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第四話 夜の誓い

 くうくうと、可愛らしい寝息を立てて、あどけない寝顔をさらす子どもの青銀の髪を、さらりと撫でる。

 指通しの良い髪は、触っていて気持ちが良い。

 妖精からもらった服は着ることができたけれど、妖精とは触れ合うことが何故かできなかった。

 千希が触ることができるのは、ただ一人。

 この、目の前で眠る小さな竜のみだ。


 食べることも眠ることも、この身ではする必要がない――できない。

 巫女の部屋は竜王の隣だった。食欲はわかず、ひとまず食事は諦めたが、習慣として寝台に横たわって眠ろうとして、眠りという感覚が襲ってこなかったことに、衝撃を覚えたものだ。

 人にとって、生物としては生きるために当然の欲求行動が、今の自分には当てはまらない。

 半透明に透けている、実体が無い自分。

 シュリュセルにしか触れないということは、物にすら触ることができないということだ。椅子にしろ寝台にしろ、気を抜けば透過してしまう。着ている服には触れるけれど、同じ素材で家具など求められるわけもないので、ものに触れないことは諦めるしかなかった。

 部屋にいても暇だからと、こっそりシュリュセルの所に遊びに来ていたら、喜ばれてしまった。

 そして一緒に眠ろうよ、と無邪気に誘ってきた彼の誘いを断われるはずもなく、母親のように添い寝をするのが日課になっている。

 それを知ったエクエスはやはりこちらを睨んでいたけれど、不思議なことに、止める言葉は口にしなかった。

 眠ってしまったシュリュセルを撫でることも習慣づいてしまったが、その行為によって、私は自分の存在を確かめているのかもしれない。

 もう既に、時は深夜だ。

 この世界では十進法が適用されていて、一日は二十四時間、一時間は六十分と地球と同じで、時計もあった。電池とは違い、希少な鉱石によって時を刻むその時計は半永久的に狂わないそうで、正確である。そうやすやすと生産されるものでもなく、城の一番高い塔の上に設置されている巨大な時計が時を知る術となっており、三時間ごとに鳴る鐘の音によって、城の人々は時間を把握している。建物の場所によっては時計自体が見やすいのだが、わざわざ時計を見て時間を確認しにいく者はほぼいない。

 ところで、十進法は同じでも、流石に色々な名称などは異なる。

 当初は気付かなかったが、この世界の言語は当然ながら日本語とは違う。なのに言葉が理解できるのは魂が感覚的に敏感であるためと、巫女という役柄のためらしい。会話において自動的に翻訳が掛かっている――というと少し違う気もするが、何故か言葉が母語のように理解できるのである。こちらが話す時には自然と、日本語ではない言葉が出るのだ。……しかし、見せてもらったが、文字は読めなかった。

 話し言葉限定。それだけ。またもやトリップ的特典はほとんど無い模様である。話が通じるだけまだ良かったが、文字などはこれから勉強しなければならないらしい。憂鬱だ。

 所謂丑三つ時、にあたるその時刻。警備の騎士は見張りについていても、人々はおおよそが眠りについていた。

 床に足をつけることさえ本来はできないはずなのに、沈まず、普通に歩く――若干浮いているようなので床を滑るともいう――ことができるのは、人は地面を歩くものだという固定観念のせいだろうか。お陰で床を抜けることはないから助かっている。そこまで気を張っていられない。

 幽霊は足がないと一般的に言われるが自分は普通にあるよなあと改めて自身を謎に思いながら、シュリュセルの側を離れ、するすると移動し、露台へと続く硝子の戸を通り抜けた。

 触れないのだから仕方ないが、建物を通り抜けるという行為に最初は凄まじい違和感を覚えたものだ。もう慣れたが。幽体の特権と言えば特権だろうに、あまり有難くはない。

 露台に立ち、空を見上げると、そこには欠けた月が見えた。

 地球のものよりも遥かに大きく近く見えるその月は、美しい銀色の光を放つものと、金色の光を放つものの二つ、双子の月だった。

 地球で見た周期とはややずれていて、こちらは今、月が満ちていっているところだ。

月を見る度に、ここが地球ではないことを思い出す。

 星もたくさん見えた。瞬きを繰り返す幾千の星々――こんなに澄んだ綺麗な夜空は、今まで見たことがない。

 自然がたくさんある、輝かしい世界。

 人が汚してしまった地球とは違う美しさが、ここにはある。


「――やはり、眠れないのか」


 唐突に聞こえた声に、ぎょっと振り返った。足跡も気配もまるでなかった。

 シュリュセルの部屋の左右には一つずつ部屋がある。

 左隣は巫女ウィータの部屋、右隣は王のつがいの部屋。

 シュリュセルはまだ子どもなので、右の部屋は空き部屋だとばかり思っていたけれど、どうやら彼はそこから現れたらしい。

 手すりで仕切られた独立した露台、その区切りをいとも簡単に乗り越えて。


『エクエスさん…』

「王の右隣の部屋は基本的に使われることはない。つがいとなった竜は同じ部屋で生活するからな。だから、名ばかりの部屋にはいつからか護り人プレディオが控えるようになった。いつでも王の元へ駆けつけられるように」


 そういえば、シュリュセルの部屋は物凄く広いし、部屋の中にまた部屋がある。無駄に広いなと仰天していたが、そういうわけか。巫女の部屋もかなり広いが。

 何も聞かずとも疑問を読み取ったらしいエクエスの答えに納得していると、冷たい紅の瞳が、真っ直ぐにこちらを射た。

 燃え盛る炎のような、流れる血のような、美しくも戦慄を覚える、不思議な色合いの深紅の瞳。


「……肉体を持たず、妖精とも違う存在であるお前はきっと、睡眠すら取れないだろうと思っていた」


 ニグリティアと似たようなものだからな、と漆黒の服に身を包んだ騎士は言う。

 浮遊霊と断定されなくなったのは、ひとえにウィオラのお陰だろう。ニグリティアとは少し違うようです、と述べた彼女の言葉を、疑いつつも彼は受け入れたのだ。未だに信用は皆無のようで、向けられる視線は厳しいけれど。

 月光に照らされた黒髪の騎士は、気高さを増して見えた。

 彼は王の剣、王の盾。竜王シュリュセルをあらゆる災厄から護る騎士プレディオだ。


「――儀式の前に問う。答えろ、哀れな異界の迷える魂よ。お前に我が王の為、逆らう者を根絶やし、疑心を持って他と関わり、絶えず危機に身を晒す覚悟はあるか。王の命を護るとは、そういうことだ」


 社会の在り様が変容し、例え表面的な建前だけのようになってしまっていたとしても、人の命を奪うことは許されないということが常識とされる国で安穏と生きてきた少女に、彼は一瞬の揺らぎも許さぬという眼差しで、問い掛けた。

 いつのまにか、ひたり、と額に突きつけられている一本の剣。夜の闇のようなその黒き鋼の剣は、退魔の力を持つ、肉体を持たぬ者すら斬り捨てる魔剣であると聞いている。


 王を害するものを殺せるか。心を許した相手でも斬り捨てられるか。例え魂が引き裂かれる危険に遭うとわかっていても、王の隣にいられるか。


「……偽りは許さん。お前が例え儀式で神に認められようと、我が主に値しないとわかれば、神の罰を受けようとも、滅してみせる」


 誰よりも真っ直ぐで曇りの無いその在り方は、いっそ眩しい程だった。


『…私、気がつけば死んでて。目の前にいきなり現れた子どもが、必死で哀しみを堪えていたのが可哀そうだったから、慰めました』


 あんな嘆きをいくつも見てきた。

 でも、子どもが子どもらしくない抑えた泣き方をすることなんて、許せなくて声をかけた。

 はじめは、ただそれだけ。懐いてくれたことが嬉しかった。


『だけど、知らない世界で唯一、シュリュセルだけが私を必要としてくれた』


 それは巫女ウィータとしてであり、けれどどこかそれだけでもなく。

 何にせよ、自分が何なのかすらわからない彼女に居場所をくれたのは、間違いなく、あの幼い竜だった。

 王様だろうと何だろうと。


『…誰かを傷付けたりとか、そういうことができるかはわかりません。でも、シュリュセルを護りたいって、そう思います』


 まだ、たった数日しか一緒にいたわけじゃないのに。

 無心で慕ってくるその姿に、完全に絆されていた。

 人を傷つけても、その身を呈しても守るという自信はまるでないけれど。

 ……傍にいてあげたい。他の誰でもなく、あの子があの子だから。


「それが答えか」

『すみません。お求めになっているものとは違うと思いますけど、そうです』


 はは、と頼りない笑みを浮かべる千希に、エクエスは眉間の皺を深める。

 うわあ斬られるかな、と焦りながら身構えると、深い嘆息を一つ落として、エクエスは意外にも剣を仕舞った。

 きょとんとした少女へ、舌打ちでもしそうな表情で吐き捨てる。


「いいだろう。せいぜいシュリュセル様の足枷にならぬように心がけることだ」

『…え、いいんですか?』

「――もとより、お前に戦力としての期待はしていない。今までの巫女ウィータは王の護衛としても活躍してきた者もいるが、大概はおとなしくしていた。……誰を裏切っても主を護ると言われた方が嘘臭い」

『はあ……』


 エクエスは空を見上げた。

 先ほど、千希が見ていたように、彼もまた月を眺める。


「シュリュセル様は、生まれて間もなくして御両親を亡くされている。竜は長命で屈強な種族だが、死ぬ時もある――だから、あの方はあまり親の情を知らない。先代の竜王様、シュリュセル様にとっては御祖父様にあたる方が親代わりとなっていらっしゃったが、身罷られてからは、あの方はずっと沈んでおられた。普段は周囲に心配をかけまいと明るく振る舞い、必死に王になるための勉学に励まれてきたが」


 ……こう思うのは失礼かもしれないけれど。

 何の表情も浮かべていないのに、その横顔は。

 月を見上げるエクエスは、どこか寂しげに見えた。


「――俺は、あの方がお生まれになった時からの側仕えだ。はっきり言って、お前はあまり気に食わないが……シュリュセル様があんなに甘えていらっしゃる所は、久しぶりに見た。そのことは感謝する。――だが、お前が主に良くないものだと見なせば即刻斬り捨てる。それを忘れるな」


 それだけ言って、エクエスは背を向ける。

 ひらりと手すりを飛び越えて、向こうの部屋へと消えていく。

 はじめて礼を言われたとびっくりしていると、ふと、何かが傍らに置かれていたことに気付いた。

 それは、小さな短剣だった。同時に、声が降ってくる。


「貸してやる。粗末に扱うなよ」


 顔を上げた時にはもう、エクエスの姿はなかった。

 そう言われても、私は物質にはたぶん触れないんですが、と思いつつ手を伸ばせば。

 何と、その短剣は触れることが出来た。


『さ、触れた……』


 驚きながらそれを持ち上げ、じっと観察する。

 綺麗な銀色のその短剣は、柄の根元に、宝石のような丸い石が埋め込まれていた。

向こう側が透けて見える、透明な石だ。

 何となく、月にその石を透かして見ると、石が紅く染まった。


『え…!?』


 仰天する間もなく、石から紅い何かが飛び出てくる。

 小さなその影は、目の前を通り過ぎて、何と千希の肩に乗った。


『こんばんは、お嬢さん。今日も女神の月は美しいですな』


 肉声ではなく、やけに老成した人物のような声が、直接頭の中に届く。

 おそるおそる己の肩に目をやった千希が見たものは、一匹の栗鼠のような生き物だった。

 ふさふさの銀色の毛に覆われたとても小さな体躯の中で、まん丸の紅い瞳がじっと見ている。先ほどの紅は、この色か。


『…だ、誰…?』


 肉体を持たない今、千希は自分の声が声帯を通していないので電話の向こうのような、どこかフィルターを通した不思議な声であると理解している。

 それともまた違う「声」を持って、その生き物は語りかけてきた。


『私はその魔具に住まうもの。肉体を持つ生き物とも、妖精とも違うもの。――なあに、深く考えずとも、そういうものだと理解すればいいさ』

『はあ……』

『主の命により、そなたの世話を頼まれたのだよ』


 手を出せば、その生き物は軽い動作で肩から移動する。

 手のひらの上にちょこんと乗って、言った。


『眠ることができなくて暇だろう? 老体とおしゃべりでもどうですかな?』


 動物の表情などよくわからなかったけれど、その生き物は、どこか好々爺とした笑みを浮かべたような気がした。


 そうして、夜が明けるまで色々な話をした。

 太陽が昇ると共に、不思議な生き物は姿を消す。

 再びシュリュセルの隣に移動して、ふと、気付いた。

 あの人はたぶん、この子が安心して眠れるようにしてあげたかったから、私の添い寝を許したのだろうと。



 ――過保護だなあ。


 嫌っている相手でもいいのか。

 というか、この親切とも言える行為は、何の気まぐれなのだろう。

 あの青年の考えが少しもわからず、不思議な気分になりながら、朝を迎えた。





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