第八話 竜王の巫女(1)
いつにも増して、空は青く澄み渡っていた。
流れる雲は少ないが、年中を通して気候がゆるやかに暖かいこの国では、特に春のこの時期、日差しは柔らかく、吹き抜ける風もどこか温もりを感じた。
昨晩は遅くまで、国の要人達が城で祝宴を開いていたそうだが、城下の人々にはそんなことは関係ない。いつも通りに市場が活気づいているかと思いきや、各店が準備中という札を出し、閉められていた。
がらんとした通りだが、この機を逆手に取って盗人が現れぬようにと、しっかりと警備の騎士達があちらこちらに点在している。
石畳の中央に豊かな水が湛えられた、大きな噴水のある広場。
街で一番大きなその広場に、市井の人々は集まっていた。
皆、一心に王城の方を見つめている。
誰もがそわそわと落ち着かない様子でいる中、生粋の商い根性に突き動かされているらしい商人は飲み物などを売り歩いているが、売れ行きはよろしくない。流石に皆それどころではないらしい。
ざわざわとアクアの民達が言葉を交わす中、ふっと、大きな影が空を覆った。
巨大な鳥のような影は、彼らが待ちわびていたもの。
陽光の光に、青銀の鱗がきらりと輝く。
――人々は、歓声を上げた。
「シュリュセル様ー!」
「王位継承おめでとうございます!!」
「ご立派ですー!」
わあっと口々に祝いの言葉が投げ掛けられる。
彼らにとって、竜は憧れの存在だが、まだ幼いシュリュセルは、市井の民と様々な交流をしてきたこともあって、根強い人気があった。
城の方角から滑空してきた青銀の竜は、彼らの真上から少し離れた位置に来ると、空中でぴたりと制止した。
僅かに下げた首から、その背に乗っている者の姿が見える。
「此度、私は無事に王の座を継承した。此処にいるのが新たなる巫女だ」
どこか威厳のあるその声は、竜から発せられるもの。人の声とはやや異なり、どこか神聖な響きを持った声は、人々を一気に鎮まり返らせた。
「見ての通り、我が巫女は少々風変わりかもしれない。しかし、確かに双女神に認められた『王の巫女』だ」
竜王の背に乗っていた人物が、ゆっくりと立ち上がる。その姿は肉体にしては輪郭がやや朧気で、不透明に見える。
その異相に人々は驚いたが、掲げられた手の甲に、見紛うことなき聖なる印を見つけて、ざわめきは消えた。
「この世に遍く全てのもの、万物は女神の子だ。――我が民よ、例え姿形が異なろうと、この者は我が巫女、アクアに恵みをもたらす者である。開かれた心を以て見よ」
輝くような純白の衣の裾を持ち上げ、巫女は優雅に一礼する。
その顔立ちは特筆することもなく、平凡という言葉が似合っていたが、一つに結われた黒髪と、その微笑みは、民に親近感を抱かせた。
アクアの住民たちは、基本的に柔軟な思考を持っている者が多い。
女神が認めたならば、あの方が新しい『王の巫女』なのだ、と納得するほかなかった。
再び上がる歓声。
どうやら受け入れてもらえたらしいことにほっとした表情を浮かべる黒髪の巫女を乗せた竜は、どこか誇らしげな眼差しで、国民達を見下ろしていた。
――それらの光景を、離れた位置からじっと見つめる一つの影。
「ふうん…やっと代替わりしたのか」
手にしていた熟した果実をしゃり、と口に入れる。
もごもごと咀嚼して、その味に舌鼓を打った。
「さすが水の国。土地も割と豊かだね」
その人物は、明らかに遠すぎて人々など豆粒ぐらいにしか見えないだろうという山の中から、面白そうに口元を歪めて新王のお披露目を見ていたのだ。
「巫女が生身の人間じゃないなんて、女神も何をお考えなのか」
くくっと笑みを零し、果実の芯を茂みに投げ捨てた。
悪戯を思いついた子どものように、その瞳はきらきらと輝く。
「ねえ、会いにいってもいいよね?」
何もない空中へと呟かれた、その愉しげな声に応えるかのように、風が舞った。
短くてすみません…。