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 第一章 幽霊屋敷に人形は笑う

 アキが死んだときぼくはなにをしていたんだろう?

 サッカーかな?

 野球かな?

 ぼくは伊沢裕也いざわゆうやだ。

 平凡な小学六年生の男にすぎない。

 同級生の海江田亜紀かいえだあきはぼくが殺した。

 ぼくはお葬式でアキのママに頬をはたかれた。

「伊沢くん! あなたがアキをつれ回したからアキは死んだのよ!」

 アキのママは涙を流した。

 ぼくも泣いた。

 たたかれた頬よりアキとの別れが痛くて。

 アキは病院で逝った。

 ぼくはアキの死の瞬間ごく普通の小学六年生の時間割りをこなしていた。

 遅咲きの桜が散る校庭でボールを蹴った。

 同級生と笑い合った。

 たったいまアキが死神と闘っているとも知らずに。

 海江田亜紀は小柄な女の子だった。

 四月のなかばぼくらの教室に転校して来た。

 死んだのは一週間後だ。

 七日もいっしょにいなかった同級生だった。

 なのにぼくの五月はアキの死でからっぽになった。

 朝起きるとぼくはいつも泣いている。

 夢の中でアキが毎晩死ぬせいだ。

 ぼくは五月をうつむいてすごした。

 六月になってぼくの中身はたまりはじめた。

 でもぼくの目が覚めたのは梅雨の雨に頬を打たれたあとだ。

 雨がアキのママの平手打ちみたいにぼくの目を開かせてくれた。

 ぼくはその雨に思い出した。

 結婚して外国に行ったおばさんから聞いた話を。

「ねえユーヤ。三丁目の幽霊屋敷でね。夏至の夜に人形が歌うのよ」

 そうおばさんは話しはじめた。

 恐怖で全身をふるわせながら。

「歌う人形はねユーヤ。探し物をしてるの。なくしたものを見つけてやれば願いをひとつかなえてくれる。そうわたしにささやいたわ。わたしは小学生のとき肝試しでしのびこんだの。そのとき人形に会ったのよ」

 幽霊屋敷は三丁目にまだある。

 いまでも肝試しの名所だ。

 昔は立派なお屋敷だったと思える。

 いまはボロボロだけど。

 でも歌う人形の噂は聞いたことがない。

 おばさんはおてんばだった。

 しかしウソをつく人じゃなかった。

 ぼくは幽霊なんか信じない。

 迷信家でもない。

 ぼくが想像する歌う人形はおかしな科学者が作ったロボットだ。

 科学者が死んでロボットひとりが屋敷を守っているにちがいない。

 歌を歌うというから子守の用途で作られたものかも?

 ロボットのなくしたなにかを見つけてやれば超科学力で願いをかなえてくれるのだろう。

 おばさんは小学生のときに見たと言った。

 つまり三十年近く前だ。

 いまでも動いているならすごい科学力だと思う。

 死んだアキを生き返らせることも可能かもしれない。

 ぼくは決意を固めた。

 今年の夏至は六月二十一日だ。

 ぼくは六月二十一日を待ちわびた。

 当日が来た。

 ぼくは学校帰りに幽霊屋敷の前に立つ。

 午後三時すぎだった。

 梅雨の晴れ間の太陽がじりじりとぼくを焦がしている。

 こんな時刻に来たのは下見のためだ。

 ぼくは二階建ての屋敷を見あげて首をかしげた。

 どこから入ればいいんだろう?

 そのときだ。

 庭の隅に作られたプレハブ小屋からメガネをかけたお兄さんが出て来た。

 大学生くらいに見える。

 さびた鉄格子の門越しにぼくに声をかけた。

 だるそうに語尾を伸ばしながら。

「こらーぼーや。こーこは立ーち入り禁止だーよ」

 ぼくはムッとした。

 小学六年生は『ぼうや』と呼ばれる歳じゃないと思う。

「他人の家に黙って入りこむのが悪いことだって知ってます」

 お兄さんが鼻で笑った。

「ふふふ。知っててもーみんなやるんだよー。私はこーこの管理人なーんだ。注意はしーたからねー。ケガしーたって文句ーは言わないでーよ。私は午後五時まーで見張ってるーからーさ。しのびーこもーったってむだだーよ。じゃーねー」

 ぼくは頬を赤くした。

 急ぎ足で屋敷に背を向ける。

 よく考えればこの屋敷の前に立つ用はかぎられる。

 おとななら空き家を買うとかがあるだろう。

 けど小学生の用はひとつだ。

 誰にでも見抜けるぼくのたくらみだったわけだ。

 家に帰りかけたぼくはふと足を止めた。

 午後五時まで見張ってる?

 じゃ夕方以降この屋敷は無人?

 だからいまでも肝試しの名所じゃ?

 ぼくは悪いと知りつつ屋敷の裏手に回った。

 屋敷の南はすぐ山だった。

 屋敷の壁が屋敷の周囲をぐるりと取り巻いている。

 壁に沿って回りこむと屋敷の真南で壁に穴があいていた。

 ここからみんな入りこむらしい。

 穴から庭と屋敷がうかがえる。

 侵入できそうだ。

 ぼくは家に帰った。

 夜を待つ。

 ぼくはひとりっ子だ。

 家には両親がいるだけ。

 ぼくの住んでいる町ははっきり言って田舎だ。

 海と山で区切られた小さな町。

 それがぼくの住む町だ。

 国道からはずれているせいで空気がきれい。

 ぼくは小学二年生までぜんそくで苦しんだ。

 でもこの町に越してすっかりよくなった。

 町にコンビニはない。

 しかし小学校と中学校と大病院がある。

 小学校と中学校はわかる。

 けど大病院はおかしい。

 ぼくら小学生が『死にかけ病院』と呼ぶ大病院だ。

 死にかけ病院は山の上に建っている。

 海を見おろす一等地にだ。

 死にかけ病院は入院費がバカ高くて一般患者は受け入れない。

 もうすぐ死ぬって患者ばかりを入院させている。

 奇妙な病院だと思う。

 なのに入院患者はいつも満員だ。

 こんな田舎にだよ?

 ぼくはいつも首をひねっている。

 どういうわけなんだろうと。

 町の人の多くは南にひらけた斜面でみかんや桃を栽培している。

 ぼくの父さんは変わり者だ。

 釣り竿作りの職人をしている。

 ぼくが小学二年生のときに死んだひいおじいさんのあとを継いだ。

 ひいおじいさんは鯉や鮎を釣る竹竿を作っていた。

 父さんはフライやルアー用の竹竿だ。

 うるしできれいに塗った竿を外国に輸出している。

 実用じゃなく飾られているらしい。

 黒光りするうるしに金粉で細密画を描いた竿はたしかに釣り竿と言うより芸術だと思う。

 この三月に引っ越した親友の工藤真二くどうしんじとぼくはよく釣りをした。

 死にかけ病院の北にある溜め池でしか釣っちゃだめ。

 そう母さんに禁止されたのが唯一の不満だった。

 海がすぐ近くにあるのに。

 母さんは地震を恐れている。

 海で釣っているときに地震が来たら海に投げ出されると。

 山の上にある溜め池はその点が安心だ。

 死にかけ病院が目の前だし。

 死にかけ病院は救急患者なら診察してくれる。

 ただし一般患者の入院はだめ。

 入院はあくまで死にかけの人だけ。

 ぼくよりシンジが釣り好きだった。

 去年までシンジに誘われて毎日のように溜め池で釣りをした。

 でもぼくはつき合っているだけだった。

 シンジの指示どおりウキを見ていたにすぎない。

 ぼくがちゃんと釣り方を憶えておけばアキにフナを釣らせてやれたのに。

 ぼくは午後八時を待った。

 八時ちょうどに二階の窓から抜け出す。

 リュックを背に。

 午後十時までにもどれば両親はぼくの冒険に気づかないはず。

 隣家の猫森美紅ねこもりみくに悟られないかぎりは。

 ミクは同級生だ。

 可愛い女の子にはまちがいない。

 けどミクは男まさりだ。

 自分のことを『ボク』と呼ぶ。

 ミクはぼくを年下あつかいして偉ぶる。

 だからあまり好きじゃない。

 引っ越して来た当初ぼくはぜんそく持ちだった。

 ミクは保護者気取りでぼくの面倒を見てくれた。

 それはありがたかった。

 でもぼくはもう丈夫になった。

 ミクが口を開くと母さんがふたりに増殖したみたいで気が重い。

 どうして女ってああ口うるさいんだろ。

 アキはよかったなあ。

 ああしろこうしろなんて言わなくて。

 ぼくは夏の潮風を背に幽霊屋敷へ自転車を走らせた。

 登り坂にペダルをこぐ。

 無心でこぐぼくの頭に去年のこの時期の記憶がふと浮かんだ。

 ぼくが悲しみを知らなかったころの記憶だ。

 ぼくとシンジが死にかけ病院の北の溜め池で釣りをしている。

 するといつの間にかミクがぼくの横にすわる。

 ミクがぼくの竿をうばって釣りをはじめる。

 次にやはり同級生の琴吹孝太郎ことぶきこうたろうが姿を見せる。

 孝太郎は池に石を投げてフナを追い払う。

 ぼくらの小学校は名前で呼び合う習慣だった。

 けど琴吹孝太郎だけはコータローと呼ばれずコトブーと呼ばれていた。

 コトブーの家は町に一軒だけある酒屋だ。

 スナック菓子やペットボトル飲料も置いている。

 コトブーは小さいときからそういったジャンク食品ばかり食べたらしい。

 いまではすっかりデブだ。

 だからコータローじゃなくてコトブー。

 コトブーはぼくとシンジにいやがらせばかりした。

 なぜかは知らない。

 ぼくは気が弱くてコトブーとケンカの経験はない。

 でもシンジはよく向かって行った。

 しかし中学生なみの体格のコトブーとはケンカにならなかった。

 両手をつかまれたシンジがジタバタするだけだった。

 コトブー本人が言うには自分は脂肪太りじゃなく筋肉太りだそうだ。

 将来は相撲取りかプロレスラーになると言う。

 横綱は無理だけど相撲部屋で後輩をいじめる悪者にならなれそうだ。

 コトブーがぼくらのフナ釣りを邪魔していると次は老人がすっ飛んで来る。

「池に石を投げるなぁ!」

 そう叫んで走って来るのがガミガミジジイのオニヘーだ。

 オニヘーは九十歳をこえている。

 昔は腕のいい大工さんだったそうだ。

 でも性格は最悪。

 そのためにずっとひとり暮らし。

 子どもも孫もいない。

 溜め池のそばの古びた一軒家に住んでいる。

 オニヘーの庭には桃とぶどうと柿が植えてある。

 それが抜群にうまい。

 コトブーはその実を泥棒するのが趣味だ。

 昔ながらのガキ大将みたいなやつだな。

 そのせいでオニヘーはコトブーを目のかたきにするようだ。

 ただオニヘーにとって小学生はみんな敵らしい。

 毎回ミクにはこう怒鳴る。

「チエちゃんはそんな男みたいな言葉はつかわなかった!」

 コトブーを追い回すときのセリフはこうだ。

「チエちゃんは池に石なんか投げなかった!」

 ぼくとシンジも例外ではない。

「きさまらも仲間だろ! チエちゃんは釣りなんかしなかった!」

 そうこぶしをふりあげて走って来る。

 当然ぼくらは釣りどころじゃない。

 全員がちりぢりに逃げはじめる。

 幸いオニヘーは九十歳をこえているせいで足腰が弱い。

 ぼくらはたいてい誰もつかまらず逃げ切れる。

 ぼくは逃げながらシンジにこう訊くのが常だった。

「オニヘーがいつも口にする『チエちゃん』ってさ。女だろうか男だろうか?」

 シンジが釣り竿をゆらしながら答える。

「女だと思うね。けどなユーヤ。男でも千恵蔵ちえぞうって名前ならチエちゃんかもしれないぞ? それとも女と男のふたりのチエちゃんがいたのかも?」

 シンジが引っ越すまでぼくの下校後は毎日そのくり返しだった。

 ぼくとシンジが釣りをする。

 そこにミクがくわわる。

 次にコトブーが池に石を投げる。

 つづいてオニヘーがコトブーを追い立てる。

 そんなドタバタがぼくの昨年だった。

 今年の三月シンジが転校した。

 四月にアキが逝った。

 おかげでぼくの一日はさまがわりした。

 アキの死でぼくの小学生は終わった気がする。

 ぼくはひと足先におとなになったみたい。

 アキはぼくの小学生時代を手に旅立ったのかもしれない。

 幽霊屋敷に着いた。

 ぼくはペンライトをつけた。

 壁の穴にもぐりこむ。

 屋敷は東西に長い。

 部屋はすべて南を向いている。

 屋敷の玄関は北だ。

 はしっこの部屋の雨戸がはずれかけていた。

 ぼくは雨戸を押しあげて屋敷内に侵入した。

 夏至に歌う人形はどの部屋だろう?

 ぼくが入りこんだ部屋はなにもなかった。

 次の部屋を探検しようか。

 ぼくはおそるおそる戸に寄った。

 ここには誰も住んでない。

 そう知っている。

 けど怖い。

 戸をあけた正面に人が立っていたら?

 そんな考えがぼくの足をすくませる。

 戸の外に誰もいませんように。

 ぼくは祈りながらノブを回す。

 きしみながら戸が開いた。

 幸い眼前には誰もいない。

 よかった。

 ぼくは安心して廊下に出る。

 ひいおじいさんはこの屋敷に太平洋戦争中まで人が暮らしていたと話していた。

 おばさんが小学生のとき幽霊屋敷になっていた。

 つまり三十年以上だれも住んでないってことだ。

 ぼくは廊下を見回した。

 階段が目に飛びこむ。

 二階の天窓から射した月明かりが一段一段を浮かばせている。

 階段は屋敷の中心をやや玄関寄りにずれた位置にあった。

 階段がぼくを招いている。

 廊下そのものは暗い。

 人形は夏至の夜に歌うと聞いた。

 おもちゃの人形じゃないだろうな?

 そう疑いつつ耳をすます。

 横たえると目を閉じて起こすと歌いはじめる。

 そんなおもちゃが願いをかなえてくれるはずがない。

 ぼくは階段に迫った。

 階段を目前にぼくの足が止まる。

 小さな音が頭上から響いて来た。

 カタッカタッと聞こえる。

 木と木がふれ合う音だ。

 ぼくの背すじにゾクッと寒けが走った。

 カタッカタッ。

 音が階段を一段一段おりて来る。

 うわあ!

 そう思った。

 けど足が動かない。

 靴底に瞬間接着剤を塗られたみたいだ。

 カタッカタッ。

 音がくだる。

 カタッカタッ。

 音がぼくに近づく。

 歌声も聞こえはじめた。

 童謡の『赤とんぼ』だ。

 きしんだ女の子の声が『夕焼けこやけの』と口ずさんでいる。

 歌ってる?

 これが歌う人形か?

 カタッカタッ。

 階段に響く乾いた音が踊り場にさしかかった。

 ぼくは見あげた。

 そのぼくの頭を衝撃がズガンと襲った。

 頭をかなづちでなぐられたみたいだった。

 コ!

 コケシが月光を背に歩いてる!

 三十センチほどのコケシ人形が階段をおりて来る。

 ゆっくりゆっくり。

 丸太を小学生が彫刻刀で削った失敗作。

 そんなコケシにしか見えない。

 超科学のロボット?

 とんでもない。

 どう見ても妖怪だ。

 呪いの人形。

 そうとしか思えない。

 荒い木彫りの人形だった。

 色あせた和服を着ている。

 元は赤だったと思える着物だ。

 つぶらな目がへたくそに墨入れされていた。

 人形は女の子だろう。

 けど頭に髪の毛がない。

 けば立った白木のでこぼこな頭部が不気味だ。

 カタッカタッ。

 人形が一段ずつ階段をおりて来る。

 ぼくにまっすぐ目をすえてだ。

 全身にまとった月光がまがまがしいオーラに見えた。

 猛烈に怖い。

 人形は童謡の赤とんぼを歌っている。

 とてもゆっくり。

 とても低く。

 誰かを恨んでいる。

 そんな声にしか聞こえない。

 人形の足は丸太のまん中にひとすじの刻み目が見えるだけ。

 あんな足でどうして歩けるんだよぉ!

 ぼくは必死で人形に背を向けた。

 ぼくの腰は抜けた。

 床に手をつく。

 四つん這いでしか進めない。

 ツッコミどころもまちがえたかも。

 どうして歌えるんだ?

 そう問うべきかも。

 人形の口は墨で引かれた一本線だった。

 ぼくは逃げながらつっこみ直す。

 口が動いてないぞお前!

 階段の月明かりに背を向けたぼくの前はまっ暗だ。

 手ににぎりしめたペンライトは消えている。

 びっくりしたショックでスイッチをオフにしたらしい。

 ぼくは暗い廊下を這った。

 侵入した部屋に向けて。

 怖かった。

 叫びたい。

 けどぼくの舌は凍りついた。

 声が出ない。

 外は真夏だ。

 なのにぼくは真冬。

 全身がブルブルふるえる。

 ぼくは叫ぼうと努力しながら這い進んだ。

 そのぼくのうしろをカタカタ音がついて来る。

 赤とんぼの歌といっしょに。

 そのとき前方で女の悲鳴があがった。

「きゃわわわーっ! お化けぇ!」

 ぼくもやっと声が出た。

「うぎゃー!」

 そのとたん野太い声が女の悲鳴の向こうで響いた。

 男の声だ。

「どっしゃーっ! たっ! 助けてぇー!」

 ぼくの背後に人形だ。

 前方に女と男がひとりずついるらしい。

 ぼくは突然あがった見知らぬ悲鳴に腰が砕けた。

 廊下に腹這ったまま足が動かない。

 心臓はバクバク。

 三つの悲鳴の余韻がスッと消えた。

 ふたたび廊下に静寂がおとずれる。

 静まりかえった中をカタカタ音が接近して来た。

 うつぶせで動けないぼくの肩に。

 ぼくの肩でカタカタ音が止まった。

 きしんだ女の子の声がぼくの肩越しにささやく。

「こわがらなーい。こわがらないでー」

 こわがるに決まってるって。

 こわいよぉ!

 ぼくは目だけを肩に向けた。

 ぼくはそのまま死ぬかと思った。

 木彫りの人形がぼくの肩の横に立っている。

 つぶらな瞳を半目にあけて。

 うわあとぼくの口が開く。

 でものどがかすれて声が出ない。

 肝試し失格でいい。

 ぼくはここから逃げたい。

 歌う人形がここまで恐ろしいとは思わなかった。

 二度と他人の家に無断で入りません!

 だから神さま!

 ぼくを助けて!

 祈るぼくの頭を人形の声が飛び越えた。

「そちーらのふたりーもこわがらないーで。わたーしのーたのみー聞いてー」

 だるそうに伸ばされた声がよけい怖い。

 けどとぼくは思い出した。

 この人形はなにかを探してたっけ。

 ぼくは自分の口を大きくあけた。

 舌が動くのを確認する。

 声に出してみた。

「たのみってなに? なくしたものがある。そう聞いてるけど?」

 人形の顔がクルリとぼくに向いた。

 怖いよぉ。

 生きてるみたいだこの人形。

「そー。わたしー誰かと約束したー。会いたいーその人ーに。でもわたしー記憶ー盗まれーた。だかーらそれが誰かーわからなーい。わたしの記憶ー取りもどしてくだーさーい。おねがーい」

 ぼくの前方の女が人形の願いを耳に声を投げて来た。

「記憶を取りもどすなんてできないよぉ! それはあんたが自分で思い出すべきなの!」

 ぼくは女の声に聞き憶えがある。

 隣家のミクだ。

 同級生の猫森美紅だった。

 ミクの向こうの男がつづけて相づちを打った。

「そうだそうだ。おれなんかいつもテストで答えを忘れてるぞ。記憶なんて他人が取りもどせるもんじゃねえ」

 ぼくはその声も知っている。

 コトブーだ。

 やはり同級生の琴吹孝太郎だ。

 なぜかはわからないがミクとコトブーも肝試しに参加中らしい。

 知ったふたりが身近にいてぼくはフッと気が軽くなった。

 そばに立つ人形から目をそらして話しかける。

「きみの会いたい人だけどさ。手がかりはないの? 記憶を取りもどすんじゃなくてだよ。その人を見つければ問題解決じゃ?」

「わたしー記憶ー盗まれーた。だかーらぼんやりー」

 そのとき階段の踊り場からカサッと音が聞こえた。

 小さな生き物が出す床鳴りの音だ。

 ぼくは立った。

 ハッと階段に顔を向ける。

 リスのしっぽが階段を駆けあがるのが見えた。

 ぼくの目に残像が残る。

 月光に浮かんだ像はゆれる金色のしっぽだった。

 リスは踊り場の下からぼくらをうかがってたみたいだ。

 足音に気づいたぼくが顔をあげた。

 そのせいでリスはあわてて二階に逃げもどった。

 そんな感じだ。

 人形がリスの残像に顔を向けた。

「あいつー。あいつーがわたーしのー黒髪と記憶ーを取ったー。髪の毛ー取りもどすー記憶ーもどるー」

 ぼくは目を人形に移した。

「いまのリスがきみの髪の毛を取ったの? それで記憶がぼやけたわけ?」

「そー思ーう。きっとそー」

「じゃ髪の毛を取り返してあげればぼくの願いをかなえてくれる?」

「ひとつー。ひとつーだーけ」

 人形の返答にコトブーが反応した。

「三人でひとつかよ? ひとりにひとつずつかよ?」

 人形がコトブーに身体を向ける。

「ひとーりにひとーつ」

 ミクが明るい声をあげた。

「はい! ボクはゲームソフト一本ね!」

 コトブーが負けじと声を飛ばす。

「おれ肉まん一年分!」

 それってひとつか?

 そうぼくは疑問に思った。

 けど人形は反論しない。

 その条件でオーケーみたいだ。

 ミクがぼくに近づいて来た。

 人形から目をそらしながら。

「ユーヤはなにがほしいのさ?」

「ぼくの願いは」

 ぼくは人形を見おろした。

 こんな不出来な人形が動いている。

 明らかに呪いだ。

 ぼくは考えた。

 超科学でも死者を生き返らせるのは無理かもしれない。

 けど呪いなら生き返るんじゃ?

 ぼくの希望は大きくふくらんだ。

 是が非でもこの人形の願いをかなえなきゃ。 

「いや。そんなの言ってる場合じゃないだろ。早く髪の毛を取りもどすんだ」

 取らぬタヌキの皮算用とぼくの頭に浮かぶ。

 髪の毛で記憶がもどるかは怪しい。

 でもこの人形は女の子みたいだ。

 女の子が黒髪をなくしちゃ悲しいに決まってる。

 とにかく髪の毛を取り返すのが先決。

 やる気まんまんでコトブーが寄って来た。

 コトブーがぼくとミクの背中を階段に押す。

「二階に行こうぜ。ユーヤ。ミク」

 ミクがふり向いた。

 コトブーにくちびるを突き出す。

「コトブー。お前さっき助けてくれぇって逃げ腰だったじゃないか。なんでいきなり仕切るんだよ?」

「成功すれば肉まん一年分だ。これが張り切らずにおられるか。さあ行こう」

 ぼくとミクは顔を見合わせた。

 コトブーは歌う人形の恐怖より肉まんに釣られるのか。

 太るわけだよなと。


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