主に誓って
キャンパス南に建つ研究棟Bは今日も心地よいくらい静まり返っている。
三階の物置と化した部屋で華奢な体を震わせた男子学生は、ポツポツと話し出す。
「――――とのことです」
「ほう。よくやった。これは褒美だ」
私は懐から黄色い装丁の本を取り出す。みるみる内に学生の目が光り輝いていく。
「本当にいいのですか?」
「ハスターも君のような優秀な学生の来訪を心待ちにしているだろう」
「あ、ありがとうございますっ……」
《沈む谷》を胸に抱え、学生は立ち去った。異分子が消え、元通りの静寂が立ち込める。埃だらけのブラインドの隙間から夕日が差し込み、床にこびりついた汚れを鮮明に照らしている。
ゼミナール中の研究室に戻る前に、懐からスマホを取り出す。
「もしもし――私だ」
クトゥグァを乗せた飛行機はもう間もなくN空港に到着する筈だ。仕留めた気でいる奴はどんな顔をするだろうか。
『はい。忍川です』
私は奴の不手際を説明した。
『――なっ!? まさか、そんな……』
驚愕を浮かべる奴の顔が浮かぶようであった。昔からこの男は想定外の事態が起こるとひどく取り乱すのだ。今頃自らの炎で身を焦がしているだろう。
『確かにこの手で……ニャルラトテップもろとも……』
そして、つまらぬ御託を並べよる。
「それを確認したのか?」
『いえ……燃え尽きたものだと』
「それは確かか? ハスターに誓ってそう宣言できるか?」
言い訳が尽きると沈黙する性質も健在らしい。
「奴らは再び【夢の国】に姿を現すだろう。任せてよいな?」
『……お、仰せのままに』
飛行機が奴の憤怒で墜落しないことを祈るばかりだ。
それにしても、報告を聞いた限りでは学生連中に逃げ場はなかったはずである。
ニャルラトテップとの間で取引があったのだろうか……いや、現に奴は死んでいる。自らの主にさえ嘲笑する奴のこと、ヒトの子を逃がし自らは死を受け入れるなど、全宇宙がひっくり返ってもそんな真似しないであろう。
蛇人間か……? 奴の介入を防ぐためにわざわざ実習時を狙ったのだが、何か秘策を受け取っていたのだろうか。こうなればいっそのこと私が直接――。
いや、今はいい。どうせ魔術越しのコンタクトしかできない。
そんなことより、クトゥルフよりも先にハスターを復活させるという責務がある。
R県のどこに身を潜めているか知らないが、本土の土を踏ませる前に息の根を止めればいいだけのこと。多くの者がカルコサに集結している。星辰正しきときは近いのだ。
全ては我が主、【名状しがたきもの】ハスター復活のために。




