臨時休校の背後に
古代都市カルコサから命からがら帰還した日から五日後の九月二十九日。
いつものように最寄り駅で電車を降り、学生の波に加わりながら学校へ向かっている。近くの集団から陽気な笑い声が響き、若干眠気が残った頭を無理やり覚醒させる。
この五日、俺たちは可能な限り《沈む谷》を回収した。現時点で三人合わしても数十冊程度だが、着実に狂気の種は数を減らしている。
話を聞くと『知人からもらった』や『学内書店に無料で置いてあった』など、間接的に手にした者ばかりで著者に迫れるような情報はなかった。出版元など企業情報も皆無なので問い合わせることも出来ず、ただ狂気の種が手元に集まるばかりである。ちなみに回収した本は広野先生の計らいで使用していない研究棟の一室にて厳重に保管してある。
大学内の匿名掲示板にも書き込んでいる。面白がって読む学生が減ればハスター陣営の思惑を外すことができるだろう。
――おいっマジかよ! 休校ってどういうことだよ!?
波の先頭を歩いていた集団から声が上がり、徐々に後方へどよめきが広がっていく。悪態をつく声、嬉しがる声が混ざり合っている。
休校の知らせは聞いていない。事前にわかっていれば連絡が入るはずだし、緊急な決定であっても登録してあるアドレス宛に早朝、メッセージが送られてくるはずだ。起床後にメッセージを読み、二度寝したことが以前にも数回ある。しかし門前払いを食らうのは初めてだ。
《沈む谷》事件から日が浅いこともあり、胸騒ぎを無視することは出来ない。先頭の集団が騒いでくれたおかげで、学生の波が駅に向かって徐々に引き返し始める。
それに逆らう形で何とか南門前にたどり着く。最寄り駅に一番近い門のため、大多数の学生に利用されている。二十人程の学生が閉じられた南門に張られた一枚のA4紙にスマホのカメラを向けている。
『緊急案件発生につき、その対処のため本日は全面休校にします 三洲華大学』
淡々とした文章が短く要点のみを伝えている。
緊急案件――一体何だろうか。仕方なく引き返そうとしたとき、
――死体……らしいよ。
――嘘? そんなことある?
近くの女子二人組から小さく声が上がる。ヒソヒソ声のつもりらしいけど、たまたま行き交う車が一台もなく周囲が閑散としていたせいでキャッチ出来た。咄嗟にスマホをいじるフリをして耳を傾ける。
――早朝にパトカー来ていたらしいよ。
――でも凍死体なんてありえなくない?
――まだまだ暑いのにね。
そこまで話した所で女子二人組は駅へと引き返していった。
どうやら構内で凍死体が発見されたらしい。事実なら休校にもなるだろう。もしかするとしばらく続くかもしれない。
「おやニジュウ。誤魔化しているつもりみたいだけどバレバレだよ」
駅側から声がして振り返ると、前内が「やあ」と言って右手を上げた。
いつものジーパンと紺ジャケットという恰好で、校門に貼られた例の紙を見つめる。
「たまたま聞こえただけだよ、たまたま」
「よく言うよ。彼女らが話し始めてから数歩近づいたでしょ?」
「ストーカーかよ」
いかにも探偵らしいけど、油断も隙もあったものじゃない。
読み終えたらしい前内は腕を組む。
「緊急案件か……メールも飛ばせなかったところから考えると、昨夜遅くか早朝にかけて死体が見つかってその対応で手が回らなかったんだろうね」
灰色ハンチング帽の位置を直し、数回頷く。
「どう思う? ニジュウ」
広野先生が言っていたハスター陣営の次なる一手としか思えない。
「間違いないだろうね。神話世界で凍死体ときたら恐らく、イタクァの仕業だ」
「イタクァ――ハスターに仕える風の神で、別名ウェンディゴだっけ?」
「これは驚いた。補習担当として僕は嬉しいよ」
こいつに遭遇すると、ハスターの前に引きずり出され、最後は凍死体となって地上に落とされるらしい。今回の事件とも合致する。書物によってはビルほどの高さを誇る巨人として描写されている。
ちなみにハスターはこれら風の神々を束ねる存在で、太古の地球に飛来した旧支配者に数えられる。【名状しがたきもの】や【邪悪の皇太子】などの異名をもち、同じ旧支配者のクトゥルフとは兄弟ともいわれているが、水棲生物を束ねるクトゥルフやその眷属たちとは敵対関係にある。
「被害者や現場の状況については学校が再開したら調べるとしよう」
休校がいつまで続くかはわからないが、いずれにせよ再開するまで待つしかない。
新たに出現したハスター陣営の影。校門の向こうから極寒の嵐が吹き込んでくるのを感じ、半袖から覗く二の腕に冷や汗が浮かんだ。
「んじゃニジュウ。その時に――」
「あっ、前内! ちょっと聞きたいことが」
引き返そうとした前内を止め、気になっていた蛇人間について知識を求めた。
前内によると、その名の通り蛇から進化した人類のことで、その起源は恐竜の出現前まで遡るとのこと。しかし恐竜の出現や環境の変化に適応できず、徐々に衰退した。今もクトゥルフの眷属である水棲生物【深きものども】同様、人間社会に溶け込んでいるという。常軌を逸した技術――魔術の使用に長けていたらしい。
「にしても、いきなり蛇人間とは。もしかしてなりたいのかい?」
「いや、実はな――」
カルコサから帰還した帰り、広野先生の研究室から蛇が顔を覗かせたことを伝えると、
「なるほどね。ははっ、面白くなってきたね」
嬉々とした表情を浮かべ、駅へと去っていった。スキップをしているように、その足取りはいつも以上に軽やかだった。




