第3話:「裸の魔王と、沸騰する怒りの湯」
温泉の水面が、ボコボコと泡立っていた。
それはイグニスの熱源によるものではない。
私の身体から溢れ出す魔力が、周囲の水を瞬時に沸点まで到達させているのだ。
「……きゃあっ! 来ないで!」
壁(ドラゴンの尻尾)の向こう側から、セレスティアの切羽詰まった声が聞こえる。
武器を持たない全裸の女性に、武器を持った男たちが群がる。
最低だ。
美学のかけらもない。
私の最も嫌悪する「品性の欠落した暴力」が、すぐそこで行われようとしている。
「へへへ、聖女様といえど、杖がなければただの女よなァ!」
「その白い肌、泥で汚してやるぜ!」
男たちの下卑た笑い声が、朝の清浄な空気を汚染していく。
私はゆっくりと立ち上がった。
お湯が肌を滑り落ちる。
本来なら恥ずかしい状況だ。だが今の私には、羞恥心など微塵もなかった。あるのは、冷え切った殺意だけ。
「……おい」
私はイグニスの尻尾を乗り越え、壁の向こう側へと足を踏み入れた。
ザバンッ!
激しい水音が響き、男たちが一斉に振り返る。
「ああん? なんだテメェは……って、魔王ヴォルクスか!」
「ハッ! 全裸で出てくるとは、命乞いでもしに来たか?」
男たちは私を見て嘲笑した。
確かに、武器も持たず、服も着ていない私は滑稽に見えるかもしれない。
だが、彼らは気づいていない。
私の周りの空気が、歪んで見えていることに。
私はセレスティアを見た。
彼女は肩までお湯に浸かり、身を縮こまらせて震えていた。その瞳には涙が溜まっている。
彼女の視線の先には、男たちに踏み荒らされた「お風呂セット」の残骸があった。
シャンプーボトルが割られ、中身がぶち撒けられている。
「……あ」
私の中で、スイッチがカチリと入った。
「お前ら……セレスティアさんのシャンプー、限定品の『ホワイトリリーの香り』だったんだぞ」
私は静かに言った。
「え?」
「何を言って……」
「取り寄せに二ヶ月待ちの商品だ。それを……よくも無駄にしてくれたな」
私の声に呼応して、周囲の湯気が黒く変色し始めた。
INFPの価値観において、「限定品」や「思い入れのある品」への冒涜は、万死に値する大罪だ。
「……消えろ」
私は右手を掲げた。
詠唱などいらない。イメージするだけでいい。
この空間にある「異物」を、強制的に排除するイメージ。
**『強制退去』**。
ドォォォォン!!
温泉のお湯が一斉に爆発したかのように吹き上がった。
しかし、それは熱湯ではない。高密度の魔力の津波だ。
黒い波が男たちを飲み込む。
「な、なんだこれはァァッ!?」
「魔力が……身体が分解されるぅぅぅ!?」
男たちの悲鳴は一瞬でかき消された。
彼らの身体は、黒い渦の中に飲み込まれ、物理的な実体を失い、光の粒子となって空の彼方へと弾き飛ばされていった。
文字通り、この場から「退場」させられたのだ。
ザザァァァ……。
波が引いていく。
後に残ったのは、静まり返った温泉と、呆然とするセレスティア、そして拘束が解けてぐったりしているイグニスだけ。
私はふぅ、と息を吐き、自分の股間を手桶で隠した。
急に冷静になって、恥ずかしさが戻ってきたからだ。
「……大丈夫? セレスティアさん」
私が声をかけると、彼女は真っ赤な顔で私を見上げた。
そして、震える指で私を指差した。
「……バ、バカァァァッ!!」
「えっ!?」
「全裸で! 仁王立ちで! 魔法ぶっ放すなんて! デリカシーがないにも程があるわよッ!!」
バシャーン!!
彼女はお湯を私に浴びせかけた。
「酷い! 助けてあげたのに!」
「見ないで! 向こう行って! 早く服着て!」
セレスティアは大パニックだ。
まあ、当然か。聖女様の目の前でフルチン(魔王)が暴れまわったのだから。
私はすごすごと壁(イグニスの尻尾)の向こう側へ戻った。
イグニスが申し訳なさそうに私を見る。
『……ヴォルクス様……お見苦しいところを……』
「いいよ、イグニス。君が無事でよかった」
私はイグニスの鼻先を撫でてやった。
それにしても、「黒の教団」か。
彼らの言っていた「シナリオ」という言葉。
私の胸の中に、小さな棘のような不安が残った。
ただの引きこもり生活を脅かす、もっと大きな何かが動いている気がする。
でも、今はとりあえず。
お風呂上がりのコーヒー牛乳のことだけを考えよう。




