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 第二章 ネズミがしゃべるなんて信じられないんですけど?

 階段に足をかけたところでぼくは疑問を思い出した。

「ところでミクとコトブー。どうしてここに?」

 コトブーが月光に腹を突き出す。

「おれはミクが自転車で走ってるのを見たからだ。なにかあるなってピンと来たぜ」

 ミクがぼくに目を流した。

「ボクはユーヤが出かけるのに気づいたから追っただけ。最近はぶっそうだから夜中にうろうろしちゃだめだよユーヤ」

「だからさあミク。ぼくはもう大丈夫なんだって」

 ぼくに母さんはふたりいらない。

 そう説明をしかけたら二階から音が聞こえた。

 カリカリ。

 カリカリカリ。

 引っかいている音に思えた。

 鳥が鳥かごをクチバシでつつく音にも似ている。

 小動物が金属の細い線をはじくような音だった。

 コトブーがぼくに顔を向けた。

 コトブーにも聞こえたらしい。

「なんだ? あれ?」

「ぼくにたずねられてもわからないよ。とにかく上に行こう」

 ぼくらは階段を駆け登った。

 歩みの遅い人形は階下に置き去りだ。

 ぼくらは二階の廊下に立つ。

 二階は月の光が廊下にあふれている。

 おかげで二階の惨状が見て取れた。

 廊下は東西に走っている。

 東行きの廊下に異状はない。

 西行きの廊下は異状だらけだ。

 天井のはりが崩れ落ちている。

 板や角材が廊下に折り重なっていた。

 西に行く廊下の床はガレキで埋まって見えない。

 しばらく前に大きな地震があった。

 そのとき崩れたもようだ。

 ぼくはガレキの山に小さなすき間を見つけた。

 カリカリ音はさっきのリスがこのガレキをくぐる音かなと思った。

 でもちがう。

 カリカリ音は西のいちばん手前の室内から聞こえる。

 ガレキは部屋の戸のすぐ向こうでつみ重なっていた。

 かろうじて戸はあきそうだ。

 二階の部屋もすべて入口は北。

 つまり部屋は南に窓があるはず。

 ぼくはしっかりと閉まった戸のノブを見ながら首をかしげた。

 リスがこの重そうな戸を開閉できるはずがないぞ?

 ミクも同じ疑問を感じたのか戸にしゃがんだ。

 戸の下部に手を伸ばしてぼくを見る。

「ユーヤ。さっきのリスはこの部屋の中だ。ほら戸の下にネコ用の通り口がある」

 ミクが戸に切られたくぐり戸を指で押した。

 開閉自在の小さな戸になっている。

「なるほど。じゃ入ってみるか」

 ぼくはノブに指をかけた。

 カチャリと戸が開く。

 室内は天窓と南壁の窓から月光が射しこんでいた。

 あんがい広い。

 図書室だと思える。

 本棚がいっぱい並んでいた。

 きれいに整頓された本がぼくらをむかえてくれた。

 ただし古い本ばかりだ。

 カラーの本は一冊もない。

 もちろんマンガなんかない。

 カリカリ音は図書室に踏みこむと大きくなった。

 音は部屋の中心から来る。

 部屋のまん中で本棚に切れ目が見えた。

 鳥かごがひとつ床にぽつんと置かれている。

 音はそのかごからだ。

 室内に落ちる月光がかごを照らしていた。

 てのひらより小さな生き物が鉄線で編まれたかごの中でカリカリと鉄線をかいている。

 ぼくはペンライトをつけた。

 生き物はまっ赤なネズミだった。

 赤色を塗ったのではない。

 毛がきれいな赤だ。

 大きさから言うとハツカネズミだろう。

 まっ赤なハツカネズミだ。

 コトブーがしゃがんだ。

 赤ネズミを指さしてぼくを見る。

「こいつがさっきのリスかユーヤ?」

「いや。ちがうと思う。あのリスはもっと大きかった。このネズミは十五センチていどだ。リスは三十センチ以上あった。色も金色だったよ」

 スパッツ姿のミクもしゃがむ。

 赤ネズミを観察した。

 鳥かごにはエサも水も入ってない。

 クルクル回る車輪の遊具があるだけ。

 かごの口は厳重に針金で巻かれている。

「こいつさあ。出してほしいんじゃないかなユーヤ?」

 男まさりのミクはネズミやカエルは平気だ。

 ヘビは恐いが棒で立ち向かう勇気はある。

 アキならきっとネズミを見ただけでキャーと悲鳴をあげるだろう。

 力じまんのコトブーが鳥かごに指をかけた。

 かごの口をあけようと。

「だめだ。これ針金でガキガキに縛ってあるから切れねえぞ?」

 ぼくは心配だった。

 赤ネズミがコトブーの指をかまないかと。

 けど赤ネズミはおとなしくコトブーの指を目で追うだけ。

 コトブーがかごをあけるのを期待しているみたいだ。

 ぼくは背中のリュックにしのばせた工具袋からペンチを取った。

 針金を切る。

 出口が開いた。

 赤ネズミがサッと飛び出す。

 ぼくの腕を駆けのぼった。

「うわあっ! な! なんだ?」

 赤ネズミがぼくのシャツの胸ポケットにもぐりこんだ。

 赤ネズミがクルリと丸まってポケットにおさまる。

 ぼくの胸ポケットがネズミの形にふくらむ。

 ミクがうらやましげにぼくのポケットを指でつついた。

「胸ポケットネズミだ。手乗り文鳥みたい。こいつ元々そういうペットだったのかな?」

 ミクにつつかれた赤ネズミはクネクネとシッポをくねらせた。

 けどポケットから逃げる様子はない。

 たしかに人に慣れてそうだ。

 そのときカタンと乾いた音が室内に響いた。

 なんの音?

 ぼくが疑問に思った瞬間だった。

 部屋そのものが横にひっくり返った。

 本棚が倒れる。

 バラバラと本が降りそそぐ。

 ぼくらも床へふり落とされた。

 本棚がぼくの上に倒れて来る。

 ぼくは叫んだ。

「わーおっ!」

 赤ネズミがピョコッと胸ポケットから顔を出した。

 赤ネズミの口が金属質の声をつむぐ。

「大丈夫だユーヤ! これは目くらましだぞ! 落ち着け! 動揺しちゃだめだ! 下敷きになると元の世界に帰れないぞ! よく見てよけるんだ!」

 倒れながらコトブーが目を丸くした。

 ぼくの胸ポケットの赤ネズミを見る。

「どひぇー! ネズミがしゃべった!」

 ミクも倒れながらつっこむ。

「いや人形がしゃべってたし! そこで驚くのは変だろ!」

 赤ネズミが再度警告を飛ばす。

「とにかく落ち着くんだ! みんなよく見て本棚をよけろ! 本は気にするな! これは現実じゃない! すでに起きた過去の映像をきみたちの頭に送りこんでるだけだ! この部屋は地震のさい本棚も本もガタガタにほうり出されたんだ!」

 赤ネズミの言葉にハッと気づく。

 そういえばそうだ。

 廊下は被害甚大だった。

 この部屋の本棚だけ平然と立っているのはおかしい。

 ぼくとミクとコトブーは赤ネズミの忠告を受け入れた。

 本棚の下敷きにならないよう身をかわす。

 ガタンガタン。

 音を立てて本棚がぼくらに倒れかかった。

 バラバラ。

 本がぼくに降る。

 現実じゃない。

 そう言われても痛かった。

 ミクが倒れて来る本棚にキャーッと口を丸めた。

 ぼくはミクの右腕を引く。

 コトブーもミクの左腕を引いた。

 ふたりでミクを本棚の下敷き寸前で救出する。

 すべての本棚が倒れた。

 ほこりが部屋中に舞っている。

 視界がゼロだ。

 ミクがぼくに抱きついた。

 コトブーがなんとも言えない目つきでぼくをにらんだ。

 幸い三人とも本棚の下敷きにはならなかった。

 けど人間関係は険悪。

 コトブーそんな目でぼくをにらむなよ。

 ほこりが一瞬で消えて行く。

 部屋の東西にそれぞれ戸が見えた。

 南は窓。

 北は入って来た戸。

 ひっくり返った床も壁もいつの間にか元の位置にもどっている。

 西の戸の前だ。

 崩れた本の山が見えた。

 頂上にリスがいる。

 全身をおおう黄金の毛並みがさわさわと揺れた。

 ふたまたに分かれたシッポがピョコンと立っている。

 黄金リスが口を開いた。

「ちっ!」

 黄金リスが身をひるがえした。

 隣室に消える。

 戸の下に切られたネコ用の出入り口から。

 コトブーがぼくにポカンと口をあけた。

「おいユーヤ。いまあのリス舌打ちをしたぞ? 『チッ』だってよ? そんなのありか?」

 ミクが肩をすくめた。

 ぼくに抱きついたまま。

 コトブーってお子さまねって目だ。

「人形が歌ってたんだぞ。赤毛のネズミもしゃべってる。黄金のリスが舌打ちしてなにがおかしい? いまさらだぞコトブー」

 ぼくはしがみつくミクをもぎ離した。

 ポケットの赤ネズミを見おろす。

「ねえネズミくん。きみいったいなんなの? ネズミがしゃべるなんて変だよね?」

 赤ネズミが胸ポケットからぼくを見あげた。

 金属質の声がぼくに届く。

「皮肉を言わないでも答えてやるさ。おいらはウルルって名前だ。よろしくな人間。きみの推察どおりネズミじゃない。人間でもないけどね。かごから出してくれてありがとな」

「じゃあのリスは? あれもリスじゃないの? シッポが二本に見えたけど?」

「あいつはセセリ。リスじゃない。それより早くセセリを追わないとまずい事態になるぞ。説明は追いながらしてやるよ」

 赤ネズミのウルルがポケットから小さな右手を出した。

 西の戸を指さす。

 行けって指示らしい。

 ウルルはぼくの胸ポケットから出る気はないようだ。

 なんて勝手なネズミだろう。

 しかたなくぼくは戸に進む。

 ミクとコトブーもついて来た。

 戸をあけると中は温室だった。

 サンルームだ。

 かつては植物園だったらしい。

 部屋に並ぶのは枯れた鉢植えばかり。

 けど一種類だけあおあおとしげるツル植物が部屋全体をおおっている。

 天井や壁には花が咲いていた。

 ぶらさがる灰色の実も見える。

 幹はブドウやフジに似ていた。

 でも花や実は未知の植物だ。

 ぼくは首をかしげた。

 この部屋は入った戸以外に戸がない。

 黄金リスのセセリはどこかに隠れてるのか?

 ぼくは出口またはセセリを探した。

 胸ポケットのウルルが部屋を見回すぼくに声をかけた。

「この部屋一面の植物は『時の迷走樹』だ」

 ぼくら小学生三人の声がそろう。

「ときのめいそうじゅ?」

 ウルルが声を高めた。

 ツルからぶらさがる実のひとつに手を伸ばしたコトブーに釘を刺すみたいに。

「そう。かつてインカって国があったんだ。そこで栽培されてた木だよ。その実はとんでもなくまずい。ゲロマズだ。食べると三日は口の中が気持ち悪いって話だね」

 コトブーの指が実の直前で止まった。

 コトブーがウルルをふり向く。

「なんでそんなまずい木を育てるんだよぉ?」

 ウルルがコトブーを見くだした。

 人間はそんなことも知らないのかと。

「時間を迷走できるからさ。その実をひとつ食べれば意識がジャンプする。一年間後か一年前かにね」

 ほぉとぼくは口を丸めた。

「時間を飛び越えるのウルル?」

「そう。ただし。問題がひとつある。一年後か一年前かを選べないんだ。食べてみないと未来に飛ぶか過去にもどるかわからない」

「それで『時の迷走』って名前なの?」

「うん。役に立つのか立たないのかよくわからない木だよ。葉っぱを一枚食べると一時間。花をひとつ食べると一日。実を一個食べると一年間。それぞれ時間を越える。けどなにが起きるかは誰もわかってない。食べないほうが無難だって話だ」

「あえて食べるとなにが起きるの?」

「おいらの聞いた話だぜ。本当かどうかはわからない。一年後の未来に飛んだ場合はね。意識の抜けた本体が夢遊病にかかるそうだ。呼ばれれば返事はする。日常の行動もできる。けど心ここにあらずだってさ。それでいて事故とかには遭わないらしいよ」

「過去に行くと?」

「一年前からもう一度やり直せる」

「それってすごいんじゃない? この実をひとつ食べて一年前にもどるよね? そこからまた実を食べてさらに一年前。そうやって延々ともどりつづけりゃどんな失敗だってやり直せるんじゃないの?」

 ウルルが首を横にふった。

「だめ。そいつは無理。この木の効力は飛んだ分の時間だけおよばなくなるんだ。運良く一年前にもどれたとしてだね。そこでまた実を食べてもなにも起きない。連続して食べても効果はないって話だ。一年ジャンプすればさ。着地した時点から一年経過したあとでないと効かない。だから延々と過去にさかのぼるなんてできない。未来へ未来へ飛びつづけるのもできない。一年ジャンプしたらそこからは普通に一年を過ごさなきゃだめさ。一年間を何度でもくり返すのは運がよければできる。でも一年が限度だよ。二年前にもどるってのはできない。そう聞いてる」

 ふうんとうなずきながらぼくは手元の葉を三枚つんだ。

 ズボンのポケットに入れる。

 なにかの役に立つかもと。

 ぼくらはセセリまたは次の部屋に行く戸を探した。

 けどどちらも見つからない。

「どういうことだろう? 西に行く戸はなくても廊下に出る北の戸はあるはずなのに?」

 ぼくが首をかしげるとウルルが鼻を鳴らした。

「それも目くらましだ。本来のこの屋敷にセセリの精神世界を重ねてあるんだよ。要するに半分幻覚なわけ。それで戸が見えなくなってる。たぶん西と北に戸はあるはず」

 ウルルの説明にぼくらは西を向いた。

 そのぼくらの前にまっ黒な怪物が立ちはだかった。

 ピカピカ黒光りする巨大なアリが三匹だ。

 頭が天井にとどきそう。

 ミクが悲鳴をあげた。

「うわあっ! 化け物アリだぁ!」

 一匹目のアリがミクに頭をさげた。

 コトブーがミクをアリのキバからひったくる。

 ぼくに命令を飛ばした。

「襲って来たぞ! 逃げろユーヤ!」

 三匹目のアリがぼくにかみつく。

 ぼくはよけた。

 よけながらふと思い出した。

 アリの口にさっきむしった時の迷走樹の葉をほうりこむ。

 アリが葉っぱをむしゃむしゃ食べた。

 二匹目のアリのキバをよけつつぼくは待った。

 なにが起きるかと。

 けどなにも起きなかった。

 アリのキバをかわしながらぼくは自分の胸ポケットと会話する。

 バカみたいと思いつつ。

「ウルル。なにも起きないぞ? これって本当に時間をジャンプする葉なの?」

 ウルルがあきれ声を出した。

「ユーヤ。本体がジャンプするんじゃない。意識だけが飛ぶんだ。時間を気にしない生き物に食べさせても変化はないと思うな。もっとも。おいらも食った経験はない。アリのキバから逃げたあとで食べてみれば?」

「わかった。気が向けば実験するよ。ところでウルル。ぼくがこのアリに殺されるとどうなるの?」

「肉体的には死なない。けど精神的に死ぬんじゃないかな? ここはセセリの心の一部だ。ユーヤの意識がここで死ぬと元の肉体にもどれなくなると思う。きみたちの肉体はこの部屋にない。いまのきみたちは心だけの存在だ」

「心だけ? それどういうこと?」

「そんなのあとあと。いまはこのアリをなんとかしないと。真剣に逃げ切るかやっつけるんだ。でないと困った羽目になるぞ」

 そのときミクが声を飛ばして来た。

「でもこのアリさ。まぼろしにしちゃリアルすぎない?」

 ウルルがミクに答える。

「現実に存在するものを加工してあるんだ。部屋そのものは現実の部屋だよ。きっとこのアリたちも実在の黒アリだ」

「そう。ならさ。元がアリなら踏んづければいいんじゃない?」

 ミクが付近を足踏みしはじめた。

 手当たり次第に踏む。

 巨大アリの一匹が突然グシャッとつぶれた。

 コトブーが手をたたく。

「当たりだ。すっげー。やるなミク」

 コトブーも足踏みをした。

 ぼくも真似る。

 ぼくが足を伸ばしたところにいたらしく一匹がまたグシャ。

 ミクが足をバタバタさせながら同情を寄せた。

「ちょっとかわいそう」

 コトブーがズンと踏んだ。

 最後の一匹がグシャ。

 たしかにかわいそうだ。

 けどぼくらが食い殺されるよりはいい。

 つぶれた巨大アリがフッと姿を消して行く。

 西に戸が現われた。

 戸の前に立つ黄金リスのセセリがぼくに犬歯をむく。

「バカ!」

 あんがい可愛い女の子の声だった。

 セセリが西の部屋に消えた。

 コトブーがほぉとうなる。

「今度は『バカ』だってよ。やっぱあいつもしゃべれるんだ」

 ぼくは胸ポケットに目を落とした。

「けどいまのは女の子の声だったよ? セセリってメスなのウルル?」

「そうだよ。ちなみにおいらはオスね。ただ女の子ってのはどうかな? あいつは数千年生きてる。女の子というよりはババアだね。おいらも三千年生きてるからジジイだけど」

 ミクとコトブーがぼくの胸を見た。

 ミクとコトブーの口が同時に開く。

「このネズミが三千年?」

「ネズミがじゃない。おいら本体がだ。まあセセリをつかまえたあとでゆっくり説明してやるよ。いまは追おうぜ」 

 次の部屋に入った。

 室内はガランとなにもない。

 やたら広い。

 西の端に戸が見える。

 ミクがズカズカと部屋の中に踏みこんだ。

「なんだこれ? 楽勝?」

 不意に部屋の中心の床からガイコツが浮上した。

 手に剣をかまえて。

「うわあっ! なんだよこれぇ!」

 ミクがあわててぼくらのところにきびすを返す。

 ガイコツはミクを追わなかった。

 部屋の西に後退する。

 てっきり追って来ると警戒したミクが足を止めた。

 ガイコツも後退する足を止める。

 いぶかしげにミクがふり向いた。

 ミクがガイコツに一歩足を進める。

 ガイコツもミクに一歩足を前に出す。

 ふたりの距離が接近した。

 ミクが右に一歩動く。

 ガイコツはミクに合わせて左に一歩寄った。

 ミクから見ると右だ。

 ミクにとうせんぼをするようにガイコツが立ちはだかった。

 ミクが左に移動する。

 ガイコツは右にミクが動いた分だけ移動した。

 ガイコツがミクの行く手をはばむ。

 ミクがフェイントをかけた。

 でもガイコツはミクの正面を離れない。

 ミクとガイコツはにらみ合うだけ。

 動けない。

 ぼくは部屋を見回した。

 なにもない部屋だ。

 ただ壁に剣が飾ってある。

 三本。

 ぼくはその剣を二本取った。

 剣を手にミクに寄る。

 するとぼくの前にもガイコツが浮上した。

 ぼくはミクに剣を一本投げた。

「ミク! 剣を!」

 ミクがぼくの投げた剣を受ける。

 ぼくは残りの剣で目の前に来たガイコツに斬りかかった。

 ガイコツがぼくの剣を剣で受ける。

 キン!

 火花が散った。

 思いっきり本物っぽい。

 斬られると死ぬんじゃないか?

 コトブーもミクに加勢しようと壁の剣を手にする。

 コトブーの前にもガイコツが一体あらわれた。

 コトブーもガイコツとの斬り合いに突入する。

 ぼくは必死で剣をふり回した。

 ガイコツに斬りかかる。

 ガイコツが剣で受けた。

 ぼくは斬る。

 ガイコツが今度は受けなかった。

 ぼくに斬りかかって来る。

 ぼくは間一髪よけた。

 けどシャツを横一文字に切り裂かれた。

 ウルルがぼくに文句を飛ばす。

「ひゃあ! 危ないじゃないかユーヤ。おいらがまっぷたつになるところだぜ。ちゃんと受けろよユーヤ!」

「そんなこと言うけどさ!」

 ぼくはガイコツの首を斬りつける。

 会心の一撃。

 ガイコツの首が飛んだ。

「やった!」

 ウルルがぼくに注意をうながす。

「ちがうユーヤ。まだだ。次が来るぞ!」

 ウルルの忠告と同時にガイコツが剣をふりおろす。

 首なしのままで。

「わーおっ! そんなのってありかい! 卑怯だぞ!」

 ぼくは必死で応戦する。

 首がないのに死なないなんて。

 割り切れない思いだ。

 もともとガイコツだから死人だよな。

 でもこれって卑劣。

 ガイコツのほうが剣がうまい。

 そのうえ斬っても突いても死なないなんて。

 首を落としてもガイコツは動きを止めない。

 それならとぼくは剣を握る右手を狙った。

 右ひじにクリーンヒット。

 ガイコツの右腕が剣ごと床に飛んだ。

「やった!」

「まだだめ!」

 ウルルに水を差された。

 ガイコツが平然と床の右ひじを拾いあげる。

 左手で元どおりにくっつけた。

 首から上がないのにまた斬って来る。

 落ちた頭を拾わないくせに右手は拾うなよ。

 卑怯だぞお前。

 ぼくとミクは必死でガイコツと果たし合いをした。

 そのとき突然コトブーが剣を捨てた。

「こんなのやってられるかぁ! おれ帰るぅ!」

 ピューとコトブーが東の温室に消えた。

 コトブーと向き合っていたガイコツはコトブーを追わなかった。

 ぼくやミクに向かって来るでもない。

 コトブーと対戦していたガイコツは部屋の西に後退した。

 剣を上段にかまえたままで。

 ぼくはふと気づいた。

 ミクに声をかける。

「ミク。ぼくらも部屋の東にもどろう」

 ぼくはガイコツと向き合ったまま一歩うしろに引いた。

 ガイコツは剣をふりおろさず西に一歩後退した。

 ぼくが東にさがる。

 するとガイコツは西にあとずさった。

 ぼくに向かっては来ない。

 ミクもぼくにならって東に撤退する。

 ミクが東の壁に背をつけた。

 荒い息でミクがたずねる。

「これどういうことさユーヤ? なぜガイコツはボクらを追って来ない?」

 ぼくは呼吸をととのえながら考えた。

 けど昂奮のためかうまく考えがまとまらない。

「よくわからない。すこし待って。いい案が浮かびそうなんだ。でもまだつかめない」

 ぼくとミクの息が静まって来た。

 となりの温室をドタドタ遠ざかるコトブーの足音が聞こえる。

 温室の東の戸がバタンドタンと開閉した。

 足音がさらに遠ざかる。

 ミクがペッと床に唾を吐いた。

「逃げたぞあいつ。根性なしのデブだな。あれじゃ力はあっても相撲取りやプロレスラーは無理だね」

 ミクは男まさりだけに卑怯者はきらいらしい。

 でもぼくだって逃げたい。

 首を落としてもまいったと言わない死人相手にどうやって勝つ?

 剣を奪えば勝ちかもしれない。

 けどそうではない気もする。

 ぼくとミクは顔を見合わせた。

 どうしようもないなと。

 吐くため息にも力がない。

 するととなりの温室から足音がバタバタと近づいて来た。

 コトブーだ。

 ミクがきつい目で戸をにらむ。

「なんだ? 忘れものでもしたのか? あのデブ?」

 コトブーが入って来た。

 ばつの悪い顔でぼくらの横に立つ。

「名案が浮かんだんだ。聞いてくれよミク」

 ミクが冷たい声を出す。

「さっさと逃げればデブ? ボク敵に背中を見せる男なんか大きらい。口もききたくない」

「そんなこと言わないで聞いてくれよぉ。た。たしかに逃げ出したおれが悪かった。反省してる。けど本当にいい案なんだ」

「勝手に帰れば? ボク卑怯者はヘビ以上にきらい。力があるくせにみっともない真似をするやつは人間のクズだ。二度とボクに話しかけるな。気分が悪くなる」

 ツンとミクがコトブーに背を向ける。

 コトブーが情けない顔でぼくを見た。

 取りなしてくれよぉ。

 そんな哀願する心の声が聞こえる。

 仕方なくぼくはコトブーに向く。

 ぼくもコトブーと話したくない。

 こいつのせいでアキは死んだ。

 ぼくは転校後ずっといやがらせばかりされたし。

 でもしようがないか。

「どんな名案なわけコトブー? ガイコツをやっつける方法があるの?」

 コトブーが断言する。

「ない」

 ぼくらの会話にミクがかんしゃくを破裂させた。

「なんなんだよお前! 名案があるって言ったじゃないか!」

 コトブーが両手でいきり立つミクをおさえる。

「いや。だからさ。もうすこし聞いてくれよミク。つまりだな。こっちが右に一歩寄れば相手は左に一歩寄る。前に一歩出れば相手も前に一歩出る。こちらがうしろに引けば相手もうしろにさがる。そこでだ。こちらがうしろ向きに前進すればどうなるんだ?」

「うしろ向きに前進する? ボクらが?」

 ミクがぼくに訊く。

 コトブーには訊きたくないらしい。

 伝言ゲームのようにぼくがコトブーに確認を取る。

「つまりこう? ぼくらがあのガイコツに背中を向けて西に進む。するとあいつらはどう動くかってこと?」

 コトブーがうなずいた。

「そうだ。あいつら首を切っても平気だろ? だから『やっつける』んじゃなくて『すり抜ける』んじゃないか? 向こうの戸にたどり着ければ勝ちなんじゃ? さっきの挽回におれがまずやってみる」

 コトブーは剣を持ってない。

 捨てて逃げたせいだ。

 コトブーが部屋のまん中に落ちた剣を拾おうと西に進む。

 ところがだ。

 コトブーが剣を拾う前にガイコツがコトブーに寄って来た。

 コトブーはこのままでは確実に斬られる。

 うわあとぼくは目を細めた。

 でもガイコツと接する一歩手前でコトブーがガイコツに背を向けた。

 クルリと。

 コトブーがうしろ歩きで一歩西に進む。

 ガイコツは一歩西に後退した。

 アッとぼくとミクの口から声が洩れる。

 コトブーが床に落ちた剣を拾った。

 コトブーはうしろ向きのまま西に移動した。

 するとガイコツも同じ歩数だけ西に引く。

 ミクが声を投げる。

「コトブー! お前は卑怯なデブだ。けど改心したのは認めてやる。次はないぞコトブー」

 コトブーがうしろ歩きのまま剣を突きあげた。

「わかった。憶えとくよミク」

 コトブーはガイコツと剣を交えることなく戸にたどり着いた。

 ぼくら三人はうしろ向きのまま剣を手に西の戸をあける。

 黄金リスのセセリがぼくらを待っていた。

 あけた戸のすぐ前で。

「ふふふ。迷いに迷って泣くがいい。ざまあみろ」

 ぼくは手の剣をふりあげる。

 セセリがクルッとぼくに背を向けた。

 この部屋は細長い。

 やたら長い廊下が一本伸びている。

 セセリが廊下を一目散に駆けて行く。

 ふたまたの黄金シッポが見る見る遠ざかる。

 廊下の向こう端でセセリが消えた。

 ぼくらは取り残された。

 ぼくの正面には一本の廊下。

 ほかにはなにもない。

 月明かりに照らされた廊下がまっすぐ走るのみ。

 ぼくはふりあげた剣をおろした。

 ぼくはミクとコトブーと顔を見合わせる。

 セセリの捨てゼリフの意味がつかめない。

 迷いに迷って泣く?

 どういう意味だ?

 コトブーが疑惑をふり切るよう剣を握り直した。

「迷いに迷って泣くだって? 一本道の廊下でか?」 

 ふふんとコトブーが鼻で笑った。

 コトブーがセセリのたどった足跡に沿って走り出す。

 ぼくとミクもコトブーにつづく。

 ただ部屋に踏みこんだとたんクラッと軽いめまいがした。

 あれっと思った。

 でもそれだけだ。

 めまいは長くつづかなかった。

 ぼくは気にせず走る。

 廊下の終点に着いたコトブーが大声をあげた。

「うわーお! 落とし穴だ!」

 ぼくとミクがコトブーの背中で足を止めた。

 コトブーは廊下の端で立ち尽くしている。

 のぞきこむとコトブーの靴の先で四角い穴が口をあけていた。

 まっ逆さまに落ちこんでいる。

 底に数十本の剣が刃を上に向けて直立していた。

 落ちて来る者を串刺しにしようとだ。

 落とし穴の口は一辺が二メートルの正方形だった。

 落とし穴の対岸にドアノブが見える。

 しっかりと閉じた戸には貼り紙がされていた。

『こっちは行き止まりだ。バーカ』と。

 セセリの声が聞こえて来そうな貼り紙だった。

 落とし穴の幅は二メートルだ。

 助走をつければ飛べない距離じゃない。

 でも戸の直下も落とし穴。

 戸がストンと落とし穴につながって一枚の壁に見える。

 戸があいていれば問題ない。

 しかし閉まっていた。

 戸までは飛べる。

 しかしドアノブにつかまる以外落ちない手立てはない。

 せめて戸の前に床が二十センチあれば。

 コトブーが落とし穴を見おろす目を持ちあげた。

 ぼくを見る。

「どうするよ? これ?」

 ぼくは落とし穴と対岸の閉じた戸を見くらべた。

「どうするってもねえ?」

 なにか手はないかと思案する。

 けどこの部屋はなにもない。

 ただ廊下が走るのみ。

 ぼくのリュックにも落とし穴攻略の道具などない。

 どう考えても打つ手がなかった。

 しかしぼくは人形の記憶を取りもどしたい。

 死んだアキを生き返らせるために。

 だから必死で考えた。

 でもだめ。

 この落とし穴を越える方法が浮かばない。

 しかたがなくぼくはポケットのウルルに目をすえる。

「取りあえずきみの説明を聞きたいんだけどウルル? きみってなにもの? ネズミじゃないし人間でもない。ならいったいなに?」

「おいらか。おいらは『日い連』の会員だ。『日い連』は『日本いやがらせ連盟』の略さ。人間にいやがらせをする組織だね。『世界いやがらせ連盟』の日本支部をおいらたちはそう呼んでる。日本のいやがらせを一手に引き受ける組織。そういうわけだな」

 ミクが口を突き出した。

「どうしてそんな組織があるのさ? 人間にいやがらせをすると得なわけ?」

 ウルルが歯をむく。

 笑ったようだ。

「食うのさ」

 ぼくもミクもコトブーも目を見張った。

 たしかめるのは恐い。

 けど代表してぼくがウルルに訊いてみる。

「食う? 人間を?」

「人間をじゃないよ。人間の邪悪な波動をさ。人間にいやがらせをするのが愉しみってんじゃない。人間の心の波がおいらたちの食べ物なんだよ。ただし。きれいな心の波動はカロリーが低い。食べても食べてもおなかいっぱいにならない。だから人々を仲たがいさせたり憎ませたりする。他人にいやがらせをするときのどす黒い波動はエネルギーがたっぷりなんだ。他人を憎む力ってすごいだろ。だからさ」

「じゃきみたちの実体って?」

「このネズミの身体は借りてるだけ。おいらの本体は精神のみって感じかな。霊ってのがそうかもしれない。本体そのものは小さな力しか持ってないんだ。それで生身の生き物の肉体に入りこんで活動する。いつからおいらたちが存在するかはわからない。けどずいぶん昔からいる。人間から見れば不死身と言っていいほど長生きだ。おいらたちの食べ物は地球上の生き物の心の動きなんだよ。だから人間以外の生き物からでも補給はできる。でも人間がいちばん精神活動が大きい。それでどうしても人間を食べ物にしちゃうんだ」

 ぼくはポケットをこわごわ見おろした。

「ちょくせつ人間を食べるんじゃないよね?」

「人肉は食べないよ。おいらたちは精神波だけを食べる。連盟が作られたのは人間を殺さないためさ。もう気づいてると思うけどセセリもおいらの仲間なの。話はちょっと飛ぶけどさ。この町って大病院があるだろ?」

「ああ。死にかけ病院? 死ぬ寸前の患者しか入院させない特殊な病院?」

「そう。その病院。末期患者や老人に最後のやすらぎを提供する施設さ。海を見おろす風光明媚な土地から逝ってもらおうとね。セセリはさ。悲しみの感情が好物なんだ」

「それでセセリはこの屋敷に?」

「まあね。でもぶっちゃけ言えば左遷だよ。セセリはエリートなんだ。おいらとは格がちがう。セセリはかつて絶大な力を持ってた。でも調子に乗りすぎて人間を殺しちゃったんだ。人間はさ。自分たちに危険のあるものを皆殺しにするだろ。おいらたちは不死と言っていいほど長生きだ。けど本体の力は弱い。この借りてる肉体に入った状態で肉体を殺されるとするよね。すると次に肉体に入りこむエネルギーをためるのに百年も二百年もかかるわけ。それで人間を殺さないようにいやがらせ連盟が結成されたわけさ。人間を殺さず暗い感情だけを増幅させようってね」

 ぼくはひとつ気づいた。

「ウルル。きみって鳥かごに閉じこめられてたじゃない? きみも人を殺したの?」

「いいやちがう。おいらはじかに人を殺す力はない。ただおいらはおしゃべりが好きでさ。日本支部長のレンさまの計画をだいなしにしちゃったんだ。まさか第二次大戦で日本人がドイツと手を組むなんて思わなかったものでね。レンさまは日本とイギリスを同盟国にしようと工作してたんだ。おいらつい調子に乗ってドイツの軍人から聞き出したドイツの秘密兵器の数々を日本の軍人に自慢しちゃった。そのせいで日本軍はとつぜん方針を転換してさ。イギリスよりドイツと組めば向かうところ敵なしだってね。おいらはレンさまにどやされたんだ。お前はしばらく田舎に引っこんでろってさ。そう叱られてセセリにあずけられたわけ。おいらをかご詰めにしたのはセセリだよ。おいらのおしゃべりがうるさいってね。おいらがちょくせつ人を殺したわけじゃない。でも間接的にはおいらも人殺しかな? ドイツと組んだせいで日本人がいっぱい死んだものな」

「じゃね。人を殺すとどう処罰されるのさウルル? ウルルたちは死なないんだよね?」

「ケースバイケースだけどさ。たいていは田舎に左遷される。大昔セセリは海を渡った大陸で幸運の象徴だった。人間との関係も良好だったんだ」

「あれ? それでどうしてセセリは人殺しなんかしたのさ? おかしいじゃない?」

「ユーヤ。時代が変わると人の心も変わるんだ。おいらたちと人間の関係はいいときもあれば悪いときもあった。セセリの力を利用しようと人間が悪だくみをはじめてさ。セセリもその黒い感情をたらふく食った。ちょうど人間がお酒に酔うみたいにね。気づいたときセセリは腹黒い王様と手をたずさえて敵対者を殺しまくってた。悪いことに殺せば殺すほど力が強くなるんだ。自分に向けられた憎悪までおいらたちは食べるからね。それでついにセセリは大陸を追い出された。日本に逃げて肉体を殺されたわけ。だからいまあんなリスの姿なんだ。力も全盛期の百分の一に満たない」

 ぼくは気になることを思い出した。

 ウルルにたずねてみる。

「ふうん。じゃ話は変わるけどさ。セセリが人形の記憶を盗んだ。そう階下の人形が言ってたんだ。それはどういう意味なの? ウルルの話だと本当に記憶を盗めそうだけど? そもそもあの人形もきみたちの仲間なわけ?」

「あの人形はおいらたちと関係がない。人形に魂を封印する術をほどこした人間の細工さ。セセリはあの人形のかかえてる悲しみが気に入ったんだ。セセリって自分の好きなものを手元にコレクションしておきたいやつなんだよ。でも人形とはいえ魂があるから言いなりになってくれない。それでいちばん美しい記憶とやる気を人形から奪ったんだ。人形のきれいな黒髪といっしょにね」

「あっ。だから盗まれたって記憶は残ってるわけか。けどやる気を盗むってのは?」

「ユーヤ。あの人形が動くのは魂の思いが強いせいなんだ。美しい記憶だけ盗めば取り返そうとするじゃない? いまのセセリはあまり力が強くないんだ」

「なるほど。取り返されまいとやる気を盗んだ?」

「そういうこと。でも夏至の日は特にあの人形の思いが強くなるみたいだ。歌ったり動いたりするだけの力が湧く。夏至の日になにかあったんだろうね。セセリは美しい記憶を宝石状にして飾る趣味があってさ。見れば人間の心にもズキンと響くからわかるんじゃないかな? 昔はその宝石ほしさにおいらたちをつかまえる人間もいたよ」

 そのときミクがぼくのシャツを引いた。

「あのさユーヤ。落とし穴だけどね。ここって本当は廊下じゃないじゃんさ。ここは真四角な部屋のはず。ボクら目くらましにかかってるんじゃない?」

 ぼくは廊下の両端に目を走らせる。

「なにもない廊下。それがそもそも錯覚って言いたいのミク?」

「うん。つまりこの落とし穴さ。落とし穴に見せてあるけど落とし穴じゃない。そういう引っかけじゃないかな? だってさ。最初から口をあけてる落とし穴なんて変だよ。ボクらを落とそうとするなら廊下に見せかけとかなきゃ」

 ハッとコトブーがうなずいた。

「踏んだとたん落っこちるようにか?」

 そのとおりとミクが首を縦にふる。

 ぼくとコトブーは顔を見合わせた。

 そういやそうだ。

 わざわざ落とし穴がありますよと見せつける必要はどこにもない。

「だからこれ落とし穴じゃないんだよ」

 ミクが落とし穴に足を踏み出した。

 うわっとぼくの手に力がこもる。

 けど踏み出したミクは落とし穴に落ちなかった。

 ミクがつま先でなにもない空間をさぐる。

 見えないだけだ。

 床がちゃんとある。

 ミクは空中を歩いて行く。

 ミクの靴の下は妙な光景だ。

 靴の下で剣の林がミクを待ちかまえている。

 ミクは空中浮遊していた。

 ミクが落とし穴の上を一歩ずつ慎重に進んだ。

 目くらましだとわかっていても気持ちのいいものじゃない。

 剣の林立する虚空を歩くなんて。

 ミクが戸にたどり着いた。

 ノブに指を伸ばす。

 ミクが戸をあけた。

 戸の外の光景にぼくら三人は驚きの声をあげた。

「えっ?」

 開いた戸の向こうは部屋じゃなかった。

 柱や板が重なるガレキの山だ。

 びっしり折り重なって一歩も踏み出せそうにない。

 行き止まりだった。

 ぼくも戸に寄った。

 手でガレキにふれてみる。

「まぼろしじゃない。本物のガレキだ」

 ミクもガレキにさわってたしかめた。

「このガレキの山さ。あのリスすらくぐれるすき間がないよ? どうなってるの?」

 ぼくはガレキをコンコンたたいた。

 崩れそうもない。

 きのうやきょうこの状態になったんじゃないみたいだ。

 戸の貼り紙がぼくらをあざ笑う。

『こっちは行き止まりだ。バーカ』と。

 ミクが途方に暮れた顔で戸を閉じた。

 ぼくら三人は情けない顔を見合わせる。

 どうしようと。

 そのときウルルがもっと情けない声を出した。

「おいら疲れたよ。空気をふるわせて声にするのって力を大量に使うんだ。エネルギーをちょうだいユーヤ。ほのぼのとしたやつがいいな」

「それってぼくになにか考えろってこと?」

「そう。心温まる思い出とかきれいな体験とかを考えて。憎悪はいま食べたくない」

 突然そんな注文を出されてもねえ?

 すぐには浮かんで来ない。

 ぼくは仕方なくアキの顔を思い浮かべた。

 海江田亜季は春風の妖精みたいな女の子だったなと。

 ウルルに訊く。

「こんな感じ?」

「ああそれそれ。そんなやつ。おいら美食家だからそういう極上のがいいな。コトブーの思いはえぐ味が強すぎる。ミクのは単純すぎて味がうすい。ユーヤのそれはミント味のアイスクリームみたいだ。サラリと舌先でとろけるくせにコクがある」

 コトブーとミクがそれぞれくちびるをとがらせた。

 なんだよそれって顔だ。

 ウルルがコトブーとミクの口を止める。

「文句はあとで聞くからさ。ユーヤ早くおいらに食べ物をくれよ。でないともうしゃべれなくなる」

「わかった」


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