身体を後ろへ弾き飛ばしたのだ。
ガインは壁に激突し、白目を剥いて崩れ落ちた。
「……弱い」
ゼノンは吐き捨てた。
そして、テラスにいる私を見上げ、口の端を吊り上げた。
「相変わらず、質の低い部下を飼っているな。ヴォルクス。……教育が行き届いていない証拠だ」
ヒィッ!
その視線が物理的に痛い。
私の胃の中で、ストレス性の胃潰瘍がリアルタイムで生成されていくのがわかる。
「……お、お久しぶりです……兄さん……」
私は震える声で挨拶した。
精一杯の愛想笑いを浮かべるが、頬が引きつってうまく笑えない。
ゼノンはふん、と鼻を鳴らし、そのまま城内へと入ってきた。
リリスが仕掛けた「スライム噴射トラップ」や「落とし穴」が次々と作動するが、彼は指先一つ動かさずにそれらを無効化していく。
飛んでくるスライムは空中で蒸発し、落とし穴は彼が踏む瞬間に不可視の床で塞がれる。
魔法の理屈がわからない。
ただ、「彼が歩く場所は平らでなければならない」という彼の意志が、物理法則を捻じ曲げているようにさえ見えた。
数分後。
謁見の間。
私がいつも座らされている(座り心地の悪い)玉座の前に、ゼノンが立っていた。
私は玉座に座ることもできず、その横で直立不動の姿勢をとっていた。まるで先生に怒られるのを待つ小学生のように。
部屋には、セレスティア、リリス、そして窓の外から顔を覗かせるイグニスがいる。
全員が緊張していた。
この男の異質さを肌で感じ取っているのだ。
「……さて」
ゼノンは玉座の肘掛けを指でなぞった。
カタリ、と音がする。
彼は眉をひそめた。
「メンテナンス不足だ。接合部に〇・五ミリのズレがある。……お前は昔からそうだ。詰めが甘い。自分の座る椅子一つ、完璧に管理できないのか?」
いきなりのダメ出し。
私の心臓がキュッとなる。
ああ、これだ。この感覚だ。
子供の頃、私が一生懸命作った積み木のお城を、彼は「構造的に脆弱だ」と言って指一本で崩した。
私が書いた詩を、「韻律がなっていないし、生産性がない」と添削した。
彼の言葉は常に「正しい」。論理的で、反論の余地がない。だからこそ、逃げ場がない。
「……ごめんなさい……」
私は反射的に謝った。
条件反射だ。彼を前にすると、私は思考停止して謝罪マシーンになってしまう。
「謝罪は不要だ。改善案を示せ」
ゼノンは冷たく言い放ち、私を無視してセレスティアの方を向いた。
「ほう。……人間か。しかも聖職者」
彼はセレスティアを値踏みするように上から下まで眺めた。
セレスティアは一歩も引かず、毅然と彼を見返した。
彼女もまた**ESTJ(幹部型)**。
「支配者」対「管理者」。似た者同士の、火花散る視線の交錯。
「私は聖女セレスティア。現在は魔王ヴォルクスの……監視役を務めています」
「監視役? ふん、笑わせる。この腑抜けに監視など必要か? 放っておいても部屋の隅で腐っていくだけだろう」
ゼノンの言葉に、セレスティアの眉がピクリと跳ねた。
「言葉を慎みなさい。彼は腐ってなどいません。……少し発酵が進みすぎて、扱いが難しいだけよ」
擁護……してくれているのか? 微妙な言い回しだけど。
「それに、不法侵入者はお引き取り願いたいわ。ここは現在、私の管理下にあるの」
「管理下? 勘違いするな小娘」
ゼノンが一歩、セレスティアに近づいた。
その威圧感に、空気が軋む。
「ここは魔王城だ。魔王の血族である私にとって、庭のようなもの。……そして、弟の不始末を清算しに来た私には、正当な介入権がある」
「不始末……?」
私が恐る恐る尋ねると、ゼノンは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、私に投げつけた。
ヒラヒラと舞い落ちる紙。
それを拾い上げると、そこには見覚えのある紋章が描かれていた。
『黒の教団』の紋章だ。
「お前が先日、温泉で消し飛ばした暗殺者たち。……あれは、私が派遣した『監査部隊』だ」
「……えっ?」
私の時が止まった。
監査部隊?
暗殺者じゃなくて?
「私は失踪していた間、裏社会で組織を作り上げていた。世界の均衡を保つための、影の組織をな。……お前の統治があまりに杜撰だという報告を受け、調査員を送ったのだが……」
ゼノンの目が据わった。
「まさか、問答無用で『虚数空間』へ放逐するとはな。……おかげで優秀な部下を三人失った。回収にどれだけの手間がかかったと思っている?」
……あ。
やっちゃった。
あの暗殺者たち、兄さんの部下だったんだ。
しかも「殺しに来た」んじゃなくて「ダメ出しに来た」だけだったのか。
早とちりして消しちゃった。
「……あの、えっと……てへ?」
「『てへ』ではない!」
ドォォォォン!!
ゼノンの怒号と共に、玉座の間のガラス窓がすべて割れた。
イグニスが「ひぃっ!」と悲鳴を上げて顔を引っ込める。
「ヴォルクス。お前のその、感情任せで後先考えない行動(Fiの暴走)。それを矯正するために、私が戻ってきた」
ゼノンは宣言した。
それは私にとって、死刑宣告よりも恐ろしい言葉だった。
「今日から私が、この城の実権を握る。お前は玉座を降りろ。……私の『副官』として、一から帝王学を叩き込んでやる」
魔王城乗っ取り宣言。
セレスティアの「管理生活」ですら地獄だったのに、兄さんの「スパルタ帝王学」なんて始まったら、私は間違いなく死ぬ。ストレスで溶けてなくなる。
私は助けを求めてセレスティアとリリスを見た。
しかし、彼女たちも表情を硬くしていた。
ゼノンの放つ「正論」と「力」の前に、反論の糸口を見出せずにいるのだ。
かくして、魔王城に新たな支配者が君臨した。
私の「引きこもりライフ」は、ここに来て「社畜ライフ」へと変貌を遂げようとしていた。




