第七話 華やかな虚飾
「私、貴女のようなひとは嫌いです」
胸を張って言いきられた。
最早、清々しさを感じる程にきっぱりと。
これ程大胆に、嫌いだと言われたのは初めてだった。
……思わず、ぽかんと口を開けて見蕩れてしまった。その、あまりに堂々としている様に。
儀式から七日――つまり一週間後の夜、シュリュセルの白亜の城、フォンスウェール城では、盛大な祝宴が催された。
例え十年の間、儀式をしていないだけでほぼ皆が王だと認めていたようなシュリュセルであっても、正式に戴冠したとあっては宴が開かれないはずがない。
王への負担を考えて、儀式当日から数日間を空けて宴会を開くように決められているために、当日に比べると人々の興奮は大分鎮まっただろうが、その日は諸侯達も、身支度や王への祝いの品選びに、かなり入念な準備を行ってきたようだった。
絢爛豪華な調度品、人々。中世ヨーロッパの舞踏会とはこんな感じだろうか、と千希は思わず辺りをきょろきょろ見回しかけたが、背後からの――二人の人物の――只ならぬ圧力を感じてぐっと堪えた。なるべく優雅に見えるように床を進んでいく。様々な思惑を含んだ視線や囁き声は意識からシャットダウンすることにした。
天上に浮かぶ明りは魔法によるものなのだという。いくつかの光源が、電球などとは違う優しい温もりの光を散らしている。
夜だというのに、室内は柔らかな疑似太陽のような光に包まれ、とても明るかった。眩しくは感じないその光は程良い明るさで、是非とも地球にあればいいのにと思う。
その光に輝きを増す、人々の宝飾品の数々。彼らの纏う衣装はそれぞれ違っていて、たくさんの色彩がそこにはあった。
煌びやかでお伽噺の中に迷い込んだかのような美しさ。――見た目だけは。
王城の中には当然ながら大広間というものが存在する。壁際には休憩用の椅子が並べられ、ダンスの為に開けられた中央の空間以外の場所には、豪華な料理が載せられているテーブルが等間隔に鎮座していた。
着飾った貴婦人達は、多忙な王が開くのは珍しい社交の場において、お喋りを交わす。幾重もの布に包んだような言い回しで、誰かを貶すような噂話を。
紳士達は商談や国の政についての語らいをしながら、互いの腹を探り合う。此度の件、皆はどう考えているのかと。
いずれにせよ、皆が新しい『王の巫女』に関する話をこそこそと行っているのは明白だった。
やや渋い顔をしているシュリュセルに、気にしないでいいのにと千希は肩を竦める。
シュリュセルと千希は、儀式の時の服を少々アレンジしたような服装だった。
さすがにあの服は儀式専用らしく、しかしせっかくの祝宴なのでと、デザインを少々変えて、やや華美に仕立てたものになっている。
普段着ている服はそうでもないのだろうが、儀式の巫女服とこの服で、一体どれ程の価値があるのかと考えると恐ろしくなる。
新たな王と巫女が大広間に足を踏み入れた時、大きなざわめきが起こり、次いでたくさんの人々がシュリュセルに祝いの言葉を投げかけ、話しかけてきた。
淡々と答えながら自然とそれらを振り切る幼子の姿は、いつもの無邪気で愛らしい様とは違って、年に似合わぬ、どこか冷淡な様子を伺わせた。
それを不思議そうに見る千希に対しては、こっそりと小さな笑みが返される。
その時の彼女は知らなかった。シュリュセルが真に信頼を置くことのできる相手は少なく、いくら幼くても王という立場の彼は、公の場では子どもとして振る舞うことが許されないのだと。
知らぬが故に、ただ一人、きょとんとしていたのだ。
また王様オーラ出てるよ、なんて暢気に思いながら。
内心うんざりしながら、エクエスはいつも通りの無表情を貫きつつ、シュリュセルの側に控えていた。
こうした有力者達の公の場は好きではない。
彼の主人は色々と気を遣って疲れてしまうし、誰かが媚びてくるのも、笑顔の裏に嘲りを浮かべているのを感じるのも煩わしい。
いつものように、一国の王として凛とした態度を崩さぬシュリュセルに敬服しながら――同時に、彼は訝しんでいた。
あの半透明な巫女は、何故ああもへらへらとしていられるのか、と。
常以上に覇気はないが、大半の者達が声を掛けてくるのに対し、少女はへらっと笑って相手をしている。
明らかに下心を持った挨拶と、その裏に嫌悪や見下しが透けて見える相手ばかりだというのに、恐らくそれがわかっていて何故、彼女はそういった者達の相手ができるのだろう。
泣いて逃げ出すとは思っていなかったが、予想外の対応だったかもしれない。
ある意味、こういった社交の場では正しい対応だ。
視線を移せば、言葉少なに人々に応じているウィオラがいた。
目で問い掛けるようにすれば、僅かに首が横に振られる。
彼女は何かを知っているのだと、それだけで知れた。
今は何も聞くまいと思うが、いつもはシュリュセルに対して満面の笑顔を見せている少女が、ああして他人の言葉を受け流している姿を見るのは、何だか落ち着かない気がした。
シュリュセルが蟻のように集ってくる人々に少々疲れを見せた時だった。
「――失礼、皆様。身内だけでお話がありますの、少々王のお時間をお借り致しますわ」
鈴の音が転がるような声音だ、と旅の吟遊詩人が称したという人物の声が、その場を支配した。
人波を割るようにして、一人の人物が姿を現す。
「……メリア」
「お久しぶりです、シュリュセル様。此度の王位継承の儀が恙無くお済みになりましたことを心からお祝い申し上げますわ。――ここでは何ですので、場所を移しましょうか」
妙齢の女性だった。しっとりとした色香を持った、美しい大人の女性。
二、三十代程だろうかと思われるその人は、シュリュセルに頭を下げて挨拶をすると、こっそりと最後の台詞を囁いた。
頷いた彼を優しい眼差しで見遣ると、あれよあれよという間に、その場から連れて行ってしまう。――千希も一緒に。
あれ? と千希が思った時には、大広間とは別の部屋にいた。
彼女の右手はシュリュセルに掴まれている。
大勢の人がいなくなって少しは人心地ついたが、目の前の美人さんは誰なのか。
改めて、優雅に貴婦人が礼を取った。
「お初にお目にかかりますわ、新たな『王の巫女』様。私はメルリーリア・コラルリウムと申します」
『あ、はじめまして…』
まさに佇まいからして完璧だった。
見事な銀の髪に銀の瞳、整った顔に浮かぶのは慈愛に満ちた笑顔。
聖母と言われてもおかしくはない美女だ、と千希はただ見惚れる。
「カズキ、メリアはわたしのおばにあたるんだ」
何と彼女はシュリュセルの父親の妹なのだという。
「とうの昔に降嫁しておりますけど、今でも陛下とは親しくさせて頂いておりますわ」
「……メリアまで、へいかとよばなくてもいいだろう」
「あら、ご不満ですか? それは失礼致しました」
くすくすと微笑むメルリーリアに対し、先程までの能面のような表情から一変して子どもらしく不貞腐れるシュリュセル。
それだけで、彼が信頼している相手なのだと見てとれた。
と、そこへ、思い出したようにメルリーリアが後ろを振り返る。
「ミリア、ご挨拶がまだじゃなくって?」
シュリュセルの叔母という美しい女性の登場に目を奪われていて気がつかなかったが、彼女の後ろにはまだ、もう一人誰かがいた。
す、と前に出て、シュリュセルに頭を下げたのは――まさに美少女、という言葉が似合う人物だった。
ゆるくウェーブのかかった金色の髪に、大きな銀色の瞳。薔薇色の頬にすうっと通った鼻筋、小さな可愛らしい桃色の唇――物語のお姫様、と形容するのがまさに相応しい、甘さを残した正統派美少女。
どこか勝気な瞳は何故かこちらを不機嫌そうに見ていた。
こんな美少女に気付かなかったなんて自分は馬鹿だろうか、と千希は思った。
「…ご無沙汰してますわ、シュリュセル様。――それと、はじめまして、巫女様。私の名はミリアリーネ・コラルリウムと申します。陛下の従姉にあたりますわ」
それから、同性ながら見惚れるような美貌の、見た目千希と同年代と思われる少女は、真っ直ぐに千希を見据えて言い放った。
「初対面ながら大変無礼を申し上げますけど」
私、貴女のようなひとは嫌いです、と――。
空気が凍った気がした。
書いてて楽しかったです。