いざ、夢の国へ
「立ち止まるな! さっさと下りろ!」
背中を棒のようなもので突かれ、踏みとどまった足が無理やり前へ出される。危うく三段抜かしをするところだった。
俺は階段を下りていた。講義棟の階段ではない。
もっというと現実世界の階段でもない。
「丁重なおもてなしは期待できそうにないね」
背後で前内がため息をついた。振り向いて相槌を打ちたいが、顔を向けると棒での追撃が待っているので頷くのみに留める。
「私語を許可した覚えはないぞっ!」
鈍い打撃音に次いで、背後からうめき声が響く。これで三回目だ。
目が覚めてからのことを思い出す。
気がつくと、踊り場のような開けた場所に前内とともに立っていた。
直径にして十メートルほどの足場の向こうは闇に包まれていた。底へ向かう階段を見つけたのは前内だった。
『まさか、こんな形でここを訪れるとはね』
『本当にあったんだな……』
階段の先に、大きな柱に囲まれた空間が見える。
中心に台座のような大きな祭壇があり、メラメラと炎が上がっている。その横に影のようなものが二つ揺らめいている。輪郭がどことなく、ヒトに似ている。
あの場所が【炎の神殿】で、二つの影がそれぞれ【ナシュト】と【カマン=ター】という名の神官であるならば、ここはまさしく――。
『【夢の国】か……』
『喜ぼうじゃないかニジュウ。僕らは【夢見る人】の仲間入りを果たしたのだから』
直後、黒いローブで全身を覆った信者らしき者が棒を携え、突然現れた。目を凝らすと背景に同化して黒に見えたが、実際は緑色のローブだった。胸付近にクエスチョンマークを傾けたようなマークが描かれていた。
歓迎されていないことは明らかだった。
『貴様らが不届き者か!』
直後、意識を失う直前の光景が脳裏をかすめた。巨人のような大きな影。身を切るような冷気――。
俺たちをここへ突き落した元凶の名を思い出す。その名は――イタクァ。
*
回想を終えて神殿に足を踏み入れると、中央に置かれた台座に炎が踊った。
大きな柱表面のゴツゴツしたつくりが照らされる。何やら文様のように見えるが判読することは出来ない。
台座を左右から挟むように、二人の老齢の神官が立っている。立ち昇る炎により、その姿は陽炎のように絶えず揺らめき、明確な輪郭を持たない不定形の存在のように感じられる。左の神官は俺よりも背が高く、体格が良いのかローブが大きく膨れている。
「迷える子羊よ。ここは現実と夢の狭間。汝が望めば、さらに深く夢の世界へ身を捧げることもできましょう」
台座の右。幾何学模様が描かれた白いローブを纏った細身の神官が手を合わせる。ローブの裾から覗いた手は皺だらけだった。
「がっはは。近頃は客人が多いなあ!」
台座の左。同じローブを纏った恰幅の良い神官が乱雑に手を叩く。その音は若々しく周囲に響いた。
両者ともに表情は見えないが、ひどく嗄れた声だった。
左の神官の拍手を遮るように緑ローブの信者が淡々と言い放つ。
「更生希望の者たちだ。通してもらうぞ」
そのとき脊髄反射のように、思わず声が漏れてしまった。
「強制連行の間違――」
太ももに激痛が走り、膝から崩れ落ちそうになるもすぐに立たされる。助けを求めようとしたが無駄に終わった。口の中に血の味が広がる。
「では良い更生を。あなたが望めば全ては意のままです」
「がっはは! 達者でなぁ~」
能天気な声に見送られ神殿を抜けると、はじめの場所と酷似した開けた空間に出る。前方にやはり、階段がある。神話世界によると確か七百段――長旅になりそうだ。
「さっきの二人、どっちがナシュトだ?」
「さあ? ニジュウが決めてもいいんじゃないかな」
俺的には細身の奴がナシュトな気がする――。これといって根拠はないが。
「その口、二度と開けないように縫い付けてやろうか? ああ? とっとと下りろ!」
緑ローブの一人が威嚇するように、手にした棒を地面に叩きつけた。
*
途中、幸いなことに小さい踊り場がいくつかあり小休憩することができた。といっても監視付きで数十秒たらずで再び歩かされたが、ないよりマシだった。
階段を下り切った先に大きな両開きの門が聳えていた。ゴツゴツした石造りの重厚なもので高さは俺の背丈と同じくらい、約百七十五センチほどだ。
【深き眠りの門】――この向こうはいよいよ【夢の国】だ。
研究会メンバーが見たら腰を抜かすどころか、歓喜するかもしれない。神話世界の探究者にとってこの上ない幸福に違いないから。
「いよいよだよ……ニジュウ」
前内は聳える門に憧れの眼差しを向けている。
「歓迎パーティーでもあればいいのにな」
チラッと緑ローブを見ると、未だに武器を握りしめている。
「まあいいじゃないか。自慢してやろうぜ」
続けようとしたとき、怒号が響き渡る。
「イタクァ様に屠られるがいい! 貴様らの氷の彫像を砕く日を楽しみに待っているぞ」
門が徐々に開く。隙間から眩い光が差し込み全身を包んだとき、背中を思い切り押された。すぐに意識も光に呑まれていった。
*
微かに動いた手に、砂利の感触が走る。
日の光を感じて目を開くと、ゴツゴツとした砂利が広がる地面に倒れていた。
周囲は木々で囲まれ、時折吹き付ける風に乗って鳥の鳴き声がする。耳を澄ますと微かに水が流れる音も聞こえてきた。
「ここが【夢の国】なのか?」
N県山中に迷いこんだとしか思えない光景だが門をくぐったことは全身が覚えている。それを裏付けるように、ここから数メートル先の木々に混じり【深き眠りの門】が静かに佇んでいるのが見える。それを確認した前内は素早く立ち上がり、ジーパンの汚れを払い歩み出す。
「僕らは確実に門を越えたみたいだね」
それにほら、と続ける。
「証拠も見つけた。行こう」
奴の視線を追うと木々の間を縫うようにして一本の獣道が通っている。葉っぱと湿った土の匂いに包まれながらしばらく歩くと、視界が一気に開ける。
その見慣れぬ光景に、沸々と実感が湧き上がる。
視線の先に大きな石橋があった。
幅は車が二台行き交える程度で、渡った先に聳える石造りの門へ向かって数台の荷車が進んでいる。欄干では数匹の猫が横になり大きく欠伸をしていた。橋の下には川が流れ、一台の小舟が浮いている。せせらぎが心地よく響き、砂利に塗れた汗が冷えていく。
門の左右には、これも石造りの立派な彫像が二体飾られている。
圧巻の景色を楽しんでいると前内講義が始まった。
「ここは【セレファイス】だ。この世界で一番美しいとされる都だ。あの城壁の中に神殿や商業施設が立ち並んでいるはずだ。ちなみにあの河は【ナラクサ河】だね」
注釈を漏れなく付け加えたところで、平然と石橋へ向かう。まるで観光客のような自然さだ。橋に一歩踏み出したとき、日向ぼっこしていた猫たちから鳴き声がした。歓迎してくれているのだろうか。
「門番とか大丈夫かよ?」
「恐らく平気。そんなことより、さっきの奴らが現れるかもしれない。早いとこ身を隠そう」
足早に橋を渡ろうとした、その時だ。
「そこの者たち! 止まれっ!」
背後から怒号がして、振り返る。それにより猫たちは飛び上がり去ってしまった。
荷車の主人たちと目が合ったが、すぐに門を越えて行ってしまった。
「貴様らが報告にあった不届き者だな」
階段を下りるときに世話になった、あの緑色ローブ集団だ。
全部で五人いて、胸付近にお馴染みのマークが掲げられている。
「【黄衣の王】のマークだ」と前内。
間髪いれずに一人が続ける。フードを深く被っているくせに、全員から突き刺さるような視線を感じる。
「ハスター様復活の邪魔をする者は誰であろうと許さん」
徐に一人が紐を取り出し、俺たちの手首を拘束した。まるで犯罪者のような扱いだ。抵抗の意志を見せた前内に、今度は棒ではなく、短剣が突き付けられる。
「今すぐその血を捧げたいか?」
これには前内も黙り込む。俺たちを五人が囲み、移動するよう促す。橋を渡らずナラクサ河に沿うようなルートで、向かう先はやがて鬱蒼とした竹林に繋がっている。
「都の観光は何日目の予定かな?」
「黙れ異端者!」
奴の眼鏡ギリギリまで短剣の刃が迫る。手違いで刺さってもおかしくない。
「更生が済んだら存分に観光するがいい。イタクァ様の氷像作品として、だがな」
下品な笑い声が耳にこびりつく。握った拳に力が籠るが、手首に紐が食い込み痛みが走っただけだった。
「【外なる神】の総帥アザトースの前でも、果たして同じセリフが言えるかな」
「なんだと?」
崇拝者らの顔色が変わるのが声音でわかった。
逆鱗に触れたのは前内も承知に違いない。しかしその行為が、ホームグラウンドでホームチームを侮辱するような行為であると理解しているのか否か、窺い知れない。
旧支配者は地球を支配していたにすぎないが【外なる神】は全宇宙を支配している神如き存在だからだ。【アザトース】はその総帥の名だ。
五人がそれぞれ短剣を取り出す。ちらつかせた剣身が日の光を不気味に反射した。そこにもハスターのマークが描かれている。その内一本が連帯責任とばかり、俺にも迫った。
「ハスター様への侮辱は何人たりとも許さん。文句は連れに言うんだなあ」
冗談じゃない。マジで。
「地獄で会えればだがなああぁ!」
刃が迫り、咄嗟に身構えた――その刹那。
何やら黒い影が横切ったかと思うと、いつの間にか短剣が地面に落ちていた。男は唖然とした表情で手を押さえている。フードが捲れ、刺青が入った坊主頭が汗だくだ。
「ニャーオ」
視界の端で、一匹の白猫が行儀よく佇んでいる。
長い尻尾を小さく揺らしていた。繊細な毛並みが風に揺れ、一仕事終わったとばかりペロッと片足を舐める。橋の欄干でも猫を見たが、この辺りは猫が多いのだろうか。
近くの森の中から鳴き声が響いた。それは徐々にボリュームを増し、多重奏のように厳かなムードを醸し出す。他の四人が慌てて周囲に刃を向ける。その脇で澄ました頷きを繰り返す前内。
「【夢の国】……猫……セレファイスにも彼らがたくさんいるようだね」
「彼ら?」
「ああ。彼らの故郷――ウルタールはここから海を越えた先にあるんだ」
前内講義によると【ウルタール】という町では猫を殺してはいけないらしい。そのためこの世界における彼らの拠点となっている。町の神殿には猫の女神である【バースト】が祀られているとのこと。
「何故ここに?」
「さあ? 猫たちに聞いてみるしかないね。話せないかな?」
「いくら夢でもよお――」
猫語をマスターしろと? その前に現代文の単位――そういえば現実は今、どうなっているのだろうか。月山さんは無事だろうか……。
「おらああ! ジッとしていやがれ! 無駄口を叩くなと――」
刃が迫るが、再び黒い影が躍り出て地面に落とす結果となる。今度は薄黄色の毛並みが美しい猫が「シャーッ!」と牙を覗かせ、ガンを飛ばすように威嚇する。
次々に現れた猫たちが緑ローブに迫る。黒……薄赤……橙……薄青……色とりどりの毛並みが鮮やかに揺れ動く。ローブに噛みつき、引っかき、しまいには猫パンチを食らわしている。崇拝者たちは翻弄され、こちらには全く手が回らない。
今のうちに――と腕を振ろうとしたが紐に阻まれた。走りにくいが四の五の言っている場合ではない。
逃げようとしたとき手首に衝撃が走った。
見ると、手首を拘束していた紐が地面に落ちている。手首には紐の痕こそ残っているが傷はない。前内の手首も同様だった。唖然とした視線がぶつかり合う。
「猫語をマスターする必要はないぜ」
斜に構えた声がした。
前内がふざけているのかと思ったが、当の本人はキョトンとしている。
「他のネコと違ってボクは人語を操れるからな!」
声のした方角――ちょうど橋がある方向だ――を見ると、紺色の毛並みを整えた猫が直立二足で立っている。フラフラした様子は一切なく、堂々とした佇まいだ。壁などを使って立ち上がる姿は現実でも見たことがあるが、支えなく立ち上がっている猫を見たのはこれが初めてだった。
外見は普通の猫だ。つぶらな大きな瞳は真っ直ぐこちらを見つめ、垂れるように伸びた白い髭が風に靡いている。ピンと立った両耳の内、右耳で金色のピアスがキラリと光った。身長は大体百センチほどだろうか。
「まさか君――」と前内。「猫の女神バーストかい?」
人語を操る猫――まさに女神たる存在に相応しいが、
「おおオマエ! バースト様を知っているのか!? ヒトにしては上出来だが――」
紺色の猫は続ける。
「バースト様はボクの先祖だ!」ちなみに彼はオスとのこと。
猫たちの鳴き声に、崇拝者らの怒号が混じる。土煙があがり、視界も悪化しつつある。紺の猫人間は緩みかけた表情を引き締める。
「ここは一旦逃げよう。城塞の中にボクたちの隠れ家がある。ついてこい!」
ちなみに、と補足する。
「ボクの名前はフェリス。偉大なるニャルラ様に仕える使者だ。オマエらハスターに喧嘩売ってんだろ?」
頭の中で整理する間もなく、猫人間フェリスは続ける。
「ちょっと手を貸してほしいんだ」
そして数回鳴き声を上げる。モールス信号のような独特のリズムを伴っていた。
大立ち回りする猫たちから返答のように鳴き声が響いた。
「隠れ家で合流するよう伝えた! 行くぞオマエら!」
フェリスは橋に向かって駆け出す。戸惑う前内と目配せし、その後を追う。
ちなみにフェリスは走る時も二足のままだった。




