4話
「優里はソロ、蓉は別の教室の子と組ませます!」
「「…はあ?」」
また返事(と言って良いのかもわからないもの)が被ったが、それくらい、突拍子のない事だった。
何せ無視する関係ではあるけれど、それはお互いの存在が当たり前というかなんというか。優里とは僕が10歳の頃からのパートナーなのだ。息の合い方はピカイチだろう。
それに、優里が素晴らしいダンサーであるからこそ僕もサポートしやすかったのに、ほかの教室の子とだなんて上手く踊れるはずがない。
僕が。
それも優里は分かっているのか、大きな鏡に映る彼女の顔は、これまでに見た事がないほど呆然として間抜けだった。
思わず吹き出してしまった僕を誰が責められようか。
そして、僕がポアントを優里から投げつけられたのは言うまでもない。
履き潰したポアントだったことに多少の手加減を感じたけれど、多分それは優しさでもなんでもなくて、おろしたてのポアントを無碍にしたくなかっただけだろうなあ。
女は怖い。そして強い。それがわかっているから僕は猫をかぶり、逃げるのだよ。
翔介、お前も早くそれを理解できるといいな。
「『はあ?』って、話自体は前から来てたのよ。あんたらには言ってなかったけど。でも蓉がね~、うふっ、好きな子ができたならね~そろそろお互いのためにもそのアホみたいな『依存関係』やめさせないとな、って思ったのよ」
お前の『うふっ♡』なんて誰得だよ、と思うが、確かに彼女の言うとおり、僕は優里に依存している。
本来優里を支えるはずの僕が、『僕がやらかしても優里がカバーしてくれる』というなんとも情けない感情を抱いてしまっているのも悪い。
「…そうですね。わかりました、頑張ります」
と返した僕。
しかし優里は何も返事をすることなく、更衣室へ向かってしまった。常に先生に忠実な優里がとる態度ではなかった。
普段は見られない反抗的な優里の態度に、僕は大人びた彼女が自分より年下であることを思い出した。
にやにやと先生が笑っていたけれど、それが何を意味する笑いなのかわからず、僕はすこし寒気がした。
僕が男子更衣室で着替えて出てくると、優里は既にスタジオの玄関前で待機していた。
ガラスの二重玄関は、所々ステンドグラスになっていて、先生のこだわりが見てとれる。
「先生、もう帰ったから。鍵閉めるから早く準備して」
素っ気ない優里の口調はいつも通りだけれど、なんだか声色がいつも以上に刺刺しい。
ワイシャツを適当に羽織り、ネクタイも締めずに僕が出てくると、優里がぐりん、と顔を横に向ける。
「…見苦しいもの見せないで」
「えぇ…そんな、今更?」
昨年僕が踊った『アクティオン』の衣装はほぼほぼ裸みたいな衣装で、似合わない村娘の衣装を着た優里が横で「絶望的に貧相…」と呟いたのを覚えている。
僕も負けじと「スワニルダの愛らしさって何…」と呟いてみたのだけれど、その時はUピンを頭に垂直に刺された。
かなり痛かったけれど、彼女はそのUピンで頭飾りをシニヨンにぶっ刺され…付けられていたから、何も言わないことにした。
優里に逆らってもいいことはないのでワイシャツをきっかり第1ボタンまで締め、ネクタイも締め、腰履きしていたスラックスもきちんと引き上げて履き直した。
学校に行く時だってこんなにきちんと制服を着ないぞ。さあ、文句は出るまい。
「もうちゃんと着たよ」
と優里に声をかける。
すると優里はこちらをちらりと見て、口をパクパクとさせて、また顔を背けた。
心なしか頬が少し赤いようだったけれど、そんなに僕が嫌なのだろうか。
「えええ…まだなんかだめなの」
「別に」
「エリカ様かよ…」
「エリカ様ってだれ?」と睨みつけてくる優里を見て、僕は急速に歳をとったような気がした。
「これがジェネレーションギャップなのか」
「意味わかんない。1歳しか違わないでしょ」
「確かにそうだけど…優里はテレビとか見ないの?」
「見ないし。そんな時間あるならレッスンするし」
「いや、色々見て見識を広く持つのは作品を表現するのには必要で…」
「少なくともテレビといったら〇HKのバレエの饗宴かローザンヌの再放送しか見ないあんたには言われたくない」
確かにその通りだ。『テレビ?はっ、くだらない』とか言いそうな見た目の石松が昨今のメロドラマについて論じていても、僕のドラマ閲覧の最終履歴は『今日、ママがいない』だから、共感も批判も出来ずに適当に相槌を打っている。
それでも気にせずこのドラマのどんなところがいい、悪いと話し続ける石松が、可愛くて好きなんだけど。
「また、ポナピー星に意識を飛ばしているの?」
石松の方に意識を飛ばしていると、珍しく必要事項以外で優里から話しかけられた。
好きな人のことを考えていた、とは言いたくなかったので、肯定する。
「そう。ていうか、ポナピー星とか覚えてたんだ」
「そんなことも覚えてられないって、馬鹿にしてる?」
「いや、そうじゃなくて、嬉しくて」
「…嬉しい?なんで?」
「いや、優里は年下だけど僕よりもずっと大人で、バレエも才能あってすごい人なのに、こんな僕との何年も前の他愛ないことを、覚えててくれたんだなあ、と思って。それで、嬉しかった」
僕が心情を正直に吐露すれば、「蓉の馬鹿やろー…」と言って優里はしゃがみ込んだ。
一瞬、彼女が泣いているのかと思って慌てて「大丈夫?!」と言うと、「玄関の鍵閉めてるだけだし!」と返事がきた。
うちのスタジオの玄関は、ドアの下部分に鍵がついているタイプなのだ。
やっぱり、彼女の顔が赤いような気がする。優里は体がものすごく丈夫だし体力もあるから風邪では無いと思うけれど、万が一病気だったら危ない。コンクールの前には地域の舞踊祭だってあるのに。
「ねえ、顔赤いよ。熱あるんじゃない?」
こつん、と額を合わせて確認すると、やっぱり熱い。
「うわ、やっぱり。立てる?家まで背負っていこうか?」
「…あんたのせいだ!はなれろバーカっ!」
優里渾身の頭突きをかまされ額を強打した僕は、恥ずかしながら意識を失い、逆に優里に引きずられながら家に帰ったらしい。