悪夢と救世主
「オルァアアアア!」
ジュラゾーマが力に任せて暴れまわる。
幸いな事に、ジュラゾーマの動きは雑であり、スピードもそれ程速くはない。
技術とスキルを使えば、なんとか避けきれる範囲だ。
故に、今のところは死者も出さず、重傷者も勇者一名のみという状況のまま、なんとか戦線を継続する事ができている。
しかし、それは負けの先延ばしでしかない。
何故なら、こちらの攻撃は聖女の聖光魔法しか効かず、それもすぐに回復されてしまう上に、向こうの攻撃は一撃必殺なのだから。
何度当てても無意味なこちらと、一度当てれば一人を確殺できるジュラゾーマ。
どちらが有利かなど考えるまでもない。
このままでは、じきに体力が尽きた者からやられて敗北は必至だ。
その前になんとかする必要がある。
「ハァアアアア!」
レイは危険を承知で距離を詰め、ジュラゾーマの眼球に向かって突きを繰り出す。
急所ならばダメージを与えられるかもしれないと思ったのだ。
確かに、普通の魔物相手であれば、その判断は正しい。
だが、今回は相手が悪かった。
「うお! いてぇ! やるじゃねぇか!」
「ッ!」
レイの剣は、確かにジュラゾーマの眼球を貫いていた。
しかし、眼球ですらとてつもない硬さ。
刺さったはいいが、貫通はしていない。
(つくづく化け物だな!)
「《スパーク》!」
「あばばばばは! 痺れる~!」
眼球から電撃を流し込んでやっても、ちょっと痛がるだけ。
そうして刺して焼いて与えた傷も、瞬く間に再生していく。
更には、顔に付いた虫を潰すかのように、掌で押し潰そうとしてきた。
「《ブレストウィンド》!」
レイは即座に剣を引き抜き、ルドルフが放った風の魔法に乗って離脱。
ジュラゾーマは自分で自分を叩いた。
もちろん、ダメージなどない。
(嫌になるな!)
「《シャイニングノヴァ》!」
「あぢぢぢぢぢぢ!」
唯一効くのは、やはり聖女の攻撃だけだ。
光を束ねた光線がジュラゾーマを直撃し、肌を焼いてダメージを与える。
それもすぐに治ってしまうのだが。
勝ち筋があるとすれば、ジュラゾーマの動きを封じて、眼球から脳にかけてを聖なる光で焼く事くらいだろうか。
「《マッドスワンプ》!」
それはルドルフもわかっているらしく、土魔法でジュラゾーマの足下を泥沼に変え、動きを止めにかかる。
この程度で止まる相手ではないのはわかっているが、攻撃の起点くらいにはなるだろう。
その隙を突くべく、撹乱組が一斉攻撃の準備に入った。
「ハッ! こういうのはやられ慣れてんだよ! オラァ!」
しかし、明らかに暴れるしか脳のない脳筋のジュラゾーマが、予想に反して即座に最善手を打ってきた。
拳を振り上げ、思いっきり泥沼を叩く。
それだけで泥沼は弾け飛び、飛び散った泥が散弾のように戦士達の体を打つ。
たかが泥。
されど泥。
高速で飛び散る液体には、想像以上の破壊力がある。
この一撃だけで、何人かが骨折クラスのダメージを負った。
「ヤッホーイ!」
そして、ジュラゾーマは泥沼から脱出し、近くにいた戦士達を手当たり次第殴ろうとする。
最初に狙われたのは、うっかり泥の散弾を浴びてしまったドジっ娘ハナ。
「そらよ!」
「うわっ!?」
「ハナ!?」
「任せい! 《シールドフォース》!」
そのハナを、近くにいたボヴァンが庇った。
ボヴァンは片手斧と巨大な大盾を装備し、更に体をガチガチの全身鎧で固めている。
ボヴァン自身も四千を超える防御のステータスを持ち、聖女の支援によって約七千にまで上昇した防御力は、盾と鎧の力もあって、ジュラゾーマの攻撃から確かに仲間を守った。
「ぬぉおおおおお!?」
「あひゃぁあああ!?」
が、踏ん張る事はできずに吹き飛ばされた。
盾は砕け、鎧はひしゃげ、背後のハナはボヴァンに下敷きにされて悲鳴を上げる。
二人とも生きてはいるが、即座に戦線復帰するのは難しいだろう。
「次ぃ!」
「させません! 《ホーリーブラスター》!」
「あっぢぃ!?」
ジュラゾーマは次の生け贄を求めて拳を振るおうとしたが、させじと放たれた聖女の魔法に身を焼かれる。
結果、ジュラゾーマの標的は聖女に移った。
「お前はさっきから鬱陶しいんじゃぁ!」
キレ気味に襲い来るジュラゾーマ。
またしても大きく拳を振り上げ、その豪腕で華奢な聖女を仕留めようとする。
だが、聖女を守るようにジュラゾーマの前に立ち塞がった男が一人。
エルフの大魔法使い、ルドルフだ。
「とっておきをあなたに見せてあげましょう。《ディメンジョンゲート》!」
「ふぁ!? あ痛!?」
ルドルフの使った魔法、難易度が高すぎる事で有名な空間魔法によって目の前の空間が歪み、ジュラゾーマの拳を飲み込んで頭の後ろから出現させた。
目の前とジュラゾーマの後ろの空間を繋いだのだ。
発動が難しく、早々連発はできない奥の手。
そして、この魔法はここからが真骨頂。
「《クラッシュ》!」
「あがぁあああ!?」
ジュラゾーマの腕を飲み込んだままの空間の歪みを消し去り、次元の断裂によって引き千切られたジュラゾーマの右腕が宙を舞う。
ジュラゾーマが初めて本気の悲鳴を上げた。
「聖女様! 今です!」
「! ありがとうございます!」
ルドルフが作ってくれた特大の隙。
これを逃す訳にはいかない。
聖女は咄嗟に、自分の手札の中で最も強力な魔法を発動した。
残りの全MPを使い尽くすくらいのつもりで。
「《セイクリット・ヘブンズブラスター》!」
「おおおおおお!?」
全てを染め上げるような純白の閃光が迸る。
聖女の膨大なMP全てを費やされて発動された魔法は、咄嗟に盾にしたジュラゾーマの左腕を焼き尽くし、その全身を聖なる光で灰にしていく。
聖女の渾身にして最後の一撃。
光が収まった時、そこにはかろうじて元の姿の面影を残すだけの、焦げ炭になったジュラゾーマの残骸だけが残っていた。
「やっ、た……」
聖女がMP切れの疲労感に苛まれながら、万感の思いを込めて呟く。
ルドルフや見守っていた者達も安堵し、十二天魔の一角を落とした事へと歓喜が湧き上がりそうになった瞬間……悪夢は、どこまでも無慈悲にその続きを見せてきた。
ジュラゾーマの体が凄まじい勢いで再生していく。
焦げた体も、無くした腕も、その全てが元の状態へと回帰していく。
それも、僅か数秒に満たない刹那の間に。
追撃をする暇もなく、誰かが駆けつける暇すらなく、ジュラゾーマは傷一つない姿へと戻っていた。
「ふぅ。今のは効いたぜ。だけど何度も言っただろう? 俺は『不死身』のジュラゾーマ! 俺が死ぬ事はねぇ!」
「そ、そんな……」
「……まいりましたね」
絶望。
そんな感情が聖女を襲う。
ルドルフも表情こそ冷静だが、詰みという言葉が脳裏にちらついていた。
そんな二人に向かってジュラゾーマは……
「それじゃあ、そろそろ……死ねぇい!」
無慈悲に拳を振り下ろした。
他の者達は駆けつけられない距離。
駆けつけられたとしても、二人を抱えて逃げる時間はない。
これまでかと思う。
だが……
「やぁあああああ!」
「あん?」
一人の女剣士、レイが二人を守るべく走ってきた。
振るわれるジュラゾーマの拳に対して、剣による受け流しを狙う。
しかし、この豪腕は受け流す事すらほぼ不可能と、他ならないレイ自身が判断した攻撃だ。
ましてや、背後の二人を守る為に軌道を変えなければならないと思うと、かなり無謀な挑戦と言わざるを得ない。
(それでも!)
ここで諦めては、背中を任せた後輩に顔向けができない。
背中を任せたという事は、自分はこちら側を任されたという事だ。
ここで負ければ、この化け物は街の方に向かうかもれない。
なおさら、ここで負ける訳にはいかなかった。
だが、これ程の力の差を受け流せるような剣技など……
(ある!)
レイの脳裏に浮かぶのは、前に後輩が遥か格上である筈の魔物、パワードコングの一撃を受け流した技だ。
剣に水を纏わせ、それを高速回転させる事で、攻撃の威力を極限まで吸収していた。
自分の雷魔法で同じ事ができるかどうかはわからないが、やるしかない!
「《サンダーソード》!」
剣に雷を纏わせ、それを高速で回転させる。
質量がない代わりにMPを過剰に費やし、魔力その物で流すように。
剣に入ったヒビが広がっていく。
先代勇者に憧れ、聖剣に似せて特注で作ってもらった白銀の剣。
それが壊れていく。
そして、遂に剣は砕け散り……大きな代償と引き換えに、レイはジュラゾーマの拳を完全に受け流してみせた。
「だからどうしたぁ!」
しかし、しかしだ。
それで事態は好転しない。
レイが稼げたのは、攻撃一回分の僅かな時間だけ。
剣が砕けた以上、二度目はない。
本当なら一緒に駆けつけていたミーナが聖女とルドルフを逃がしきり、業腹だが全ての攻撃を受け流しながら、当代勇者が復帰するまでの時間を稼ぐつもりだったのだが。
(上手くいかないものだな……。すまん少年。私は死ぬ)
死を覚悟し、それでも最後まで砕けた剣を構えたまま、レイはジュラゾーマの攻撃に相対する。
「終わりだぁ!」
そう、終わりだ。
もうレイ達には、この攻撃を防ぐ手段がない。
この距離では避ける事もままならないし、仮に避けてられても、力を使い果たして動けない後ろの聖女が死ぬ。
もうどうしようもない。
そう、どうしようもない。
レイ達には。
突如、レイ達の目の前の空間が歪む。
空間魔法の特徴。
一瞬ルドルフかと思ったが、彼のスキルレベルでは瞬時に空間魔法を発動する事はできない。
なら、誰なのか?
その答えはすぐに判明した。
空間の歪みを乗り越えて、一人の人物がジュラゾーマの前に立ち塞がった。
まるでレイ達を守るように。
男か女かすらわからない人物。
何故か、その正体が認識できない。
ただ、その人物が身に纏った黒いマントと、目元を隠す黒い仮面だけが、やけに印象に残った。
その人物からは強者の気配を感じない。
だが、確実に強いという事はわかる。
空間魔法の中でも難易度の高い魔法、テレポートを使いこなしている事もそうだが、何より……
その人物は、手に持った黄金の剣で、ジュラゾーマの拳を完全に受け止めていたのだから。
「あん!? なんだテメェ!?」
ジュラゾーマが大声で問いかける。
その姿は絶対強者の余裕に満ちていたが、ほんの僅かに得体の知れない敵を警戒しているように見えた。
「ぼ……いや私は、そうだな……『勇者の幻影』とでも名乗っておこうか」
勇者の幻影を名乗る謎の人物。
レイはその声にどこかで親しみを感じたような気がしたが、まるで認識を阻害されているかのように、その声もまた印象に残らない。
しかし、これだけは明確に感じる。
この人物の後ろ姿には、まるで憧れの先代勇者に守られているかのような、絶対的な安心感があった。




