嵐の前触れ
翌朝、美月はいつものように早めに学校に着いた。昨夜も新しい転校生のことが気になって、なかなか眠れなかった。
生徒会室に向かう途中、廊下で陽斗と出会った。
「おはよう、美月」
「おはようございます、照井君」
陽斗はいつもの明るい笑顔を浮かべていたが、どこか落ち着かない様子だった。時々窓の外を気にしている。
「どうかしました?」美月が尋ねた。
「あ、いや...なんでもないよ」陽斗は慌てたように手を振った。「ただ、今日は雲行きが怪しいなって思って」
美月も窓の外を見た。確かに空には黒い雲が立ち込めている。
「天気予報では晴れだったんですけどね」
「天気って、急に変わることがあるからね」陽斗は苦笑いした。「特に...」
「特に?」
「あ、いや。何でもない」
陽斗の歯切れの悪さに、美月は違和感を覚えた。まるで何かを隠しているような...
二人が生徒会室に入ると、海斗先輩がすでに来ていた。
「おはよう、二人とも。今日は早いね」
「おはようございます」
「新しい転校生、今日来るんだっけ?」海斗が尋ねた。
美月は頷いた。「はい。でも詳しいことは分からなくて...」
その時、陽斗の表情が一瞬強張った。美月はそれを見逃さなかった。
「照井君、その転校生について何か知ってるんですか?」
「え?いや、僕が知ってるわけないじゃん」陽斗は明らかに動揺していた。「ただの転校生でしょ?」
でも、その時の陽斗の声は震えていた。
一時間目の授業が始まる直前、教室のドアが勢いよく開いた。
「おっと、間違えたかな」
現れたのは、金髪で背の高い男子生徒だった。制服は着崩していて、明らかに普通の生徒とは雰囲気が違う。目つきは鋭く、どこか危険な匂いがした。
田中先生が困惑した。「君は...?」
「嵐山颯太だ」
新しい転校生は短く自己紹介すると、教室を見回した。そして陽斗を見つけると、口の端を上げた。
「よお、陽斗。久しぶりだな」
教室が静まり返った。どうやら二人は知り合いらしい。
「颯太...」陽斗の声は小さかった。「どうしてここに...」
「お前を探してたんだよ」颯太は不敵に笑った。
田中先生が咳払いした。「あの、嵐山君。君は2年B組だろう?隣のクラスだ」
「ああ、そうでした」颯太は軽く手を上げた。「じゃあ陽斗、また後でな」
颯太が出て行った後、教室はざわめきに包まれた。
「照井君、あの人と知り合いなの?」
「なんか怖そうな人だったね」
「ヤンキーみたいな感じだった」
陽斗は机に突っ伏していた。美月は心配になって声をかけた。
「照井君、大丈夫ですか?」
「うん...大丈夫」陽斗は顔を上げたが、明らかに元気がなかった。
昼休み、美月は陽斗を探していた。教室にもいないし、生徒会室にもいない。
屋上に行ってみると、陽斗が一人で佇んでいた。
「照井君」
陽斗は振り返った。「美月...」
「さっきの転校生のこと、心配で...」
陽斗は苦笑いした。「バレバレか」
「あの人は、どんな関係なんですか?」
陽斗はしばらく黙っていた。そして、重い口を開いた。
「颯太とは...幼馴染だった。小さい頃は、本当に仲が良かったんだ」
「今は違うんですか?」
「中学の時に...色々あって」陽斗の表情が暗くなった。「颯太は不良グループに入って、僕は生徒会に入った。だんだん道が分かれていったんだ」
美月は黙って聞いていた。
「最後に会った時、颯太は言ったんだ。『お前はいつも正義ぶって、偉そうにしてる』って」
「そんな...照井君は正義ぶってなんか...」
「でも、僕は颯太を止められなかった」陽斗は拳を握った。「友達だったのに、救えなかった」
その時、屋上のドアが開いた。
「感動的な話だな」
颯太が現れた。制服のシャツのボタンを外し、ネクタイも緩めている。
「颯太...」
「よお、陽斗。相変わらず真面目そうな顔してるじゃないか」颯太は美月を見た。「で、そっちのお嬢さんは?」
「月野美月です」美月が自己紹介した。
「ほう、月野か。いい名前だ」颯太は興味深そうに美月を見つめた。「で、陽斗とはどんな関係?」
「生徒会で一緒に...」
「生徒会?」颯太は吹き出した。「相変わらずだな、陽斗。まだそんなことやってるのか」
「颯太、美月に関係ないことを...」
「関係ない?」颯太は陽斗に近づいた。「お前が好きになった女の子だろ?それなら大いに関係あるじゃないか」
美月の顔が赤くなった。陽斗も慌てた。
「な、何を言って...」
「バレバレだよ。昔からお前の顔は分かりやすいからな」颯太は美月に向き直った。「で、お嬢さん。こいつのこと、どう思ってる?」
「それは...」美月は困惑した。
「颯太、やめろ」陽斗が割って入った。
「やめろ?」颯太の目つきが鋭くなった。「お前、まだ僕に命令するつもりか?」
二人の間に緊張が走った。美月は咄嗟に二人の間に入った。
「やめてください!」
颯太は驚いたように美月を見た。
「ケンカなんて、良くありません」美月は震え声で言った。「お二人とも、昔は仲の良い友達だったんでしょう?」
颯太は暫く美月を見つめていた。そして、フッと笑った。
「面白い女だな」颯太は後退りした。「いいよ、今日のところは引いてやる」
「颯太...」
「でも陽斗、覚えておけ」颯太は振り返った。「俺はお前を許してない。そして...」
颯太の視線が美月に向いた。
「その子、俺も気に入った」
美月は息を呑んだ。
「じゃあな」颯太は去って行った。
二人だけになると、陽斗は深いため息をついた。
「ごめん、美月。変なことに巻き込んで...」
「いえ...でも、あの人は本当に悪い人なんですか?」
美月の問いに、陽斗は首を振った。
「昔の颯太は、とても優しい子だったんだ。野良猫を拾ってきて、こっそり世話したり...」
「今でも、そういう部分があるんじゃないですか?」
「どうかな...」陽斗は空を見上げた。「でも、颯太が来たってことは...」
「ことは?」
「きっと、この街にも嵐がやってくる」
その時、本当に雷が鳴った。空は真っ黒な雲に覆われ、雨が降り始めた。
「急に天気が...」美月が驚く。
陽斗は複雑な表情をしていた。まるで、この天気の変化を予想していたかのように。
放課後、美月は一人で帰り道を歩いていた。雨は止んでいたが、まだ空は重い雲に覆われている。
豊が追いかけてきた。
「美月、お疲れさま。今日は随分遅かったね」
「新しい転校生のことで、色々と...」
「ああ、噂を聞いたよ。ヤンキーみたいな感じだったとか」豊は眼鏡をクイッと上げた。「投資的観点から言うと、リスク要因の登場ですね」
「豊君の分析はいつも的確ね」美月は苦笑いした。
「でも心配だよ。美月が危険な目に遭わないかって」
「大丈夫よ。そんなに悪い人じゃないと思うの」
「美月は人を信じすぎるよ」豊は心配そうに言った。「それが美月の良いところでもあるけど...気をつけて」
その時、角の向こうから颯太が現れた。コンビニの袋を持っている。
「よお、お嬢さん。偶然だな」
「嵐山...君」美月が振り返る。
颯太は豊を見た。「そっちは彼氏か?」
「違います」豊が慌てて否定した。「僕は稲荷井豊。美月の幼馴染です」
「幼馴染ねえ」颯太はニヤリと笑った。「なるほど、美月は男に困らないタイプか。でも、お前も美月のことが好きなんだろ?」
豊の顔が赤くなった。「そ、それは...」
「分かりやすいやつだな」颯太は笑った。「でも安心しろ。俺はフェアに勝負する」
「勝負って...」美月が困惑する。
「美月を巡る恋愛戦争だよ」颯太は振り返った。「陽斗も、そこの幼馴染も、俺も。みんな美月が好きなんだろ?」
美月は真っ赤になった。
「な、何を言って...」
「まあ、ゆっくり考えてくれよ」颯太は手を振って去って行った。「俺は急がない主義だからな」
颯太が去った後、美月と豊は暫く無言だった。
「美月...」豊が口を開いた。
「豊君...」
「僕も、颯太君の言った通りだよ」豊は真面目な表情で言った。「美月のこと、ずっと好きだった」
美月は驚いた。豊の気持ちは薄々感じていたが、はっきりと言われると戸惑った。
「豊君...」
「でも、美月が幸せならそれでいい」豊は微笑んだ。「ただ、誰を選ぶにしても、慎重に考えてよ」
その夜、美月は自分の部屋で窓の外を見ていた。空はまだ雲に覆われている。
たった数日で、こんなに状況が変わるなんて思わなかった。陽斗との出会い、颯太の登場、そして豊の告白。
「私、どうしたらいいのかな...」
美月は月を探したが、厚い雲に隠れて見えなかった。まるで自分の心のように、曇っている。
でも、不思議と嫌な気分ではなかった。確かに混乱しているけれど、これも青春なのかもしれない。
明日からの学校生活は、きっともっと複雑になる。でも、それもまた楽しみのような気がした。
遠くで雷が鳴った。嵐はまだ去っていない。