第5話:「筋肉の凱旋と、平和協定の崩壊」
その日の夜は、珍しく穏やかだった。
中庭の噴水――今はイグニスの体温で程よい湯加減の温泉になっている――のほとりで、私とイグニスは並んで座っていた。
焚き火の代わりに、イグニスが口から小さく吐き出す残り火で、串に刺したマシュマロを炙る。
焦げ目がついたマシュマロを口に含むと、とろりと甘い幸福が広がる。
「……平和だねぇ」
『はい……。ここに来てよかったです、ヴォルクス様……』
イグニスが鼻息を漏らすと、温泉の水面が波打った。
セレスティアはもう寝ている時間だ。
リリスも、明日の朝食の献立を考えるのに忙しいらしい。
誰にも邪魔されない、陰キャ同士の語らいの時間。
ズドォォォォン――ッ!!!
突然、城の正面玄関の方角から、轟音が響いた。
マシュマロが串から落ちて、地面の泥に埋まる。
私の平和も、同時に粉砕された。
「な、なに!?」
『ひぃっ! 勇者ですか!? 討伐ですか!?』
イグニスがパニックになり、温泉の中に頭まで潜ろうとする。
私は震えながら立ち上がった。
サイレンが鳴らない。ということは、敵襲ではない?
ドス、ドス、ドス、ドス。
地響きのような足音が近づいてくる。
そして、中庭への鉄扉が、まるで紙切れのように軽々と吹き飛ばされた。
「うおおおおおッ!! 到着したぞォォォッ!!」
土煙の中から現れたのは、三人の男たちだった。
先頭に立つ男は、上半身裸で、異常なほどに発達した筋肉を見せつけている。
大胸筋が歩くたびに跳ねている。腹筋は六つどころか八つに割れている。
「貴様が魔王ヴォルクスか!!」
男が私を指差した。
その指先すら、筋肉で太くなっている。
「……だ、誰……?」
「忘れたとは言わせん! 勇者アルバンだ!」
勇者。
あの手紙をよこした、あの勇者か。
以前の資料映像で見た時は、もっと細身のイケメンだったはずだが……今は完全にボディビルダーだ。
「見ろ! 貴様の差し向けた『地獄のフィットネス・キャンプ』を生き延び、鋼の肉体を手に入れた我々の姿を!」
アルバンがポーズをとる。サイドチェスト。
後ろに控える戦士と魔法使い(彼らもマッチョだ)も、それぞれモスト・マスキュラーのポーズをとる。
「ガイン将軍の指導は厳しかった……! スクワット三千回、丸太運び、魔獣との相撲! だが、俺たちは耐え抜いた! そして気づいたのだ!」
アルバンがギラリと歯を光らせた。
「筋肉こそが力! 筋肉こそが正義! 魔法や小細工など不要! 全ては物理で解決できるとな!」
「……えぇ……」
私はドン引きした。
魔法使いまでマッチョになっている。杖をへし折って殴ってきそうな雰囲気だ。
私の意図した「生かさず殺さず」が、最悪の形で実を結んでしまった。
「さあ魔王! 俺たちの仕上がった肉体を食らえ! 物理最強決定戦の開幕だ!」
アルバンが地面を蹴った。
速い。以前とは比べ物にならないスピードだ。
私は逃げようとしたが、足がすくんで動かない。
「魔王様!」
『ヴォルクス様!』
リリスとイグニスの声が聞こえる。
しかし、間に合わない。
アルバンの拳が、私の顔面に迫る。
――その時。
キィィィィィン!!
甲高い音が響き、アルバンの拳が弾かれた。
火花が散る。
私の目の前に立っていたのは、純白のジャージを着た聖女セレスティアだった。
彼女は愛用の杖で、勇者の豪腕を受け止めていた。
「……セレスティアさん?」
「寝不足はお肌に悪いのよ、ヴォルクス」
彼女は私に背中を向けたまま言った。
そして、勇者を睨みつける。
「久しぶりね、アルバン。……随分と暑苦しくなったものだわ」
「セ、セレスティア!? なぜそこにいる! まさか魔王に洗脳されたのか!?」
アルバンが驚愕する。
「洗脳? 違うわ」
セレスティアは杖を振るい、勇者を弾き飛ばした。
「私が魔王を『管理』しているの。そして今は消灯時間よ。騒ぐなら、校庭(中庭)を十周してきなさい!」
彼女のESTJパワーが炸裂する。
勇者たちはたじろいだ。
「な、なんだこの威圧感は……! 筋肉では防げない……!」
「さあ、どうするの? 戦うなら相手になるわよ。ただし、私の睡眠時間を削った罪は重いわよ」
セレスティアの背後から、黄金のオーラ(殺気)が立ち上る。
それを見た勇者たちは、ヒソヒソと相談を始めた。
「おい、どうする? 聖女様マジギレしてるぞ」
「今日は引こう。筋肉のゴールデンタイム(睡眠)も確保しなきゃならん」
「そうだな。超回復が必要だ」
アルバンが私に向き直った。
「フン! 命拾いしたな魔王! 今日は聖女の顔を立てて引いてやる! だが覚えておけ! 次回は必ず、この大胸筋で貴様を挟み潰してやる!」
捨て台詞を残し、勇者たちは風のように去っていった。
去り際に「プロテイン飲むぞ!」という声が聞こえた。
嵐が過ぎ去り、静寂が戻る。
私はへたり込んだ。
「……た、助かった……」
「まったく。世話が焼けるわね」
セレスティアが杖を下ろし、私に手を差し伸べた。
「ほら、立って。部屋に戻るわよ」
「……はい」
私は彼女の手を取った。
握りしめられた手は、強くて、頼もしかった。
こうして、魔王城には一時的な平和(?)が戻った。
しかし、状況はより複雑になった。
INFPの魔王。
ESTJの聖女。
ISFJのドラゴン。
そして筋肉脳(ESFP?)と化した勇者一行。
役者は揃った。
私の「世界攻略」――もとい「引きこもり防衛戦」は、ここからが本番だ。




