美術部の麗奈
紅葉狩りから一週間が経った。
美月は生徒会室で書類整理をしていたが、なかなか集中できずにいた。先週の高尾山での出来事が頭から離れないのだ。特に、陽斗と手を繋いだ瞬間のドキドキが印象に残っている。
「美月、お疲れさま」
振り返ると、海斗先輩が入ってきた。
「海斗先輩、お疲れさまです」
「書類整理、順調?」
「はい。でも、少し...」美月は困ったような表情をした。
「どうかした?」海斗先輩が心配そうに尋ねる。
「実は、美術部から文化祭の展示に関する相談があって」美月は資料を見せた。「厳島さんからの提案なんですが...」
「厳島さん?」
「紅葉狩りの思い出を絵にして展示したいそうなんです。でも、個人の肖像を含む作品の展示には許可が必要で...」
海斗先輩は資料に目を通した。「なるほど、確かに複雑だね」
その時、生徒会室のドアがノックされた。
「失礼します」
現れたのは麗奈だった。美術部の制服を着て、スケッチブックを抱えている。
「厳島さん、ちょうど良いタイミングです」美月が振り返る。
「お忙しい中、すみません」麗奈は丁寧にお辞儀した。「展示の件でご相談があって」
海斗先輩が席を立った。「じゃあ、僕は失礼するよ。詳しい検討は任せるね」
海斗先輩が去った後、美月と麗奈は向かい合って座った。
「で、どんな作品を展示したいんですか?」美月が尋ねる。
麗奈はスケッチブックを開いた。そこには先日の紅葉狩りでの思い出が美しく描かれていた。高尾山の紅葉の風景、みんなでお弁当を食べているシーン、ケーブルカーから見た景色。
「すごく上手ですね」美月が感嘆した。
「ありがとうございます」麗奈は微笑んだ。「そして、こちらが照井君を描いた絵です」
麗奈は次のページを開いた。そこには、紅葉を見上げる陽斗の横顔が描かれていた。紅葉狩りの時にスケッチしたものを、さらに丁寧に仕上げたもののようだった。とても繊細で美しいタッチで、陽斗の優しい表情が見事に表現されている。
「照井君...」美月は息を呑んだ。
「紅葉狩りの時の表情が、とても素敵だったので思わず描いてしまいました」麗奈は少し照れながら言った。「でも、この絵を展示するには、ご本人の許可が必要ですよね」
美月は複雑な気持ちになった。麗奈の絵は本当に美しくて、陽斗への想いが込められているのがよく分かった。
「そうですね...照井君に確認してみましょう」
「実は」麗奈は少し迷うような表情を見せた。「月野さんにお聞きしたいことがあるんです」
「私に?」
「照井君と月野さんって...その...」麗奈は言いにくそうにしていた。
美月は麗奈の気持ちを察した。「私たちは...まだ特別な関係じゃないです」
「そうですか」麗奈は少し安堵したような表情を見せた。「実は、私...照井君のことが気になって」
美月は心臓がドキドキした。ついに麗奈が本音を話し始めた。
「厳島さん...」
「照井君は月野さんのことがお好きなのは分かります」麗奈は続けた。「でも、私も諦めたくないんです」
美月は答えに詰まった。麗奈の気持ちは理解できるが、自分の気持ちも複雑だった。
「月野さん、私が照井君にアプローチしても...怒りませんか?」
「怒るなんて...」美月は首を振った。「でも...」
「でも?」
「照井君が傷つくようなことは...してほしくないです」
麗奈は美月の言葉を深く受け止めた。「分かりました。私は正々堂々と、照井君の気持ちを確かめてみます」
その日の昼休み、麗奈は陽斗を美術室に誘った。
「照井君、少しお時間ありますか?」
「厳島さん?どうしたの?」陽斗は首をかしげた。
「展示の件でご相談が」
美術室は静かで、絵具の匂いが漂っていた。壁には美術部員たちの作品が飾られている。
「これが紅葉狩りで描いた絵です」麗奈はスケッチブックを見せた。
「すごいじゃないか!本当に上手だね」陽斗は感心した。
「ありがとうございます」麗奈は嬉しそうに微笑んだ。「実は、照井君を描いた絵もあるんです」
陽斗の横顔を描いた絵を見せると、陽斗は驚いた。
「えっ、僕?」
「紅葉を見上げてる時の表情が、とても素敵だったので」
「照れるなあ」陽斗は頭を掻いた。「でも、俺ってこんな顔してるんだ」
「とても優しい表情です」麗奈は真剣に言った。「照井君は、いつもそんな優しい表情をされてる」
陽斗は少し困ったような顔をした。麗奈の視線に、何か特別な意味があることを感じ取ったのだ。
「厳島さん...」
「照井君」麗奈が口を開いた。「私、照井君のことが好きです」
陽斗は驚いて固まった。
「月野さんと照井君の関係は分かってます」麗奈は続けた。「でも、私も自分の気持ちを伝えたくて」
「厳島さん...」
「答えは期待してません」麗奈は微笑んだ。「ただ、私の気持ちを知っておいてほしくて」
陽斗は困惑していた。麗奈の気持ちは嬉しいが、自分の心は既に美月に向いている。
「ありがとう、厳島さん。でも僕は...」
「美月さんのことが好きなんですよね」麗奈が先に言った。
陽斗は頷いた。
「分かってます」麗奈は穏やかに微笑んだ。「でも、まだ美月さんの返事は聞いてないんですよね?」
「うん...」
「なら、私にもチャンスをください」麗奈は真剣な表情になった。「私、照井君を幸せにしたいんです」
陽斗は麗奈の真っ直ぐな想いに心を動かされた。でも、やはり答えは変わらなかった。
「厳島さん、君はとても素敵な人だと思う」陽斗は誠実に答えた。「でも、僕の気持ちは美月に向いてるんだ」
麗奈は少し悲しそうな表情を見せたが、すぐに微笑んだ。
「そうですか...でも、まだ諦めません」
「厳島さん...」
「美月さんがもし照井君を選ばなかったら、その時は私を見てください」
放課後、美月は一人で屋上にいた。麗奈との会話が頭から離れない。
「美月」
振り返ると、豊が立っていた。
「豊君?どうしてここに?」
「美月を探してたんだ」豊は隣に座った。「なんか悩んでるみたいだから」
「分かるの?」
「幼馴染だからね」豊は眼鏡をクイッと上げた。「美月の表情見てれば、何かあったって分かるよ」
美月は驚いた。「そんなに分かりやすい?」
「美月は隠し事が下手だから」豊は苦笑いした。「何か厳島さんに関することでもあった?」
「どうして厳島さんだって分かるの?」
「勘だよ」豊は分析的に言った。「投資的観点から言うと、美月の表情の変化から推測すると、恋愛関係の問題ですからね。で、最近接点があったとすれば...」
「そうかな...」美月は困ったような表情をした。「実は、厳島さんから展示の相談を受けたの。照井君の絵を描いたから許可をもらいたいって」
「なるほど」豊は眼鏡をクイッと上げた。「それで美月が複雑な気持ちになってるのか」
「で、美月はどう思ってるの?」
「どうって...」
「照井君を取られちゃうかもって、心配してる?」
美月はハッとした。確かに、麗奈の告白を聞いて、なぜか胸がざわざわしていた。
「私...」美月は小さく呟いた。「照井君を取られたくないって思ってる」
豊は優しく微笑んだ。「それが答えじゃない?」
「え?」
「美月の気持ちは、もう決まってるんだよ」豊は続けた。「照井君が他の人に取られるのが嫌だって思うなら、それは恋愛感情でしょ」
美月は自分の心を見つめ直した。確かに、陽斗が麗奈に取られてしまうかもしれないと思うと、胸が苦しくなった。
「でも、颯太君への気持ちも...」
「颯太君のことも大切に思ってる。でも、照井君への気持ちとは種類が違うんじゃない?」
美月は豊の言葉を深く考えた。確かに、颯太への気持ちと陽斗への気持ちは違っていた。
「豊君...ありがとう」
「どういたしまして」豊は立ち上がった。「でも、答えを出すなら早い方がいいよ。投資のタイミングと同じでね」
夕方、美月は帰り道で陽斗と出会った。
「美月、お疲れさま」
「照井君もお疲れさま」
「あの...今日、厳島さんに告白されたんだ」陽斗が切り出した。
美月の心臓がドキドキした。
「そうなんですか...」
「僕は断ったけど...美月はどう思う?」
「どうって...」
「僕の気持ちは変わらないよ」陽斗は真剣な表情で言った。「美月が僕を選んでくれるまで、待ってる」
美月は陽斗の真っ直ぐな眼差しに心を動かされた。
「照井君...」
「でも、急がないで」陽斗は優しく微笑んだ。「美月が納得できる答えが見つかるまで」
二人は並んで歩いていた。夕日が二人を美しく照らしている。
美月は思った。陽斗といると、こんなにも安心できて、幸せを感じられる。これが恋愛感情なのかもしれない。
「照井君」美月が口を開いた。
「うん?」
「私...」美月は勇気を振り絞った。「もう少しだけ、時間をください」
「もちろん」陽斗は笑顔で答えた。
でも、美月の心の中では、既に答えが見え始めていた。
その夜、美月は自分の部屋で窓の外を見ていた。三日月が美しく輝いている。
麗奈の告白、豊のアドバイス、陽斗の想い。今日という日が、美月の心を大きく動かした。
(私の気持ちは...照井君に向いてる)
美月はついに自分の心を理解し始めていた。陽斗への想いが、友情を超えた恋愛感情であることを。
でも、颯太への想いも整理しなければならない。そして、麗奈の気持ちにも向き合わなければならない。
(もう少しだけ...もう少しだけ時間をください)
美月は月に向かってそう呟いた。答えは、もうすぐそこまで来ていた。
一方、その頃の麗奈は自分の部屋で今日のことを振り返っていた。
陽斗に告白したものの、やはり断られてしまった。でも、後悔はしていない。自分の気持ちを伝えられただけでも良かった。
その後の数日間、麗奈は陽斗との関係を普通に保とうと努めていた。美術部での活動も、いつものように続けている。でも、やはり少し気まずさは残っていた。
廊下で陽斗とすれ違う時、以前のように自然に話しかけることができない。陽斗も麗奈の気持ちを察してか、優しく接してくれるが、それがかえって麗奈の胸を痛めた。
「厳島さん、大丈夫?」
美術室で一人スケッチをしていると、同じ美術部の友達が心配そうに声をかけてきた。
「ええ、大丈夫です」麗奈は微笑んだ。
「なんか、最近元気がないみたいだけど...」
「ちょっと恋愛関係で」麗奈は正直に答えた。「でも、もう大丈夫です」
実際、麗奈の中では新しい決意が固まっていた。陽斗を諦めるという意味ではない。陽斗の幸せを一番に考えよう、ということだった。
もし陽斗が美月を選ぶなら、それを心から祝福しよう。でも、もし美月が陽斗を選ばなかったら、その時は自分が陽斗を支えてあげたい。
「照井君...」
麗奈は窓の外を見ながら、心の中で呟いた。来月の修学旅行では、陽斗と美月の関係がどう変わるのだろう。複雑な気持ちもあるが、二人の幸せを見守っていこうと思った。
そして、自分の想いも、もう少しだけ大切に育てていこう。諦めるのではなく、陽斗の本当の幸せを願いながら。
スケッチブックに描かれた陽斗の横顔を見つめながら、麗奈は静かに微笑んだ。