三角関係の始まり
颯太が転校してきてから一週間が経った。陽向学園の平穏な日常は、確実に変化していた。
美月は朝のホームルームで、隣の席の陽斗を見た。彼はいつものように明るく振る舞っているが、時々不安そうな表情を見せる。颯太のことが気になっているのは明らかだった。
「おはよう、美月」陽斗が振り返った。
「おはようございます」
「今日は生徒会の仕事、何があるんだっけ?」
美月は手帳を確認した。「文化祭の企画書の締め切りです。各クラスからの提出を確認しないと」
「そっか。頑張ろうね」陽斗は笑顔を見せたが、どこか無理をしているように見えた。
そんな二人の様子を、教室の後ろから見ている人影があった。厳島麗奈だった。
麗奈は美術部の部長で、美月とは別のタイプの美しさを持つ少女だった。長い黒髪と切れ長の目が印象的で、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。
(照井君と月野さん、最近よく話してるわね...)
麗奈は複雑な気持ちで二人を見つめていた。実は彼女も、陽斗に密かに好意を抱いていたのだ。
昼休み、生徒会室は慌ただしかった。文化祭の企画書を整理している美月と陽斗の元に、海斗がやってきた。
「お疲れさま、二人とも」
「海斗先輩、お疲れさまです」美月が頭を上げた。
「文化祭の準備、順調?」
「はい。でもクラスによっては企画がまだ曖昧で...」陽斗が資料を見せた。
その時、生徒会室のドアが開いた。
「よお、生徒会の皆さん」
颯太が現れた。制服は相変わらず着崩しているが、以前ほど険しい表情ではない。
「嵐山君?どうして?」美月が驚く。
「文化祭の件で相談があってな」颯太は資料を机に置いた。「有志でバンドをやりたいんだが、申請の仕方が分からなくて」
海斗が資料を見た。「個人企画の申請か...生徒会で審査が必要だね」
「それで、生徒会に相談しに来たってわけ」颯太は陽斗を見た。「なあ、陽斗?」
陽斗は少し緊張した。「ど、どんな企画を考えてるの?」
「実はクラス企画とは別に、有志でバンドをやりたいんだ」颯太は椅子に座った。「俺、ギター弾けるし。文化祭って、個人参加もありだろ?」
「バンド?」美月が興味を示した。「素敵ですね」
「美月も音楽が好きなのか?」
「ピアノを少し...」
「じゃあ一緒にやるか?」颯太がにやりと笑った。
陽斗が慌てた。「ちょっと待ってよ。美月は生徒会の仕事で忙しいし...」
「生徒会の仕事だって?」颯太は陽斗を見た。「相変わらず真面目だな」
海斗が仲裁に入った。「まあまあ、文化祭は学校全体のイベントだから、みんなで協力しないと」
「そうですね」美月が頷いた。「でも私、人前でピアノを弾くのは...」
「大丈夫だよ」颯太は優しく言った。「俺がついてる」
その言葉に、美月の心臓がドキンと跳ねた。颯太の優しい一面を見たのは初めてだった。
陽斗は複雑な表情をしていた。
放課後、美月は一人で音楽室にいた。颯太の提案が気になって、久しぶりにピアノを弾きたくなったのだ。
『月光』を弾いていると、ドアが開いた。
「きれいな音色だね」
振り返ると、陽斗が立っていた。
「照井君...」
「ごめん、邪魔した?」
「いえ、そんなことありません」美月は鍵盤から手を離した。「どうしたんですか?」
陽斗は美月の隣に座った。「颯太のバンドの件、どう思う?」
「どうって...」
「君が嫌じゃなければ、いいんだ」陽斗は窓の外を見た。「でも、颯太は...」
「颯太君は何ですか?」
陽斗は迷うような表情を見せた。「昔の颯太は、本当に優しい子だった。でも今は...変わってしまった部分もある」
「変わったって?」
「颯太は、欲しいものは何でも手に入れようとする」陽斗の声は小さかった。「たとえそれが、人のものでも」
美月は陽斗の横顔を見つめた。何か深い傷を負っているような、そんな表情だった。
「照井君...」
「でも」陽斗は美月に向き直った。「君が決めることだ。僕は君の判断を尊重する」
その時、音楽室のドアが再び開いた。
「おや、お邦楽でしたか」
現れたのは麗奈だった。美術道具を持っている。
「厳島さん?」美月が振り返る。
「美術部の活動で楽器をスケッチしに来たんです」麗奈は二人を見た。「お二人はデートですか?」
「デ、デートじゃありません!」美月が慌てて否定した。
「そうですか」麗奈は微笑んだ。「照井君、お疲れさまです」
「あ、はい。厳島さんもお疲れさまです」陽斗が返事した。
麗奈は陽斗を見つめながら言った。「文化祭の準備、順調ですか?」
「ああ、生徒会で色々と企画を検討してるんだ」
「そうですか。私も何かお手伝いできることがあれば...」麗奈は意味深に微笑んだ。「照井君となら、何でも」
美月は麗奈の言葉に違和感を覚えた。まるで自分を意識しているような...
「ありがとう、厳島さん」陽斗は気づいていない様子だった。
その後、三人は気まずい雰囲気のまま音楽室を後にした。
夕方、美月は帰り道で豊と一緒になった。
「お疲れさま、美月」
「豊君もお疲れさま」
「今日は遅かったね。生徒会の仕事?」
「それもあるけど...」美月は迷った。「豊君に相談があるの」
「何?恋愛相談?」豊は眼鏡をクイッと上げた。「投資的観点から分析しましょうか」
「もう、豊君ったら」美月は苦笑いした。「文化祭で颯太君とバンドをやろうって言われたの」
豊の表情が変わった。「嵐山君と?」
「うん。でも照井君が心配そうで...」
「美月」豊は立ち止まった。「君はどうしたいの?」
「どうしたいって...」
「照井君と嵐山君、どちらと一緒にいたい?」豊の質問は真剣だった。
美月は答えられなかった。陽斗といると安心するし、颯太といると何かドキドキする。でも、それがどういう気持ちなのか、自分でもよく分からなかった。
「分からないの...」美月は小さく答えた。
豊は優しく微笑んだ。「なら、今は無理に決めなくてもいい。でも、自分の気持ちには正直になって」
「豊君...」
「僕は美月の味方だから」豊は歩き始めた。「どんな選択をしても、支えるよ」
翌日の昼休み、美月は屋上にいた。一人で考え事をしたかったのだ。
「よお、美月」
振り返ると、颯太が立っていた。
「颯太君...」
「昨日はありがとな。バンドの件」颯太は美月の隣に座った。
「いえ...でも、まだ返事はしてませんよ」
「そうか」颯太は空を見上げた。「陽斗に何か言われたか?」
美月は迷ったが、正直に答えた。「心配してるみたいです」
「やっぱりな」颯太は苦笑いした。「あいつは昔から俺のことを信用してない」
「どうして?」
颯太は暫く黙っていた。そして、重い口を開いた。
「中学の時、俺は陽斗の彼女を取ったんだ」
美月は息を呑んだ。
「もちろん、わざとじゃない。でも結果的に、陽斗を裏切ることになった」颯太の表情は複雑だった。「それ以来、あいつは俺を見る目が変わった」
「それで転校を...」
「まあ、そんなところだ」颯太は美月を見た。「だから、美月には迷惑をかけたくない」
「迷惑なんて...」
「でも」颯太は真剣な表情になった。「俺は美月のことが気になる。これは本当だ」
美月の頬が赤くなった。
「俺は陽斗とは違う。優しくないし、真面目でもない」颯太は続けた。「でも、美月を大切にしたいって気持ちは本物だ」
美月は心臓がドキドキするのを感じた。颯太の真っ直ぐな眼差しに、何かを感じずにはいられなかった。
「颯太君...」
その時、屋上のドアが開いた。
「美月!」
陽斗が現れた。颯太と二人でいるのを見て、表情が曇った。
「陽斗...」颯太が振り返る。
「美月、大丈夫?」陽斗は心配そうに美月に近づいた。
「大丈夫って何だよ」颯太が立ち上がった。「俺が何かしたっていうのか?」
「そういう意味じゃ...」
「いつもそうだな、陽斗」颯太の声に苛立ちが混じった。「俺を信用してない」
二人の間に緊張が走った。美月は慌てて間に入った。
「やめてください!」
「美月...」陽斗が驚く。
「お二人とも、友達だったんでしょう?」美月は震え声で言った。「だったら...」
「友達?」颯太が苦笑いした。「そんなものは、とっくに終わってる」
陽斗の表情が痛ましかった。
美月は二人を見比べた。どちらも傷ついている。そして、自分がその原因の一部になっていることも分かった。
「私...」美月が口を開きかけた時、チャイムが鳴った。
午後の授業が始まる時間だった。
三人は無言で屋上を後にした。美月の心は、ますます混乱していた。