届かない手紙
俺が彼女が倒れたことを知ったのは、古文の授業の最中だった。つまらない授業にうとうとしていた俺は彼女が倒れたのを聞いて夢かとも思った。
でも、それは現実だった。実際、小さい時から体が弱かった彼女は何度も入退院をくりかえしていた。
「私、死ぬの。」
彼女がそう言った時、何も考えられなくなった。嘘だと思った。嘘だと思いたかった。でも、彼女の顔はいつになく真剣そうで、俺は彼女が死ぬと言う事実を認めざるをえなくなった。
「まだ、死にたくないな。」
そう言った彼女の顔は淋しそうで、でも、死ぬと言うことを認めて、あきらめているようでもあった。
「…そう、なんだ。」
なんて言えばいいのかわからなかった。本当は泣きたかった。でも、彼女が泣いていないのに、俺が泣くのはいけない事だと思った。それに、彼女の前では泣けない。
「また、お見舞いに来るよ。」
そう言って、俺は彼女の病室を後にした。その場にいたら泣き出してしまいそうだったから。
病室の外で、目を赤くした彼女の母親に会った。
「もう、お見舞いにこないでほしいの。」
彼女の母親はそう言った。
「なんでですか。」
「あの子、貴方の前では元気そうに見えるけど、貴方がいないところでは、とても苦しそうなの。貴方の前では気を張って元気そうにしているだけで、本当はもう…」
母親はそう言って口をつぐんだ。
「だから、もう、あの子に会わないで。あの子を苦しませないで。」
何も答えられなかった。
母親は必死そうだった。でも、俺には彼女は元気だとしか思えなかった。彼女の母親が正しいとも思えなかった。
だから、翌日もお見舞いに行った。
「昨日もお願いしたでしょ。もうあの子は元気じゃないの。だから、帰って…」
彼女の母親が泣きついてきた。
母親を彼女が説得して、やっと、俺は彼女と面会することができた。
「ありがとう、今日も来てくれるなんて。」
「うん。そういえば、何か、やりたい事はない?残りの人生で。」
そう尋ねると彼女は淋しそうに笑った。
「そうだなー。そうだ、駅前にケーキ屋があるでしょ、そこのレモンケーキが食べたい。」
俺は急いでケーキ屋に向かった。そこでレモンケーキを2つ買う、彼女の分と、俺の分。
病室に戻ると彼女は詩集を読んでいた。高村光太郎という詩人の詩らしい。
それから、2人でレモンケーキを食べた。いつもなら俺はすぐに食べ終わってしまうが、少しでも長く彼女と一緒に居たいからゆっくり、ゆっくりとケーキを食べた。
「はあ、美味しかったー。これで、悔いなく死ねるかも。」
彼女は嬉しそうに笑った。俺は泣きそうになってその場にそれ以上居ることが出来なくなった。その日はそこで帰った。
その日から俺は毎日、彼女の元に通った。お土産のレモンケーキを、花束を、千羽鶴を、持って。1週間が過ぎると彼女の母親は何も言わなくなった。
ある日、いつもと同じように彼女の病室を訪れると、彼女が何か手紙のようなものを書いていた。俺が病室に入ると急いで彼女は手紙を隠す。俺は手紙に興味があったが、何も言わなかった。
その次の日も彼女は手紙を書いていた。そして、手紙を書き上げると、黄色の封筒にしまい、引き出しの、上から2段目に入れた。彼女が手紙を引き出しに入れたタイミングで病室に入ると晴々とした顔で彼女は言った
「私が死んだら、引き出しの上から2段目に入っている手紙をポストに出してほしいの。」
「うん、わかった。」
本当は、縁起でもないことを言うな。そう言い返したかった。でも、言えなかった。
それから何日か経って、『彼女の容体が急変した。』と連絡を受けた。
急いで病室に着いたときには彼女はもう息をしていなかった。
悲しかった。嘘だと思いたかった。俺は彼女が好きだった。本当に好きだった。恋をしていた。声をあげて、俺は泣いた。
ふと、彼女との約束を思い出して引き出しの上から2段目を開けた。そこには黄色の便箋が置いてあった。約束通り、その手紙をポストに出そうと思った。でも、彼女の最後の手紙が気になって、それを盗み見てしまった。そこに書かれていたのは、同級生の女子の名前だった。
俺はその手紙を家に持ち帰り中身を確認した。封筒を開けて手紙を取り出す。
貴方が好きです。その文章が目に入った。
その時の俺はどうかしていたと思う。彼女が
死んだからなのか、彼女は女が好きだと知ったからか、彼女が俺じゃない人を好きだったと知ったからか、それとも、俺の気持ちが彼女に届かなかったと知ったからなのか。
気がつくと俺は手紙を破いていた、怒りと悲しみが混じったような気持ちで。そして、それを捨てた。大丈夫、彼女は死んだから。彼女は知らないはずだから。そう自分に言い聞かせて。