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 第五章 死者は生き返らず

 瑠璃左衛門さんが死んで三日目だ。

 学校帰りにプレハブ小屋でぼくら三人は待ち合わせた。

 コトブーがぼやく。

「チエちゃんとオニヘーダヌキ。そんなにいちゃいちゃするなよ。宿題の邪魔だぞ」

 すると瑠璃左衛門さんがピクッと動いた。

 目が開く。

 口が動いた。

 首をコキコキ鳴らして瑠璃左衛門さんが起きあがった。

「ああ痛かった」

 ぼくらは目を見張った。

 いまさらだけど。

 コトブーがため息を吐き出した。

「ああ痛かったじゃねえだろ。人騒がせな」

 瑠璃左衛門さんが意外という顔になる。

「おや? 私が不死身だと信じなかったのかね?」

 ぼくとミクとコトブーはひたいを突き合わせた。

『普通は信じないよね』とぼく。

『吸血鬼ってこんなやつかな』とミク。

『それより肉まん一年分はどうよ』とコトブー。

 あっ。

 そういやそうだとぼくは思い出した。

 そのためにこんな苦労をしたんだった。

 ぼくはチエちゃんに声をかけた。

「あのチエちゃん。記憶を取りもどしてあげたんだからぼくの願いを聞いてくれるよね?」

 人形がぼくにうなずいた。

「ええ。ひとりにひとつね」

 ぼくは思い切って口に出した。

「死者を生き返らせてほしい。海江田亜季って女の子を。四月にあの病院で死んだんだ」

 チエちゃんが悲しげな顔を瑠璃左衛門さんに向けた。

 瑠璃左衛門さんがぼくを見た。 

「ユーヤくん。それは無理だ」

「えっ? どうして? 瑠璃左衛門さんは人形に魂を封じることだってできるじゃない?死んでも生き返るしさ。アキの魂だってなにかに移せばいいじゃない!」

 ぼくはいきり立った。

 ぼくと正反対に瑠璃左衛門さんが静かに答えた。

「その願いはかなえられない。封魂の術はまだ生きてる者の魂を封じる術だ。すでに死んだ者の魂がどこへ行くのか私は知らない。私をこんな身体に変えた悪魔と名乗る女なら可能だろう。だが悪魔に頼むと破滅するだけだと思うな。死ぬ寸前のその子を生き返らせて再び死にゆくやり切れなさをもう一度かみしめさせるとかね。どんなに手を尽くしても助からない命を見せつけられるのはたまらない。おカネでよければ私が都合してあげる。だが死者を生き返らせるのは私にもチエちゃんにも無理だ。ほかの願いにしてくれないか」

 ぼくは肩を落とした。

 やっぱりだめか。

 ぼくはことさら明るく話題を変えた。

 うまく運ぶとは思ってなかった。

 死者を生き返らせるなんてありえない。

 しゃべる人形や死なない人間を見てあるいは思っただけだから。

 ぼくは明るく言った。

 涙をこぼしながら。

 どうしてアキの魂は呼びもどせないんだよぉ!

「でも瑠璃左衛門さん。なぜおカネが稼げるの? 管理人と言っても自分の屋敷だから実質は無職でしょう?」

 瑠璃左衛門さんがぼくの胸の内を察してせつなげな顔で答えた。

「ユーヤくん。私はね不死身なんだよ。世界中の金持ちや貴族にその事実を見せつけるとどんな反応が返ると思う?」

「不死身になりたいと願う?」

「そう。金持ちほど不死の秘密を教えてくれと向こうからおカネを持って来る。封魂の術も痛いけどカネにはなる」

 ぼくはあきれた。

 いちいち死ななきゃならない術だと思わなかったけどねと。

 ぼくの願いを耳にしたミクとコトブーが口を引き結んだ。

 ゲームソフト一本と肉まん一年分を要求する気になれなくなったらしい。

 気のせいかぼくを見るコトブーの目が優しい。

 ぼくはミクとコトブーをうながした。

「ミクとコトブーの願いはかなえてもらいなよ」

 ふたりの願いなら図書室の本をすこし売れば充分なはずだ。

 コトブーがぼくの肩に手を置く。

「ユーヤお前そんな願いをたくらんでたのか。おれはお前を見そこなってたぜ。新しい自転車でもほしいのかと思ってた。たしかに海江田の死はおれにも責任がある。でなユーヤ。おれにひとつ考えがあるんだ。乗るか?」

「なに? 考えって?」

「時の迷走樹だ。おれたちふたりであれを食って一年前にもどる。海江田は適合する骨髄の提供者がいなかった。提供者つまり『ドナー』だな。海江田にぴったりなドナーさえいれば命が助かる。そんな話だったろ? そこで一年前にもどってドナーを大々的に募集するんだ。増えた中に海江田に合うドナーがいれば海江田は助かる」

「でもそれ」

 ぼくは思案した。

 アキが生き返るんじゃなくてアキの白血病が治れば死ななくてすむ。

 たしかにそのとおり。

 けどうまく運ぶか?

 ドナーを募集するなんてテレビでもやっている。

 なのにアキに適合する提供者がいなくてアキの白血病は治らなかった。

 ウルルが言ったようにぼくらも同じことをただくり返すだけじゃないか?

 運よく一年前にもどれたとしてアキが生き伸びる率はゼロに近い。

 ただぼくがアキを釣りにつれて行かなければアキはもうすこし長く生きただろう。

 ぼくはうなずいた。

「うん。その案に乗るよ。瑠璃左衛門さん。時の迷走樹の実をぼくらにふたつください」

 瑠璃左衛門さんが眉を曇らせた。

「いくらでもあげよう。けどあの実が期待どおりの効果をあげるとは思えないぞ? 私も食べた経験がある。でもなにも変えられなかった。ささいな出来事は変化する。だがほとんど影響なしとしか言えない。そもそもあの木は誰も研究した者がいないんだ。たまたま人身売買されそうになったインカ王の末裔を名乗る男を助けてタネをもらっただけでね。常識人ならそんな与太話は信じないだろう。でも私自身が眉唾者だから植えてみたんだ」

 ぼくは笑った。

 もう涙は出ない。

「眉唾者はぼくの胸ポケットにもいますよ瑠璃左衛門さん。どうもそれしか可能性がないようです。だめで元々。ぼくはあの実に賭けてみますよ」

 ぼくとコトブーはプレハブ小屋を出た。

 午後四時の太陽がぼくらの目を細めさせた。

 屋敷に向かおうとするぼくのシャツをミクがうしろから引いた。

「三人全員が未来に飛ばされる率は低いよユーヤ。ボクも食べてやる。あの性格ブスを助けるのは気が進まない。でも死なれるのはもっとたまらない。けどさ。過去にもどってどうすればいいわけ? ボクひとりがもどると具体的にどうすりゃいいかわかんないよ?」

 ぼくはコトブーを見た。ぼくにも名案があるわけじゃない。

 コトブーが胸を張った。

「一年前ならシンジがいるだろ? あいつインターネットの達人だったじゃねえか。シンジにネットで呼びかけてもらうのよ。かわいそうな白血病の少女を助けてってな。ネットの世界にゃそういう話に乗るやつが多い。きっとアッと言う間に評判になるぜ。日本人は流行に弱い。みんなで骨髄の提供者になろう。そんなブームが起きれば楽勝よ」

 ミクがうなずいた。

「なーるほど。でもさコトブー。お前シンジと仲が悪かったじゃん。お前ひとりが過去に飛べばどうすんだよ? シンジに頭をさげるのか?」

 コトブーがウッと詰まった。

 けどすぐまた胸を張った。

「おう。もしおれだけ過去に行けばだ。約束した以上おれはシンジに土下座してもいい。そもそもおれはシンジに悪意は持ってない」

 おいおいとぼくは思った。

 じゃ誰に悪意を持ってるんだよコトブー?

 でもいまは仲間割れをしてる場合じゃない。

 ぼくは口に出さなかった。

 屋敷の二階にあがる階段でぼくはふと気づく。

 胸ポケットを見おろした。

「ウルル。きみはどうするんだ?」

 ウルルが顔をのぞかせた。

「おいらは一年前にもどってもかごの中だ。一年後はなにをしてるやら。おいらこのままここでレンさまの指示を待つよ。セセリがレンさまに言いつけてもセセリだって人間の屋敷を占領してたんだ。ケンカ両成敗ってことで落ち着くんじゃないかな? そもそもレンさまはおいらを忘れてるんだと思う。おいらをここに飛ばしたときは日本が危機中の危機だったからね。その後いろいろ忙しくてすっかりおいらを忘れたんじゃないのかな? おいらたちにとって五十年や百年って人間のひと月くらいの感覚だからね。セセリとちがっておいらは重要人物じゃないしさ」

 コトブーが鼻で笑った。

「ふふふ。ただのおしゃべりな邪魔者だものな」

「そんなにはっきり言われるとおいらだって傷つくぞ。だから人間ってきらいなんだ」

 ウルルがプイと横を向いた。

 ミクがハハハと笑った。

 ぼくも頬をゆるませた。

 ぼくら三人は二階の温室で時の迷走樹の実をそれぞれもいだ。

 ウルルがポケットからおりた。

 床でぼくらを観察した。

 実の効果がどう出るか興味津々って顔だ。

 過去にもどった者がシンジと組んでドナー大募集のキャンペーンを張る。

 そう確認して実をかじった。

 うえーと思った。

 まずいなんてものじゃない。

 頭がくらくらする味だ。

 臭くないのが唯一の救いだった。

 もどさないうちにと一気に飲みこんだ。

 ミクとコトブーもドヒャーッて顔で飲みくだしていた。

 目の前がグラグラ揺れはじめた。

 立っていられない。

 倒れたのか倒れなかったのかわからない。

 ぼくの目の焦点がゆっくり合いはじめた。

 気がつけば溜め池の台座の上だ。

 右手には釣り竿。

 竿がぼくの右手をツンと引っ張った。

 左からシンジの声が聞こえた。

「おいユーヤ。釣れてるぜ」

 ぼくは右手の竿を持ちあげた。

 かかったフナが右に左に暴れはじめた。

 ぼくは竿から手を離した。

 バンザイをした。

「やった! 一年前にもどれた!」

 そんなぼくをシンジが異様な目で見つめた。

「ユーヤ。大丈夫かお前? この暑さはたまんねえからなあ」

 竿がぼくの手を離れて沖に泳ぎはじめた。

 ぼくは竿にかまわずシンジに頭をさげた。

「ごめんシンジ。ぼくの頼みを聞いてくれ」

 シンジが目を丸くした。

 こいついよいよおかしいぞと。

 ぼくは必死でぼくらの計画をシンジに説明した。

 シンジがようやく飲みこんだ。

 釣り道具を片づけているとミクとコトブーが並んでやって来た。

 いつもだとミクが来てからコトブーが石を投げに現われる。

 ミクとコトブーがいっしょに姿を見せるだなんて。

 ぼくはミクとコトブーに目を向けた。

 するとミクとコトブーが顔を見合わせた。

 ミクがぼくに声を飛ばした。

「おーい。ユーヤもかーい?」

 どうやら三人とも過去にもどったらしい。

 ミクとコトブーが台座に来た。

 ぼくとシンジの帰りじたくを見守った。

 シンジがぼくの耳に口をつけた。

「おいどうなってるんだよユーヤ? 昨日までコトブーはおれらに石を投げてたんだぞ? ミクはコトブーをきらってたじゃねえか? 昨夜なにかあったのか?」

 ぼくはシンジにささやき返した。

「三丁目の幽霊屋敷に肝試しに行った」

「こらあ! どうしておれにも声をかけない? 水くせーじゃんかよ?」

「ごめん。ぼくひとりで行ったんだ。けどふたりに尾行されてさ」

「なるほど。ひとりで行かないと真の肝試しにならない? それで三人で探検した?」

「う。うん」

 昨夜じゃなく本当は夏至の夜なんだ。

 来年のね。

 そうぼくは親友に胸の内で言いわけをした。

 ごめんシンジ。

 落ち着いたらちゃんと説明するよ。

 いまは信じてもらえないと思う。

 ぼくらは四人そろってシンジの家にあがりこんだ。

 ミクを入れた三人ではいつものことだ。

 でもコトブーがくわわるのは初めてだった。

 さっそくシンジにホームページの開設を依頼した。

 手慣れた調子でシンジがカラフルに画面をととのえた。

 次にシンジが掲示板などに呼びかけを書こうとしてぼくに声をかけた。

「白血病で死にかけの女の子を助けよう。そういうわけだよな? ドナーを大量に増やしたい? じゃその女の子との出会いはどこで?」

 ぼくが詰まるとコトブーが口を開いた。

「デパートの屋上だ。ユーヤが連休中に出会ったんだと」

 どこからそんな出まかせを?

 口をとがらせたぼくの口にミクが手を当てた。

 ほんとの話はできないよねと。

 なるほどとぼくは口をつぐんだ。

 ミクとコトブーはシンジに話すウソを打ち合わせずみらしい。

 ふんふんと鼻歌まじりにシンジが文字を打ちこむ。

 シンジがホームページだけではなく考えつくあらゆるところに書きこみをくり広げた。

 そうして書きあがったホームページを見てぼくはびっくりした。

 よくこんなウソ八百が並べられるものだ。

 タイトルは『もう死んじゃったかもしれない彼女に捧ぐ』だって。

 副題は『たった一度デパートの屋上で会った名も知らない女の子を救って』だそうだ。

 とどめのあおり文句は『ぼくの初恋を助けて』だ。

 そのあとは延々と甘いエピソードがつらなっていた。

 ぼくはシンジに不安をぶつけた。

「いいのかこれ? 偽装ホームページでつかまらない?」

 ミクも口をとがらせた。

「そうだよ。そもそもユーヤの初恋はボクだぞ」

 ミクの顔をいったん見たコトブーがぼくをにらんだ。

 ぼくは手を払って否定した。

 ぼくの初恋はミクじゃないと。

 シンジがぼくとミクをさとした。

 ふり向きもせず。

「おいおいユーヤとミク。こういうのは全部本当じゃいけない。全部ウソでもだめ。ホントとウソが半々くらいがいちばん引っかかる」

 コトブーとミクが声をそろえた。

「悪魔のような小学生だ」

 シンジがふたりに顔を向けた。

 勉強机のイスをクルリと回して。

「なにを言ってんだ。ユーヤの父ちゃんの説だぜそれ。フライやルアーを自作するときは実物そのままに作っても釣れない。まがいものを本物に見せるにはウソも入れる必要があるってさ。獲物はちがえど釣り道は一本だ。人間を釣るのもまた同じさ。ユーヤお前。父ちゃんの仕事をもっとわかってやれよ。お前は知ろうとする努力が足りなすぎるぞ」

 ぼくはうなだれた。

 それはたしかにそうだ。

 毎日釣ってたくせにフナの釣り方ひとつわかってなかったものな。

 翌日ぼくら四人は教室でみんなに呼びかけた。

 小学生はドナーになれない。

 でも親や親戚にはたのめる。

 とにかくひとりでも多く骨髄の提供者を集めたかった。

 先生たちにもたのんだ。

 ぼくらは隣町の駅前で署名活動もはじめた。

 署名を集める目的じゃない。

 とにかく目立とう。

 おとなたちに広く知ってもらいたい。

 そう思ったんだ。

 シンジがネットを通して企業にも協力を求めた。

 ホームページに広告を載せる代わりに企業の側でもドナーの募集をと。

 先生たちも独自に運動を展開してくれた。

 輪が広がるにつれてテレビ局が取材にやって来た。

 ぼくらは表に出るつもりはなかった。

 シンジがウソ八百のホームページを作ったためだ。

 ぼくらは取材を県の教育委員長に押しつけた。

 教育委員長は目立ちたがり屋だった。

 喜んでテレビを一手に引き受けてくれた。

 この生徒たちの優しさこそわが県最大の成果です。

 なんて一席ぶったものだから他県の教育委員会も続々と名乗りをあげた。

 日本人は流行に弱い。

 そう力説したコトブーの言葉どおりドナーブームが巻き起こった。

 おかげでドナー登録者はうなぎのぼりだ。

 夏の終わりにはドナー数が十倍に増えた。

 われこそが初恋の少女ですってニセモノも続出した。

 とどめにぼくのニセモノまで現われた。

 デパートの屋上でその少女と話したのは実はぼくですと。

 その少年はシンジがぶちあげたウソに新たな創作を三話くわえてテレビで口にした。

 見ていたぼくは思わずうなずいた。

 へえそうだったんだと。

 ウソだと誰より承知のぼくがだ。

 知らない人はみんな信じたんじゃないかな?

 ホントとウソの半々ってのはたしかによく効く。

 ホント百パーセントよりドラマチックだからだ。

 秋分の日にぼくはシンジに一切を打ち明けた。

 ドナーブームが峠をくだりはじめたころだ。

 幽霊屋敷にシンジと足を運んだ。

 瑠璃左衛門さんは昼間だるい管理人の姿を見せてぼくらに注意をした。

 ぼくらは期待に胸をはずませて夜しのびこんだ。

 ところが二階の図書室の戸は普通の戸だった。

 ネコ用の戸口がついてない。

 カリカリ音は聞こえた。

 でも室内にウルルもセセリもいない。

 本棚は倒れていた。

 しかし鳥かごが見あたらない。

 チエちゃん人形は玄関の真上の部屋で床に倒れていた。

 呼んでも動くどころか返事さえしない。

 ぼくはチエちゃん人形を立ててやった。

 魔術の本・時の迷走樹・ネコマタの死骸・魔法陣・寝室。

 みんなあった。

 でもそれだけだ。

 気味の悪いただの廃屋にすぎない。

 シンジがぼくの顔を見た。

「たしかに幽霊屋敷にちがいないよな」

 ぼくの話を信じてないのは一目瞭然だ。

 ぼくは肩を落とした。

 そうだよな。

 信じられる話じゃないよな。

 年が明けるころドナーブームが完全に去った。

 ぼくらの努力がむくわれたのかむくわれなかったのかわからない。

 死にかけ病院では患者の情報は教えられませんと追い返された。

 桜の開花を前にシンジが予定どおり引っ越した。

 六年生の新学期がはじまった。

 一週間がすぎた。

 先生が転校生を紹介するわねと口を切った。

 ぼくの胸が高鳴った。

 教室に入って来た転校生はアキだった。

 前回と同じように先生がアキをぼくのとなりにすわらせた。

 席に腰をおろしたアキがぼくに会釈をした。

 ぼくの口はとにかく聞いてみたい質問を吐き出した。 

「海江田さん。病気は大丈夫?」

 アキがぼくの顔を見た。

 いぶかしげに口を開いた。

「えっ? 移植は成功したわよ? お医者さまはこのまま順調に回復するだろうって」

「よ。よかった」

 ぼくの目から涙がこぼれはじめた。

 アキが目を細めた。

 なにこの子?

 そんな顔だ。

「でもどうして伊沢くんがわたしの病気を知ってるの?」

 アキの問いにぼくはどうごまかすか考えた。

 ぼくが答えを見つける前にミクがうしろからぼくらふたりに割りこんだ。

「あーあ。五百円ハゲがユーヤを泣かせた。転校早々男を泣かすなんていーけないんだ」

 アキが眉を寄せた。

 ミクにふり向く。

「な? なんでわたしが五百円ハゲになった過去を猫森さんが知ってるのよ?」

 ミクが答えずアキのあごを人差し指で持ちあげた。

 アキの顔色をたしかめている。

 アキの血色は前回よりいい。

 アキはすこし日に焼けた気がした。

「いや自分で言ってたし。もう忘れたの? この性格サイアク女は?」

 エッて顔をアキがした。

 今度はコトブーがミクのうしろに立った。

「こらミク。それはないしょだっての。五百円ハゲはおれたちと会うのきょうが初めてなんだぞ。おれたちが五百円ハゲの宝物のクマさんまで知ってちゃまずいだろが。そこでだ五百円ハゲ。夏の昆虫採集は行けそうなのか? 釣りはヤバいから絶対だめだぞ。秋は柿泥棒も予定に入ってる。けどそれまで生きてるのか五百円ハゲ?」

 この人たちなに?

 アキがぼくにそんなきつい目を向けた。

 そのとき先生がぼくらに怒鳴り声を投げた。

「こらー! そこ! だまりなさーい!」

 わっとミクとコトブーが自分の席にもどった。

 アキがぼくに向かって口を開こうとした。

 アキの声が出る前にぼくの口が先手を打った。

「また教科書を忘れたの? 海江田さん?」

 アキがギクッと目を泳がせた。

 まずいって顔だ。

「ま? また?」

「いまビクッてしたのはさ。ランドセルの中から教科書を出すのが面倒だから?」

 アキがぼくをにらんだ。

「きみねえ。な? なんでわたしのランドセルの中に教科書があるってわかるのよ伊沢くん? おかしいじゃない? わたし教科書は忘れたの! ランドセルにはないわ!」

 ぼくはにらむアキにかまわず疑問をアキにぶつけた。

「だってランドセルに入ってるんでしょ? 重そうだったよ? それってさ。新しい教科書をよごすのがいやだから忘れたってウソをつくわけ?」

 ぼくは首をかしげた。

 どういう理由でアキが教科書を忘れたと言い張るのかわからない。

 半年以上考えつづけたのに。

 ミクがわかったって顔でぼくとアキの肩ごしに割りこんだ。

「ぜんぜんちがうよユーヤ。この女はね。ユーヤの気を引こうとそんなウソをついてんの。教科書を忘れたって言えばさ。ユーヤが机をくっつけてくれるでしょ。だからよ」

 えっとぼくはアキを見た。

 アキがミクをにらみつけた。

 頬をまっ赤に染めながらだ。

 アキは動揺しているように見えた。

 むきになったアキがミクに口をとがらせた。

「なによ猫森さん! そ! そんなことあるわけないじゃない! わ! わたし伊沢くんなんかこれっぽっちも」

 そのときコトブーがうしろからパンと手をたたいてぼくら三人の気を引いた。

「ああ。だめだだめだ。それを言っちゃおしまいだぞ五百円ハゲ。お前はユーヤが大好きなんだ。ここはひとつキスをすべきだな。ぶっちゅーと濃厚なやつをぶちかましとけよ」

「な? なによそれ?」

 アキだけじゃなくぼくとミクもコトブーに眉をひそめた。

 なんなんだよそれはと。

 コトブーが肩をすくめた。

 あきれちゃうねとばかりに。

「だってよ。五百円ハゲはユーヤ目当てでこの学校に来たんだろ? そもそもこの学校に転校する必要はないじゃんよ。さっき移植に成功したって言ったよな? つまり白血病は治ったわけだ。死にかけ病院からすでに退院してる。そうだろ? 五百円ハゲは初めて小学校にかようんだぜ。どこの学校でも好きに選べるはずだ。こんな田舎に来るこたぁねえ。ちがうかい? まどろっこしい真似はやめろよ五百円ハゲ。ぐずぐずしてるとほかの女にユーヤを取られちまうぜ。教科書を忘れた? そんなウソまでついて接近したがるんじゃねえか。そこまで大胆ならキスしとけよ。先手必勝だ。ケンカも恋もこいつにかぎる」

 コトブーの指摘にアキが人さし指を頬にあてた。

 ミクをうかがう。

 結論が出たらしい。

 アキがミクからぼくに目を転じた。

 ミクをにらむきつい瞳と対照的なあまいまなざしで。

「なーるほど。だわね。でもやっぱりだめよそれ。こんなとこじゃやだ。夕陽の落ちる海をふたりで見つめるの。夕闇が迫るなか肩と肩がそっとふれ合うわ。そのあと寄り添うふたつの影がゆっくりひとつになるの。だからいまキスはや。わたし出会ってすぐくちづけなんて安っぽい恋はいやよユーヤくん。憶えといてね。ふたりの愛はゆっくり育てましょうよ。わたし末永い恋がいいわ。いきなり燃えあがって急速に冷めるなんていや」

 ぼくを見つめるアキの目つきにミクが青すじをひたいに浮かせた。

「おいおい。つっこみどころをまちがってるぞ五百円ハゲ。そもそもいまの告白ってボクに対する宣戦布告と受け取っていいわけかな?」

 アキが口の端に手の甲を当てた。

 オホホと笑う。

 ぼくの肩に手を回した。

「やーだ。最初から勝ち目のない戦いをしたいわけミクネコさんは? 誰がどう見てもわたしのよこれ」

 ミクが爆発した。

「ちがうだろ! 初対面でなんちゅー図々しい宣言をする女だ! いつユーヤがお前のものになったよ?」

「あら? たったいま。ひと目ではまる恋もある。ねえユーヤくん。そうでしょ? あなたわたしのものよね?」

 アキがぼくの耳にささやいた。

 ぼくは動転した。

 ぼくにふらないでくれと。

 なんなのこの急展開は?

 ぼくはアキを見誤っていたようだ。

 春風の妖精じゃない。

 本性は春の嵐なみに強風吹きすさぶ女の子らしい。

 先生がツカツカツカとぼくらに寄って来た。

「伊沢! 琴吹! 猫森! 海江田! 廊下に立ってなさーい!」

 ええーって顔をアキがした。

 わたしもぉ?

 そんな顔だ。

 ミクがアキのえりをつまんだ。

 アキを廊下に引く。

「今度は四人だ。よかった。行くぞ五百円ハゲ」

 ぼくもホッとした。

 先生がアキも立たせた。

 それはアキを普通にあつかっても大丈夫。

 そういう意味だ。

 本当に病気が治ったんだ。

 ミクとアキが廊下に出た。

 ぼくとコトブーもつづく。

 ミク・ぼく・アキ・コトブー。

 その順で廊下に並んだ。

 コトブーが人さし指を立てた。

 思わせぶりに。

「でな五百円ハゲ。じつはよ。夏至の夜に人形が『赤とんぼ』を歌う幽霊屋敷があるんだ。探検に行かないか? すっげー怖いぞ。ミクなんかオシッコを洩らしかけた」

 アキが手をあげた。

「はい! わたし行く!」

 ミクがふくみ笑いでアキを見た。

「ふふふ。アキ。あんたは替えの下着を用意しときなさいね。ぜーったい洩らすから」

 アキがぼくの肩に手に乗せた。

 ぼくを引き寄せた。

 つづいてニコッとミクに笑いかけた。

 天使もうらやみそうな純真そのものの笑顔だ。

 悪魔ってきっとこんな笑顔だと思う。

 この子性格悪い。

「ミクネコさんは意地悪ねえ。そんなにわたしが恐い?」

「誰がお前なんか恐がるかぁ! ユーヤから手を離せぇ!」

 強がるミクをアキが見くだした。

 かわいそうという目で。

 ぼくを抱きかかえたまま。

「あのねミクさん。あなたのゆがんだ心を洗ういいお話をしてさしあげるわ。一途でとってもすてきな恋のお話よ。しばらく前にね。どこかの小学生がぼくの初恋の少女を助けてって白血病撲滅の一大キャンペーンを張ったの。わたしはそのおこぼれで命が助かった。えらい小学生もいたものよね。ミクネコさんと大ちがい。一度会っただけの名も知らない女の子のためにドナーブームを巻き起こしたんですもの。ロマンティックよねえ。あこがれるわわたし。わたしもそんなまっすぐな男の子と出会ってみたい。でもデパートの屋上でたった一度しか会わなかった男の子にそこまでさせるなんてね。その初恋の少女ってきっとすごい美少女なんでしょうねえ」

 ミクが肩をすくめた。

 あきれ顔で吐き捨てた。

「ケッ。その女が美少女? ちゃんちゃらおかしいね。その女は性根の腐ったバカ女さ。どこのどいつだろうねえ? そんなカス女を助けようなんて考えた大ボケ男は?」

 ぼくらふたりです。

 ぼくとコトブーはそう天井に目をにがした。

 その女の子はバカ女でもカス女でもありません。

 でも性格がほんのすこしにごった美少女かもしれません。

                                〈了〉


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