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05




 知世と晶紀がエステに行った日から、一週間がたっていた。

 晶紀たちのクラスは体育の授業の為、更衣室で着替えをしている。

 更衣室の中で晶紀は不思議に霊の流れが見えた。霊と言っても意識や物を動かしたりするほどの力はない、低級な霊だった。ただ、少しばかり数が多かった為『流れ』として晶紀の目に留まったのだ。その霊の流れを追っていくと……

「石原さん……」

 細身の体と長い髪。目鼻立ちははっきりしていて、西洋風の顔立ち。晶紀は考えた。同じクラスの生徒だから、見覚えがあるのは当然だった。そうだ、エステで会った生徒()だ。確か、毎週エステに行っているとか言ってたから驚いたのを覚えている。

「晶紀さん、どうかしましたか?」

 晶紀は知世を振り返る。

「あの人、石原……」

「ああ、石原美波(みなみ)さんですか? この前、エステで会いましたわね」

「……」

 霊の流れが集まっているだけではなく、渦巻いている。飲み込んでいくように吸収しているのだ。山口あきなの家の扉と同じような気配。悪い予感がする。

「晶紀さん、他人(ひと)の着替えをじっと見ているのは失礼ですよ」

 知世にそう言われて、石原から目を逸らそうとした瞬間だった。

「!」

 制服のブラウスを脱いだ瞬間、背中に大きな入れ墨(タトゥー)が見えた。

 声に出そうだったが、晶紀はその声が出るのを抑え込んだ。おそらくこれは普通の入れ墨ではない、と晶紀は思った。背中に青や赤で描かれた鯉の入れ墨をしていたら、人目を惹くだろう。誰も驚かないのはクラスの人間が皆、そのことを周知しているからだとしたら、知世に聞くだけでいい。逆にクラスの人間が周知していない事実が、晶紀にだけ見えているのだとしたら、普通の入れ墨ではなく、霊的な入れ墨だと思えばいい。

「どうしたんですの」

 晶紀は着替え終わった知世を更衣室の外に連れ出して、小声でたずねた。

「石原さんって背中に入れ墨ある?」

「えっ!」

 素早く知世の口を手で押さえ、左右を見回す。

「知世、声が大きいよ」

「ごめんなさい。そんなことないですよ。さっきだって普通に着替えていましたし、見ていたわけではないですが、そんなことがあればすぐに噂に……」

「そうだよね」

「すごくセンシティブな問題ですから、慎重に調べる必要がありますわ」

「いや、知世に見えないなら問題ないんだ」

「晶紀さんが見えて、私に見えないなら問題ない、ということは……」

 知世は人差し指伸ばして顎にあて、視線を落として推測している。

「それは霊的なもの、だからですか?」

「と思うんだ。だから確かめたい」

 知世はうなずいた。

 晶紀は、授業が終われば、もう一度、石原の着替えるところが見れるはずだから、その時、知世に確認してほしいと知世に伝え、体育の授業の為に校庭に出た。

 体育の授業は走り高跳びだった。

 始めは教師が跳び方を種類ごとに説明をしていく。ベリーロール、はさみ飛び、背面飛び。授業は、各自に決めた高さに対し、背面飛びまで出来ることが目標だという。

 二か所にマットをしいて、バーの高さが一メートル二十五センチと、九十五センチの二つが作られ、各自自由に練習が始まった。

 いきなり背面跳びをしてしまう陸上部の人間を除いては、高い方で飛ぶ連中ははさみ跳び、低い方の連中は、そもそもバーを前に踏み切れず、跳ぶことすらままならなかった。

 知世はバーの高さが低い方のグループに、晶紀は高い方のグループと分かれてしまった。

 はさみ跳びから始めた晶紀は、なんどか飛んでいると、背面飛びが出来てしまった。そのせいで、先生からベリーロールをやってみろと言われて、以外に逆足で踏み切るのと、体をバーの側に向けて飛ぶのが怖くて出来ない。バーが高い方のグループは人数が少ないから、何度も練習をさせられた。

 一方、バーの低いグループは人数が多い上に一人一人が踏み切りのあたりで怖くなるのか、止まってしまう人が多かった。そのせいで、後ろに並んでしまった知世に、跳ぶ順番が回ってこない。

「?」

 知世はお尻にホコリがつくので、立って待っていたのだが、何人か前に石原美波が立っていた。間にいる生徒()が全員腰を下ろしているせいで、石原の背中は丸見えだったが、当然ながら体操着を着ているので、入れ墨が入っているかどうかまでは分からなかった。それでも晶紀に言われた通り、日差しの加減で見えないかとしつこく監視を続けていた。

 バーの低いグループも先生の指導が入って、踏み切りで立ち止まる回数に制限が入った。流れ出した行列は、ついに石原の番となった。

 間に立っている連中も腰を上げたので、知世は石原の跳躍が見やすい位置にズレて立つ。

 バーの正面に立って、ゆっくりと助走を始め、歩幅を広げて加速する。バーの手前で調整するようにステップして、跳躍。ベリーロール。頭がバーを見るようにして前転し、エバーマットに落ちていく。踏み切った足が、抜ききれずにバーに当たる。

 マットの上で石原が転がった時に、体操着の上がめくれ上がる。知世は石原の背中に神経を集中させる。

「……」

 背中が見えたようにも見えたが、体操着はお腹ぐらいまでしかめくれておらず、そこを背中と呼ぶには狭すぎた。

 石原の後ろに並んでいた生徒が、成功、失敗、失敗と試技を終えていき、ついに知世の番が来た。

「がんばれっ!」

 バーが高いグループの方から、晶紀が言って、手を振っている。

 さっきまで他人事のように高跳びを見ていた知世は、晶紀の応援の声を聴いて急に緊張してしまう。『どうしよう』右足で踏み切っていいか、左足か、それすらはっきりとイメージ出来ない。知世は悩んだまま走り出してしまい、バーの目の前で立ち止まった。

 ピッと短く笛がなり、先生が言う。

「宝仙寺、次は踏み切れよ」

 何度もこれを繰り返すと他の生徒の練習が出来ない。だから次は駄目もとで踏み切らなければならない。知世の緊張が高まっていく。

「は、はい」

 走り出しの位置に戻った時には、知世の足は緊張と恐怖で震え始めていた。

『だめだ、出来ない……』

 その言葉が知世の頭の中で何度も繰り返された。

 じっと立ったまま時間が過ぎていく。先生は笛を口につけて、吹いて知世の試技を中止させるかタイミングを計っている。

 すると知世の後ろに立っていた生徒の脇から、銀髪の生徒が手を伸ばし、知世の背中をトン、と叩いた。

 ビクン、と知世の体が海老反ると、何かに弾かれたように走り出す。

 勢いよく走り込んだが、踏み切りの足が合わずにそのままバーをつかんでマットにバーを押し付け、マットにひざを付いてしまった。

「……」

 そのままの恰好で固まっている知世のところに、体育教師がやってきて、肩にそっと手を置く。

「大丈夫か? 見た感じ、宝仙寺は緊張しすぎだな。飛び越えられなくてもいいから、気楽にやることだ」

「……」

 知世はゆっくりと立ち上がって、手と膝のホコリをはらう。そしてゆっくりと列の後ろに戻る。

 高いバーのグループを見ると、晶紀が背面飛びで跳躍したところだった。

 マットから立ち上がると、知世の視線に気づいて手を振ってくる。知世も手を振り返すが、気持ちは暗いままだった。

 低いバーのグループの二巡目もだいぶ進んできた。

 試技者が失敗して、次は石原の順番になった。

「知世」

 バーが高い方のグループから晶紀が来ていて、知世に声を掛けた。

「元気だしなよ」

 石原が、チラッと晶紀達の方を振り向いた。

 二人は石原が振り返っていることには気づかなかった。

「私こんなに跳ぶのが怖いなんて思っていませんでした」

「大丈夫だよ、知世。跳べなくてもいいんだって思わないと。だから、もっと大きなことと比較したら良いよ」

「大きな事?」

「たとえば、人生の歴史のなかで言えば、この授業の一瞬なんかちっぽけなものなのさ。私たち中で、誰が跳べて、誰が跳べなくても、そんなことで歴史は変わらないでしょ」

「それは当然ですわ」

「ね。だから、ぶつかってバーを落としても、大丈夫。怪我をしないことだけ考えてればいいの」

 先生がピッと笛を吹く。

「そこ、おしゃべりが長いぞ」

 晶紀は頭を下げて、元のグループの方に戻りかけ、

「だから、先生に叱られても気にしないんだ」

 と言う。それを見て、知世は小さく笑った。

「私、気にしないことにします」

「うん」

 ようやく石原が高跳びのバーに向かって助走を始める。

 知世が、ハッと気づいて石原の試技に注目する。もしかしたら、背中が見えるかもしれない。

 小さくステップして踏み切る位置を整えたかと思った瞬間、走るのをやめてバーを手で叩いて落とした。

「?」

 石原はバーの位置から振り返り、知世を睨みつけてから、バーをもとに戻し、列の後ろに並んだ。

 ピッと笛が鳴って

「次」

 と声がかかった。

 知世は、一瞬自分を振り返って睨みつけてきた石原のことを考え始めた。何が気に入らなかったんだろう。もしかして、石原の試技の前に長々とおしゃべりして集中力を削いでしまったからだろうか、と思った。

「宝仙寺」

「はい」

 いつのまにか前に並んでいる連中はいなくなり、後ろに並び直していた。

 その時、授業終わりのチャイムが鳴る。

 高いバーのグループは、人数が少ないためか、グループ全員でマットやバーを片付け始めた。

 しかし、バーが低いグループは

「こっちは、宝仙寺が跳んで終わりにしよう」

 と言われた。

「片付け担当の班以外の者は上がってよし」

 なんで私、最後に跳ばなきゃいけないの…… 知世は項垂れた。晶紀さんに言われた通り、気楽に、気楽に、跳べても跳べなくても、歴史は変わらない。私の高跳びなんて、ちっぽけなこと。

 ピッと先生の笛が鳴る。

 腕を振りながら加速して、バーの前で踏み切り位置を調整する。そして、バーの向こうに跳び込むように跳び上がる。

 あっという間に頭はバーの上を通過し、自分の足を見るように下がっていく。

 バサッという音と共にエバーマットに転がった。

 どこもバーに触れてない…… あれ? もしかして……

 起き上がってバーを振り返る。

 揺れてもいないし、落ちていない。

 遠くで拍手が聞こえる。体育用具室の方から、晶紀が手を振っている。

 先生が手を差し出しながら言う。

「ベリーロールはクリア出来そうだな」

 その手に引っ張られるようにして立ち上がる。

「私、跳べたんですか!」

「跳べただろ」

「やった!」

 知世は両手を振り上げて飛び跳ねた。それだけ跳ねれれば、もっと前からクリア出来ていたのではないか、と思うほど高かった。

 喜び続けていると、先生が言った。

「さあ、次の授業があるから、用具を片付けるの手伝って」




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