竜と魔法(3)
「…ああ、そう言えばまだ教えていませんでしたか。竜は王になると飛行の練習をしますが、それは新しい王の御披露目として、民の前で飛んで見せなければいけないからなのです。勿論、背中に巫女を乗せて」
……なんですと?
唖然、茫然。
ウィオラの言ったことで完全に硬直してしまった千希は、暫くそのまま微動だにせず、雷撃を二発ほど喰らってようやく我に返ったとか。……初めての連続攻撃に、悶絶したとも言うが。
『………』
「カズキ、たかいところはにがてなのか? すまない、しきたりだから、せなかにのってもらわなければならないんだ」
大人の竜であれば遥かに大きいから、本当ならば巫女も安定に欠けて不安になることもないのだろうが、自分はまだ小さいからとシュリュセルが謝ってきたが、問題はそういうことじゃないのである。
せっかく、一度は断ったのに。
しかし、千希は『王の巫女』だ。その役目を放棄することなど今更できるはずもない。
シュリュセルが初の飛行に臨んでから、二日。
幼竜は既に、完璧に飛ぶことができるようになったらしい。流石というか、何というか。
目の前の竜があの小さな子どもだと考えると、自分が背中に乗るというのは若干問題があるような気がしないでもないが、そこはそれ。竜体と人形は違うということで。
シュリュセルの飛び方には問題ないが、巫女がその背に乗る練習をしないのは問題だそうだ。
本番で無様な姿は見せられない、ということだろう。
そんなこんなで二度目の、乗馬ならぬ乗竜。
……千希の絶叫が暫く中庭に響いたのは言うまでもない。
「……肉体が無いのに、高所が怖いのか」
『………たぶん、理屈じゃないんだと思います』
ぐったりと地面に寝転がる――正確に言えば若干浮いている――半透明な少女を見て、騎士が眉を顰めると、力ない答えが返された。
そもそもは翼を持たない人や動物があまりに高い所を怖がる傾向にあるのは、落ちれば危険だと本能的に分かっているからだろう。
もはや肉体のない千希だから、何故怖いのかとエクエスは不思議になったようだ。
だらしがないと思っているのがよくわかる。
怖いものは怖いのだ、仕方ない。
しかし、よくよく考えて見ると、あれ? と思うことがあった。
そう言えば、シュリュセルに触れていなければ露台から真下を見下ろしても、これ程は怖くない気がする。
良くも悪くも、シュリュセルに触っていると生前のような感覚がするのだろう。
今現在、千希は休憩中だった。
かわりに、中庭の中央では、未だ竜体のシュリュセルがウィオラと一緒にいた。
ウィオラが何事か言ったことに応えるようにして、シュリュセルの前に何か水の膜のようなものがいくつか、ぷかぷかと浮いていた。
あれもウィオラの魔法かと思いきや、シュリュセルが出しているものだそうだ。
ずっと人形でいた分、竜になると魔法の使い方もどこか勝手が違うようで、ウィオラに指示を出してもらいながら、練習しているのだ。
大小様々な水の膜が、太陽に照らされて青く光る。
さすがに竜、しかもその頂点の一人であるために、幼くてもシュリュセルの魔力は桁外れなのだと聞いている。
大きすぎる力は繊細なコントロールが難しい。けれど、巫女がいると大分制御が効きやすいのだと。
特に何もしてあげられていないけれど、少しでも役に立てているのなら嬉しいと思う。
シュリュセルが操る魔法の水球は、列を為したり四方に散ったりと様々な動きを見せた。シャボン玉が美しく乱舞しているみたいだった。
そして最後には、一つの形を作る。
「カズキ、どうだ? これは何の形に見えるかわかるか?」
見立て遊びの一部と考えれば、年相応に可愛らしいのだけれど……それは、あまりに細かな部分までよくできていた。
『……私…?』
声が変になりかけた。
そうそう、とどことなく嬉しげな竜は可愛いけど。
水の塊で出来た、等身大の自分は、すごくよく似ていて、似すぎていて、逆に気持ち悪かった。
『うん、上手だよ、上手だけど……出来れば他のものにしてください』
そんなにリアルなもの作られると引きます。だって怖いじゃない。
ドッペルゲンガー、とぼそりと呟いて、がっくりと千希は肩を落とした。
夢が見れなくてよかった、絶対に出てくる。ホラー的な意味で。
水で出来た彼女を模したものは、さすがに難しかったのか眼球部分が空洞だったのだ。
せめて笑ってる顔とか……少しばかり、美人に作ってほしかった。
欠けていく月を見ながら、また、彼女の側にはあの小さな獣がいた。
『それで、王の背には慣れたかの?』
『……ええ、少しは…』
『王は魔力をその身に巡らせて結界を張ることができる。魔法や物理的に身を護る効果があるから、カズキもその守護を受けているはずさ。落下する危険はないから安心しなさい』
『はあ……』
落ちないとわかっていても怖いです。
シュリュセルはこちらにかなり気を遣ってくれていて、飛行といっても一定の速度で滑空するような飛び方なのに、どうも慣れない。
精神を擦り減らすような飛行練習の後、同時進行でウィオラの授業も続いているので、なかなかきつかった。
『使徒殿の魔法が堪えるのかね? しかしあれは、カズキが存在するためにも必要なことであったからの、あまり恨むでないよ』
『………え?』
何でも、マナがなくては存在できないのは、この世界における全てのものに適用されるそうで、あの雷撃にはマナを千希に与えるという役目もあるらしい。
この世界の人々は世界に溢れるマナを生まれ持っていたり、無意識に取り入れることができるそうだけれど、確かに、千希はこの世界に属していたものではないし、正規の異世界トリップを果たしていないので、体質変化を果たしていないために、そのままではマナが付与されない。
マナを千希に与えるのにどうしたら効率が良いかとウィオラが考えた上での行為だったそうだが……。
『他にやり方ありそうですけどね…』
『一番手っ取り早かったというのもあるだろうな』
ちなみに、今はもう、ウィオラの魔法によるマナの供給は必要ないそうだ。
聖印を得たことで、そこから千希はマナを受け取れるようになっている。
儀式の前に魂だけの自分が消滅するのを防いでくれたことには感謝するけれど、はじめから、半分は間違いなくお仕置きの手段として良いと思ったのだろうと千希は考えた。
何しろ、今でも雷撃は続いているし、どう見ても……ウィオラはサディスティックな所があった。聖職者なのに。
こうして、昼はウィオラに、夜は獣に様々なことを教わり、少しずつ知識を蓄えていく千希のため息の日々は、まだまだ続くのだった。