決裂と和解
三月に入り、陽向学園では卒業式も終わり、新年度の準備が始まっていた。
美月は新しい生徒会体制での活動に忙しい日々を送っていた。海斗先輩が卒業して、今度は自分が最上級生として後輩たちを引っ張っていかなければならない。
「美月、お疲れさま」
振り返ると、陽斗が現れた。最近は家族の監視が厳しくなっているようで、以前より表情に疲れが見えた。
「照井君、お疲れさまです。大丈夫ですか?」
「うん...まあ、なんとか」陽斗は曖昧に答えた。
実は、陽斗の家では美月との交際を巡って、父親との対立が激化していた。天道は息子の交際を認めるつもりは全くなく、最近では転校の話まで持ち出していた。
「あの...美月」陽斗が躊躇いがちに口を開いた。「今度の日曜日、少し時間をもらえる?」
「日曜日ですか?」
「実は、お父さんに君と会ってもらいたいんだ」陽斗は真剣な表情になった。「直接話をすれば、きっと分かってもらえると思う」
美月は少し不安になった。陽斗の父親は、最初に会った時の印象でも威圧的で厳しい人だった。
「分かりました。私も、ちゃんとお話ししたいと思ってました」
陽斗は安堵した。「ありがとう、美月」
その日曜日、美月は陽斗の家を訪れた。
立派な邸宅の玄関で、美月は緊張しながら呼び鈴を押した。出てきたのは陽斗だったが、その表情は暗かった。
「美月、来てくれてありがとう」
「こちらこそ。でも、照井君、大丈夫?」
「実は...お父さんの機嫌がすごく悪くて」陽斗は困ったような表情をした。「でも、今日こそはちゃんと話をしたいんだ」
二人は応接間に通された。しばらくすると、スーツ姿の天道が現れた。その表情は、前回以上に険しかった。
「月野美月さんですね」天道は冷たい声で言った。
「はい。本日はお忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございます」美月は丁寧にお辞儀した。
天道は美月をじっと見つめていたが、やがて口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。陽斗との交際は、一刻も早く止めていただきたい」
美月は息を呑んだ。いきなりの宣告だった。
「お父さん!」陽斗が抗議した。
「陽斗は黙っていろ」天道は息子を一喝した。「月野さん、あなたは優秀な生徒だと聞いています。ならば分かるでしょう。この交際が、どれほど危険なことか」
「危険...ですか?」美月が困惑して尋ねた。
天道は少し迷うような表情を見せたが、やがて重い口を開いた。
「我が照井家と月野家は...古くから相容れない関係にあるのです」
「相容れない?」
「詳しいことは言えません。しかし、あなた方が結ばれることは、両家にとって非常に危険なことなのです」
美月は天道の言葉が理解できなかった。
「でも、それは照井君や私には関係ないことじゃないでしょうか?」美月が勇気を出して言った。「私たちの気持ちとは別の問題のはずです」
天道の表情が厳しくなった。
「関係ないことなどありません」天道は断言した。「あなた方には、まだ理解できない重大な意味があるのです」
「僕たちの気持ちを無視する権利はありません」陽斗が立ち上がった。
「陽斗!」
「僕は美月が好きです。美月も僕のことを好きでいてくれる」陽斗は父親に向き直った。「それ以上に大切なことがあるんですか?」
天道は息子の反抗に、怒りを露わにした。
「あるのだ!お前にはまだ分からない、重大な使命が!」
「使命って何ですか?」陽斗が食い下がった。
天道は口を噤んだ。そして、冷たく言い放った。
「とにかく、この交際は認められない。月野さん、お帰りください」
美月は愕然とした。話し合いどころか、一方的に拒絶されてしまった。
「お父さん、そんな言い方はないでしょう」陽斗が抗議した。
「陽斗、お前もだ。部屋に戻りなさい」
「僕は美月を送って行きます」
「送る必要はない」天道は冷酷に言った。「今すぐ、部屋に戻れ」
陽斗は父親の剣幕に、どうすることもできなかった。
美月は一人で照井家を後にした。駅までの道のりを歩きながら、涙がこぼれてきた。
(どうして...どうしてこんなに反対されるの?)
美月には天道の言葉の意味が分からなかった。古くから相容れない関係とは何なのか。重大な使命とは何なのか。
その夜、陽斗は自分の部屋で父親と激しく言い合っていた。
「どうして美月との交際がそんなに危険なんですか?」陽斗が詰め寄った。
「お前にはまだ早い」天道は頑なだった。
「いつになったら教えてくれるんですか?」
「お前が本当の責任を負えるようになったら」天道は続けた。「今のお前は、ただの子供だ」
「子供じゃありません!」陽斗が反発した。「僕は美月を愛してます。その気持ちに嘘はありません」
「愛?」天道は冷笑した。「お前が愛などと言うには、10年早い」
「なぜそんなことを言うんですか?」陽斗の声に怒りが込もった。「お父さんは僕の気持ちを理解しようともしない」
「理解する必要はない」天道は断言した。「お前の将来のために言っているのだ」
「僕の将来は僕が決めます」陽斗が立ち上がった。
「生意気を言うな」天道の声が響いた。「お前はまだ我が家の跡取りとしての責任を何も分かっていない」
「跡取り?」陽斗が困惑した。「僕は普通の高校生です」
「普通ではない」天道は厳しく言った。「お前は照井家の血を引く者として、特別な使命を負っているのだ」
陽斗は父親の言葉が理解できなかった。
「意味が分かりません」
「いずれ分かる」天道は背を向けた。「それまでは、月野美月との交際は禁止だ」
「そんな理不尽な...」
「理不尽ではない。必要なことだ」天道は振り返った。「もしこの命令に従わないなら、転校させる」
陽斗は愕然とした。「転校?」
「海外の学校に送ることも考えている」天道は冷たく言った。「お前の将来のためなら、何でもする」
陽斗は父親の本気を感じ取った。でも、それでも諦めるつもりはなかった。
「僕は美月を諦めません」
「陽斗...」
「どんなに反対されても、美月への気持ちは変わりません」陽斗は父親を見つめた。「お父さんが何を隠しているのか分からないけど、僕は美月を愛してます」
天道は息子の決意を見て、複雑な表情を見せた。
「陽斗...お前は本当に...」
その時、天道の携帯電話が鳴った。相手を確認した天道の表情が変わった。
「ちょっと待っていろ」
天道は別室に移って電話に出た。陽斗には聞こえないが、何やら深刻な話をしているようだった。
しばらくして戻ってきた天道は、先ほどとは違う表情をしていた。
「陽斗」天道が重い口調で言った。「実は...お前に話さなければならないことがある」
「何ですか?」
天道は迷うような表情を見せた。そして、ついに口を開いた。
「我が照井家は...代々、特別な役割を担ってきた一族なのだ」
「特別な役割?」
「詳しくは言えないが...日本古来から続く、重要な使命がある」天道は続けた。「そして、月野家は...我々とは対立する立場にある」
陽斗は父親の言葉に困惑した。
「対立って...でも美月は普通の女の子です」
「彼女自身は知らないだろう」天道は言った。「しかし、血筋というものは変えられない」
「血筋って...」
天道は窓の外を見た。「お前と月野美月が結ばれることは...古い均衡を崩すことになるかもしれない」
陽斗には父親の話の意味が全く分からなかった。でも、一つだけ確かなことがあった。
「お父さん、僕には難しいことは分かりません」陽斗が言った。「でも、美月は僕にとって大切な人です。血筋とか使命とか、そんなものより大切です」
天道は息子の言葉に、何かを感じ取ったようだった。
「陽斗...」
「僕は美月を守りたいんです」陽斗は続けた。「お父さんが何を恐れているのか分からないけど、僕が美月を守ります」
天道は息子の成長を感じていた。もはや子供ではない。一人の男性として、愛する人を守ろうとしている。
長い沈黙の後、天道が口を開いた。
「分かった」
「え?」陽斗が驚いた。
「お前の気持ちは分かった」天道は息子を見つめた。「もう少し時間をくれ。お前と月野美月のことを、もう一度考え直してみる」
陽斗は信じられなかった。「本当ですか?」
「ただし」天道は条件を付けた。「しばらくの間、彼女との接触は控えてくれ」
「それは...」
「お前の本当の気持ちを確かめるためだ」天道は説明した。「一時的に離れても変わらない気持ちなら、それは本物だろう」
陽斗は迷った。美月と離れるのは辛いが、父親が歩み寄ってくれるなら...
「分かりました」陽斗は決断した。「でも、必ず美月との交際を認めてくださいね」
「約束はできない」天道は言った。「しかし、お前の気持ちは尊重しよう」
その夜、陽斗は美月に電話をかけた。
「美月、今日はごめん」
「いえ...私こそ、うまくお話しできなくて」美月の声は少し沈んでいた。
「お父さんと話をしたんだ」陽斗が報告した。「完全に理解してもらえたわけじゃないけど、少し歩み寄ってくれた」
「本当ですか?」美月の声が明るくなった。
「でも...しばらくの間、距離を置きなさいって言われたんだ」
「距離を...?」
「一時的に離れても変わらない気持ちなら本物だって、お父さんが言うんだ」陽斗は申し訳なさそうに続けた。「美月、ごめん」
美月は少し考えてから答えた。
「分かりました」
「美月...」
「照井君のお父様が歩み寄ってくださったなら、私も協力します」美月は強い声で言った。「私たちの気持ちは本物だから、きっと大丈夫です」
陽斗は美月の言葉に救われた。
「ありがとう、美月。君がいてくれて、本当に良かった」
「私こそです。照井君となら、どんな困難も乗り越えられます」
二人は電話を通じて、お互いの想いを確認し合った。しばらく会えなくなるのは寂しいが、それで関係が壊れるほど弱い絆ではなかった。
一方、その頃颯太は一人で夜道を歩いていた。
陽斗と美月の関係について、最近何か問題が起きているのを感じ取っていた。二人の様子が以前と違っていたからだ。
(あいつら、何かあったのかな...)
颯太は心配になっていた。美月を陽斗に託したとはいえ、二人の幸せは気になる。
その時、颯太の携帯に陽斗からの電話がかかってきた。
「陽斗?どうした?」
「颯太...ちょっと相談があるんだ」
「何だ?」
「会えるか?」
颯太は陽斗の声に何かを感じ取った。「分かった。駅前のファミレスで待ってる」
30分後、二人は静かなファミレスで向かい合って座っていた。
「で、何があった?」颯太が尋ねた。
陽斗は父親との対立、美月との一時的な距離、そして家族の秘密について話した。
「そんなことが...」颯太は驚いた。「大変だったな」
「颯太、どう思う?」陽斗が相談した。「僕のやり方は正しかったかな?」
颯太は少し考えてから答えた。
「お前らしいじゃないか」
「え?」
「真っ向から立ち向かって、最後は美月を守るって言ったんだろ?」颯太は微笑んだ。「俺にはできない、お前らしい解決方法だ」
陽斗は颯太の言葉に安堵した。
「でも、しばらく美月に会えないのは辛いよ」
「大丈夫だ」颯太は断言した。「お前らの絆は、そんなことで壊れたりしない」
「颯太...」
「俺が保証する」颯太は真剣な表情になった。「美月の気持ちは本物だ。お前への想いは絶対に変わらない」
陽斗は颯太の言葉に涙が出そうになった。
「ありがとう、颯太」
「礼を言うな」颯太は照れながら答えた。「俺たちは友達だろ?」
「うん...友達だ」
二人は手を握り合った。長い間ぎくしゃくしていた関係が、ついに完全に修復された瞬間だった。
「何かあったら、いつでも相談しろよ」颯太が言った。
「颯太も、何かあったら頼ってくれ」陽斗が答えた。
「ああ、分かってる」
二人は互いを信頼し合える、本当の友達に戻ることができた。美月を巡る三角関係は終わったが、男同士の友情は永遠に続いていくだろう。
春の夜風が、二人の新しい門出を祝福しているようだった。