08
知世と晶紀は、佐倉に連れられて保健室のベッドで寝かされていた。
寝かされているものの、知世と晶紀、二人とも意識ははっきりしていた。
「儂から二人の家に連絡させてもらった、晶紀はこのまま保健室で寝ていてよいそうじゃ。知世はしばらくすると家の者が迎えにくるそうだ」
「……」
「晶紀さんと闘っていた相手の正体は分かりましたでしょうか?」
「いいや、分からない」
佐倉は晶紀のベッドに腰を掛け、首を横に振った。
「しかし、分かっていることもあるぞ。さっきの様子から考えると、剣道着の女は木刀の扱いに慣れていた。そう言った普段の手癖まで、憑依した霊の影響が出るとは考えづらい。どれだけ霊が強くても、元となった人物と同調する割合が高くないと仕草までは変化しないからじゃ。そう考えていくと、学園内で剣道をする人物を探せばよいことなる」
「そうすると誰になるのでしょう?」
そう言う知世は、すこし早口になっていた。
「まだそこまでじゃ。学園内で剣道が出来るなら剣道部の顧問が真っ先に思い当たるが、趣味で剣道をやっている人物だとしたら少し面倒だ。まあ、どちらにせよ学園内のことだ、すぐに調べはつくだろう」
「また…… その人が出てきたら」
晶紀はそう言って、包帯が巻かれた自らの右手を見つめた。
晶紀の右手と右足は、すでに近所の接骨院で見てもらっていた。骨折はしていないそうだが、打撲がひどくてしばらく動かすなと言う話だった。
「なに、簡単なことじゃ。右手が回復したら晶紀も剣術を学べばよい」
「無理だよ」
晶紀はそう言って、瞼を閉じた。
「無理ではない。何しろ今回対峙した相手その者から剣術を学ぶのだからな」
目を開け、首を横にふる晶紀。
「いいよ」
「……どうした。らしくないぞ」
「……」
晶紀は佐倉の方に顔を向けてはいたが、どこか焦点は遠くにあるようだった。
「この学園内では、お前が戦うしかないぞ」
包帯を巻いた右手と左手を大げさに動かしながら、晶紀は言う。
「そうだ、さっき言ったよね。右手と右足が回復したら…… そのころにやるよ。確か、ニ週間だっけ」
「さっきの接骨院の話をしているのか。あんなものあてにするな。骨折どころか、ひびも入っていない。今日は儂がついて寝るのじゃから、以前のように明日には治っているだろう」
晶紀は寝たまま首を横に振る。
「……いいよ。ちゃんとニ週間後、接骨院で確認してもらうよ」
「どうしたんじゃ」
佐倉はポンと掛け布団の上から晶紀のお腹辺りを叩く。
「怖いんだよ!」
晶紀が出す突然の大声に、知世の体がビクンと反応した。
知世は目をむいて、晶紀を見つめる。
「怖くなったんだ。あの時、こっちは神楽鈴を叩き落されていた。素手だよ。素手で相手は木刀をを持つ敵と対峙したんだぞ。あいつの木刀は、本当に、ものすごい威力だった」
佐倉はあきれたという感じに両手を開く。
「真剣でなくてよかったな」
晶紀は両手で掛け布団を叩いた。
「なんだって? 死ねって言うのか?」
「そうは言ってない。相手は晶紀の成長を待ってはくれない。常に自分より強い敵と闘う覚悟がないと……」
晶紀は再び掛け布団を叩いた。
「だからもう良いって言ってるだろ!」
晶紀はそう言うと掛け布団を被って、佐倉や知世と反対を向いてしまった。
「困ったのう……」
それほどの恐怖を植え付けてしまったということか、と佐倉は思った。恐怖、失敗したことに対しての恐れ、そう言った前に進もうとするものを引き戻そうとする力に対抗するには、本人の勇気しかない。痛みとか疲れが、よりその恐怖や恐れを増幅させる。ましてやその恐怖は、つい今しがたあった出来事だ。忘れればまた闘うことも出来るだろう。
すぐに晶紀を闘えるような気持にすることを、佐倉は諦めた。
そんなことを思いながら、しばらく晶紀を見つめていたが、今度は知世の方を向いて言った。
「知世。おぬしの症状だが、おそらく、ぶつかった石原という生徒に霊力を奪われたと思われる。儂や晶紀のように目に見える術が使える者や、霊感がある者でなくとも、人は少なからず霊力を持っているのじゃ。ただ個人差があって、霊力の多い少ない、晶紀のように意識してその力を使える能力を持った者や、無意識に霊力を使って騒ぎを起こしてしまう者もいる」
「霊力は私自身のものではないんですか? 私自身のものというか、なんで他人が奪えるのでしょうか?」
佐倉は立ち上がって、知世の方ベッドに腰かけ、掛け布団をさするように撫でた。
「霊力は、おぬし自身が作り出すものもあれば、知らぬ間に別の霊がおぬしに憑依しているものもある。別の霊であれば奪うのは簡単じゃな。しかし、自身の生み出した霊力であっても、奪えないことはない。奪う為には奪う霊力と同調する必要があるがな」
「さっき仰っていた『憑依』というのは、その、別人のようになることではないのですか?」
佐倉は首横に振った。
「必ずしもそんなことはない。世の中で成功した人物の中には、降霊し、強い霊をつけたものもいる。だからといって、本人の意思が無くなって、乗っ取られているわけではない。分かりやすい例でいえば、A国のカード大統領。不動産王と呼ばれた男も、父の支援だけでは不動産業はうまく行かなかった。しかし、我が国を訪れた際に、当時の100万ドル、二億円ほどじゃろうか。高額な現金で有名霊媒師を呼び、降霊したのが転機だと言われておる。テレビ画面を通じてもわかるが、今もその霊は憑いているようじゃな。霊自体は我が国のものだが、カード大統領自身の性格は霊によっては変わっておらん」
「……」
知世は無言で佐倉から目を背けた。
「どうしたんじゃ」
「別に何でもありません」
「いや『何でもありません』という雰囲気ではないぞ。一応言っておくが、降霊自体は悪いことというわけではない」
「!」
知世は一瞬、佐倉の顔をみて、また視線を外した。
「そうか、予想があたったようじゃな。憑依した霊のおかげで、実力以上のことを成し遂げるのは、降霊術を使わずとも、自然に起こることもある普通のことじゃ」
佐倉の言葉を聞いて、知世は何か考えている様子だった。
「……」
知世の様子が気になる佐倉は言う。
「父か? それとも母親。いや、両親ともか」
知世は、佐倉の言葉にうなずく。
「はい。事業が成功して、人が変わったように仕事ばかりに」
「そうか」
佐倉はさっきと同じように、掛け布団の上から知世をさするように撫でつづける。
知世が『家の者』と暮らしているのは、両親が仕事ばかりして知世のことを見ていないせいだった。佐倉は知世の両親が事業で成功した要因の一つが『降霊による能力の向上』によるものだと予想した。おそらく、知世は初めから両親が『降霊』して成功者となったことを知っていた、あるいは、降霊したせいで両親が『別人』のようになり自身が孤独になった、そんな理解だったかもしれない。
佐倉は知世の表情を見てから、言った。
「知世、もし家にもどるのが嫌なら、今日はここに泊まってもいい。儂が二人ともみていてやる」
知世は天井を見つめながら、無言で考えていた。
そして佐倉の方を向くと口を開いた。
「そうさせてください。家には自分で連絡します」
枕元に置いていたスマフォを手に取ると『家の者』へ連絡をした。
「今の知世のように霊力が抜けた状態は、別の霊が入りやすい。自らの霊力で満たされる前に、変な霊に入り込まれたらやっかいじゃからの。ここで儂が見守っておれば、質の悪い霊に入られることもあるまい」
「ありがとうございます」
知世の声を聞くと佐倉は『ポン』と自らの膝を叩いて立ち上がる。
「そうと決まれば食事にするか。コンビニ飯ではさみしいから、そば屋で出前をとろう」
佐倉はチラっと晶紀の方を見る。
まだ頭から布団をかぶっていた。
佐倉が掛け布団をめくって、晶紀の顔をみる。
布団が外れているのに気が付くと、再び布団をかぶり直した。
「こら。まだいじけてるのか」
「……」
佐倉は首を横に振った。
「晶紀はいつものカレー南蛮か?」
晶紀は布団の中にいて、反応はない。
「今日は天丼にしよう。知世はどうする?」
知世は布団に寝たまま、指を顎にあてると言った。
「メニューはあるかしら?」
「『ねっと』には載っておるようじゃが、あまりスマフォの使い方がよくわらんのでな」
佐倉が店の名前を告げると、知世はスマフォを使って検索した。
佐倉に向けてスマフォの画面を見せる。
「このお店ですね?」
「おお、そこじゃ」
知世は上下に画面をスクロールさせながらメニューを眺める。
何回かそれを繰り返した後、言った。
「佐倉先生。私は『天せいろ』でお願いします」
「おお『天せいろ』もいいな」
佐倉はチラッと晶紀の方に目をやり、
「『天せいろ』と『天丼』それと『山かけそば』にするかな」
「そんなに食べるんですか?」
知世はスマフォの画面でメニューを確認した。メニューの画像ではあるものの、普通の店より小さいという訳ではなさそうだ。
「いつもはもっとたべるんだが」
「えっ……」
「ほら、晶紀。晶紀はどうするのじゃ」
布団をかぶったまま言った。
「カレー南蛮とカレー丼のセット」
「はぁ?」
知世は佐倉の顔を見た。
布団をかぶったまましゃべっていたので、確かにくぐもって聞き取り辛かったが、聞き返すほどではない。わざと聞き返しているのだ、と知世は思った。
「カレーうどんか」
「ちがう、カレー南蛮うどんとカレー丼のセット」
「にゃんじゃ?」
佐倉は耳に手をあてて聞き返すような仕草をする。布団をかぶっている晶紀からは見えないのに。
突然、晶紀が掛け布団を払いのけた。
「いじわるしないで! カレー南蛮うどんとカレー丼のセット!」
「おお、やっと聞こえた」
「……」
「落ち込んでいる晶紀は、晶紀らしくないぞ。さっき言ったことと相反するようないいかたじゃが、闘うのは一人じゃない。儂も、知世もついている」
「……うん」
晶紀は、自身の涙が耳をつたうのを感じた。