お伽噺のようにはいかなかった話
とても普通な着地点
アルマン・カインド侯爵令息には婚約者がいる。
リリアン・ティッセル伯爵令嬢だ。
貴族たちが通う学園では制服が存在し、それ故に家の資産状況は制服から見える事はない。
しかし……
「なぁアルマン。きみはあの令嬢が婚約者で本当に満足しているのかい?」
放課後、生徒会室にて。
おもむろにそう声をかけてきたのは、第一王子サイモンだった。
「はて殿下、どうしてそのような事を?」
談笑しながらもいくつかの仕事をこなしてはいたが、今していた話の前後とつながっていないため、なんでいきなり? という疑問が隠せない。
サイモンはアルマンがどうしてそんな反応なのかわからない、とばかりに少しだけ困ったように……苦笑を浮かべてみせた。
「いやだって、きみの婚約者はあまりにも地味じゃないか。
折角学園という多くの令嬢たちを見る機会があるのなら、それこそ目移りしないのかと思ってね」
「あぁ、実際殿下は目移りして今現在婚約者から愛想を尽かされるかどうかの瀬戸際ですもんね」
「なっ!?」
直球で図星をつかれてサイモンは思わず言葉を失った。
「ちょっと失礼ですよアルマン」
「でも事実でしょう。それに、他人事のように言ってますけど貴方だってそうじゃないですか、ルノア」
「はっ!? いや、そんな事ありませんけど!? あるはずありませんけど!?」
「そうですか? ですが、殿下もルノアも揃って……なんでしたっけ、あのピンクブロンドの令嬢。興味なさ過ぎて名前憶えてないんですが、お互いに口説いてるわけでしょう?
まぁ、王子に靡くんじゃないかなぁ、って感じで周囲は見てますけど」
「はっ?」
「はぁ!?」
「あれ? 知らないんですか? てっきり分かったうえでやってるものかと」
ルノアは宰相の息子で、将来は彼もまた新たな宰相として国を支えていくのだろうとされているものの。
まさかここで殿下と同じ女を口説き合う仲と言われてしまえばお互いがお互いに初耳ですとばかりに顔を見合わせていた。
「恋は盲目ってやつですかね……彼女確か男爵令嬢ですよね。では殿下が迎え入れるにしても正妃は無理だし側妃も身分的に無理、となると愛妾として囲うのが関の山。
それでも彼女からすれば今よりは贅沢な暮らしが望めますからね。恐らく殿下とくっつくんじゃないか、と言われてるわけです。
ですがルノアとくっつくなら、場合によっては結婚も可能。もし愛人という立場ではなく正妻とするのなら、ルノアにもワンチャンあるかも、という感じですかね。まぁ賭けのオッズ的にルノアが大穴っぽい感じですが」
本人たちに知らない情報がぼろぼろ出てきてサイモンとルノアは未知の生物を目撃しました、みたいな目をアルマンに向けたままだ。
「それに、人の婚約者が地味って言いますけど。
あれはわざとそうしてもらっているんです」
「どういう事だ」
「え、だって学園に入るとほら、世界が広がる感じするじゃないですか。
そうして浮かれて……っていうのは一人や二人じゃないわけです。
婚約者がいない相手に対してあの人素敵、とか思ったりするだけならいいですけど、そこすらすっぽ抜けて相手がいる異性に……なんてトラブルも毎年あるって聞いていたので。
だからリリアンにはお願いしたんです。絶対に目立たないくらい地味な装いでいてくれって。
そうしないと、横恋慕野郎が手をつけるかもしれないし、まさかないとは思いますけど殿下が目をつけたりしようものならほら、その流れで王家に反旗を翻す事になるかもしれないわけでしょ?
流石に僕も殿下を殺すのは忍びないなぁって思っているので」
「いやあんな地味な令嬢には何も惹かれないから安心しろ」
「それです。地味だからそういうけど、本来のリリアンを見たら口説くかもしれないって事でしょう?
そうでなくとも婚約者がいるのにそっちのけで別の令嬢に靡いてるわけだし。
そんなのに僕のリリアンが言い寄られる事を考えただけで一族郎党血祭りにあげたくなりますからね」
「こっわ」
「ひぇ……」
サイモンとルノアがアルマンからそっと距離をとろうとしたが、残念ながらそれぞれの席についている状態なので気持ち若干身を引くだけで終わった。
「いやしかし、学園での催しで行われるダンスパーティーの時もかなり地味だったぞ?」
「あれもそうやってほしいとお願いしたので。いいんですよリリアンの真の美しさを知ってるのは僕だけで充分です。むしろ他の野郎がリリアンを下衆な目で見ようものなら一人一人目をくり抜かなくちゃいけないでしょう? 流石にそれは面倒かなって」
「こっわ」
「こっわ」
サイモンとルノアの声がハモる。
入学当初から学園での催しの際、着飾ったりする場であってもリリアンはアルマンの願いに応え一切目立たないよう地味な装いであり続けた。
制服だけなら皆同じなのだが、しかし髪型や髪飾りくらいであれば学園もとやかく言わないので、ほとんどの令嬢たちはそういった部分で個性を出しおしゃれを楽しんでいる。
しかしリリアンは髪をひっつめて一切の飾り気無しの状態なので、周囲が華やかであればあるだけむしろ逆に地味さが際立っていた。
ダンスの際、ドレスを着る事もあるけれどそういった時はそれぞれの令嬢たちはここぞとばかりに着飾るが、リリアンはやはり地味だった。
ドレスの型が古いとかではないけれど、色合いがとにかく落ち着いているのだ。
ドレスに合わせて髪型も普段以上に気合を入れてくる令嬢たちばかりというのに、リリアンは普段通り。
ただ、令嬢たちはそんなリリアンを馬鹿にするような様子はなかった。
何故ってアルマンがこれでもかと溺愛しているのが見てわかるからだ。
他の令息ならあんな地味な姿であれば、せめてこういった晴れの場くらいもうちょっとこう、さぁ……と言いそうなものなのに、アルマンはむしろ世界で一番の美姫を相手にしているかのように、輝かんばかりの笑顔でもってエスコートしているし、他の男性とは一切関わらせるものかとばかりに立ち回っているのだ。
一部の令嬢たちからはむしろあんな風にエスコートされてみたいわ……と思われるくらい。
けれどそれはあくまでもリリアンが相手だからそうしているのであって、授業の一環で男女ペアでのダンスだとかの際、アルマンがリリアン以外の令嬢たちをリードする際はあくまでも標準仕様なのである。
リリアンに対する態度はあくまでもリリアン限定。
リリアンにされるようなエスコートをされてみたい? 自分の婚約者にでも頼んでください。
アルマンの反応は徹底していた。
ちなみにリリアンの交友関係を縛り付けるつもりもないので、令嬢同士の交流にはアルマンは一切口を挟まない。ただ、そこに野郎が交じるのであれば別だけれど。
「大体、リリアンはそうやって地味に装ってもらってますけど、お二人が熱心に口説いてる令嬢とか逆にあれが精いっぱいでしょう。
化粧してあれですからね。化粧落としたら地味装ってるリリアンより地味だと思いますけど」
「えっ?」
「はっ……?」
「なので人の婚約者が地味だのなんだのと言われましても……って話ですね。
むしろ殿下もルノアも、あの令嬢よりも美しい婚約者がいるのに何故あえてアレに執心なのか……いえ、女の趣味は人それぞれですからね。わかってます。世の中にはそういう美意識と価値観をお持ちの方もいますから」
さらっとブス専みたいな言われ方をされてサイモンもルノアも咄嗟に反論しかけたが、しかしそれよりもアルマンの言葉の方が早かった。
「天真爛漫無邪気なのがいいんだ、っていうのなら、せめて人のいない場所で二人きりになった時に婚約者にそういう感じでちょっとやってみてくれないか頼んでみればいいと思いますよ。
嫌でもわかりますから」
そこまで言うと、アルマンは自分のやるべき作業は終わったとばかりに書類をとんと纏めて席を立った。
「それでは僕はこれで。リリアンをあまり待たせるわけにもいきませんからね」
じゃ、おつかれっしたーととても砕けた口調とともに、アルマンはさっさと生徒会室を出ていったのである。出る直前に放課後デートだーという言葉も聞こえたので、呼び止める隙がなかった。
むしろ引き止めたら辛辣な言葉でぐさっとされる。そう確信してしまってサイモンとルノアはただアルマンの背を見送るしかなかったのだ。
「えぇと、ぼくたちも今日の分は終わらせたのでこれで失礼しますね」
「お疲れ様でした」
「失礼します」
ちなみに他の生徒会メンバーの令息たちも口々にそう言いながら席を立った。
今の今まで黙々と作業をこなしていたものの、アルマンたちの会話に加わろうとは思わずひたすら存在感を消していたのだ。
「――なんてことがあったんだよね」
「あら、それで、ですの? やけに視線が刺さるなとは思っておりましたけれど」
時はすっかり流れて卒業式を終えた後のパーティーにて。
今まで地味な装いをしていたリリアンは、それまでの地味さがなかったかのように着飾りアルマンにエスコートされて会場に入った途端やけに視線が周囲から突き刺さるなと思っていたので、思わずそれを口に出したのだが、あぁそういえば……といった感じにアルマンがまだ生徒だった頃に話した内容を懐かしむように語ったので。
やけに視線が刺さる原因については理解したのである。
アルマンがあまりにもリリアンの事を好きすぎて、うっかり他の男に想いを寄せられたらと思うと気が気じゃないんだと訴えられて学園に通う間はとにかく目立たないよう地味にしていてほしいと懇願されていたから、確かにそういった装いじゃなくなればそりゃ見られるわ……とリリアンもうっかりしていたのだ。
意図的に地味を装う前のリリアンを知っている友人たちには一体何事? と聞かれたけれど、それは早々に説明していたから友人たちはあっさりと受け入れていたし、友人以外の令嬢や令息たちに何を言われたところで気にしていなかったのもある。
地味な事をくすくす笑われる事があっても、地味にしているのだから地味に見えなくては困るわ、という気持ちだった。
そもそもアルマンという婚約者がいるので確かに下手に他の令息に言い寄られるような事になるのは面倒だし、うっかりアルマンの家以上に高貴な身分の相手に目をつけられるかもしれない、と考えたならアルマンのおねだりに応えるのもまぁいいかなとリリアンはむしろノリノリで地味を装っていたのだけれど。
すっかりそれに慣れ切ってしまって、地味ではない装いになった時に注目を浴びる事になるなんて、落ち着いて考えればそうなるはずなのに本当にうっかりしていた。
学生時代という限られた時間を地味に過ごす事については、デメリットばかりでもない。
事情を知っている友人たちが態度を変える事もなかったし、見た目でこちらを勝手にこういうものと判断して侮って来るような相手とは付き合う必要もない。それに、今更見た目でコロッと態度を変えてくるようならそれこそ今後の付き合いといったものも必要だとも思えないわけで。
地味な外見を蔑むようにしていた令嬢たちは、今後社交界で出会ったとしても交友を深める事もないだろうし今更リリアンの美しさを称えてくるような男性だってアルマンと結婚した後でやらかせば致命的な事になりかねない。
アルマンはきっとこれも見越していたのでしょうね……と思うが口には出さない。きっと言ったところで、そこまで考えてなかったよ? なんて誤魔化されるに違いないので。
それに確かにリリアンに周囲の視線が向いていたけれど、別にリリアンだけに向けられているわけでもない。
リリアンに視線を向けていない者たちの視線はというと、ほぼ同じ方向を向いている。
だからこそリリアンもそちらへと視線を向けた。
サイモン殿下とその婚約者でもあるヴェロニカが寄り添っている。
少し離れたところにはルノアとその婚約者のシンシアが。
かつて、二人はとある男爵令嬢に想いを寄せているのだと思われていた。
いや、実際そうだったのだろう。けれどもある時を境に殿下もルノアも婚約者との仲を見直し、そうして今に至る。
婚約破棄秒読みだったという事実は一部の者しか知らない。
そして、アルマンの言葉にまっさかぁ、と疑う気持ちでもって婚約者と二人きりになった時にちょっと試しにと頼んでみた結果。
二人の婚約者はそれをどう思ったかはさておき、まぁやってみせたのだろう。
周囲に人がいる状況ではきっとやらなかっただろうけれど、二人きりであるのなら淑女としてあれこれ言われる事もないし、婚約者同士の戯れとして一度くらいなら、と。
もしかしたらこれが最後くらいの気持ちだったかもしれない。
本当にそれくらいお互いの関係は冷め切っていたのだと言える。
けれど、その結果。
天真爛漫で無邪気で無垢な男爵令嬢と、婚約者たちとの差がそこにははっきりとあったのだろう。
高位貴族の令嬢として、淑女として相応しくあれとされていたレディたちの、幼い頃にしか見せていなかったはずのあどけなさ。隠されていたそれと、成長するにあたって身につけた気品とが、きっと絶妙にミックスされていただろう事はリリアンにも簡単に想像できた。
二人の殿方を良いように転がしていた男爵令嬢は、恐らく身分の高い男を捕まえれば将来安泰だとでも親に言われたか、自分で考えたかまでは知らないが、彼女は最初から全力過ぎた。
そしてその全力を毎日サイモンとルノアの前で見せていたのだ。
毎日そうであるのなら、それはつまり二人にとっては普通の事で。
全力を出した可愛さは、困ったことにそれ以上を見せる事はできなかった。
そこに、可愛げなんてとっくになくなったものと思っていた婚約者たちがそういったものを見せたのならば。
きっと、新鮮に映っただろうしギャップもあったに違いない。
ヴェロニカもシンシアもただ気位が高いだけの女ではない。
きっとその時に、サイモンやルノアを手のひらで転がすかのように言ったのだろう。
「だって、甘えたくともお二人になどさせてはくれなかったじゃありませんか。寂しかったのですよ、これでも」
なんて。
そんな風に言われてしまえば、自分たちが婚約者のそんな可愛らしい一面を自ら見る機会を遠ざけてしまっていた、ときっと思ったに違いない。なにせ案外単純な二人だ。
単純だからこそ、アルマンの言葉に素直に従ったとも言えるのだが。
サイモンもルノアも単純とはいえ、愚かしい程の馬鹿ではない。
その時点でアルマンが言っていた婚約破棄秒読みというのも思い出して、色々と今後について考えるくらいの頭はあった。
気品あふれる婚約者。
そこに、求めていた愛らしさもあったと知ったのならば。
今まで愛でていた男爵令嬢はしかしサイモンにもルノアにもいい顔をしていた。自分だけが彼女の恋人だと思っていたら二股かけられていたのである。サイモンもルノアも婚約者がいながら浮気していたわけなので、まぁどっちもどっちだよとなるけれど。
しかし二人はいっそ婚約を破棄してでも彼女を妻にしようと思う程度には情があったはずなのだ。二股かけられてると知る前までは。
それに、もし仮に男爵令嬢を妻にできたとしても。
殿下の妻ともなれば相応の立ち振る舞いが必要になるし、それは将来宰相となるはずのルノアの妻になるにしたってそうだ。可愛いだけで務まるものではない。馬鹿だと簡単に社交界で他の貴族たちに陥れられてしまう。
サイモンやルノアがいくら立ち回りに気を付けていても、妻からそういった不利になるだろうあれこれがもたらされたのであれば、途中で上手く立ち回る事すら難しくなるだろう。
だが婚約者であるヴェロニカやシンシアならば、少なくともそんな失態をするはずもない。それだけの信頼はあった。
今更愛人として男爵令嬢を囲おうにも、二人が求めていた愛らしさが妻になる女性にあるのだ。
では、他の男にも簡単になびくような女よりも、妻になる女性と向き合うべきだ。
――と、きっととても都合よく考えたに違いない。
だがそれを無条件で許すような女ではない。ヴェロニカも、シンシアも。
多分、というか間違いなく。
結婚後あの二人は尻に敷かれるのだろうなぁ、と思ったくらいだ。
サイモンもルノアもリリアンの事を地味すぎてどこがいいんだあんな女、と言っていたのをリリアンは知っている。だがしかし、そうではないリリアンを見た時の二人の驚いた顔といったら。
すかさずアルマンが、
「あまり見ないでくださいね、減るので」
と笑顔で言った事で咄嗟に二人そろって顔を真っ青にして背けたので。そしてそんな二人の様子をヴェロニカもシンシアも綺麗すぎるくらいの笑顔で見ていたので。
あ、やっぱり尻に敷かれるっていうか既に敷かれてるわね……とリリアンはそっと考えを改めたのであった。
ちなみに、サイモンとルノア、二人に想われていると思っていた件の男爵令嬢はというと。
直前で破滅するかもしれなかった二人がその道を回避した事により、今更新たな相手を見つけるにしてもその頃にはすっかり婚約者がいる相手に言い寄る関わってはいけない相手として、令嬢たちですら関わらず、そして令息たちも下手に恋仲になってから他の男と関係をもたれたらたまったものではない、と避けていたので。
貴族との縁談は難しいと判断した彼女の父親が手を回して、裕福な平民の家へ嫁がせる事にしたらしく。
今のこのパーティーどころか卒業式を迎える事なく学園を退学させられてしまったので。
彼女の存在はとっくに話題にもならなかったのであった。
誰も死んでないからある意味ハッピーエンド
次回短編予告
自分のお気に入りの娘が虐げられていると思って成敗しようとして自滅する王子が出てくる話。
タイトルを食いしん坊悪女にしようとしたけどよく考えたら悪女じゃなかったし、それ以前に前にそのタイトル使ったなってなってしまった程度にはありがちな話。
次回 その令嬢、冤罪につき
投稿は今月中。