第六話 竜と魔法(1)
気がついたら儀式の全過程を終えていて、元の服に着替えさせられていて、もう朝でした。
……じっくりと昨日の出来事を思い返して、起きた出来事が自分の許容量を超えてしまったのだな、と妙な納得。
あれだけ普通は味わえない体験を一度にしてしまえば、頭がパンクしてしまってもおかしくないと思う。
「カズキ、きょうはわたしのれんしゅうにつきあってくれるか?」
朝食を終えてご機嫌のシュリュセルがそう言い、千希は首を傾げた。
昨日は色々あって疲れているかと思いきや、ぴんぴんしている。
そういえば竜や竜人は頑丈だと言っていたな、と思いだした。
「……練習?」
ああ、とうきうきしているシュリュセルの様子がとても可愛くて、何だか知らないけどいいよ、と返事を返した。にっこり笑顔が見られたのだから、頷いて良かった。
それから午前中ずっと、シュリュセルはどこかそわそわしながら執務をこなしていた。
王様、というのは伊達ではない。
先代の竜王であるシュリュセルの祖父が亡くなってから十年、唯一の直系の彼は、巫女すらいなかったが、立場としては王と呼んでよかったのだ。
この国の頂点は確かにシュリュセル――竜だが、日本で言う都道府県のように、いくつかの村や町といった地域があり、それぞれの領土を纏めて統括している領主がいる。
アクアの土地は割と広く、人口もそこそこ多いらしい。
国を治めるには法が、政策が必要だということはわかるが、千希は政治経済はさっぱりであるため、ウィオラに簡単に説明を受けてもあまり理解できていないために、その辺りは省くとして。
領主はいわゆる貴族という部類に入るそうだが、人間と竜人が入り混じっているそうである。
実力主義とか何とか――例えば親が領主でも、その子どもは才能がなければ次の領主にはなれない。その為に領主の子どもは幼いころからきっちりとした帝王学を学ぶが、一代で途絶えてしまう家系も多いそうだ。
今年の生産高だとか税だとか自然災害に備えての備蓄の量に堤防設備の検討だとか……、上に立つ人は忙しい。
その忙しい人達の頂点に立つのがシュリュセルな訳で――当然、彼は多忙だった。書類整理だけでもかなりの量なのだ。
内容を聞いても千希にはちんぷんかんぷん、お手伝いできることはない。
書類の束と睨めっこしているシュリュセル、その傍らで、積み上げられた紙の束を分類し、凄まじい速度で決済を済ませていく秘書的役割もこなすらしいエクエスの二人を見ながら、シュリュセルの部屋の片隅で、千希は再びスパルタ授業を受けていた。
いつもは別部屋なのだが、こちらの方が進みが早いでしょうと言われたのだ。
どういう意味かと思いきや、何のことはない。
シュリュセルの一生懸命な様子を見ていたら頑張らねばと思うのと、ウィオラのお仕置きが続けば慰めてくれるので、効率が良かったのである。
飴と鞭か、とエクエスが呟いていた気がする。
実に単純だが、確かに能率はあがっているかもしれない。
今日は、魔法についての授業だった。
ウィオラが簡単に使って見せる魔法は、彼女が竜人であり、女神の使徒と呼ばれる司祭だからこそ容易に使えるものであるそうで、一般的には魔法を使えない人間の方が多いそうだ。
剣と魔法のファンタジー世界でも、魔法使いの存在は貴重なのだ。
この世界で魔法と呼ばれるその力は、自分の中にあるマナ――いわゆる魔力と言われるそれ――と、自然に溢れるマナを組み合わせて引き起こす現象。
たまに魔力持ちと呼ばれる特異な存在もいるが、基本的にほとんど人間は魔力を持たずに生まれてくるらしい。竜人にも魔力がない者はいるそうだが、量はまちまちにしろ大半は魔力を持っているとか。
人口で見れば、人間に対して竜人は一割程度しか存在しないが、身体能力や魔法などに優れた彼らは主に竜王の護衛や側近として仕えている。
人より優れている存在であるならば、身分的に上位を占めてしまっているかと思えばそうではなく、人と竜人はうまく共存している。竜の分け身として生まれたらしい竜人を憧れの目で見る者は多いが、竜人も普通に人と家庭を持つように、特に昨今はあまり垣根がないそうだ。
どちらかというと人の中にも特別な存在がいて、その人々こそがどこか畏敬の念を抱かれている、とウィオラは言った。
生まれた時から、身体のどこかに不思議な刺青のような痣を持っているその人々は、神子と呼ばれる存在。
血縁ではなく、いつどのようにして生まれるかのはわからないが、人の身でありながら優れた様々な能力を持ち、竜人から見ても驚くような力を使う人々。
精霊に愛され加護を受けているのだとされ、「加護持ち」とも言われているそうだ。
『精霊…?』
「昨日会ったでしょう。蒼の御方は精霊の長です。あの方とは違って、精霊は使徒以外の人の目には見えませんが、この世界のマナを循環させる役割を持っています。魔法の行使には精霊の許可がいりますから、加護持ちもその気になれば魔法を使えます」
魔力持ちは人間の中でも魔法を使える珍しい存在、加護持ちは更にそれがグレードアップした感じかな? と千希は脳内メモを取って行く。
魔法を使うには少なくとも二種類のマナが必要で、更に、通常は精霊に魔法を使ってもいいですか、といった主旨の誓約言――所謂呪文というヤツを唱えなければならない。
魔法にも制限があって、自分の魔力が尽きれば使えなくなるし、魔力を使いすぎると死んでしまうそうだ。
ウィオラのように、司祭の中でも特別な「女神の使徒」とは、神の意思を時に伝え聞く者として、精霊に特別なフリーパスを頂いているために無詠唱で魔法を使えるらしい。ちなみに、女神の使徒は各国に一人しかいない。
この世界にはマナという物質があり、それは生物にとって欠かせないもの。
マナを生み出すのは竜樹で、竜樹にはマナの結晶であり精霊の長である聖なる魂が宿っていて、その部下的な精霊達はマナの運搬などを行っていて、時折人間の中に、精霊に愛された特別な存在がいて………。
駄目だ、覚えることがありすぎて思考がぐるぐるしてきた。
千希が目を回しかけていた所で、シュリュセルの昼食の時間が来た。
食事を摂ったら今日は別なことを行うという。授業も一旦中断された。
朝言ってた何かの練習か、と思いながら、シュリュセルは本当に何故、あんなにも上機嫌なのだろうと考えた。
正式な王になれたからかと思っていたが、どうも何か別の原因がありそうだ。
そして昼食後、千希はその理由を十二分に体感することになるのだった。
少しばかり、朝の約束を後悔する羽目になるということを、シュリュセルを見て、微笑ましく癒しだなあとか思っていた彼女は知らなかった。