第3話:「栄養素の攻防戦と、策士たちのテーブル」
ランニングの後、私たちは食堂へと移動した。
ヴォルクスは、すでに抜け殻のようになっていた。
椅子の上でダラリと四肢を投げ出し、魂が口から抜け出かけている。
基礎体力が低すぎる。たかだか中庭を三周しただけでこれだ。
やはり、継続的なトレーニングが必要ね。
私は涼しい顔で席に着き、ナプキンを膝に広げた。
さて、ここからが本番だ。
食事管理。
彼の身体は、糖質過多でボロボロだ(見た目は痩せているが、中身は不健康そのもの)。
「リリス。例のメニューを」
私が合図を送ると、リリスが恭しく進み出た。
「魔王様、本日の朝食メニューについてですが」
リリスが二つのメニュー表を提示する。
一つは私が考案した『完全栄養食セット』。
もう一つは、おそらくヴォルクスが所望するであろう『甘味』。
「聖女様からは『高タンパク低脂質の筋肉増強プレート』をご提案いただいております」
当然だ。運動後のゴールデンタイムにタンパク質を摂取しないなんて、資源の無駄遣いにも程がある。
しかし、ヴォルクスが予想通りに反発した。
「やだ! 私はパンケーキが食べたい! メープルシロップたっぷりのやつ!」
子供か。
私はこめかみを押さえたくなった。
INFP特有の「今、これがしたい!」という衝動性。後先のことを考えない快楽主義。
これを矯正するのが私の役目だ。
「だめよ! そんなものを朝から食べたら、さっきのランニングが無駄になるわ!」
私は正論で攻める。
カロリー収支、血糖値の急上昇、インスリンの分泌。科学的根拠はいくらでもある。
しかし、リリスが口を挟んできた。
「ふむ。魔王様のご希望は『糖質と脂質の快楽セット』ですね」
「聖女様、いかがなさいますか? 魔王様は、精神的疲労の回復には甘味が必要だと主張されておられますが」
リリスの目が笑っている。
彼女は楽しんでいるのだ。
私という「秩序」と、ヴォルクスという「混沌」を衝突させ、その火花を観賞しようとしている。
ENTPの悪い癖だ。「議論のための議論」をふっかけてくる。
「……リリス。貴方、面白がってるでしょ」
私は小声で牽制した。
しかし彼女は動じない。
「滅相もございません。私はただ、双方のニーズを満たす『第三の道』を模索しているだけです」
第三の道、だと?
「『パンケーキに見せかけたプロテイン焼き』というのはいかがでしょう?」
リリスの提案に、私は一瞬、思考を巡らせた。
プロテインパンケーキ。
大豆粉を使用し、甘味料は天然由来のものに限定。シロップは野菜ベース。
……悪くない。
栄養価的には私の要求を満たしている。そして見た目的にはヴォルクスの要求を満たす。
Win-Winの解決策だ。
「あら、いいじゃない! それなら栄養面もクリアできるわ!」
私は即断した。
効率的な妥協案には、すぐに乗るのがESTJの流儀だ。
「待って! 味は!? 美味しいの!?」
ヴォルクスが悲鳴を上げている。
味? そんなものは二の次よ。食事の目的は生命維持と肉体改造なのだから。
「味については……魔王様の『想像力』で補完していただきます」
リリスがとどめを刺した。
残酷なメイドだ。
ヴォルクスの最大の武器であり弱点でもある「妄想癖」を利用するとは。
数分後。
テーブルに運ばれてきたのは、コンクリートのような色をした円盤だった。
「……いただきます……」
ヴォルクスが泣きながらナイフを入れる。
一口食べる。
彼の顔が歪む。
「……泥の味がする……」
「栄養の味がするのよ!」
私は自分の分の「ささみとブロッコリー」を食べながら叱咤した。
ヴォルクスは目を閉じ、ブツブツと何かを呟き始めた。
『……これは泥じゃない……パリのカフェで食べる……焼きたてのスフレだ……外はカリッ……中はフワッ……天使の口溶け……』
自己暗示をかけている。
なんて憐れで、なんて涙ぐましい努力。
でも、完食した。偉い。
「ごちそうさまでした……」
彼は魂の抜けた顔で手を合わせた。
私は空になった彼の皿を見て、満足感に包まれた。
計画通り(オンスケジュール)。
「よく頑張ったわね、ヴォルクス」
私は思わず、彼の頭を撫でてしまった。
ペットを褒めるような感覚で。
彼の髪は柔らかく、少し汗の匂いがしたけれど、不快ではなかった。
「……次は……昼寝していい……?」
「だめよ。次は定例報告会よ。仕事の時間だわ」
彼の絶望的な顔を見ながら、私は紅茶(無糖)を飲み干した。
この共同生活。
意外と、悪くないかもしれない。
少なくとも、退屈だけはしないわね。




