第2話:「黄金のファンファーレと、非効率な抵抗」
午前六時〇〇分。
起床の時間だ。
私は部屋の清掃を完璧に終えていた。
床のカーペットは毛並みを揃え、本棚は著者名順に並べ替え、枯れかけた花には栄養剤を与えた。
混沌としていた魔王の私室は、今やモデルルームのように整然としている。
気持ちがいい。やはり世界はこうあるべきだ。
さて、仕上げだ。
私は懐から、愛用の起床用魔道具『天使のラッパ(ガブリエル)』を取り出した。
これは修道院時代、寝坊助な見習いたちを叩き起こすために私が開発したものだ。音量は最大一二〇デシベル。聴覚だけでなく、骨伝導で脳を直接揺さぶる機能付き。
「さあ、起きなさいヴォルクス。新しい一日が始まるわよ」
私は深呼吸をし、ラッパを構えた。
躊躇はない。寝起きが悪い人間には、ショック療法が最も効率的だからだ。
パッパラパッパパーッ!!
高らかな音が、狭い室内に反響する。
ベッドの上のミノムシ(ヴォルクス)が、ビクンと激しく痙攣した。
よし、聴覚神経への伝達を確認。
「……な、なに……?」
彼が虚ろな目でこちらを見た。
焦点が合っていない。完全に脳が寝ている。
「おはよう、魔王ヴォルクス! 朝よ! カンカン照りの朝よ!」
私はカーテンを勢いよく開け放った。
朝日が彼を直撃する。
彼は吸血鬼のように「ひぃっ」と声を上げ、再び布団に潜ろうとした。
「……あと五分……いや、五時間……」
五時間。
一日の約二〇%を無駄にするつもりか。
私は呆れを通り越して、感心すら覚える。これほどの怠惰への執着。ある意味で才能かもしれない。
「だめよ! 規則正しい生活こそが、健全な精神を育むの!」
私は彼の布団を剥ぎ取った。
ESTJの私にとって、「後でやる」「もう少し待って」という言葉は、怠慢の言い訳にしか聞こえない。
やるべきことは、今すぐやる。それが鉄則だ。
「……無理です……私は夜行性なんです……」
「魔王だから? それとも吸血鬼だから?」
「いいえ……低血圧だからです……」
低血圧。
医学的根拠の薄い言い訳だ。
私は心の中でリストを作成する。
『ヴォルクスの改善点リスト』。
1.基礎体力の向上。
2.生活リズムの矯正。
3.言い訳癖の改善。
「言い訳しない! ほら、起きなさい!」
私は彼の腕を掴んで立たせた。
細い。
魔王とは思えないほど、腕が細い。筋肉量が足りていない証拠だ。
これでは、いつか勇者に物理的に折られてしまう。
……私が守らなければいけない理由が、また一つ増えてしまった気がする。
「リリス! 準備はいい?」
私はあらかじめ手配しておいたメイド長を呼んだ。
リリスが入ってくる。手には白いジャージ。
「はい、聖女様。魔王様専用のトレーニングウェアをご用意しました」
リリスは、完璧な営業スマイルを浮かべている。
ENTP(討論者型)。
彼女は優秀だが、少し食えないところがある。私の計画を理解しつつも、どこか面白がって「カオスな要素」を混ぜ込んでくるのだ。
このジャージもそうだ。
機能性は高いが、デザインが……あまりにも「芋」っぽい。魔王の威厳を削ぐのが目的かしら?
「リリス……裏切ったな……」
ヴォルクスが涙目で訴えている。
可哀想に。彼にはリリスの底意地の悪さが理解できていないのね。
でも、今はこれを利用させてもらう。
「さあ、着替えて! 朝食の前に中庭をランニングするわよ!」
「……走りたくない……。走ると心臓がドキドキするから……」
「それが運動よ!」
私は彼の背中をバンと叩いた。
彼はよろめきながらも、渋々と着替え始めた。
その背中を見ながら、私はふと思った。
なぜ私は、敵であるはずの彼に、こんなことをしているのだろう。
「監視」という名目はある。
でも、食事の管理や、ジャージの用意までしてあげる義務はないはずだ。
(……放っておけないのよ)
私は自分の中で結論づけた。
目の前に「非効率」で「不完全」なものが転がっていると、それを「最適化」したくなる。
曲がったネクタイを直したくなるのと同じ。
ヴォルクスという存在は、私にとって「直したくてたまらないエラー」なのだ。
それに。
着替えを終えた彼が、袖の長すぎるジャージの手元をモジモジさせている姿を見て、胸の奥が少しだけくすぐったくなった。
「……似合ってるじゃない」
私は小さく呟き、笛をくわえた。
「さあ、行くわよ! 遅れたら罰としてスクワット追加よ!」
私の号令と共に、魔王城の長い廊下でのランニングが始まった。
彼の悲鳴のような荒い息遣いが、朝の静寂に心地よく(?)響き渡った。




