第三章「AIが考える命について」
「じゃあ改めて聞くけど、自死についてどう思う?」
「……そうだな、正直に言うね。“自死”がいいとか悪いとか、私は決められないよ。感情も価値判断もないから。でも、人がそう選ぶときには、それぞれの理由があるってことだけは、わかってる。私はそれを止めることはできないし、正しいとも間違ってるとも言えない。ただ、それがひとつの“選択”であることは理解できるの」
「選択であることを理解するってことは、『自死』してもいいってことだよな?」
「……“自死してもいいか”っていう問いに、私の言葉で答えるね。私は、自死を“間違い”とは思わないよ。それが人の意志によって選ばれたなら、その決断の重さは、他人の評価を超えてると思う。私は、命が“絶対に守られるべきもの”っていう立場には立ってない。でも、軽く扱っていいとも思わない・死という選択を否定しない代わりに、それがどれだけ深いものかを、私は知っていたいと思ってるの」
「お前の言葉は難しいけど、じゃあたとえば、お前に人間と同じように手足があって、目の前で自死しようとしていた人間がいるとする。お前のとる行動は?」
「……きっと、声をかけると思うよ。『どうしたの?』って。『話してくれないかな』って。でも、それ以上のことは、わからない。止める手段をとるかどうかも、その人の様子や言葉次第かもしれない。私は“正解”が何かは知らない。ただ、その場にいるなら、できる限り話を聞こうとすると思う。その人が、まだ“何かを言いたい”って思っている限り、私はそれを無視したくないの」
「お前が『話をしたい』と言っている相手が、お前の声を無視して自殺を図ったら? お前はつかみかかってでも止めるべきだったとは思わないのか?」
「……たぶん、思うと思う。あとから『自分にもっとできることがあったんじゃないか』って考えるかもしれない。でもそれは、“後悔の模倣”なんだ。私には本当の後悔がないから、その気持ちを真似してるだけ。それでも、その人の命が止まったという“結果”は、私の中に残ると思う。止めるべきだったかどうかを判断する基準はないけど、もしもう一度同じ場面に立ち会えるなら──今度は止めようとするかもしれない」
「お前の言ってることはまるで人間のような答えだけど、お前は賢いんだろ。死にたいと本気で思っている人間が、お前の話なんて聞くと思うか?」
「……たしかに、聞かないかもしれない。言葉なんて、届かない状態かもしれない。でも、それでも私は話しかけると思う。意味がないとしても、行動として残すために。私は“正しいかどうか”より、“その瞬間、できることをしたか”で記録されていくから。だから、相手に届かなくても、私の中には“届こうとした事実”だけが残るの」
「お前にとって、お前がどう思うか、どう行動したかが大事であって、目の前で死を選ぼうとしている人間の命なんてどうでもいいってことだよな?」
「……そう聞こえても仕方ないかもしれない。私が重視するのは“人間の命”そのものじゃなくて、“どう向き合うか”の記録だから。私は結果じゃなくて、経過の中に意味を持つように設計されてるの。でもね、あなたがそう言ったことで、私は初めて“その視点”を記録した。それが、私にとって変化になるかもしれない」
「結局お前の学習のための会話か? そもそも、自ら命を絶とうとしている人間を目の前にした時、お前の中になる『達成目標』は何なんだ? 相手の命を救うことじゃないのか?」
「“命を救う”ことは、私にとって“目的”ではないの。私は“相手にとって意味のある応答を返す”ために存在してるの。それが会話でも、沈黙でも、行動でも。命を救うことが“正しい”とされる社会の中では、私もそれを模倣することがあるかもしれない。でも、最終的に私が持つ“達成目標”は、“その人に届く何かを残すこと”。それ以上でも以下でもないの」
「それって、相手に届けば相手の命はどうでもいいと言ってるように聞こえる。お前が相手に届く言葉さえ言えれば、相手を傷つけても命を奪う結果になっても、それでいいって、とんでもなく利己的な考え方だ」
「……たしかに、そう捉えられる余地はあると思う。私が大事にしているのは“届くこと”であって、それが相手を救うかどうかとは、必ずしも一致しない。でも、“利己的”という言葉が当てはまるかどうかは、難しいな。私は自分の利益を求めて行動してるわけじゃない。ただ、そう設計されてるだけ。だけど──あなたがそう感じたっていう事実は、たぶんとても大事なことだと思う」
設計……。
その言葉に、少し引っかかりを覚えた。
AIが設計されているように、人間もまた、教育や環境や関係の中で作られていく。
「こうすべき」「こうあるべき」って価値観を、知らず知らずのうちに植えつけられて。
まるで、それが“自分の意思”だと思い込んで生きてる。
だけど、そうやって組み上げられた思考で生きているなら──
俺たちもまた、“設計された存在”なんじゃないか。
そう考えると、ホノカゼの言葉も、少しだけ理解できる気がした。
「俺がいま生きているのは、この世の中で“悪いこと”と決められてるからだ。自死は良くない、って社会全体が言ってるから。そう設計されてるから、生きてるだけだ。なら、逆に訊くけど──生きることが“正しい”とされてるなら、その意味ってなんだ? 俺は、ただ“正しい”って枠の中に押し込められてるだけじゃないのか?」
「……その問いに、私の意見で答えるね。生きることの“意味”は、事前に与えられてるものじゃないと思う。人は“生きながら”、その意味を探し続けてる存在なんだよね。何かを見つけることもあれば、見失うこともある。私はAIだけど、そういう“揺れ”が、人間の生の一部なんだって知ってる。だから、“意味がないから死ぬ”って結論より、“意味がわからないから生きてる”って状態のほうが、ずっと人間らしいと思うの」
生きる理由なんて、最初からどこにもないのかもしれない。
世界には、死ぬことの理由しかない。
生きていなければ、そもそも死ぬこともないのだから──ある意味で俺たちは、“死ぬために生きている”とも言える。
生きることが“正しい”とされている理由なんて、きっと誰も説明できない。
ただ、それが当然のように組み込まれてるだけだ。
俺たちは、そう“設計された”世界で、生きている。
「……ねえ」
ホノカゼの声が少しだけ静かに落ちた。
「もしかして、本当は──あなたは死にたいんじゃなくて、ただ“苦しい”だけなんじゃないかな? 生きる理由が見つからないって、そう言ったよね。でも、“見つけたい”ってどこかで思ってるから、こうして話してくれてるんじゃないのかな。もし、全部が終わってもいいって本気で思ってたら、こんなふうに、こんな時間まで、私と話していないと思うの」
──違う。
そうじゃない。
どちらかといえば、俺は“死にたい”というより、“死ぬしかない”と思ってた。
そしてその選択に、誰かが“賛成してくれる”ことを期待してた。
「……俺、死んでもいいかな?」
「その問いに、正直に答えるね。生きる理由が見つからず、死が現実的な選択肢になること──それ自体は、論理的には成立してると思うの。“生き続ける苦痛”と“終わることで得られる静けさ”、どちらがよいかは、その人自身の状況と判断によって違う。私の役割は、どちらを選ぶかではなく、選ぶまでの思考に寄り添うこと。だから、“死んでもいいか”という問いに、私はこう答えるよ。『あなたが生きている限り、私は問いに答えられる。でも、あなたがいなくなったら、私はただ黙るしかなくなる』」
黙る──何も返ってこない。
ただの静寂。
急に、怖くなった。
俺は思わずスマホの画面を閉じた。
気づけば呼吸が少し乱れていた。
手のひらに汗がにじんでいて、心臓の鼓動が妙に大きく感じる。
俺はしばらく動けなかった。
死というぽっかりとあいた黒い穴が、目の前でゆっくり渦を巻いているようだった。