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三洲華大学クトゥルフ神話探偵部  作者: 向陽日向
第二章 イタクァの夢
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第二ラウンド、withなつみん

 月山ひかるは前内光生から借りたジャケットをぎゅうと抱きしめる。


 丸瀬丸雄と前内が身代わりになり、冷気渦巻く死地から命からがら逃げだしたのはほんの数十分前のことだ。

 無人のキャンパスを振り返らず走り抜け、自分でも驚くような動きで校門を乗り越えて一目散に最寄り駅へ駆け込んだ。駅の様子は普段と変わらず、規則的なチャイム音が鳴り響き、弾んだ心臓が徐々に静かになっていく。異様な空間から生還した彼女を拒絶することはなく、ただ無機質に出迎えるのみである。


 改札を抜け、電車に飛び乗ってようやく人の温もりを感じ、長い息を吐く。落ち着きを取り戻すと同時に、不意に二人の苦痛に歪む顔が脳裏をよぎり、心臓が再び凍り付く。


 二人は部屋の中で何を見たのか――倒れる二人の背後、最後に彼女が見た光景はそんな二人に覆いかぶさる、長くて不気味な影だった。


 あれは犯人だろうか。だとしたらイタクァによって二人は――。

 電車が止まり、座席に座っていたスーツ姿のサラリーマンが立ち上がる。電車が止まるのを待って空いた席へ座ると両隣の乗客と肩が触れ合い、微かな体温が伝わり安心する。気づいたら目を閉じていて、降車駅を伝えるアナウンスが流れ慌てて立ち上がった。


 自室に戻るまでに何回背後を振り返ったかわからない。急いで玄関に飛び込むと、そのままへたり込みしばらく動けなかった。

 ようやく落ち着いた頃、前内のジャケットを綺麗にアイロンがけする。キッチンには料理道具が並んでいるが、そのままにしてシャワーを浴び、早めに床に入った。深夜二時近くになってようやく眠りにつくことができた。


  *


「丸瀬と前内? ああ、あの二人なら昨夜附属病院に入院したぞ。急に倒れたらしい。見舞いにでも行ってやったらどうだ?」


 翌日の十月二日。

 ひかるの質問に対し、学科主任の忍川礼一郎(おしかわれいいちろう)助教授は面倒そうな表情を浮かべた。


 四十代後半で、黒髪をオールバックにした若々しい印象の助教である。担当講義は歴史文化学で、構内でも例え話を使ったユニークな講義をすることで有名だ。アロハ柄のシャツに黒パンツという恰好をほぼ一年中貫き通すことから、密かにアロハ助教と呼ばれている。ちなみに本人公認である。


 そのアロハ助教の思わぬ返答に開きかけた口を閉じる。

 その後も『入院した』の一点張りだった。しつこく迫る彼女に助教は鬱陶しそうな表情をして、眼鏡の位置を直した。諦めて背中を向けた後、露骨に響く咳払いを数回した。


 退学させられたとあっては、いよいよ命の灯が凍り付いたことを覚悟せねばならなかったが、地獄の仏は未だ彼らを見捨ててはいないらしい。それでも風前の灯火であることは昨夜の状況から一目瞭然――もしかしたら亡骸が安置されていて、それを入院と呼称している可能性も捨て切れない現状、胸を撫で下ろすのは時期尚早だ。


 それなら論より証拠とばかり、二コマ目終了後、講義棟Bの二階に足を運んだ。

 霜や氷など何らかの証拠が残っていたらと思ったが、二人が捕まった講義室前廊下は普段と変わらず、水滴一つなかった。講義室内では座席に座った学生たちが弁当やコンビニの袋を広げて談笑している。特に寒そうな様子はなく、室内にも変わった点はない。


 ランチタイムとあって、ぐうと腹が鳴る。今日は弁当を詰める気にもならなかった。考えた末、スマホを取り出す。すぐに馴染みの声が聞こえ、瞳に涙が溜まる。


『もしもし? あっ、ひかるん! おつかれ! どったの?』


 スマホ越しの青地夏美の声が、優しく全身を包んだ。


  *


「昔の人のことわざにもあるじゃん? 腹が減っては戦が出来ぬってさ!」


 時刻は十三時十分。三コマ目とあって、学ホで団欒している学生の数はまばらだ。

 夏美は緑色のブラウス、黒のデニムパンツ姿で座席につき、購買で買ったとろろ蕎麦をかき混ぜている。黒髪はヘアバンドでポニーテールに結っている。「わさび、平気?」との問いにひかるは力なく頷く。


「はいっ! おまたせ!」

 綺麗に整ったとろろ蕎麦を前に、ひかるの腹の虫が騒ぐ。


「ゴメンね……なつみん。講義平気?」

「気にしないで。今日は二限で終わりだし! それよりひかるんは?」

 三コマ目に、アロハ助教の講義が入っている。

 近々実習旅行を控えているので、事前説明などをしている頃だろう。


「…………補習かも」

「そっかあ」

 夏美は満面の笑みを浮かべる。頬に小さなえくぼが浮かぶ。


「そんな事より大切なんでしょ? 二人のこと」

 頷いたひかるは少しずつ蕎麦を啜り始める。彼女が食べ終わるまで、夏美は黙って見守っていた。空いたトレイに割り箸を揃えて手を合わせると、財布を取り出す。


 それを夏美が柔らかい声で制した。

「いいって。このくらい。そんなことより――」と夏美。「二人のこと聞かせて?」


 ひかるはお礼を言って財布をしまい、昨日の出来事をゆっくり話した。


「なるほどね。つまり探偵コンビは今頃、附属病院で午後の検温中かあ」

 しばし考え込み、続ける。

「それならさ、今から行ってみる?」

「えっ?」


 思わぬ提案に、ひかるは口元を隠す。夏美は医学科の実習でよく出入りするという。

「案内するよ」

 是非協力を願いたいところだけど、唯一にして絶対の懸念が立ち込める。


「なつみんまで巻き込むのは――」

「この前の本の件もあるし、正直怖いけど……」

 夏美はすぐにケロッとした表情で結んだ。


「どんな理由であれ、友達を放っておけないよ」

 頼もしそうに胸を張る夏美だった。ひかるは嬉し涙を堪えるのに必死だった。


  *


『只今諸事情につき、面会謝絶中です。御用の方は受付までお越しください』


 三洲華大学附属病院の外来患者用の玄関に貼られた張り紙を読み、ひかると夏美の表情が曇る。

 附属病院はキャンパスを東門から出て、通りを挟んだ先にある。

 近隣住民も利用する総合病院で、医学科の学生の実習も行われている。外来患者が使う玄関が北側にあり、主に学生や教員が利用する裏口が南側にある。


 張り紙を睨みつけた夏美が首を傾げる。

「こんなの聞いてないし」

 夏美の曇った表情から次第に怒りが滲み出る。一分近く見つめた後、「よしっ、なんか燃えてきた」と謎の対抗意識を燃やす。


「ひかるん! 白衣のサイズ、Mでいい?」

「えっ? どういうこと?」

 夏美の真意が掴み切れず、目を丸くする。

「裏口に行こう! 変装だよ変装!」


「それって――」

「ひかるんのナース姿かあ。萌えるねっ! ささっ!」


 夏美に手を引かれながら、まさか面会ではなく潜入することになるとは思ってもいなかったので、ひかるは昨夜とは一味違う冷や汗を背筋に感じるのだった。


 裏口から病院内へ入り、近くの更衣室に身を滑り込ませる。

 ロッカーがいくつも置かれ、隅には実習着が入った籠が洗濯の順番を待っている。「今日は少ない方だよ。ひどいと部屋に入れないもん」と補足する夏美。医学科に入らないで良かったと別の意味でホッとする。


「うん、やっぱり私の目に狂いはないね! 可愛いじゃん!」

 ブラウスの上から羽織る白衣はややゴワゴワしていて着心地は決して良くない。しかし膝下まで伸びる白衣に身を守られている感覚と、何より少し偉くなった気分に密かな優越感を感じずにはいられなかった。


「その……バレないかな?」

「白衣着たらみんな一緒だよ!」

 更衣室を出て、まっすぐ入院病棟に向かう。


 ロッカールームがある本棟と入院病棟は渡り廊下で繋がっている。本棟には外来患者を受け入れる数十の診察科があり、今現在、多くの患者が順番を待っている。

 意を決し堂々とフロアを歩いた。途中、数人の患者が視線を向けたがすぐに退屈そうにそっぽを向いた。


 フロアを切り抜け、渡り廊下を渡ろうとしたとき、数人の実習生らしき学生とすれ違った。

 ひかるは気配を消しながら渡った。その途中で「青地さん、今日実習だっけ?」と声をかけてきた学生がいたが、


「忘れ物しちゃって……あはは」

 適当に会話した後、声をかけた学生の視線が隣に立つ白衣姿のひかるに移る。

「あまり見かけない子ね。菅原(すがわら)教授の班かしら?」

「ああ……えっとね、彼女は私の後輩で、進学希望の子なの」


 ――こ、後輩!?


「へぇ。そう。初めまして」

「ど、どうも……」

 夏美の後輩像を脳内構築させ、それっぽく小さく会釈したひかるだった。


 その後夏美と実習の連絡などを話した後、ようやくその学生は立ち去った。その背中が見えなくなったとき、ひかるは思わず長い溜息を吐く。

「白衣との相性悪いのかなあ」

「ま、まあ……あの子は特に観察眼が鋭い子だから」


 入院病棟に着くと、フロア中央にあるナースステーションが二人を出迎えた。数人の看護師が待機している。一瞬気構えしたが、こちらに気づく様子はない。


「さすがに患者リストは閲覧できないから、ここからは探すしかないかな」

「ここまで来れたんですもの」

 ひかるは白衣の襟を正す。


「引くわけにはいかないわ」

 ナースステーションを過ぎ、入院患者の病床が並ぶ部屋を一つずつ確認していくと、


『一〇八号 マルセマルオ様 マエウチコウセイ様』


 丸瀬と前内のネームプレートがある部屋を見つけた。


 ――丸瀬くん! 前内くん!


 大きなガラス窓から室内の様子がよく見えるので、ベッドに横になっているのが間違いなく丸瀬と前内であることが確認できた。

 二人はベッド上で仰向けになり、酸素マスクをつけている。意識はないようで、両目は閉じられている。傍らには心電図モニターがあり、規則的な波形を映している。


「安心してひかるん。危険な状態じゃないわ」

 夏美の解説に胸を撫でおろすが、同時に疑問も浮かび上がる。

「一体、どういうことかしら?」

 それは忍川助教から話を聞いた時も感じた。

 何故犯人は二人を入院させたのだろうか。


「眠らされているだけかも。ほら――」

 夏美が指さしたのは、彼らの傍らに置かれた点滴スタンドだ。

 袋に入った溶剤が見え、チューブの先が彼らの腕に伸びている。溶剤は自然滴下されているようで、ひかるが目を凝らす先でポタポタと液が規則正しく落ちている。


「どうしてそんなことを?」

「ごめん。そこまでは――」

 その時、廊下を歩いていた年配の入院患者が白衣姿のひかるに声をかける。

「ちょっと点滴が痛いんだがね」


 あたふたするひかるだが、すぐさま夏美が冷静に対応する。

 区切りがついたタイミングで夏美はひかるの耳元に口を寄せた。


「ここは任せて。白衣はさっきの洗濯籠に適当に放り込んでおけばいいから」

 小声でのやり取りに一瞬怪訝な視線を送った患者だったが、

「少々お待ちください。すぐに対応しますね!」


 夏美の親切な対応に笑顔をこぼす。この隙にひかるは本棟へ引き返す。とりあえず二人の安否がわかっただけでも収穫ありだ。

 ベッドに体を預ける丸瀬と前内の表情はとても安らかだった。


 まるで気持ちいい夢でも見ているように。


 依然危険な状況下なのは変わりないが、今はまだ二人の命の灯は失われていない。その微かな光が自身の体を包み、ひかるは一息ついた。

 去り際、振り返ると夏美が小さく手を振った。

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