春の転校生
春の陽射しが眩しい四月の朝、陽向学園高等部2年A組の教室は新学期特有のざわめきに包まれていた。
「おはようございます」
いつものように一番乗りで教室に入った生徒会長の月野美月は、黒板に今日の予定を書き始めた。几帳面な性格の彼女にとって、これは毎朝の日課だった。
「美月ちゃん、今日も早いね〜」
後から入ってきたクラスメイトが声をかける。美月は振り返って軽く会釈した。
「おはようございます。今日は新学期ですから、気を引き締めないと」
そんな美月の真面目な返答に、クラスメイトたちは苦笑いを浮かべた。美月は優秀で責任感が強いが、時々堅すぎるのが玉に瑕だった。
八時半になり、担任の田中先生が教室に入ってきた。
「おはよう、みんな。新学期だな」田中先生は出席簿を机に置きながら言った。「今日は新しい仲間を紹介する。入ってこい」
教室のドアが開き、一人の男子生徒が現れた。
背が高く、整った顔立ち。何より印象的だったのは、まるで太陽のような明るい笑顔だった。教室がざわめく中、彼は黒板の前に立った。
「えーっと、みんな、はじめまして!」彼は手を大きく振りながら言った。「照井陽斗です。今日からよろしくお願いします!」
なぜか決めポーズを取る陽斗。教室が一瞬静まり返った後、女子生徒たちの黄色い声援が響いた。
「かっこいい〜!」
「爽やか〜!」
「どこから来たの?」
美月はその様子を冷静に観察していた。確かに整った顔立ちだが、なんというか...少し変わっている。普通、転校初日にあんなに明るくできるものだろうか?
そして、なぜだろう。陽斗を見た瞬間、胸の奥で何かがざわめいた。まるで昔から知っているような、不思議な親近感。でも、そんなはずはない。今日が初対面なのだから。
「照井君は隣の市から転校してきた。趣味はバスケットボールと料理だそうだ」田中先生が紹介を続ける。「えーっと、転校理由は...家庭の事情、だったかな?」
「はい」陽斗は一瞬、表情を曇らせた。「ちょっと...色々あって」
その時の陽斗の表情に、美月は違和感を覚えた。まるで何か重要なことを隠しているような...「席は...そうだな、月野の隣が空いてるな」
美月の心臓がドキンと跳ねた。隣?なぜ自分の隣?
「月野、学校案内を頼む」
「は、はい」美月は立ち上がった。
陽斗は美月の隣の席に座ると、人懐っこい笑顔を向けた。
「よろしく、月野さん。美月って読むんだよね?きれいな名前だね」
「あ、ありがとうございます」美月の頬がほんのり赤くなった。
陽斗の笑顔には不思議な魅力があった。見ているだけで気持ちが明るくなるような、温かい光を感じる。美月は慌てて視線を逸らした。
「それにしても、太陽みたいな笑顔だね、君は」後ろの席の男子生徒が声をかけた。
「えへへ、よく言われるんだ」陽斗は照れながら頭を掻いた。「僕のモットーは『太陽のように明るく』だから!」
またもや決めポーズ。今度は教室全体がざわついた。
(この人、本当に変わってるな...)美月は内心でつぶやいた。
午前中の授業が終わり、昼休みになった。美月は約束通り陽斗を学校案内に連れ出した。
「この学校、すごく立派だね」陽斗は廊下を見回しながら言った。「創立何年なの?」
「100年です。歴史と伝統のある学校として有名なんです」美月が説明する。「あ、そうそう。この学校には古い言い伝えがあるんです」
「言い伝え?」
「昔から、この学校では運命的な出会いがあると言われているんです。特に、名前に特別な意味を持つ生徒同士は...」美月は首を振った。「でも、ただの噂ですよ。非科学的ですし」
陽斗は興味深そうに聞いていた。「へえ、面白いね。僕の名前も何か意味があるのかな?」
その時、美月は妙な感覚に襲われた。陽斗の名前を聞いた瞬間、頭の奥で何かがチカッと光ったような...でも、それが何なのかは分からなかった。
「そ、そういえば」美月は慌てて話題を変えた。「創立100年って聞いて、どう思いました?」
「100年か!すごいなあ」陽斗は感心したように言った。「僕のひいひいおじいちゃんが生まれる前からあるんだ」
「ひいひい...?」美月は困惑した。普通、そこまで遡るものだろうか。
「あ、でも僕の家系、長生きなんだ。おじいちゃんもまだ元気だよ」陽斗は屈託なく笑った。
二人は校内を歩きながら会話を続けた。図書館、体育館、食堂...陽斗は全てに興味深そうに反応していた。
「君はいつもそんなに真面目なの?」食堂で昼食を取りながら陽斗が尋ねた。
「真面目で何が悪いんですか」美月は少しムッとした。
「悪くないよ!でも、もっと笑った方がかわいいと思うな」
美月の箸が止まった。顔が真っ赤になる。
「か、かわいいって...」
「あ、ごめん。変なこと言った?」陽斗は慌てた様子で手をひらひらと振った。「僕、思ったことをそのまま言っちゃう癖があるんだ」
美月は下を向いたまま答えた。「べ、別に変じゃありません。ただ、そんな風に言われたことがなくて...」
「え?嘘でしょ?美月みたいにかわいい子が?」
「かわいいって言わないでください!」美月は慌てて立ち上がった。
その拍子に、陽斗の味噌汁が美月の制服にかかってしまった。
「あ!ごめん!」陽斗は慌ててハンカチを差し出した。
「だ、大丈夫です」美月も慌ててハンカチで拭き取ろうとする。
二人が慌てふためいている様子を見て、周りの生徒たちがクスクスと笑っていた。
「新しいカップルの誕生?」
「美月ちゃん、意外と初々しいじゃん」
そんな声が聞こえて、美月の顔はますます赤くなった。
午後の授業中、美月は集中できずにいた。隣に座る陽斗の存在が気になって仕方ない。
陽斗は真面目に授業を受けているようだったが、時々ノートに何かを描いている。チラッと覗いてみると、太陽の絵だった。
(この人、太陽が好きなのかな...)
そんなことを考えていると、陽斗が顔を向けた。
「どうかした?」と小声で尋ねる。
美月は慌てて前を向いた。「な、何でもありません」
放課後、美月は生徒会室で仕事をしていた。書類整理をしていると、ノックの音がした。
「失礼します」
入ってきたのは陽斗だった。
「照井君?どうして?」
「実は、僕も生徒会に入りたくて。前の学校でも生徒会をやってたんだ」
美月は驚いた。「そうなんですか?」
「うん。人の役に立つのが好きなんだ。それに...」陽斗は照れながら続けた。「美月と一緒に仕事ができたらいいなって思って」
美月の心臓がまたドキンと跳ねた。
「で、でも生徒会は簡単に入れるものじゃ...」
「大丈夫!僕、やる気だけは人一倍あるから!」陽斗は親指を立てた。「太陽のように明るく、みんなのために頑張るよ!」
三度目の決めポーズ。美月は思わず吹き出してしまった。
「ふふ、照井君って本当に変わってますね」
「変わってる?」
「でも...嫌いじゃありません」美月は小さく微笑んだ。
陽斗の顔がパァッと明るくなった。まさに太陽のような笑顔だった。
「やった!じゃあ、今度詳しく教えてね」
「はい」美月も自然と笑顔になっていた。
夕日が校舎を照らす中、美月は陽斗に生徒会の基本的な活動について簡単に説明していた。時々陽斗の真剣な表情を盗み見てしまう。
(どうして私、こんなに意識してるんだろう...)
美月にとって、これまで恋愛なんて縁のない話だった。勉強と生徒会の仕事で忙しく、男子生徒と話すことも滅多になかった。
でも陽斗は違う。自然に話しかけてくるし、一緒にいると不思議と心が軽やかになる。それに...
「あの、照井君」美月が口を開いた。「どうして転校してきたんですか?さっき、家庭の事情って...」
陽斗の手が止まった。しばらく沈黙が続いた後、彼は苦笑いを浮かべた。
「実は...僕、前の学校で変な事件に巻き込まれちゃって」
「事件?」
「うーん、どう説明したらいいかな...」陽斗は頭を掻いた。「僕の周りで、時々不思議なことが起こるんだ。それで、環境を変えた方がいいって親に言われて」
美月は息を呑んだ。不思議なこと?
「でも、まあ、細かいことは気にしないで」陽斗は慌てたように手を振った。「今度こそ、普通の高校生活を送りたいんだ」
その時、強い風が窓を揺らした。外はまだ明るいのに、空に黒い雲が現れている。
「あれ?急に天気が...」美月が窓を見ると、雲がまるで陽斗を見下ろすような形に見えた。
でも、次の瞬間には雲は消えていた。
「気のせい...ですよね」美月が呟く。
「うん、きっとそうだよ」陽斗も窓を見ていたが、その表情は少し緊張していた。
「美月、ありがとう」陽斗が急に言った。
「え?」
「今日、いろいろ教えてくれて。僕、この学校に来てよかった」
陽斗の真っ直ぐな眼差しに、美月はドキドキした。
「こ、こちらこそ。照井君が来てくれて...その...」
「その?」
「楽しかったです」美月は小声で答えた。
二人の間に、春の夕日が優しく差し込んでいた。
しかし美月は知らなかった。明日、さらに大きな嵐がこの学校にやってくることを。そして、自分と陽斗の出会いが、ただの偶然ではないということを。
陽向学園に新しい風が吹き始めた春の一日。それは、すべての始まりだった。