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三洲華大学クトゥルフ神話探偵部  作者: 向陽日向
第三章 地上の太陽と原初の魔王
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北の彼方へ

「ハリ湖が騒がしいわねえ。観光客も増えているみたいだし、そろそろハスターがオネンネから目覚めるかもよ?」


 ゴザの上でストレッチ中の民さんが呑気に欠伸をした。朝の日課である散歩から帰って来たばかりとあって、首元は汗で濡れていた。

夢の国(ドリームランド)】から戻った早々、緊張感の欠片もない口調で世界の終焉を語るものだから、思わず聞き返してしまった。


「普段は気配すら希薄なんだけど、今日ははっきり水面から見えたわ」

 どうやらマジらしい。

「いよいよみたいだね」


 前内は眼鏡の位置を直し、月山さんは沈痛な面持ちで頷く。

 巨石造りの住処から顔を覗かせると、依然として周囲は深い闇に包まれ、暗黒の空に浮かぶ月が二重に分裂しているように見える。


 昨夜――便宜的に――はフェリスのアジトで過ごした。

 こちらでは眠ったままだったからだ。仲間の猫たちはみんな行儀がよく感心してしまった。それに比べフェリスは布団を何度も蹴っ払い、月山さんの手を焼かせていた。


 セレファイスに朝日が差し込む頃になって、戻ることにした。門に向かう前、フェリスの寝顔にときめいた月山さんは『待ち受けにするっ!』と豪語して堂々と隠し撮りした。前内にしては珍しく寝つきが良く、本人も上機嫌だった。

 今頃フェリスたちは手分けして動き回っているのだろうか。仲間に指示を出すフェリスの姿が浮かんだ。


「すぐにでも向かいたいところだけど」と前内。「さすがにもう眠れないや」

「うちもすぐには無理かな」

 二人に同意する。そんな都合よく門はくぐれない。

「そういえば民さん」

「ん? 何かな大柄筋肉青年」


 両足を広げて上体を前に倒すストレッチ中の民さんに、例のブレスレットについて聞いてみる。

「広野先生も同じやつ嵌めていたんで」

「ええ。一族に伝わる宝具よ。記念にもらったの」

 記念品とはいえ、蛇人間の技術の行使が可能だという。


「最近全然使ってないのよね。私は抜け忍ならぬ抜け蛇人間だから、春子なんかと比べると話にならないくらい劣るけど、使えないこともないわよん」

 ただし、と強調する民さん。

「嵌めているときだけね。先輩風吹かせるわけじゃないけどさ、やめといた方がいいわ。すっごくキモチワルイから。抜けた理由の一つがこれなのよ。反吐が出るわ。マジで」


 民さんは上体を起こし、真っ直ぐこちらを見つめていた。

 ストレッチが終わった民さんは朝食を用意してくれた。

 嫌な予感しかなかった。案の定、腹から四本脚が生えた得体が知れない魚の煮つけが差し出され、口の中に胃液の味が広がった。


 前内と月山さんにも同様なものが出される。前内は鰓が赤ちゃんの指みたいに変形した魚、月山さんはヒトの髪の毛のような尻尾が生えた魚だ。どれも悍ましい外見である。

 鼻が曲がるような生臭さが嗅覚を麻痺させた。


 民さんは嬉々として口を開く。

「ハリ湖近くの道に落ちていたの! ラッキーね君たち! 普段はハスターや信者らの目があるから獲れないのよ。まるで虎穴で虎児を得た気分だわ!」

 たまにとはいえ、こんなものを食っているのか。


 狂人女の尋常じゃない味覚を知り、同時にそのルーツを垣間見た気がした。

 まさに狂気の淵に落ちるための朝食だ。

 しかし、カルコサに避難してからまともに食べていない俺の腹は、意に反してぐぅと鳴るのだった。


 飲みこんだ生唾がゆっくりと食道を撫でていく。おまけとばかりに、昨日はスルーした謎のダシが立った茶まで用意されている。

「えっと、確かニジュウは二食一気に食べないと気が済まなかったよね?」

 さりげなく俺の前に皿を移動させようとした前内の腕を掴む。そんな大食漢ではない。

 助けを求めようと月山さんに目をやると、両手を組んで聖女のように祈っていた。


「ここはレディーファースト……」

「じいいぃぃぃぃ」


 次の瞬間、殺意とも形容できそうな視線がマッハで返ってきた。

 どうやら逃げ場はないようだ。こうなったらハスターが蘇ろうが知ったことか!

「………………………………ごふっ!」

 口にした途端、徐々に視界が狭まり何も見えなくなった……。


  *


 狂気じみた食事を何とか終えた。人間の適応能力は素晴らしい。

 一口目こそ体が拒絶したが、飢えには敵わなかった。薄味だがそれなりの味だった。おかわりを勧めた民さんへの返答である『結構ですっ!』が三つ、見事にシンクロした。


 食休みも済み、様子を見に行きたいところだが未だに眠気はない。月山さんは「何とかイケルかも?」と言うが、前内は「絶対無理」と返す。俺もやや前内に近い。


「なら私だけで行ってこようか?」

「いや、さすがに……」

 困っていた俺たちに民さんから提案があった。


「一族秘伝の入眠法、試してみる?」

 悪戯っ子の表情で全指穴あきソックスを見せびらかしながら、民さんが近づいてきた。

「蛇人間たちも不眠に悩んでいたんですね」

 もとはといえば同じ人間だからな、と感心していたら民さんが続けた。


「といっても、ただの催眠術の類だから」

 麻酔のような強制的なものではなく、心身をリラックスさせ一時的に眠りへ導きやすくする術法だという。その歴史は古く、恐竜が絶滅して間もなく開発されたという。


 腹が膨れた今、効果はあるかもしれない。

 ハスター復活が近いと思われる現在、時間を持て余すわけにはいかない。

 俺たちは昨夜のようにゴザに横になり、指示された通りゆっくりと目を閉じる。


「ゆっくりと深呼吸……尻尾から力を抜いて。段々全身が温もりに包まれ、自然と舌も垂れ下がる……恥ずかしがらないで。今こそ脱皮のとき。新鮮な身体で陽だまりに寝転がっている。一枚の枯れ葉が鱗の上で一休み。鱗を媒介に枯れ葉へ全てを委ねて。重苦しい枷が外れあなたの意識は解き放たれる……――」


  *


「蜂蜜酒が盗まれただって!?」

 アジトに着き早々、フェリスからの一報に息を呑む。

 他の二人も予想だにしなかった展開に、ただただ茫然としている。


「スマン、オマエら。さっき調製を済ませてデリバリーを頼んだが、その一団が何者かに襲撃されたらしい」

 その詳細を聞き、血の気が引いた。


「なんでも炎に襲われたらしい。一団の連中、みんな黒焦げだった」

 その炎が北の方角に飛んで行ったという目撃情報が、この思いがけない災難の中で唯一の突破口になる気がした。なおも身震いは止まらない。

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