03
エステ・サロンを出て、晶紀達は近くのカフェでお茶をしていた。
初めのうちはエステの話をしていたのだが、山口の家の周りの話になった。
「佐倉から聞いたんだけど、あきなの家の周囲に『陣』があったって、知世の家の方が調べてくれたんでしょ」
「ええ、佐倉先生の話が分かるかたがたまたまいたので」
「それって、呪術の専門家だよね」
知世は手を振って否定する。
「呪術自体は佐倉先生の専門分野ですわ。私の家の者は佐倉先生に指示された『それっぽい』ものを見つけて、地図の情報をつけて送ったり筆跡を鑑定したりしただけなのですが」
「いや、つーか筆跡が鑑定できたり『あきな』の家の周囲を調べたりって、どんだけ家の者いるの」
知世は嬉しそうに微笑む。
「私も人数とかは知らないのです」
「そもそもどういうお家なの? おもちゃ会社を経営しているってところまでは聞いたけど」
「普通のお家ですわ」
「いや、普通じゃないでしょ」
知世はアイスティーのプラスチック・カップを置いた。
「いつも私のお家の話ばかりでは面白くありませんので、晶紀さんのお家の話が聞きたいですわ」
晶紀はキャラメル・ラテのカップを置いて言う。
「……話したことなかったっけ」
「ええ」
晶紀は話し始めた。
晶紀が小さい頃に父が行方不明になったこと。父がいなくなってから、母一人で晶紀を育ててくれていたが、母が体調を崩して働けなくなった。
「……やっぱりやめようか」
知世の心配そうな表情を見るのがつらかった。
「晶紀さんがつらくなければ」
「私はつらくないけど」
晶紀は話をつづけた。
近くの医者では母の病名は分からず、大きな病院に行って調べることになった。大きな病院で、分かった病名は『癌』だった。小さかった晶紀は、当時病名は知らされず、それは後で知った。そのまま入院する母。病院であずかれない晶紀の面倒を見てくれたのが、行方不明の父の母、芳江だった。父は末っ子で、母親の芳江とはかなり年齢が離れていた。芳江が住み込み、晶紀の世話をしてくれた。しかし、芳江は除霊や口寄せなど霊的なことを仕事としていて、遠くに行くときや時間がかかる時は晶紀に学校を休ませ、仕事場に晶紀を連れて行くことがあった。
そんな生活の中、母が死んだ。
写真が嫌いだったのか、母の遺影は晶紀の知っている姿ではなく、まだ独身の頃の写真だった。晶紀はそのまま芳江に引き取られることになった。都市部に借りていた母の家から、山の中にある神社兼自宅の芳江の家に住むようになった。そして中学から真光学園。父への憎しみと、その父の母である芳江に感じる恩義。
話をしている内に、知世が泣いている。
「こんなおしゃれなところでする話じゃなかったよね」
「場所は関係ないですわ」
宝仙寺の『H』が刺繍されたハンカチで、目じりを押さえている。
「晶紀さんに比べたら私なんか」
知世がそう言うと、今度は知世が自身の両親の話を始めた。晶紀はそれとなく感じていたことが正しかったと感じた。知世の両親はそれぞれが仕事を抱えていて、世界中を飛び回っていること。日本にいる時でも、仕事ばかりして家にいる知世のことを顧みていないこと。いつも『父は出かけていて』、『母は仕事場にいて』と言っていたのは本当のことだったのだ。高校生とは言え、家に帰って家族がいない、会話がないのはつらいだろう。だから、両親の代わりに『家の者』と会話しているのだ。この知世の両親の仕事中心の生活は、知世が小さいころから続いていたフシがある。
「知世もつらかったんだね」
「……いえ。私には『家の者』がいますし、それに」
「それに?」
「晶紀さんがいますから」
と言って、テーブルの上で晶紀の手を取った。
「ありがとう。私も故郷を離れていても、ここに知世がいるからさみしくないよ」
晶紀も知世の手を包むように手を添える。
その時、二人が座っている通りに、黒塗りの大きな車が止まった。
車の扉が開くと、黒いスーツに黒いネクタイ、黒いサングラスをかけた中年の男が現れた。
知世の『家の者』だ、と晶紀は思った。
しかし、知世はあえて気付かないようにして、晶紀の方をじっと見つめていた。
「お嬢様、お迎えにあがりました」
かけられた言葉も無視して、晶紀を見ている。
「知世、お家の人が呼んでる」
諦めたように目を伏せると、パッと視線を戻した。
「……そうだ! 晶紀さん、お家まで送っていきますから、一緒に乗っていきましょう。ねっ! そうしましょう」
晶紀の手を握ったまま立ち上がった。つられるように晶紀は答えた。
「う、うん」
二人は車に乗り込み、手をつないだままお話をした。
おそらく少し遠回りをしたのだろう、いつしか辺りは暗くなっていた。
外灯がついた静かな住宅街で、大きな黒塗りの車が止まると黒スーツに黒ネクタイ、サングラスをかけた男が後部座席のドアを開く。
晶紀が車を降りると、後部座席の窓が開いて、知世が手を振った。
「また明日。学校で」
「また明日」
黒いスーツの男は会釈をして車に乗り込むと、静かに車を走らせ去って行った。
車が大通りの方へ曲がって見えなくなると、晶紀はお世話になっている昭島家のチャイムを鳴らした。
「ただいま」
チャイムに反応したようにライトが付いたが、いつものようにおばさんの声がない。
「ただいま」
もう一度呼びかけるが、家から反応がない。
晶紀は家のシルエットをじっと見て、ここが昭島家で間違いないか考え始めた。
そして考えている内に、どこか記憶と違う気がして、首をひねった。
「道、間違えたかな?」
車に乗って昭島家に戻ってくることはなかった。しかも、今日は学校からではなく、街から戻ってきている。いろいろと今まで経験したことがないことが重なっているのだ。
「一本向こうの通りだったかな?」
晶紀は住宅街を歩き始めた。
通りを一つ向こう側へ歩いて、憶えている昭島家のイメージと同じ建物を探す。
白い壁、二階建て、二階の窓が出窓になっていて、確かぬいぐるみが……
ない。歩いても歩いても、昭島家と思われる家が出てこない。
やっぱりさっきの通りで良かったのだ、と考えて戻ることにした。
戻るために歩いている内に、朝、おばさんから言われたことを思いだした。
『今日はコンサートに出かけるから、冷蔵庫に入れていたごはんを温めてたべてね』
そうだ。おばさんは出かけている。晶紀は考えた。鍵を渡されていない私は、どうやって家に入るのだろうか。怖くなって、携帯を取り出し、昭島家の家電に掛ける。呼び出し音がなるばかりで、応答がない。
「えっ、もしかして、おばさんが帰ってくるまで家の外にいないといけないの」
小走りに通りを進むと、最初に車で降りた場所に戻って来た。
白い壁、二階の出窓に大きなぬいぐるみが置いてある。
その家は記憶にある『昭島家』と同じだった。
家から、電話の音が聞こえてくる。
晶紀が電話を切ると、家から聞こえてきた小さな呼び出し音も消えた。
「間違いない」
もう一度、チャイムを鳴らす。もしかしたら、おじさんが帰ってきているかもしれない。いや、おじさんがいるなら、電話に出るだろう。悩みながら、応答を待つ。
『はい。どなた?』
知らない声。おばさんでも、おじさんでもない。若い女性の声。
「ま、間違えました」
チャイムの灯りが、フッと消える。
いや、ここは昭島家で間違いない。表札も『昭島』と書いてある。間違えているのは、この家の中にいる人じゃないのか?
晶紀はもう一度チャイムを鳴らす。
『はい』
「あなた、どなた?」
『……』
しばらくの間。
『もしかしてみこさん?』
「天摩です。天摩晶紀」
『ごめんなさい。巫女の方、ですよね?』
晶紀は自分の着ている服を見直し、学園の制服であることを確かめた。
「あの、一体何を言ってるんですか?」
『恐山から家へ越してきた、巫女の方ですよね?』
「……」
その時、朝、学校に出かける間際の事を思い出した。
『晶紀さん、今日は私“大荒天”のコンサートにいくから、よろしくね』
『おばさん、”大荒天”のファンなんですか?』
『お友達がチケット取れたからって強引に誘ってきたのよ。ファンクラブとかだって、自分から入ったわけじゃないのよ』
『何時ぐらいに帰ってくるんですか?』
『あ、それは大丈夫だと思うわ。今日昼に娘が留学先から帰ってくるから、お留守番は娘が……』
そうか、この玄関のインターフォンの先にいるのが、昭島家の一人娘。確か、名前は……
気づくと、目の前のチャイムのところに点いていた灯りが消えていた。
晶紀が慌ててチャイムを何度もならすが、玄関の鍵が開く音がした。
扉がゆっくり開いて、中の灯りが漏れ出てくる。
人影が、すっと扉から出てくる。髪はワンレングスだったが、ショートで、真ん中あたりで両側に分けている。メガネをかけていて、背は晶紀より少し低いくらいだろうか。ゆったりとした部屋着を着ている。
緊張した表情から、口を開いた。
「ごめんなさい。母から聞いていたはずなのだけどお名前を忘れちゃって」
「えっ、えっと……」
それは私も同じ、と言ってしまいそうだったが、晶紀は必死に脳みそを振り絞り、思いだした。
「か、カレンさんですよね」
晶紀が会釈をすると、昭島カレンも深々と頭を下げた。
カレンの部屋着の襟元が開いて、揺れる上乳が見えた。
大きい。自分なんかよりスリーサイズ、いや、もっと大きい。おばさんの胸は大きい方ではないから、カレンさんは父親似なのだろうか。父親に似て胸が大きいというのは、よくわからないがアリなのだろうか。
顔を上げると、カレンは襟元を引っ張って服を整える。
「どうぞ入ってください…… ちがうな。おかえりなさい」
「た、ただいま」
カレンが扉を開けているところに、晶紀が入っていく。
カレンが後から扉を閉め、鍵を閉めた。
晶紀は自分の部屋に荷物を置いて、部屋着に着替えて居間に向かった。
カレンは居間のソファーに座っていた。
「晶紀さんも、同じ真光学園に通っているのよね」
おばさんから聞いていたことを思いだしたのか、さっきインターフォンで晶紀が言った名前を憶えていたのかは分からなかったが、カレンは『晶紀』と呼んでいた。
「はい」
晶紀はおばさんの言ったことを思いだしながら言葉をつなぐ。
「そういえばカレンさんは今日、留学先から帰ってきたんですよね」
「学園の姉妹校に短期留学をしていたの。留学というより、ホームスティ先で交流をするのが主な目的なんだけど」
「楽しかったですか?」
「あんまり私には向いてなかったみたい」
「え~ そうなんですか。それは残念だったですね」
「人口が少ないのと、景色は良かったんだけどね」
カレンが、メガネの縁を持ち上げて、晶紀に顔を近づけてきた。
「それより、晶紀さん。晶紀さんは巫女だって聞いたわよ」
「さっきもそんなことを言ってましたけど、巫女がどうかしましたか?」
「見せて」
「……えっと、な、なにを?」
「巫女の衣装。あるんでしょ? 神楽鈴も持っているって聞いたわ」
「おばさんが言ったんですか」
カレンはスマフォを持って、何か操作をしながら言う。
「興味あるから、着替えて見せて欲しいの」
「えっ、今からですか?」
「だって、食事してからだとお腹が苦しくなったりしない?」
カレンはスマフォを眺めながら、ポン、とお腹を叩いて見せた。
「まあ、そうですけど」
スマフォを片手に持ったまま、ぴょんと飛び跳ね、
「やった! あ、あと、写真撮っていい?」
と言う。
「写真ってなん……」
晶紀が問いかける言葉を遮るようにしてカレンが言う。
「資料に使うだけだから。資料に。ね。お願い」
その時、晶紀はそれが『何の』資料になるのかは気にしていなかった。
「はい」
晶紀は承諾した。