01
黒尽くめの男たちが晶紀を取り囲んでいく。
「晶紀! 逃げろ!」
完全に相手の戦略にはめられた。
佐倉は叫んだ。蝙蝠の中に手を突っ込むが、晶紀には届かない。
集まってくる蝙蝠の力で、はじき出された佐倉は、黒尽くめの男が作り出した『人間櫓』から落とされてしまう。
その人間櫓を中心にした蝙蝠と蛙の塊が、黒く溶け、一つの塊とかして大男を生成していく。
「晶紀! 聞こえるか?」
佐倉は龍笛を取り出し、目を閉じて笛を吹き始めた。
無敵に思えた大男は、胸を押さえ、苦しみ、震えはじめた。
笛を吹き続けると、やがて、大男の胸の奥で何かが光った。
大男が膝をつき、完全に動きがとまり、続けて、胸を押さえながら片腕をついた。
胸の光に目を閉じた時。
大量の液体がぶちまけられたような音とともに、大男の胸が裂けた。
光る神楽鈴を抱えながら、晶紀が転がり落ちた。
意識が戻った晶紀は、大男から抜け出し、言う。
「私を高く飛ばしてくれ」
助走をつけて佐倉の組んだ手に足をかける。
佐倉が力いっぱい引き上げ、同時に晶紀が飛び上がる。
大男の頭を軽く超える高さに舞い上がると、晶紀は前方へ回転する。
一回、二回…… 光る剣が輪を描く。
「ここだっ!」
晶紀が神楽鈴を振り下ろす。
神楽鈴の剣が、大男を脳天から真っ二つに裂いていった。
黒い皮と化した蝙蝠が、蛙が、本来の姿に戻って飛び去って行く。
「勝った」
晶紀は、そう小さくつぶやいた。
放課後、保健室の床で腹筋ローラーをしながら、晶紀は大男との闘いを思い出していた。蝙蝠をまるで『つなぎ』にして人間を固めた大男。そんな術を使う相手と戦っていかねばならない。
佐倉は腹筋ローラーの回数を数えながら、言った。
「山口の家に向かうところで出た大男だが、宝仙寺の家の者の調査から分かったことがある」
「えっ、何が分かったの? もしかして公文屋のことが」
佐倉は、晶紀が握っている腹筋ローラーを足の裏を使って、強引に転がす。
「ほら、止めるでない」
「……」
晶紀は再び腹筋ローラーを使って体を曲げ伸ばし、伸び切ったところで停止して腕立て、を繰り返した。
「山口の家を中心にして、陣が描かれていた」
「陣…… 魔法陣ということですか? なんのために……」
佐倉がタブレットに映像を映して晶紀の前に見せた。
「山口の家に近づこうとすると、例の大男が現れるように、蝙蝠と蛙に監視させていたようじゃな」
「……」
五芒星や円などを組みあわせ、分割されたパート毎に複雑に呪文が描かれていた。
これだけ凝った陣を描き、それが正常に機能したということは、描いた人間の呪力が高く、知識が深いことを意味している。
大男ですら自分一人で倒せなかったのに、この陣を描いた主と戦って勝てるのだろうか。晶紀は自信が無くなっていった。
「こら、何を考えている」
今度は、晶紀が進めようとする腹筋ローラーを足裏で止めた。
腹筋ローラーに手をかけたまま、晶紀は佐倉の顔を見上げる。
「そんなに情けない顔をするな」
「けど、そんな強い陣を一人で描けるってことは……」
「確かに強い陣じゃが、心配するな。これを一人で描いているとは思えん」
タブレットの画面でピンチアウトして拡大し、晶紀に見せた。
梵字やキリル文字、漢字にカタカナも含まれている。図柄自体も東洋と西洋が混じったような、異様な形状をしていた。
「同じ文字種だけに絞って診ても、複数の筆跡が見られる」
「……佐倉、映像から筆跡を分析できるの?」
タブレットを手もとに引き戻し、まじまじと画面を見つめる。
「わからん」
晶紀はマンガのようにずっこけて見せた。
「じゃあ、本当か分からないじゃないか」
「全部、知世の『家の者』が調べてくれた結果じゃ。間違いはなかろう」
何もかも知世の『家の者』に任せておいていいのか。家の者が分かっているということは、こちらの秘密、例えば晶紀のことや、佐倉の話などが知世の家の者にも筒抜けになっていることになる。晶紀は腹筋ローラーを片手に持って立ち上がった。
「知世の『家の者』を使うのは止めにしないか……」
「無理だろうな」
「なんで。こっちの話も全部、知世の『家の者』に筒抜けになっているんじゃないのか?」
「ある程度、こちらの情報が洩れるのは覚悟の上じゃ。それより得るものが大きいのじゃ。儂は、呪術や陣のことならわかっても、筆跡鑑定までは出来ん。無料でこれだけ多角的な分析をしてくれるのだから、任せるしかないじゃろう」
「……知世を巻き込みたくないよ」
晶紀はうつむく。
「とっくの昔に巻き込まれておる」
「今ならまだ……」
「大丈夫ですわ」
保健室の扉が開いて、きれいに揃えられた前髪の女生徒が顔をのぞかせる。
「知世!」
知世が飛び込んでくると、晶紀は両手を広げて抱き留め、くるりと半回転した。回転の勢いで、知世の足は宙に浮く。
「晶紀さんのお役に立てるなら、どれだけ『家の者』を使っていただいて構いません」
「ありがとう、知世」
佐倉が、近づいた二人の顔を横からのぞき込むようにして、言う。
「お前たち…… って、その、あれか? ちょっと言いづらいが、なんというか……」
佐倉は腕を組んで目を閉じた。
次第に頬が赤くなってくる。
「あんなことや、こんなことを…… だな。女性同士なのに…… いや…… 別に悪いと言っているわけじゃないぞ。今の時代、そういったことは自由なのだから……」
晶紀は佐倉の言いたいことが分かった。晶紀と知世が、友達以上の関係ではないか、ということがいいたいようだ。
しかし、ここで肯定するか、否定するかで今後の知世との関係の進み具合にかかわる。晶紀は考えた。そして悩んだ。
悩んだ末、佐倉の肩を叩いて言った。
「おい。何を考えている」
「何って、それを言わせるつもりか」
佐倉は普段と違って、くねくねと体を曲げながらそう言った。
「いい? 私と知世は……」
「初対面でキスをしましたの」
と言う知世の言葉に、晶紀は顎が外れたように口が開いてしまう。
佐倉は二人を指差しながら、一方で口を押えた手が震えていた。
「お前らは…… そういう間柄だったのか……」
晶紀はある深夜の光景、シルクの寝間着をまとった知世を抱きかかえ、そのまま無意識にキスをしてしまったことを思いだしていた。
あれは、あの時は…… 戦闘後の気持ちの高ぶりが影響していて、つい、目の前にあった唇に触れてしまった。それだけだ。けっして邪な気持ちがあってしたわけでは……
いや、ここは知らないと否定するべきか。晶紀は気持ちを切り替える。
「えっと、よく覚えてないんだけど、そんなことあったっけ……」
「私を助けてくれた時に、そっと唇をふれたあの思い出をなかったことにするのですか?」
「ほんと? そんなことあったっけ? ほら、よく思い出してみてよ。幻かなにかに思えてこない?」
必死だった。鞄から神楽鈴を取り出そう、そしてもう一度あの時のことを消し去ろう、と晶紀は考えた。
知世も両手を広げて自らの記憶が正しいことをアピールする。
「幻のはずありませんわ。教室の皆が承認になっていますのよ」
「えっ? 教室?」
「教室で、晶紀さんに押し倒された時ですわ。ストレッチャーで運ばれてここに寝かされた時のことです」
消したはずの記憶が戻っているわけではない、と思うと、晶紀はほっと胸に手を当てた。
「あれは押し倒したわけじゃないけど…… そうか、教室の、あの時」
小泉の指示で仲井すずが晶紀の足を引っかけて、転ばせようとしたのだ。その時に勢いあまって知世にぶつかってしまった。不可抗力の事故で、キスをしようと狙ってやった訳ではない…… はずだ。
「ほら、やっぱりしていたではありませんか」
「知世。『覚えていない』なんて言ってごめん。キスって言ったから、あれは倒れた時に偶然唇が……」
聞いた瞬間、知世がうつむいた。まっすぐな前髪がかかって、瞳が見えない。
慌てて晶紀が近づいて顔を覗き込む。
「どうしたの知世。泣いてるの?」
「だって……」
知世は、鼻をすすり始め、指で両方の目じりからこぼれる涙を拭っている。
「だって、あれはキスでしたのよ。私の初めてのキス」
えっ、ちょっと待って…… じゃあ、前日の晩のキスは…… いや、そういうことじゃない。自分との口づけを『ファーストキス』と思ってくれいていることに感動し、晶紀は震え始めた。
そして両手を伸ばし知世の肩を掴んだ。
「責任…… 責任とるから」
知世は目を伏せて小さく頷く。
「待てっ!」
そう言って佐倉は、晶紀と知世を引きはがした。
「二人が清い関係でよかった」
実際は、初対面でキスをしているような関係なのだが、佐倉が『清い関係』だと言うのだから、そういうことで認めてしまおうと晶紀は思った。
「そうだよ。ピュアなんだよ。ピュアピュアだよ」
「佐倉さんは、私たちがどんな関係だと思っていたのですか?」
「ぬるぬるのぐちゃぐちゃだと……」
それは、どう解釈しても『清い関係』に使うような『オノマトペ』ではなかった。つまり『|ぬるぬるのぐちゃぐちゃ(いやらしいかんけい)』と思われていたのだ。
晶紀がそれに怒って佐倉の胸倉をつかんだ時、
「あの……」
と知世が割り込んだ。
「話しをもどしませんか?」
「そうじゃな。ほれ、晶紀もちゃんと話を戻せ」
「……」
知世は笑顔で人差し指を立てた。
「えっと、紹介すると一名、無料のキャンペーンをやっているエステがあるんです。しかも普段なら気軽に行けないような高級エステなんですよ。ご一緒にどうでしょうか?」
「そんな話をしておったかの?」
佐倉は首を傾げた。
「その話がしたかったの?」
「はい。今日はエステに行こうかと思っていたのですが、ちょうど今一人、紹介して無料になるキャンペーンをやっていると聞いたので晶紀さんを誘いに」
「それ、どこできいたの」
晶紀はあまりエステには興味なかったが、普段のお手入れが楽になるんじゃないか、とは考えていた。
「教室で自習していた時、みんなが噂していましたわ。二人で一人分払えばいいので、実質半額キャンペーンていう事でしょうか。以前私が一人で行った時、すごく丁寧で、よかったのでぜひ晶紀さんも」
知世が、自分自身の腕を何気なく撫でている。
綺麗ですべらかで、白い肌。
「……」
知世と一緒にエステ。知世と放課後を一緒に過ごす。いい響きだ。晶紀の心はすでにエステとその後に飛んでいた。
知世はスマフォを何か操作した後、晶紀に見せるように向けて言う。
「ほら、ネットにも載っていました。なので、キャンペーンやっているのは間違いないとおもいますよ」
佐倉が晶紀の肩をポンと叩く。
「悩むな晶紀。行ってこい。ここで汗臭いトレーニングをするだけが鍛錬じゃない。いろんな世界を見ておくのも役に立つ」
「じゃ、じゃあ行こうかな」
晶紀はすぐ支度をすると知世と一緒に保健室を出て行った。