第3章:聖女の管理日誌(聖女セレスティア視点)
私の朝は、世界がまだ薄墨色に沈んでいる時刻から始まる。
午前五時〇〇分。
体内時計が正確に時を告げると同時に、私は瞼を開く。
二度寝などあり得ない。それは自分自身への敗北であり、一日の規律を崩す最初の一歩だからだ。
私は音もなくベッドから降り、純白のシーツに皺一つ残らないよう、手早く、しかし完璧な角度でベッドメイキングを行う。
角を合わせ、布を張り、枕を定位置に置く。所要時間、四十五秒。
完璧だ。
「……ふぅ」
私は鏡の前で、寝間着から聖職者の法衣へと着替える。
ボタンを一つ留めるたびに、私の精神もまた、聖女としての硬質な形状へと整えられていく感覚がある。
私は**聖女セレスティア**。
神の声を聴き、迷える人々を導き、邪悪を払う者。
私の性格診断(MBTI)は**ESTJ-A(幹部型・自己主張)**だそうだ。
「現実的」「効率的」「秩序を愛する」。
ええ、その通りよ。誰かがルールを守り、管理しなければ、世界なんて三日で崩壊してしまうもの。
着替えを終えた私は、部屋の窓を開け放ち、東の空に向かって祈りを捧げた。
「神よ。今日も私に、愚かなる者たちを導くための知恵と、忍耐力をお与えください。……特に忍耐力を多めに」
祈りを終えると、私は部屋を出た。
魔王城の廊下は、まだ静まり返っている。
だが、私の目は誤魔化せない。
「……埃」
廊下の隅に、綿埃が一つ転がっていた。
許せない。
私は懐から清潔なハンカチを取り出し、しゃがみ込んでそれを拭い取った。
この城の清掃担当は、動きが遅すぎる。骨だから仕方がないのかもしれないけれど、効率化の余地はあるはずだ。後で業務改善命令を出さなくては。
私はカツカツとヒールを鳴らし、ある部屋へと向かった。
魔王ヴォルクスの寝室だ。
ドアノブに手をかける。
鍵はかかっていない。不用心極まりない。私が暗殺者なら、彼はもう十回は死んでいるわよ。
ガチャリ。
ドアを開けると、そこには予想通りの光景が広がっていた。
薄暗い部屋。
締め切られたカーテン。
床に散乱した本と、飲みかけのハーブティーのカップ。
そして、ベッドの上には、ミノムシのように布団にくるまった物体が一つ。
「……スー……スー……」
寝息が聞こえる。
魔王ヴォルクス。
世界を恐怖に陥れるはずの魔王が、あられもない姿で熟睡している。
布団から少しだけ出ている黒髪の頭頂部には、寝癖がついている。
(……呆れた)
私は腕組みをして、その情けない姿を見下ろした。
INFP(仲介者型)。
彼のような人間(魔族だけど)は、私にとって最も理解しがたい存在だ。
時間は守らない。計画性がない。感情で動く。すぐに殻に閉じこもる。
社会人として……いいえ、生物としての生存能力が欠如しているとしか思えない。
でも。
私は昨日の出来事を思い出した。
彼が、私の目の前で暗殺者を消し去った瞬間のことを。
あの時の彼は、私の知る「怠惰な青年」ではなかった。
氷のような冷徹さと、世界を拒絶する圧倒的な「孤独」を纏っていた。
(……あの力が、もし暴走したら)
世界は終わる。
物理的な破壊ではなく、もっと根源的な「消失」によって。
だからこそ、誰かが彼をコントロールしなければならない。彼に「世界との繋がり」を持たせ、暴走を防ぐ安全弁にならなければ。
それができるのは、神に選ばれし私しかいない。
「……世話が焼けるわね、本当に」
私はベッドに近づき、彼のはだけた布団を少しだけ掛け直してやった。
まだ起こすには早い。
あと三十分だけ寝かせてあげましょう。
その間に、私はこの散らかった部屋を片付けなければならないのだから。
私は床に落ちていた恋愛小説『公爵令嬢はパン屋の青年と恋に落ちる』を拾い上げた。
「……こんな夢物語ばかり読んで」
パラパラとめくる。
ふん、非現実的だわ。身分差のある恋なんて、障害だらけで効率が悪い。
でも……。
「……『君が誰であろうと関係ない』、か」
私はチラリと、眠る魔王の顔を見た。
その寝顔は、無防備で、子供のように安らかだった。
「……貴方が魔王じゃなくて、ただのパン屋だったら、もっと楽だったでしょうにね」
私は本をサイドテーブルに置き、腕まくりをした。
さあ、掃除の時間だ。
私の「管理」からは、埃一つ逃がさないわよ。




