第4章:温泉と友情の湯けむり会議
魔王城の中庭には、かつてないほど穏やかな空気が流れていた。
早朝五時三十分。
私は、聖女セレスティアに叩き起こされるよりも早く、自らの意志で目を覚ましていた。
奇跡ではない。明確な目的があるからだ。
「……おはよう、イグニス」
私がパジャマ姿で中庭に出ると、巨大な深紅の影が動いた。
古の炎竜イグニスだ。
彼は(性別は不明だが、便宜上『彼』と呼ぶ)中庭の噴水に巨体を沈め、気持ちよさそうに鼻息を漏らしている。
『おはようございます、ヴォルクス様』
イグニスがテレパシーで応える。
彼が少し身じろぎすると、噴水の水面が波立ち、湯気が立ち上る。
そう、ここは今や「天然(ドラゴン加熱式)温泉」となっているのだ。
『今朝の湯加減はいかがいたしますか? 昨夜は少しぬるめがご希望でしたが』
イグニスはISFJ(擁護者型・慎重)だ。
献身的で、思いやりがあり、相手の細かい要望を察して尽くすことに喜びを感じるタイプ。
ドラゴンという最強種族でありながら、中身は「世話焼きのお母さん」に近い。
「うん……今日はちょっと熱めでお願い」
『かしこまりました。摂氏四十二度設定で加熱いたします』
ボォォォォ……。
イグニスが水中に顔を沈め、微量の炎を吐き出す。
コポコポと泡が立ち、水温が絶妙に調整されていく。
完璧だ。全自動給湯システムよりも優秀だ。
私はガウンを脱ぎ捨て、タオル一枚になって温泉に入った。
チャポン。
温かいお湯が、寝起きの身体を包み込む。
「はぁぁぁ……極楽……」
私は思わず声を漏らした。
イグニスの横っ腹(鱗が温かくて岩盤浴みたいだ)に寄りかかり、空を見上げる。
まだ空には星が残っている。
『……ヴォルクス様、お背中流しましょうか?』
イグニスが気を遣って聞いてくる。
「ううん、大丈夫。イグニスもゆっくりしてて」
『はい……。でも、何かあればすぐ仰ってくださいね。タオルをお持ちするとか、冷たい牛乳をご用意するとか……』
甲斐甲斐しい。
彼は自分の巨体が迷惑にならないよう、常に縮こまって気配を消そうとしている。
最強のドラゴンなのに。
「イグニス、そんなに気を遣わなくていいんだよ。私たちは友達なんだから」
『と、友達……!』
イグニスが感極まって、鼻から蒸気を噴き出した。
プシューッ!
熱い。熱湯がかかった。
「あつっ!」
『も、申し訳ありません! つ、つい嬉しくて……!』
イグニスが慌てて前足で私を扇ごうとするが、その風圧で私が飛びそうになる。
ドタバタしていると、中庭の入り口から冷ややかな声が飛んできた。
「……朝から何やってるのよ」
ジャージ姿のセレスティアだ。
彼女は腰に手を当て、呆れたように私たちを見下ろしている。
「あら、奇遇ね。私も早起きしたのよ。……ランニングの前に、ひとっ風呂浴びようかと思って」
彼女の手には、お風呂セット(シャンプー、リンス、ボディタオル)が完璧に準備されている。
ちゃっかりしてる。
彼女もこの「ドラゴン温泉」の虜になっているのだ。
「いいよ。一緒に入ろう」
「混浴!? バカ言わないで!」
セレスティアが顔を赤くして怒鳴る。
「リリスに仕切りを作らせてあるわ。イグニス、尻尾で真ん中を区切ってちょうだい」
『は、はい! 仰せのままに!』
イグニスが太い尻尾を浴槽(噴水)の中央に沈め、即席の壁を作った。
セレスティアは「ふん」と鼻を鳴らし、向こう側に入浴した。
チャポン。
「……ふぅ。……悪くないわね」
壁の向こうから、彼女の安堵した声が聞こえる。
こうして、魔王と聖女とドラゴンによる、奇妙な朝の入浴タイムが始まった。
平和だ。
このまま時間が止まればいいのに。
しかし、私のINFPセンサー(不吉な予感を感じ取る能力)が、微かに警鐘を鳴らしていた。
この平穏は、嵐の前の静けさではないかと。
その予感は的中する。
数時間後、この温泉に「招かれざる客」が現れることになるのだ。




