近衛家
そこは何処か分からない、何故なら自分の足で来た訳では無いから、何故なら目隠しを強制され透視を禁じられたから、何故なら急に何の説明も無く拉致されたからだ。
だが、目隠しを解かれて目の前の視界に広がった光景を見るに、黒は直ぐに姿勢を正して正座をする事となった。
(いや、何でこんな格式高い所に僕が!?)
初めての経験による緊張と、場の雰囲気から来る妙なプレッシャーが黒に襲う。
(取り敢えず、誰かと対面したら頭を下げよう…)
厳しい礼儀に関しては良く分からないが、兎に角失礼に当たらないようにと黒は考え出した。
「黒様、主が此れから参られますのでお心の御準備を…」
背後の方で扉の守りをしていた、水干姿の男が声を掛ける。
「は、はい、有り難う御座います」
緊張して言葉がつっかえてしまうのと、御礼の時に後ろを向いた方が良いかと迷ったが、そんなタイミングで主と呼ばれる方に出られては事だと思い、後ろを向くのは止めた。
簾で隔てた奥の方から気配が感じられた、黒はそれに合わせて顔を地面に付けて深く礼をする。
「面を上げよ」
奥の方から声がする、黒はゆっくりと顔を上げて正座のままでいる。
「君が、黒君かい?」
黒が想像していたよりも数段は優しい声で、内心黒は驚いていた。
「は、はい」
畏まって返事をする。
「ははっ、申し訳無いね急に呼び立ててしまって」
「いえ」
「いやいや、此所に来るまで車で長時間の移動、トイレも自由では無かっただろう?」
「ま、まぁ」
黒はどう返事を返すのが適切なのか分からずに、余りにも言葉数が少ない感じになってしまった。
「君が何故此所に呼ばれたか見当はつくかい?」
「い、いえ…此所が何処で、何故呼ばれたかは分かりません、しかし」
「しかし?」
「貴方がどなたかの見当は大方…」
「ああー、犬養君だな」
黒の予想に、近衛清源は納得したと言う声色で相槌を打つ。
「ふふ、今更意味も無く隠すこともあるまい、そうだ君の検討通り、私は近衛清源と申すものだ」
「はッ!」
威厳がある声質のせいなのだろうか、気付いたら黒はもう一度頭を深々と下げて礼をしていた。
「末神黒君、君の事はかねがね聞いているよ、娘が世話になったね」
「とんでもありません、僕も神無様に何度救われた事か」
「君が…神無に?」
清源は少し驚いたと言う雰囲気で聞き返した。
「はい、自らこう言うのも何ですが僕は精神的に未熟なものでして、あの方の考え方や励ましの言葉に心を動かされた次第です」
「ほう…それはまた、とても良い事だな」
清源は黒の言葉に興味深いと言った面持ちであった。
「黒君、暫し私のつまらぬ話を聞いては頂けぬか?」
清源の丁寧な申し出に黒はつい大きく動く。
「滅相もありません、是非ともお聞かせ願いたく」
黒の返答を聞き清源は語り始めた。
「私はな、元は一般の出で…とは言っても、そこそこはそれなりの家柄の人間なのだがな、私の妻の近衛家に婿入りと言う形で入ったのだよ」
清源の身の上から切り出され話は始まった。
「はい」
「神無の持つ天衣と言う能力は既に御存じであろう?」
「はッ、此の眼ではまだ見ておりませんが聞き及んではおります」
「あの能力はな、血筋と、その代の人間の才で発現する」
「僕も、周りにそう言った人間が多いので理解出来ます」
「ああだからこそ、神無は産まれる前から周囲に期待されていたのだ、しかしな…」
少し言い淀んだが清源は続けた。
「此れは私のエゴだったのだが、神無の名は神が無いと書くであろう?」
「はい」
「私はな、あの子に普通に生まれて育ち、普通の暮らしをさせてやりたくなってそう名付けた」
「それは…」
清源は自身への羞恥ともつかぬ、後悔ともつかぬ声で言った。
「今在る様に、私は周りからまるで何かを奉られる様な過度丁重な扱いを受けてはいるが、己自身には何も無い、非力で…矮小な存在だ」
清源はどうやら、今回神無を守る為に命を懸け活躍した黒と、何も出来なかった自分を比べているらしいと黒は悟った。
「御言葉ですが、一つ」
黒は自分の率直に思った事を言う事にした。
「ああ」
「先程清源様は、エゴだと申されましたが、僕はそうは思いません」
「それは何故だ?」
「まだまだ人生経験の浅い僕から言わせて頂きますと、僕から見ればそれは”親の愛”かと」
「ふむ」
「自分の子供に安寧と幸福を望むのは至極当然であり、清源様の行いも僕には只々微笑ましいものに感じます」
その言葉を静かに受け、清源は暫く押し黙ると急に笑いが湧き出てくる。
「ふふふ…黒君、君は神無から聞いた通りの人物だった様だ」
黒は恐縮だと言った面持ちで佇む。
「一つ私から君に確認したい事が有るのだが、良いかい?此れはとても大事で…今後にとって重要な事だ」
「はッ!」
何を尋ねられるのかと緊張が走り身構える。
「率直に黒君は、神無の事をどう思っている?」
「そ、それは、とても朗らかで優しく性格が良くて…」
「ふふ、んー…私が聞きたいのは少し違うなぁ」
黒が何とかして続きの言葉を出そうとすると、正源は少し遮る様に口を開く。
「!?」
「黒君は神無の事を一人の女の子として、どう感じるのかい?」
「えっと…」
黒は戸惑う、自分とは天地程も身分の差のある女性と、ましてやその父親に好意を抱いているのかどうかを尋ねられているのだから。
黒はどう答えたものかと考えるが、清源の熱を感じて覚悟を決め、只の本心を言う事にした。
「とても…魅力的な人かと…」
黒なりに振り絞っての答えだった。
「ふふふ、そうか…」
清源は優しく笑うと、少し納得したと言った雰囲気だった。
「なぁ黒君、私は先程言った通りにあの子を守る術を自力では持てていない、だからね、今後ともあの子と仲良くしてやってはくれないだろうか?」
「それは、願っても無い御言葉です!」
黒は強く返事をした、多分此の時の黒は周りからもあからさまに声を張らせていたであろう。
「あの子も君と過ごす時間は満更でも無いようだ、昨日から君の話をひっきりなしにしていたよ」
「そ、そうなのですか!?」
「ああ、だから私も君にとても関心を抱いていてね、此れからの活躍も期待している」
「はッ!」
清源の活躍を期待していると言う言葉に、黒は気合いが入ると同時に今まで以上の責任も感じていた。
「君が良ければ、今すぐ私の事を義父さんと呼んでも構わぬよ?」
「そ、それは…」
黒がとても恐縮している姿に、清源は殊更に大笑いしたそうだ。
所変わり神無の方だが、そちらの方にも来客が来ていた。
とても広く豪奢な和室の一室で正座をし佇む神無、その襖の奥から声を掛けられる。
「神無様、御客様が御越しに成られました」
「どうぞ」
神無が返事をすると一人の女性が部屋に入ってきた、その人物は未神零、九番隊隊長兼医療長を務める麗人の女史だ。
未神は神無の前に正座し頭を下げる、神無もまたそれに応えて小さく礼をする。
「神無様、宜しいのですか?」
未神は神無に何かの是非を問う。
「はい、今日から御世話になります」
神無は何かを固く決意している様だった、神無は未神に深く頭を下げて礼をした。
清源が黒に色々と話を聞きたがり、黒は久し振りに自分の素性を知る人間と楽しく会話をする事が出来た。
余り詳しい内容は機密保持上で無理ではあったが、昔に自分の師匠が途轍もなく厳しかったことや、二人揃って間抜けをやらかした事、楽しい事もあれば悲しかった事も話した。
清源は黒の話を大層興味深く愉しげに聞いていて、黒は親しみが湧いた。
「ふふ、君の話はその歳にしてとても豊かなものだね」
「いえ、その様な事は…」
「いやいや、私なんて何時も同じ様に起きて、食事を済ませ、政務関係の仕事や、同じ様な要職の人間との付き合いに飛び回るだけだ、此の様な生活のせいで我が娘との時間さえままなら無い、本当にあの子にとって私は酷い親だ」
卑下する様にそう言う清源に、黒は自分の考えで素直に返事をする事にした。
「神無…様は、全然その様には考えて無いと思いますよ?」
「!?」
「あの方は良く周りの人間の想いに気付いたり、その人間を慮る方です、きっと清源様の想いにもお気付きにられているかと」
「ふむ、神無が産まれた時に妻が死に、私はあの子に対して直接的な事は何一つしてやる事は出来なかった、だが確かに君の言う様にあの子は優しくて聡い」
「僕も精神的に未熟で駄目だった時に救われました、だからこそ僕は彼女の力になりたかったんです」
「ああ、君の言う通りかもしれないな…」
清源は黒の言葉に深く耳を傾け納得し、そして救われたかの様な気持ちになった。
「さて、君との話もとても有意義で愉しかったのだが、私はまた他所へと向かわなくてはならない、実は神無も此れからの他の用向きが有る様で、まだ君とは会えないらしい」
「はい分かりました、僕も清源様と御話が出来てとても良かったです」
「ふふ、今度会うときはそんな他人行儀で無くて良いよ、是非義父さんと呼んでくれ、神無の事も呼び捨てにして構わぬぞ」
「!?いえいえそんな!」
黒は大きくかぶりを振り断った、そして神無を呼び捨てにしかけていたのもキッチリと見逃していなかった様で、ただただ焦るのだった。