颯太の告白
時は少し戻って、二月の下旬。陽向学園では春の訪れを感じさせる暖かい日が続いていた。
海斗先輩の受験から数日が経ち、合格発表を待っている状況だった。きっと合格して、春からは関西での新生活が始まることだろう。美月にとって、頼れる先輩がいなくなるのは不安でもあった。
美月は放課後の生徒会室で、卒業式の準備を進めていた。海斗先輩をはじめとする3年生の卒業まで、あと一週間ほどしかない。
「美月、お疲れさま」
振り返ると、陽斗が現れた。最近は家族の監視もあって、以前ほど自由に話せないが、それでも生徒会の仕事を通じて一緒にいる時間は確保できていた。
「照井君、お疲れさまです。卒業式の準備、手伝っていただけますか?」
「もちろん」陽斗は美月の隣に座った。「3年生が卒業すると、寂しくなりますね」
「そうですね。特に海斗先輩がいなくなるのは...」美月は少し寂しそうに言った。
「でも、僕たちも新しい生徒会体制で頑張ろう」陽斗が励ました。
「はい」美月は微笑んだ。
二人が作業をしていると、生徒会室のドアが開いた。
「よお、お疲れ」
現れたのは颯太だった。最近は以前ほど生徒会室に顔を出すことはなかったが、今日は何か用があるようだった。
「颯太君、どうしたの?」美月が振り返る。
「ちょっと相談があってな」颯太は椅子に座った。「卒業式の日、送辞を読むことになったんだ」
「そうですね、先生から連絡をいただいてました」美月が頷いた。「颯太君が選ばれたって聞いて、とても良い選択だと思ってました」
「そう言ってもらえると嬉しいけど...」颯太は頭を掻いた。「でも、何を話せばいいか分からなくて。美月、アドバイスをもらえないか?」
美月は少し考えてから答えた。「3年生への感謝の気持ちを素直に表現すればいいんじゃないでしょうか?」
「感謝の気持ちか...」颯太は呟いた。「俺、そういうの苦手なんだよな」
「でも颯太君は、本当は優しい人だから大丈夫ですよ」美月が励ました。
颯太は美月の言葉に、少し表情を和らげた。
「ありがとな、美月」
その後、三人で送辞の内容について相談していた。颯太の不器用ながらも真摯な想いが、少しずつ形になっていく。
「こんな感じでどうかな?」颯太が下書きを見せた。
美月は原稿を読んで感心した。「とても良いと思います。颯太君らしい、真っ直ぐな想いが伝わってきます」
「本当?」颯太は安堵した。
「うん、きっと3年生にも伝わるよ」陽斗も同意した。
作業がひと段落したとき、陽斗の携帯が鳴った。メッセージを確認した陽斗の表情が少し変わった。
「あ...えーっと」陽斗が困ったような表情を見せた。「実は、お父さんから連絡があって、今日は早く帰るように言われたんだ」
「そうなんですか?」美月が心配そうに尋ねる。
「最近、家族の監視が厳しくて...」陽斗は申し訳なさそうに荷物をまとめ始めた。「ごめん、美月。途中で抜けることになっちゃって」
「いえ、大丈夫です。家族のことが大切ですから」美月は理解を示した。
「颯太も、送辞の件ありがとう。また明日、続きをやろう」陽斗が手を振る。
「ああ、気をつけて帰れよ」颯太も手を振った。
陽斗が去った後、美月と颯太は残りの作業を続けていた。
「颯太君」美月が作業を続けながら口を開いた。「私、あなたに話したいことがあるんです」
颯太の手が止まった。美月の声に、いつもとは違う真剣さがあった。
「何だ?」
「私たちの関係について、はっきりさせたいことがあるんです」美月が振り返った。「屋上に行きませんか?」
颯太は美月の様子に驚いた。いつもとは違う、決意を込めた雰囲気があった。
「分かった」
二人は屋上に向かった。夕日が校舎を美しく照らしている。
「颯太君」美月が口を開いた。「私たちの関係について、はっきりさせたいことがあるんです」
颯太は少し緊張した表情を見せた。
「修学旅行の後、私と照井君の関係が変わったことは、颯太君も感じてらっしゃいますよね?」
「ああ...まあな」颯太は曖昧に答えた。
「でも、颯太君の気持ちについて、私はまだちゃんと向き合えていませんでした」美月は続けた。「それは颯太君にも、照井君にも失礼だと思って」
颯太は美月の真剣な表情に、何かを感じ取った。
「美月...」
「だから、今日はきちんとお話ししたいんです」美月は颯太を見つめた。「颯太君の本当の気持ちを教えてください」
颯太はしばらく黙っていた。そして、複雑な表情を浮かべながら口を開いた。
「美月...俺は確かにお前のことが好きだった」
美月は颯太の言葉を静かに聞いていた。
「でも」颯太は続けた。「最近、色々考えるうちに気づいたことがあるんだ」
「どんなことですか?」
「俺の気持ちは...本当に恋愛感情だったのかって」颯太は夕日を見つめた。「最初は確かに、美月に惹かれてた。でも時間が経つにつれて、それが恋なのか、友情なのか、よく分からなくなってきたんだ」
美月は颯太の正直な言葉に、少し驚いた。
「それに」颯太は苦笑いした。「陽斗と美月を見てると、俺にはああいう純粋な想いはないって気づいたんだ」
「颯太君...」
「俺は美月を大切に思ってる。でもそれは、きっと友達として、仲間としてなんだ」颯太は美月に向き直った。「恋人として愛してるわけじゃない」
美月は颯太の言葉に、安堵と少しの寂しさを感じた。
「そうですか...」
「ごめんな、曖昧な態度を取って」颯太は頭を掻いた。「俺も自分の気持ちがよく分からなくて、混乱してたんだ」
美月は首を振った。「謝らないでください。正直に話してくれて、ありがとうございます」
「美月は...俺のこと、どう思ってる?」颯太が尋ねた。
美月は少し考えてから答えた。
「私も颯太君のことは大切に思ってます」美月は真剣に言った。「でも、やはり友達として、仲間としてです」
颯太は安堵したような表情を見せた。
「そうか...なら、お互い同じ気持ちなんだな」
「はい」美月は微笑んだ。「颯太君は大切な友達です」
「俺もだ」颯太も笑った。「これで、変な気まずさがなくなりそうだ」
二人は並んで夕日を見つめていた。
「それで、美月は陽斗とどうするつもりなんだ?」颯太が尋ねた。
「まだ家族の反対という問題がありますが...」美月は決意を込めて言った。「私、照井君への気持ちは確かです」
「そうか」颯太は満足そうに頷いた。「なら、俺も応援するよ」
「ありがとうございます」
「でも一つだけ約束してくれ」颯太が振り返った。
「何ですか?」
「もし陽斗がお前を泣かせるようなことがあったら、その時は俺を頼ってくれ」
美月は颯太の言葉に、彼の優しさを感じた。
「ありがとうございます。でも、照井君はそんなことしません」
「ああ、俺もそう思う」颯太は笑った。「あいつは俺より、ずっと立派な男だからな」
屋上での話を終えて、美月は颯太と一緒に校舎を出た。ようやく複雑だった関係に決着がついて、心が軽やかになっていた。
校門前で颯太と別れた美月は、家に向かって歩いていた。そろそろ夕食の準備を手伝わなければならない。
その時、角の向こうから陽斗の声が聞こえてきた。
(照井君?)
美月は不思議に思って、そっと角を曲がってみた。すると、少し離れた公園で、陽斗と麗奈が並んでベンチに座って話をしているのが見えた。
美月の心臓がドキドキした。陽斗は家族の用事で早く帰ると言っていたのに、どうして麗奈さんと?
美月は隠れるように二人の様子を見守った。罪悪感はあったが、気になって仕方がなかった。
「照井君、お忙しい中お時間をいただいて、ありがとうございます」麗奈が丁寧にお辞儀した。
「ううん、急に呼び出されて驚いたけど、大丈夫だよ」陽斗が答える。
美月は胸がざわざわした。麗奈が陽斗を呼び出したということ?
「実は、お聞きしたいことがあるんです」麗奈が口を開いた。「照井君と美月さんの関係について」
陽斗の表情が少し緊張した。
「最近、お二人の距離が少し離れているように見えるのですが...何かあったのですか?」麗奈が心配そうに尋ねた。
陽斗は少し迷うような表情を見せてから答えた。
「実は...家族の反対があって」陽斗が重い口調で説明した。「僕の父親が、美月との交際を認めてくれなくて」
「そうだったんですか...」麗奈が驚く。
「だから今は、少し距離を置かざるを得ない状況なんです」陽斗は続けた。「でも、僕の気持ちは変わりません」
美月は陽斗の言葉に胸が熱くなった。家族の反対で辛い思いをしているのに、自分への想いは変わらないと言ってくれている。
「照井君...」麗奈が小さく呟いた。
しばらく沈黙が続いた後、麗奈が勇気を振り絞って口を開いた。
「もしかしたら、今がチャンス...」麗奈が小さく呟いてから、陽斗を見つめた。
「え?」陽斗が困惑する。
「照井君が美月さんと距離を置かざるを得ない今なら...」麗奈は震え声で続けた。「私の気持ちを受け取ってもらえるかもしれないって思ったんです」
陽斗は驚いた。「厳島さん...」
「私、照井君のことがずっと好きでした」麗奈は涙を堪えながら言った。「照井君の優しさ、明るさ、みんなを思いやる心。全部が素敵で、一緒にいるだけで幸せでした」
美月は隠れている場所で、胸が締め付けられた。麗奈の真剣な想いが痛いほど伝わってくる。
「だから、もし美月さんとの関係が難しくなったなら...」麗奈が続けた。「私じゃダメでしょうか?」
陽斗は困った表情を見せた。麗奈の真っ直ぐな想いに心を動かされたが、答えは決まっていた。
「厳島さん、ありがとうございます」陽斗が真剣な表情になった。「でも、僕の気持ちについて、はっきりさせておきたいんです」
「はい」
「僕は美月を愛しています。たとえ家族に反対されても、たとえどんな困難があっても、その気持ちは変わりません」陽斗は率直に言った。
麗奈の表情が変わった。
「でも厳島さんの気持ちも大切だから、ちゃんと向き合いたいんです」陽斗は続けた。「僕では、厳島さんの想いに応えることはできません。申し訳ありません」
麗奈は少し俯いた。そして、顔を上げて微笑んだ。
「分かりました」麗奈は静かに言った。「やはり、照井君の心は美月さんにあるんですね」
「はい」陽斗は正直に答えた。
「私の一方的な想いでした」麗奈は立ち上がった。「でも、照井君の気持ちがはっきり聞けて、良かったです」
「厳島さん...」
「ありがとうございました」麗奈は最後にお辞儀をした。「美月さんを大切にしてください」
そう言って、麗奈は公園を去って行った。
美月は隠れている場所から、一部始終を見ていた。陽斗が家族の反対で苦しんでいること、それでも自分への想いは変わらないということ、そして麗奈をきっぱりと断ったこと。
麗奈には申し訳ない気持ちもあったが、美月の心は喜びでいっぱいだった。陽斗の想いが本物だということを、改めて確認できたから。
陽斗は一人残されて、ベンチに座っていた。複雑な表情をしている。
美月は意を決して、陽斗の元に向かった。
「照井君」
陽斗は振り返って驚いた。「美月?どうしてここに?」
「たまたま通りかかって...」美月は少し照れながら言った。「お話、聞こえてしまいました」
陽斗の顔が赤くなった。「聞こえてた?」
「家族の反対のこと、厳島さんへの返事のこと」美月は陽斗の隣に座った。「全部聞こえました」
「美月...」
「ありがとうございます」美月が小さく言った。「私への想いは変わらないって言ってくれて」
陽斗は美月の手を握った。「当たり前だよ。僕の気持ちは絶対に変わらない」
「私も同じです」美月は陽斗の手を握り返した。「照井君への想いは、何があっても変わりません」
二人は手を繋いだまま、夕日を見つめていた。
家族の反対という大きな問題はまだ残っているが、お互いの想いは確固たるものになっていた。どんな困難があっても、二人で乗り越えていけるだろう。
春の夕暮れが、二人の新しい決意を優しく包んでいた。